「スノビズム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: スノビズムとは

2016-08-07

ジェラルド・ジーメンズ寄稿 『柿と杮の違い』 抄訳

東アジアの不可解さを感覚的に理解したいのならば、柿(Kaki)と杮(Kokera)の違いについて知るのが最も近道だ。

日本人は秋になると甘味の強い「柿(Kaki)」と呼ばれる濃いオレンジ色のフルーツを楽しむ。

このフルーツを天日で干してドライフルーツにして楽しむことあり、これを「アンポンタン(日本方言知的障害者を指す)」と呼ぶ地域もある。

(日本の伝統菓子は、このドライ柿以上の甘さにしてはいけないという不文律がある)

一方、迷信深い日本人は、新築建物を建てると「杮(Kokera)」と呼ばれるモンスター駆除すると称して、何らかのイベントを催す。

すなわち、人が入る前の建物には必ずコケラという怪物が住み着くので、これを多数の来客者による迫力で追い払おうとするのである

私たち西洋人には、この Kaki と呼ばれる漢字と、Kokera と呼ばれる漢字は全く同一に見える。

しかし、高度な形象文字文化圏の住人である日本人には、これらの文字は全く別の文字であることが明らかだという。

京都市に住む Keiko Wanatabe (78) が嘆息して言うには、

「近頃、日本が好きといって外国人さんがたくさん京都にお見えになりますけど、

Kaki と Kokera の違いもわからずに日本をわかったつもりになってもらっては困ります

このように、日本人には極めて微小な差異に対する感受性が受け継がれている。

私たち西洋人には「ワビ・サビ(Wabi and Sabi)」や「萌え(Moé)」は深遠で理解に及ばぬもの、というイメージがあるが、

それは無理からぬことで、こうした概念日本人の持つ独特な「差異感性sense of disctinction)」に依るものなのである

フランスの偉大な哲学者アレクサンドル・コジェーヴは、日本の持つ独特な感性体系を「日本的スノビズム」として称揚したが、

この点において私たち西洋人がこの多神教精神性を感覚的に理解するのは、不可能か、

あるいは少なくとも数多くの障害が立ちはだかっていると言えよう。

はいえ、このような障害があるにも関わらず、

私たち西洋人日本人の持つ奇異な性文化 --- 例えば Gokkun や Bukkake --- を受け入れつつあるし、

Baby Metal のような「萌え(Moé)」に対する強い渇望も存在する。

それ故、私たちゆっくりと、しかし確実に日本的差異感性」を身に着けつつあると言えるし、

彼らが西洋発祥文化を上手く取り込んで世界TOYOTA を作ったように、

今度は私たちが彼らを驚かせるような「萌え(Moé)」を提示できるようになるだろう。

個人的には --- これはあくまで私見だが --- 「Pokémon Go」はその一つの返答になると思う。

2016-07-21

田中康夫『なんとなく、クリスタル

ハードカバー文庫本では注釈の載っている位置が違うのだけど、文庫版の注釈の載せ方の方がこの作品の持つスノビズムを前面に押し出すことで描いている時代の空気をより強く感じることが出来るので読むなら文庫本お勧めです。

2013-06-10

はてなはいから情弱の海になったのか

昔のはてなといえばブックマークアクセス数を伸ばしまくることで、岩崎夏海みたいな禿を社会に送り出すカタパルトみたいな機能を有していた。

もしくはちょっとアンテナ高いやつがあまりブクマされてない記事にシニカルコメントを書き込む厨二的スノビズムこそがはてなのいいところだったのにさいきんのはてなは何?

主婦層やギャル層で話題になってる話題なんてひとつも把握できてない。

アルファクリッパー(笑)の周りで鼻を利かせて炎上して叩けそうなネタに集まって俺の中のルールではこれAUTO!と叫んで悦に入るだけ。

挙句の果てにはてな界隈で話題になってないから、と古参ブロガー一生懸命記事をまとめて紹介する始末。

さらにはこのていたらくをデザインリニューアルのせいにするのだから堕ちたもの

追記

ハックルさん名前を出す時点でニワカ確定。

戦国時代は良かったとか言いながら真田幸村名前を出すようなもんだ。

じゃあ誰を出せばよかったの?俺らが結婚に追い込んだめんへらはしごたんの名前でも出せばよかったの?

それとも非モテアピールをしながらもあっさり結婚してしまった俺らのアイドルwebkitの話?

2008-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20080417130502

それ、どっちに言ってる?

俺は新しい論点を増やしたりなど一度もしてないし、ずらしたこともない。

最初から真っ向「古典教育の必要性を天下りに主張するな」とだけしか言ってない。

ちゃんと具体的に主張できるのであればそれを認めて終わる話だったわけだよ。

俺は、必要性というほどの強い主張をせずとも、古典音楽美術と同様、普通芸術教育の一分野としてゆるくやればいいと思うんだがね。

海外で物を言うのにハッタリとして必要だとかブサイクな箔付けで、いかにもスノビズム丸出しな方向に展開していくからツッコんだだけだ。

(まあ途中から、数値計算云々彼が言い出したせいで脱線はしたが)。

海外古典の知識が重んじられることについても、ただ自明視してるだけで、それが孕む問題は考えてないようだし。

スノビズムからネットウヨに行くやつって結構いるからなあ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん