そろそろ報道が下火になってきた、神奈川の傾斜マンション事件。どうしても個人の犯罪に変換したい報道姿勢はどうかと思うのだが、安心するためには仕方ないのだろう。
しかし、現代においてマンション以上の社会基盤であるコンピューターシステムの設計にはどうして一級建築士のような資格制度がないのだろうか。東証が止まり、ニューヨークストックマーケットが止まり、空港業務がとまり、ATMがとまり、1月1日午前0時に流量規制を実施されるというのに、今回のマンションほど加熱した報道もなければ、犯人探しもない。実に奇妙だ。世界中がコンピューターシステム関係者を擁護しているのかもしれない。時折ほとぼりがさめたころに敗軍の将が兵を語る程度である。実に、実に奇妙だ。これほどの影響が出るのだから、もっともっと事件として扱うべきだろうし、設計には資格を設けるべきだろう。しかし、実際の設計現場には何の知識もない派遣社員があふれかえり、テストケースは過去のそれを流用し、他システムのソフトウェア設計を流用し、ハードウェア構成を流用しているだろうに。
今回の傾斜マンションは個人の財産が毀損したため「もしかしたら私のマンションも」という不安が背景にあるのは想像も理解もできる。しかし、あなたが使っているスマホに謎のチップが、プログラムが、世界のどこかのサーバにデータを送り続けている、グーグル検索記録が残り続ける、文字変換の履歴が残り続ける、ネットにつないだテレビ、レコーダから利用履歴がどこかのサーバに、ラインのログが残り続ける、あらゆるアクセスしたサイトにログが残り続けるのは不安ではないのだろうか。おそらく今回のマンションの事件は誰でも目に見えてわかるからこれほど煽情的な事件となったのだろう。ケータイショップ店員のグチ、家電量販店店員のグチ、とかをみると、説明してもわからない人の事例が目立つ。とにかくバカはバカだと思い知らされることを恐れるのだ。しならい、わからない、と言わないのだろうか。よく新人社員に「同じことを二回聞くな」という低能がいるが、それに通じる自己尊大化の患者だろう。
システム開発の現場にいると、マンションで例えるな、ちゃんとした長さの杭が届くことがマレだ。なんだかんだで届かない。杭が届けばまだいい方だ。杭が来たのだから。