精神論で何とかなるんなら、一度従業員にボランティア活動をさせればいい話だ。
社長の厳命で、全社員が一緒になって老人ホームの要介助の老人方をしっかり介抱したり
学校とか市民グラウンドに覆い茂ってる雑草をこれでもかって延々掃除すれば、
あるいは従業員にボランティアの何たるかを理解してもらえる、つまりは精神論の大勝利だが、実際はそうならない。
日本人というのは目の前で募金の呼びかけをする市民団体に対してメリットが働かなければ無用のオブジェクトを見るかの如く
素通りするもので、件のボランティア活動に際しても自らメリットがなければ、例えその会社の従業員で、社長自ら厳命していても放棄するものだ。
例えば、募金をすること、あるいは募金活動を行う事で自己満足に浸るといったメリットがあるなら皆良い事をしたという気分で募金をし、またボランティアを率先して行う。
実際は、インターンシップのような見返りを求めた物が多かったりする。
インターンシップは会社の従業員と共に仕事を行う代わりにその会社で働く、職場体験というメリットがあり学生はそれに給与も交通費も出なくても喜んでそのボランティアを積極的にやるもんだ。しかし、インターンシップを体験した所で、実は何もメリットが無かった事を理解するのは、そのボランティアの終了と同時に学生生活に戻り、また就職活動を行う時だ。
就職活動をやってる人でインターンを経験した人とそうでない人で、はっきりした就職率が出ないのは、インターンを経験すればもれなく職場体験したというメリットが出てくるけど、企業からすればタダ働きやボランティアを喜んでするような人が、給与の出るウチを受けるなんて変な話だなと懐疑的になり結果、祈られてしまう事態にならない事もないだろう。
そうなれば、インターンシップというのはメリットがあるようでいて実はデメリットを孕んでるということだ。
なるほどインターン以上にボランティア活動というのは、そうした金銭的な、名誉的な、物欲的な物が全く実現されないことだが、それ以上に自己を満足してくれる清涼剤の働きを得ているから、結論として精神論で片付いてしまうのも無理はない。
自己の精神を高揚させるためのボランティア活動であるから、給料が貰え地位が約束され衣食住が保障される生活を果さなくても何も問題がない。
そのため、こういった活動に勤しむような人は無償で欲しいに違いない。
このようなお人よしはソルジャーつまり会社の奴隷として生きるに適しているということだ。
残業している自分に酔う、といった精神的充足感を得る、ただそれだけのために人はサービス残業を行うのだ。
そこに出世欲は当然あるかもしれないが、一方でこうしなければ自分はクビになってしまうかもしれないという約束された保障が消えてしまうのではという恐怖を安心に変えるためかもしれない。
いずれにしろ、彼らにあるのは目的意識とは全く異なる強要するボランティア活動に従事させられているということだ。
これはボランティアでは決してない。
尤も精神論が役立たずなのは、この行き過ぎたボランティアの強要に対して得られる物が自己満足ではなく、上の人間の社員に対する斜め上の労いと言う点だ。
サービス残業は、ボランティア活動をすることは会社の総意であり、そしてその会社の一員なのだから、やって当たり前なんだという意識が強い。
現に、人に課すのは本来無用のボランティア精神であり、金銭的な取り決めの元に契約したはずの会社と従業員の立場はこのボランティアの強要によって既に破綻し切っていることだ。
ボランティアというのは、決して精神論で片付けられるものではない。
あくまで自己満足という目的意識が存在し、件のような目的意識の元にボランティアに勤しむものであって、進んでやるものがボランティアの真骨頂なのだ。
そうではなく、精神論でやるボランティアというのは、あくまで目的意識がどこにあるかさえ判明しない、どこかに置き忘れたであろう自分とは異なる人間の自己を満足させるための奴隷なのだ。
言換えれば目的意識の存在しないボランティアはもはやボランティアの意義がなくタダ働きに準じているということで合っているだろう。
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