理由の一つに、高度経済成長期に「モーレツ」に働き過ぎた点があるように思う。
あの時代の直前までは、芸者遊びみたいなのが、どこの都市にもあった。
私の暮らす地方都市にすら、かつてちゃんと見番があって芸妓がいて、料亭があった。
あなたは、「長唄」と「謡」の違いについて、いきなり説明を求められて答えられるか?
これらの芸能が、あなたの住む町のどこで習うことができるか知っているか?
調子こいたけど、俺も詳しく知らん。
当時は、市役所の上層部や会社の社長や銀行の幹部や、金持ちの農家なんかが長唄や謡いなんかを習っていて、そして夜は料亭で遊んだわけだ。
そこでは古典に題材を獲った芸が行なわれていて、それを見て聴いてわかるリテラシーがあったわけだ。
金持ちたちは、何かを習ったり、そのリテラシーを楽しむ時間的余裕を持っていたし、そういうのに金を費やす心意気を持っていた。
彼らは「旦那衆」と呼ばれた。
経済成長の結果かなりの人間が、昔より金銭的に余裕ができたし生活の質は向上した。
だけれどその代償か、遊びは、どこかで失われてしまった。
現今ネットでは、短い間に特定のミームが流行ってそしてすぐに消えていく。
航空事故に関連する話題で「はい」と書き込まれた場合、どうリアクションするのが正しいか?
昔はそれが、源氏物語だったり平家物語だったり太平記だったりしたのだ。原文を読まずとも、なにかそれへのきっかけになる芸能があった。
私たちは、高度経済成長期以降、着物を着なくなって伝統的な日本家屋に住まなくなって井戸を止めて上下水道になってテレビのせいで方言の差異が減って……。んで伝統芸能へのアクセス手段も減ってしまった。みんな余裕ができたんだから、みんなが長唄や謡や、踊りや三味線にリテラシーがある社会になってもおかしくなかったのに。
こうした断絶を経て、今ネット社会はある。