http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120112/p1
稽古事や学習塾は放課後や休日に通われるものであり、それらが増えるということ=それだけ友達とのスケジュール調整が難しくなるということ であり、一人で遊ばざるを得ない時間が増えることでもある。
稽古事や学習塾が、同年代と遊ぶ時間を奪うだけのものであるというのは間違い。
中学受験の塾では、志望校ごとのクラスが作られるので、そこで中学入学前に友達を作っておくことができるし、
高校受験の塾でも同様のことが行われていた。
稽古事や学習塾は、別の学校に通っている同級生との出会いを生む場になっている。
友達や配偶者が居ないデメリットを金で解決できるようになったからだと思う。
だから一人暮らしは成り立たず、誰もが「親の家から出てすぐ結婚」もしくは「親の家から出て下宿を経て結婚」という道を辿っていた。
家事負担が家電の登場という「技術の進歩」によって軽減した今では、男たちには無理に結婚して他人と同居し、養ってやる必要がない。
女たちにとっても、均等法の施行によって自力で稼ぐチャンスが生まれたので、好きでもない男で妥協してまで結婚する必要がない。
旧世代の人間にも、今の世に生まれていたら結婚などしていなかったという人間は多いのではないか?
熟年離婚の多さがそれを物語っているような気がする。彼らは元々結婚に向いていなかったのに、結婚しないと生活できないから無理に結婚していたのだ。
友達が居なくても生きていけるようになった理由も、「技術の進歩」だ。
ゲームが無いころヒマでヒマでしょうがなかったのが、ゲームをやって楽しく過ごせるようになった。
自力で解決できない困ったことが起きたら知人に解決策を聞かなければならなかったのが、ネットで調べれば知人より精度の高い答えを得られるようになった。
夜中に急にものが必要になったときそれを持っている知人を頼らなければならなかったのが、深夜営業の店が増えて簡単に入手できるようになった。
ニッチ・レアな製品を手に入れるためにはオタクコミュニティに属して関係構築しなければならなかったのが、
ネット通販やオークションで金さえ払えば手に入れられるようになった。
「技術の進歩」によって、コミュニケーションをしなければ得られないものが減った。
コミュニケーションをとらなくても生きていくことが、欲望をみたすことができるようになった。
今あえてコミュニケーションをする人々は、コミュニケーションが目的である人だけだ。
コミュニケーションを手段としてしか捉えていなかった人間は、今の世の中ではする必要がなくなった。
それによって少子化による経済停滞や孤独死の増加による巡回コストの増加も進むだろうが、時代を元に戻すことはできないだろう。
友達同士の助け合いには金銭が絡まないので税は取れないが、友達がおらず企業によるサービスを利用する人からは税を取れる。
恋人同士や夫婦間のセックスには金銭が絡まないので税は取れないが、キャバクラや風俗では税を取れる。
国の思惑はそうだったのかもしれない。
コミュニケーションは結構人間の根源的なところに近い欲求の一つだと思うんだけど、 それも、今やネットで充足されちゃってるんだよね。 家電が男が結婚する必要を無くしたように、...
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