三十路になる既婚女性だが、未だにスクールカーストのトラウマから抜けられない。
けど、人生運動だけじゃない、運動ができないのなら勉強で頑張ればいいんだよ、と親に連れられて塾に通いだした。
運動と違って、やればやるほど成績が上がる。
いつも運動ができないと馬鹿にしてくる奴が答えられない問題をスイスイ解くことができる。
それはとても快感だったし、私みたいなクズでも出来ることがあるんだ!と生きる価値を見つけることができた。
高校受験という現実が迫ってくるから、むしろきちんと学業成績を残している人が褒められるようになる。
自然といじめられることも無くなり、勉強はするのも教えるのも好きだったから、友達も増えた。
小学校の頃私のことを馬鹿にしていた運動ができる人(しか出来ない人たち)たちが、勉強教えてーとか言ってきた時の快感は何とも言えないものだった。
高校、大学と進学していく中で、運動ができなくていじめられていた小学校の頃の嫌な思い出は消えていったし、
社会人になってからはジムに通ったりプールに通ったり、出来なくても体を動かす事の楽しさを知った。
完全に克服したなぁと思っていたんだけど、
唯一ダメなことが見つかった。
そこはそろばん教室で通っていたところでもあったから、行くと懐かしいし特に抵抗を感じることはなかった。
懐かしいなあ、などと楽しそうにしている。
こっちはどんどん吐き気が強くなる。
なんでだろう?変なもん食ったかな?
昨日の刺し身が悪かったのか?いや、同じもん食った旦那はピンピンしてるし。
投票会場になっている体育館に入った瞬間、吐き気は一層強くなった。
そして、理由がはっきりとわかった。
運動会のダンス。一人だけうまく動けないからクラスメイトにも笑われる、居残りを強要され、実質残業になった教師からも不機嫌に扱われる。
大人になったからわかる、たしかにこんな不出来な子供のために残業なんて勘弁してほしい。
蒸し暑い体育館の中でひたすら怒鳴られ、練習させられ、泣かされる。
運動会だけじゃない、マット運動跳び箱鉄棒…いろんな種目で同じようなことをやらされた。
運動でいじめられて、スクールカースト最下位に追いやられた思い出は、何年経っても消えない。
幸い自分はそれなりに勉強が得意になったので、自尊心を取り戻すことができたけど、他に得意なことを見つけられなかったら、と想像するだけでゾッとする。
旦那には申し訳ないなと思いつつも、選挙が近くなると休みの日に区役所に行って期日前投票をする。
運動だけで人生は決まらない、けども、小学校の世界では勉強よりも運動が重視される。
なぜリレーやかけっこで運動能力のランキングを表にすることは許されるのに、
答案用紙が流出することの何が悪い。盗まれるのなら問題だけど、他人の運動能力と比較されていじめられることがあるのだから、
他人の点数と比較されていじめられる人がいたっていいじゃないか。
運動の呪縛とスクールカーストの呪縛は、小学校六年間という期間を人生からなかったことにしようとする大きな力となって私の中に残り続けている。