いじめ関連のホッテントリが続いていて、ふと思い出したことを書く。
当時は「いじめられていた」と思っていたし、つらくて泣きながら下校したことが何度もあるし、数日は不登校にもなったし、ある時は担任に訴えたら担任が激怒してくれて授業が1つ潰れたことがあった(S先生ありがとう)。
今になって「と思う」なんて付けて断定を避けるのは、当時の私ちゃんに対しては申し訳ないんだけれども、まあ、彼女の未来である私がとりあえずすくすくと真っ当に伸びきったことで相殺してもらいたいと思う。今やいい大人になった私が思い返すに、あの「いじめ」と名が付く機構はわりとどうしようもないタイプのものというか、その発生を回避することはとても難しいものなんじゃないかと感じられるからだ。さらに言うなら、「いじめ」の加害者は、私の友達だった。「いじめをするやつは友達じゃない」という意見はよくわかる。でもそれは定義の問題だと今の私は思う。当時の私ちゃんの認識としては、「いじめてくる」あの子たちは、みんな友達だったのだ。むしろ、距離感の近しい、仲の良い友達の人々だった。たぶんあの子たちの認識もそうだったと思う。だって、おしゃべりしてたもん。一緒に登下校していたんだもん。よく言葉をかわしていたから、共に行動していたから、それは「いじめ」になりえたんじゃないか。親しくなり、型通りの付き合い方から外れはじめた時に「いじめ」の機構は発生する。
ともあれ、それが発生しているころ、当時の私ちゃんにはほかにも友達がいて、味方になってくれる両親がいて(そういえば、どうしても学校に行きたくなかったある日、1日だけ、父親が手をつないで学校まで一緒に来てくれたのだった。6年間であの1日だけだ)、当時の私ちゃんの問題に気づいてくれた担任の先生がいて、それを上の学年に上がるたびに引き継いでくれた先生たちがいた。
さて、小学校から中学校はエスカレーター式のところだったので、そのまま人間関係をほぼ引き継いで中学にあがり、「いじめ」は「思春期の男女のすれ違い」に変わって、高校受験をして、それぞれの高校に分かれてしばらくしてからだ。
中学で始めた「ある活動」の人間関係の中に、小学生の頃の「いじめ」加害者Yがいた。
その「ある活動」は高校になってもそれぞれに続けており、「ある活動」の場所で、時折顔を合わせ、「おう、久しぶり」「どうよ、そっちの高校」なんて軽い挨拶を交わす仲になっていた。
かつての「いじめ」被害者と「いじめ」加害者なんだけど、でも高校当時の私さんはそれでいいと思っていた。「いじめられたよなあ」とは思っていたけど、それはそれとして、友人は友人のつもりだったのだ。縁があるご近所さん的な。思い出を共有する同士、的な。
※この割り切ったメンタルが既におかしい、という向きは当然あろうと思う。高校当時の私さんは、既に「思い出話をさしさわりなくできる関係」の良さを知っていたし、それができるだけのトーク力も持っていたので、たまたまそれができたに過ぎない。
だがそんなある日のこと、その活動の場で、Yに「ちょっと話があるんだけど」と声をかけられた。「なになにー」と軽く応じた場で、Yは「俺、お前のこといじめてたよな」と唐突に言った。
面食らった覚えがある。そのあと肯定した。つまり「……そうだねえ」ぐらいの受け答えをしたはずだ。
「謝らせてほしい。ほんとごめん」
そのあとどう返したかはまったく覚えていない。でも当たり散らしはしなかったはずだ。適当に切り上げたのかもしれない。
ただ、その日の夜はもやもやした。布団の中で、延々ともやもやした。
むし返さなくてもいいじゃないか。せっかくうまいこと忘れてたのになあ。お前が謝って、お前がすっきりしたかっただけじゃん。
それ、お前がすっきりしたかっただけじゃん。
今もしYに再会したら、ささやかな意趣返しは目論んでしまうかもしれない。
ささやかで済むような自制をするし、私はそれを成し遂げるだろう。