http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/10/15/102629
は、ガチガチの生存者バイアスのかかった価値観を持った集団の考え方をよく表している。
そういうバイアスは学歴や一般的な頭の良さに関係なく誰でも持ってしまう。
(実際大学教授でも女性の研究者に対して女のクセにと粗探しをする人間が現代でもいたりする。
本人の属性と研究成果の正当性は無関係であると論理的に考えればわかるにもかかわらずだ。)
こういう偏屈な価値観を持ってしまうと自殺に至るかもしれない。
トイアンナ氏のこの記事は自殺した電通社員に生前に伝えたかった内容なのだろうと思う。
この主張を受け入れ別の価値観の可能性を見出せば、自殺以外の手段も自ずと見えて来るはず。
だが、それだけでは今後の悲劇を減らすことは難しいだろう。
人は幸せになるために生きていて、幸せになるためには周囲の承認が必要になってくる。
今回の事件は、おそらくパワハラだけが主要な要因だったのではなく、承認が得られないこととプライドの問題なのだと思う。
プライドが高くなれば、より厳しい条件での承認を得られないと満足できない。
そして社会はよりプライドが高い人間を肯定し、より良いものしか肯定してくれない。
例えば、富士山の登山に成功することも立派であるが、一度エベレストの頂上に到達した人間が出てくると、
富士山程度では誰も承認してくれなくなってしまう。それがどれだけ大変であっても、だ。
このように、社会はどんどん承認に必要な条件を厳しくしていく傾向がある。
人間は上を目指す生き物で、それは本能なのかもしれないが、本能だからと絶対視するのはナンセンスだろう。
例えば、ヤギは本能でどんどん高い場所へ登るのだが、最終的に降りれなくなり転落死するものが出てくるのと同様だ。
だから、いかに本能がそう訴えていても、理性を持った我々は危険な本能を知恵を使って抑制する必要がある。
さて、今回の自殺は、電通だから起こったことではない。というのが必要な視点だろう。
電通の体質が今後改善したとしても、根本的な解決にはなっていない。
それは抽象化して考えれば、承認を得られなくなることへの絶望が人を死へ導いているからだ。
これは仕事以外のこと同様で、恋愛ができない、結婚ができない、就職ができない、子供ができない、収入が少ない、人に認められない......
社会から望まれる項目を満たすことに希望を感じれなくなり、自殺に至る人間なんて山ほどいるだろう。
それらは決して注目されることはない。「電通社員」ほど希少性もインパクトもないからだ。
だが、おそらくそれらの自殺要因は共通している部分があって、結局は社会の目とプライドの要素が大きいのだろう。
本人がプライドを高くすることを抑えても、社会の価値観を変えることをしない限り、劇的に自殺の数を減らすことは難しいのではないだろうか。
ネット上の意見を見ていると年々ルッキズムの人間が台頭してきているように思える。
容姿という要求に対しても、どんどん厳しいものになっているだろう。
あるアンケートで高学歴なら人生が幸せになるかという問いに対して、yesと答えた割合の高さも衝撃的だった。
こうした、「承認の達成条件の厳格化」が、山羊の山登りと同様に愚かなことだと、世間が認識し抑制しない限り、
物質的には豊かになっても精神的には貧しい状態がどんどん加速していくと想像する。
そのためには、こうした考えを一人でも多くの人間に内在した愚かさを認識させ、それを頒布し、
一人一人が社会を変える意識を持つようにしていくことでしか、悲劇を劇的に抑制することはできないだろう。
これらの議論をオピニオンリーダーやインフルエンサーが行ない、周辺の人々もそれに続けば、世の中は少しずつよくなるのだと思う。
ただし、オピニオンリーダーやインフルエンサーになるには、厳しい条件を乗り越える必要があるため、
ブルーカラーの生存バイアスの方が遥かに酷いからなぁ
結局のところ、環境不適応な人、悪い言葉で平たく言えばダメな人に対する差別がなくならない限り、 本質的な問題解決にはならない。男女差別、人種差別を超えて最後に残る人類の差...
人を「認める」条件がどんどん狭まっているよな、って特にネットやSNSを見ていて感じる。 美人や美人じゃないの顔の良さの尺度だったり、身だしなみの話だったり、マナー行為の話だ...
ゆとり教育再開とAO入試枠の拡大だな。
といってもなあクズやダメ人間でも承認を得られるようにすれば生きやすい世の中になるかというと そういうやつらが調子に乗ってる社会ってさらに生きにくい気がするわ