2014-03-15

感情的に親が嫌いな話

まりにも幼稚で誰にも吐き出せないからここに愚痴を書きたい。

どうも僕は両親のことがすごく嫌いらしい。

客観的には良い親だったと思う。私立で大学までだしてもらって、かなりの金額は投資してもらった。

ただ、締め付けがきつかったことを、僕はずっと根に持っている。

高校までは、ゲームの類は禁止、門限は5時、あれをやれ、これをやれと、両親の思う健全環境に押し込められていた。

小遣いも周囲と比べてとても少なく、バイトも禁止。金がなくて、友だちと遊ぶ際の交通費ですら難儀している有り様だった。

大学はいってからはその辺りは緩くなったけども、自分の部屋でだらだらしているのが一番好きで、

他にはなにも求めていない様な僕と、外に出て何かをするのが健全と考えている親で、価値観の違いはかなり大きかった。

就職してからも、そのあたりはあまり変わらなかった。

数年前、家を出て一人で暮らし始めた。

自分の好きな様に生活をしていても誰からも文句を言われない生活がここまで快適とは思わなかった。

よく一人暮らしは急に寂しくなることがあるなどと言われるけど、そんな感情はただの一瞬も感じたことがない。

部屋は汚いし、生活レベルは落ちているけど、この開放感は何者にも代えがたいものだと思う。

今になってみると、親の言うことをいちいち聞くことなんてなかったよな、なんて思うんだけど

未成年のうちは「子供は親の言うことを聞け」。大学生になってからは「金を払っているんだから言うことを聞け」、

就職してからは「この家に住んでいるんだから」という具合に、なんだかそれらしい理屈封殺されていた。

この間、どうも両親が引っ越すらしく、引越の手伝いを頼まれた。

曰く、「君の荷物もあるから整理を手伝ってくれ」だそうだ。

もちろん断った。

卒業アルバム等も含め、残っている荷物は全部捨ててくれと依頼した。

衣食住で縛っておいて、次は荷物かとうんざりした。

彼らの要求健全常識的だ。

掃除しろ、やるべきことをやれ、親戚付き合いへ参加しろ

とても真っ当なことだったと思うんだけど、強制力と共に突きつけられるそれは耐え難いほどに窮屈だった。

両親が僕にくれたものはすごく多いのだけど、その恩は、

それを傘に来て何かをさせることを持って、かなりの部分が消費されてしまったと感じている。

もうこれからどんな理由をつけようが、既に衣食住は縛られていない。

両親の要求を聞く理由は、もうなくなった。

親不孝だし、ガキ臭いし、根に持ちすぎだとは思うけど、感情的に嫌いだ。

両親からすれば、あんなに手塩にかけて育てた子供がどうしてこんなにも冷たいのだろう、

と感じていると思う。

だけどもう無理。

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