はてなキーワード: 失われた10年とは
(事実関係)
○最高裁判事の枠や各団体(裁判所・弁護士・検察官)からの一名を推薦し、内閣はそれに従うという慣例が成立したのはここ50年ほどで、法的根拠はない。
○慣例ができるまでは内閣も最高裁も各団体も枠にとらわれず、内閣の任命権は実質的なものであった。
○現行の慣行については賛否がある。(利権ではないか/バランスが取れている)
(所感)
○そもそも最高裁判事の任命権は三権分立の趣旨からすると内閣から最高裁への牽制機能であり、それが形骸化していることは制度の趣旨に反するのではないか。
以下の記事のブコメにおいて、「最高裁判事の任命を慣例に従って日弁連の推薦の通りとしなかったのは間違っている」という前提のブコメが大半を占める。
安倍内閣が崩した最高裁判事選びの「慣例」 6年経て「元通り」に:朝日新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASRC65HZXRC2UTIL03S.html
○このレベルのことが6年かかる。公文書改ざん、不誠実な答弁などのモラル崩壊や倫理欠如が「彼」以前のレベルに戻るまでどのくらいかかるのか
○本当に本当に酷い政権だった。「無能による社会の衰退」より更にタチの悪い「卑劣さによる社会の破壊」が続いた。まだ与党内にその残滓は残っている。
○法学的な顕著な実績もない加計学園学園関係の弁護士が最高裁の裁判官になったり、安部政権はめちゃくちゃだったよね。亡くなって本当によかった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%BE%A4%E5%85%8B%E4%B9%8B 典型的お友達人事
○今でもできないはずなのだが、ペナルティがないのが問題。政治が司法に干渉できる余地が絶対ないように、干渉が犯罪化できるように法律を整備しなおすべき。
○幼稚で未熟な政権がおよそ10年続いた事を考えれば司法の失われた10年はあまりにも長かった訳だ。
○どこが元通りなんだ。何の反省も改善もない。つぎはぎを当てただけ。また別の悪が現れたらすぐ崩される。
○「人事によって政権の意に沿う方向に物事を動かすのは安倍・菅義偉政権の特徴だった」司法だけでなく、教育機関や公共放送・日銀・内閣法制局など、独立性が重視される機関で尽くやった。
だが、それは果たして正しいのだろうか。条文を見ていこう。
(日本国憲法)
第六条(略)
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
(略)
なるほど、6条2項からは、最高裁の長官の指名は内閣に権限があり、天皇の任命権は形式的なものと理解できる。
そして、79条1項から最高裁裁判官の任命権は内閣にあることが一目瞭然だが、この任命権が6条2項の天皇による任命権のように形式的なものなのか、それとも指名権まで含む実質的なものなのかは実はどこにも規定されていない。
最高裁裁判官は、現在概ね裁判官出身者6名、弁護士出身者4名、学識経験者(学者や行政官など。検察官もここに入る。)5名で構成されている。
そして、退任者が出た場合、退任者と同じ出身母体(裁判官/日弁連/検察庁)が自分の枠に誰を当てはめるかを内閣に推薦する。
内閣は最高裁長官の意見を聴取した上で決定するとされているが、出身母体からの推薦は一名であり、最高裁はその推薦を尊重し、内閣はその通りに任命している。
1970年代はじめ頃までは推薦された者について内閣と最高裁で議論が交わされ、内閣が最高裁に従わないこともあった。
更に、検察庁と日弁連両方から別の者が推薦され、内閣で判断することすらあった(例えば日弁連から4名、検察庁から2名の推薦があり、内閣で1名を決定するなど)。
それ以降は、各団体は枠を意識して推薦するようになり、内閣は各団体からの推薦のとおりに任命するようになっていった。
実はこれは一切根拠がない。元々戦後5:5:5でスタートし、その後5:4:6となったり4:5:6となったり5:3:7となったり様々だ(前述の通り複数の枠からそれぞれ推薦されることもあったので、内閣の判断で枠が動くこともあった)。
しかし、概ね1970年代はじめから、ある枠の後任者は当然にその出身母体から推薦するという慣例が取られるようになった。また、推薦される者が一名に限定されたのもこのころで、内閣の任命権が形骸化されたと言って良いだろう。
そして、この枠については二通りの評価がある。なお、これらの意見は安倍内閣による任命への評価を避けるために00年代以前のものとしている。
「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由だが、この習慣は是非続けて欲しい」(最高裁長官 裁判官出身 矢口洪一)
「既得権益。秘密裡に行われ、少数の人のみによって進められる。」(朝日新聞記者 野村二郎)
以下は私見だが、宮川判事の「特殊日本的な状況」という意見が非常に興味深い。宮川判事は肯定的な意見としてこれを述べているが、「出身母体間や推薦者間に軋轢を生じさせないために事前に調整している」という意味合い(実に日本的だ!)だろうから、今となっては肯定的に受けとるのは難しいのではないかと思う。
別の論点として、三権分立の制度趣旨としてこの任命権がどういうものか見ておきたい。
三権分立の説明において、最高裁から内閣への牽制機能として違法性の審査があり、内閣から最高裁への牽制機能として最高裁長官の指名と最高裁判事の任命がある。
ここからは再度私見となるが、最高裁判事の任命権が形式的なものであるならば牽制機能としては意味がない(小学校のときに習った三権分立の図が誤り!)ため、制度上は(天皇による各種任命権と違って)実質的なものととらえるべきだと考える。
また、上述の矢口長官も「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由」と述べているように、少なくとも当時の関係者は既得権益などではなく単なる慣例であり、実質的な任命権は内閣にあると考えていたようだ。
従って、最高裁判事の任命権は実質的にも内閣にあり、安倍内閣の行った慣例破りが正しいかどうかはその人選が適切であったかどうかで判断されるべきではないだろうか。
弁護士枠の判事は、まず日弁連が候補者の推薦リストをまとめ、最高裁がその中から数人を選んだ上で、最終決定権を持つ内閣が決めるのが近年の慣例だった。
・死んだら人はどうなるの?終わり?
→終わりです。自分の存在を認識出来るのは意識があるせいですが、死んだら電気信号が途絶えますので認識出来なくなります。認識する主体である脳も勿論活動を停止しますし、肉体は言うに及ばずです。ほんで肉体自体も荼毘に付されたり野に曝されたりして塵埃と化します。紛れもなく終わりです(ものすごく適当に今考えたことです)
→分厚いお茶碗でも手が熱いですけど。薄くて高いお茶碗だと持っても熱くない…なんてことあるんでしょうかね?熱い米をよそった茶碗は薄くても厚くても持つと熱いのでは。知りませんが
それにしても、最後にお茶碗を持ったのがいつか思い出せません。お米はたまに食べるんですが、お茶碗て使わない。外食しても定食とか頼まないですし
・スヌーピーってなんで今も人気なの?
→わかりません。個人的には魅力を感じません。でつ
・なんでおじさんは自分の話ばかりするの?
→おじさんだから自分語りするのではなく、幼い頃から自分語りし続けてきたヤツがおじさんになったのです。ただの時間の流れです
→「バブル期はオーバーサイズ」だったと思うので、次は「失われた10年時代(30年にすると長すぎる)」のファッションでしょう。Y2Kってやつですか?よくわかりません
→いまいくつなんですか?Androidユーザーなので分かりません。いつか6つくらいになるんじゃないですか?iPhoneの裏が複乳や蓮コラみたいになる日も遠くないかもしれませんね
→水虫は放置しない方がいいと思いますよ。老人の素足をよく見ますが、みんな水虫です。老いてくると薬をいくらつけても治りません。若いうちにきちんと白癬菌を死滅させてください
・最強のふりかけって何?
→お米を食べないのでふりかけはあまり買いませんが、昔リピしてたのは浜乙女の韓国風のりふりかけです。サラダや納豆やお豆腐にも合うと思いますので、米を食べない場合でもお薦めです
→何歳でも良いのではないでしょうか。ただ、品質には疑問を感じますし、あんなもこもこしたものを着るのは寧ろ年寄りでは…と思います。若いなら真冬でもTシャツハーパンでいけると思います(デブでなくてもです。快適な寝具の中では衣類に頼らずともちょうど良い体温を維持出来るのが若さだと思います。あと、もこもこした物を着てねると単純に寝苦しい。個人的な話ですが。正直上下スエットとかでも「うぜえ」と思って、寝ながら裾や腕をたくし上げてしまっています。本当は裸で寝たいのですが、地震大国なので無理です)
あと、薄い色合いが似合う人しか似合わないパジャマだと思いますが、着るのは本人の勝手です。似合って無くても気分が上がるならokです。でも誰かに見せる為に着るなら、自分に合うのかどうかよく考えた方がいいです
・増田って本当に漏らしてるの?
1980年代前半生まれなんだけど、小学校中学年の頃にバブル崩壊して、そこからやたら世の中やれ不景気だ、やれ不良債権だ、やれ就職氷河期だって言い出すようになって、山一も潰れて、銀行もどんどん統廃合していって、なんかもうその頃からずっと今もずっと日本って不景気なんだなって思ってる。
大学に進学した頃には「失われた10年」って言われるようになって、気づいたらそれが20年になり、30年になり、どこまで続くんだろうって眺めてる。
途中ITバブルとかあったらしいけど、全然実感ない。アベノミクスとかも自分の周囲で実感のあるやつは皆無だったろう。
今後も少子高齢社会で日本はどんどん元気なくなっていくんだろうなって思ってる。
違うな、元気がいい日本を想像できない、と言った方が正しいな。
ただ、ゲームの進化と共に成長できたのはいい時代に生まれたと思ってる。ファミコンからスーファミ、ゲームボーイ、プレステ、Wii、DSとかメジャーなハードは一通り触った。今はPS5をしてるけど、映像の進化や操作性の向上、物語の作り込み具合の進歩は凄まじいものがある。
毎々お世話になります。
下には下があると言う話をしておきたくキーボードを叩いております。
なお、これはジョークである為、笑っていただきたい。ジョークなので、よく似た会社があったとしてもそれは錯覚であり、実在しない。
以上、ご査収の程お願いしたく。
ある菓子製造業の労働組合がある。比較的歴史が長い企業で、戦後に労働組合が結成された。
古老が言うには、結成されたときの最初の要求は「安全な作業着を支給せよ」と言う所から始まったと言う。
地域の中で中心的な役割を果たす労組で、かつてはこの労組から、同系統の労連の組織内候補として国会議員が送り込まれたこともある。(社会党が強い時代)
しかし、それも昔の話だ。
バブル崩壊前は、業態として製造から販売まで同じ会社でやっていた。が、バブル崩壊で同じように出来なくなり、製造会社を分離する事になった。その際に、労働組合が反発した。
ここまではよかった。しかし、労働組合が出した条件が、組合員の給与と立場の維持のみであった。
そこで、その会社が執った手段とは、子飼いの下請け企業に指示して会社を作らるということであった。
親会社との間に資本関係が無いが、技術顧問という形で人を送り込み、事実上支配したのである。
そこでは、不景気の労働市場に乗じて、親会社の給与水準・待遇と比べ遙かに低く、その地方としても下の中ぐらいの待遇で人をあつめた。(その際に、親会社の名前は大いに役に立ったことだろう)
さらに製造業への派遣労働が解禁されると、それを大いに活用した。この時、労働組合はこれを黙認した。何故なら、組合員は出向に選ばれても給与水準や待遇は維持されたからである。
こうしてできあがったのが、コストを削減することのみを目的とした子会社であった。安易な解決策である。
その後、失われた10年が失われた20年に向かおうとする中で、製造会社の経営が悪化する。
当然である。この会社はコストを削減のみを目的としているから、まともな経営改善は行われていないし、投資活動もできていないのだから。
世の中の景気が少し上向けば、他者は投資をして、改善する。そうなると、ついて行けなくなって競争力は落ちていく。しかし、もはやこの子会社がなければ商品が作れない。
そこで、いちど会社を倒産させ、清算、その上で、今度は資本をいれて買収することになる。
この際に、労働組合はどう動いたかというと、やはり「組合員の賃金と待遇の維持」を要求するのみであった。
そして、経営側は、この際、元々別の会社であったものを救済目的で買収するものであるから、ユニオンシップ制は適用されないと言う事で合意を取って買収をしている。
こうして、資本関係のある子会社というものが誕生した。この頃は、まだ子会社も労組入りを呼びかけるべきであると言う話もあったようだ。
しかし、この労組は、親会社内では待遇の維持を堅持して主張していた。このなかでは、自分たちの労働の価値を下げるとして、派遣労働者の導入も組合の同意がなければ駄目だと言う形にしていたようだが、その反動で製造会社の方の待遇は、当時からかなりの格差があったと聞く。
労組が、子会社社員らをに入れる事を躊躇っているうちに、親会社は業務を拡大する。コスト削減目的で作った子会社によって生み出される利益は大きい。他にも何社も子会社を設立していくことになる。
そして訪れるリーマンショック。この時、労働組合は、組合員の給与と待遇の維持を要求。親会社は本体には手を付けられなかった。子会社は大幅なリストラが行われた。
ここで、子会社で働く下々の者から見たら、悪の枢軸としか見えないような労働組合が固まったのである。
さあ、みなさん、ここ最初の笑うところですよ。さあ笑ってください。
リーマンショック時のリストラ攻勢に対し、子会社の社員の中にも組合に相談し、加入したいという要求があったそうである。が、当然のように組合はこれを拒否している。
ではと言うことで、子会社の有志が集まって労働組合を結成しようとしたことがあった。
しかし、この会社の労働組合の幹部は、地域の労働組合、さらには産業別の組織でもそれなりの力を持っており、この労働組合設立の動きに対して、表向き「いずれは自分の所に加入させるため、設立支援はしないでほしい」という話をした。つまり、既成の組織が支援しないようにさせ、労組結成を阻止したのだ(当時は会社に関係なく入れる労組などはなかった)
もしかしたら、彼らは当時本当に組合員として受け入れるつもりがあった可能性も微粒子レベルで存在しているが、結果が全てだろう。
その後、労働組合から会社に都合の悪い部分だけを外したような「従業員互助会」という組織が、親会社人事の指導の下に設立される。
ここは社員だけではなく、社長以下全社員が所属していると言う組織だ。だから労組ではない。1ヶ月500円を徴収し、この金で社員の交流会(花見と月見と忘年会、と言う飲み会。参加はほぼ強制で、欠席には理由書の提出がいる)を行うと言う組織である。表向きは。
しかし、36協定など、労使協定を結ぶときには、経営側の人間は投票権なしとすることによって、従業員代表組織とみなしている。
もはや、御用組合どこでは、ない。
会社の経営危機は何度もあった。その際に、彼らは組合員の子会社を活用すればリストラは不要なはずだ、構造改革が足らない、と組合側が提案書まで書いたらしい。
具体的に子会社をリストラしろ、派遣切りしろとあったかどうかは定かではない。しかし、事実その後、リストラの嵐がやってきて、派遣は総じて契約を解除されたのは事実だ。
そうして人がいなくなった子会社に、親会社で余った人間が出向してきた。
親会社の人間が天下ると、何故か1階級特進すると言う習わしがある。平社員は係長に、係長は課長に、課長は部長に、部長は役員になる。
そうして、実務者が3人減ると、その費用で親会社の雇用が維持される。
さらには、親会社での職位はあくまでも係長なので労働組合員だが、子会社では管理職と言う者が大量に出現する構造ができあがったのである。
彼らは毎年、春闘を行う前にスト権投票を行い、要求を挙げている。しかし、もう30年以上ストライキは行われておらず、交渉は妥結している。
その結果、毎年ベースアップと定期昇給は維持されており、ボーナスも5ヶ月分程度は出ていると考えられる。また、利益は出ていたので、それを背景にした待遇改善要求も通っていたようである。
が、その成果を、ある時から一切公表しなくなった。その理由は「関連会社に配慮するため」とされる。
簡単に言えば、子会社側で、親会社と同等の賃上げレベルを要求する動きが、ごく一部であったらしいのだ。
それを親会社から天下りで来ていた社長が親会社に伝え、親会社は交渉結果を非公開とすることを要求。現在は一切公開されなくなった。
ただ、当たり前だが、人の口に戸は立てられぬ。
続き → anond:20230331164112
2000年代の日本| HD映像| 失われた10年 [ [ エモい] ] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=msSgxkHA04M
2000年代の10年間の日常生活の日本のシーンを1080pで。 35mm復元映像:これらのクリップには、実際の日常生活からのもの、ドキュメンタリーからのもの、映画からのものがありますが、日本の販売代理店パートナーが確認しているように、当時の国の現実を示しています
このライセンスプロジェクトは、高解像度で復元されたデジタルドキュメントを通じて、過ぎ去った時代の郷愁を取り戻すことを目的としています。 グローバルな世界のためのデジタル民族学。
business.nikkei.com/atcl/NBD/19/depth/00357/
www.nikkei.com/article/DGXMZO50592160U9A001C1000000/
シンガポール首相「もし自分が日本人なら日本を捨てる。未来が見えないからだ」
www.recordchina.co.jp/b85755-s0-c30-d0046.html
李在明「失われた10年が失われた30年になったのように、21世紀の遠くない時点で日本は後進国に転落するだろう」
ja.m.wikipedia.org/wiki/%25E6%259D%258E%25E5%259C%25A8%25E6%2598%258E_(%25E6%2594%25BF%25E6%25B2%25BB%25E5%25AE%25B6)
三木谷浩史「このまま放っておくと、日本は一流国どころか三流国に成り下がっていく。
www.nikkansports.com/baseball/news/202103200000244.html
ポール・クルーグマン「日本が「未来の国」だなんて、長期的に見るなら大きな間違いだ。人口動態だけ見てもわかる。日本には、出生率の低下に併せて移民への嫌悪まである。」
finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2013/01/post-d30c.html
news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000254001.html
もし私が今10歳の日本人ならば、自分自身にAK・47(自動小銃)を購入するか、もしくは、この国を去ることを選ぶだろう。なぜなら、今10歳の日本人である彼、彼女たちは、これからの人生で大惨事に見舞われるだろうからだ
plus.chunichi.co.jp/blog/odachuu/article/496/8689/
30年もしたら日本は大体潰れるだろう。
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%B5%AC
森永:日本の賃金はいま、G7の最下位どころか、G7に属さない多くの国々、たとえば韓国よりも低い。10年もたたないうちに先進国からはずれると思いますよ。
news.yahoo.co.jp/articles/0717e0a238e23d59bea67284ad0df18a158d2059
大学生活とコロナ禍がちょうど重なって楽しくないとかそういったことはもう諦めの域に入ったのでどうでもよい。
1番の問題は、日本という国そのものの将来に希望が持てずいることだ。
私たちの世代は、生まれた時には高度経済成長もバブルも既に遠い過去の物になり、義務教育では少子高齢化の話をされてきた。数年前(18歳になって)有権者として政治に参加できるようになったが、白票を投じるだけで国政に対する意見自体を持てないままだ。
少子高齢化、伸び続ける失われた10年(今は失われた30年なのか?)、その他社会問題が積み上がっているが、これらはほとんど全部が私たちの世代がどうすることも出来ないうちに積み上がった問題だ。
生まれた時点でそれらの問題は存在していたし、選挙権を得るまでに解決の兆しはほとんどなかった。解決が難しい問題だし、上の世代の怠慢だと切り捨てることもできないだろう。ただ、積み上がった問題を突然有権者になって押し付けられてしまったというような感覚もある。
若者の政治的無関心の理由の1つは、自分たちが政治に関わる年齢になった時点でどうにもならない問題が積み上がっていることを成長過程で悟ったこと。また、それらが中高生の頃に見ていて解決されそうもなかったこと。これらの理由ではないかと思う。私自身はこういった理由で政治への期待感が持てない。
https://kadobun.jp/feature/talks/8hqy7dvgbfwo.html
それならあと10年もあれば何とか取り戻せそうだったしその頃には30前後で家庭を作るのにもまだギリギリ間に合いそうな感じがあったけれど
「失われた30年」だと、取り戻すのにも30年はかかりそうなんだよね…
男性が常に強者で勝者であるとするならば、あの真夏なのにエアコンなんてものはなく巨大扇風機が生ぬるい風をだらだらと放出し続ける倉庫で、全員時給1000円で集められた日雇いの現場で、女性にはビールの段ボールにベルトコンベアの上で景品を貼り付ける仕事があてがわれ、男性にはびろんびろんに伸びきったまさに言い訳程度のコルセットと安全靴を装着させた上で、ビール350mlが2ダース入った段ボールを上げ下げする仕事があてがわれた思い出はどう処理すればいいんですかね(挨拶)。
むろんこの場合女性を憎む……のではなく、日雇いという弱者同士で連帯してそこでボーッと突っ立ってる監視役の倉庫社員をぶん殴る……のでもなく、倉庫社員とも連帯してサントリーを誅して社会主義革命を起こすのが唯一の正解であることは皆さん御存知の通りである。
さて、この増田では2009年に出版された澁谷知美『平成オトコ塾―悩める男子のための全6章』の内容を紹介する。澁谷は上野千鶴子ゼミの出身であるようだが、いわゆる「フェミニズム」的なテーマではなく、『日本の童貞』『立身出世と下半身』などを出版している、個人的に信用している書き手である。
目次は次の通り。
第1章 その「男の友情」は役に立つか?
第2章 「僕がキミを守る!」と思ってる?
第5章 包茎手術はすべきか否か
2009年の本で、いま論じられているテーマの大体が既に出ていることに驚くだろう。我々は弱者男性問題それ自体だけでなく、議論が12年でほとんど進んでいないこともまた嘆くべきだろう。というかこういう話になると非モテ論壇とか言って侃々諤々やってたのが昔のはてななんだよな今の新参は昔のはてなを知らないから困る。失われた10年……。
それはともかく正直、456章はそれまでの言ってきたことと関連性が薄く、また前の章ほど爆発的に面白いわけでもないので、言いたいことはわかるのだがこの本にいるか?という感じはする。なので、とりあえず3章から見ていくことにする。
3章の冒頭でいきなり研究者としての特大のお気持ちがドロップされていて面白いので少し長くなるが引用しておこう。
ヘテロ男性の非モテ現象だけを扱うというと、必ず来るのが「ヘテロ女性の非モテの方が、あまり苦しみが言語化されないだけに問題が多い。なのに、なぜあなたはヘテロ男性の非モテを扱うのか」という反応です。世の中には、Aという現象を扱う人に対して「A以外も扱え」と指摘することがエライのだ、これこそ目配りというものだ、と思う方が多数存在するみたいで、かなりの確率で前述のような発言に出会います。
が、そういう発言は魚屋に対して野菜を売れと主張するに等しい。非モテ女子の話がそんなに重要なら、重要と思う人がすればいい〔澁谷注:私もいつかはしたいと思っていますが、「非モテ女の話の方が重要だ!」って言う人はどうぞお先に。止めませんよ。〕。それに、その手の話が見当たらないということは、苦しみがそれだけ大きいことを表しているのかもしれませんが、苦しみの不在を端的に表しているだけかもしれません。有力な傍証でもないかぎり、言語化されていないということから苦しみの有無を推定することはできないという、当たり前の事実も指摘しておきます。(p.75-76)
「女性の問題を扱え」といちゃもんつけられたことが一度や二度ではないのであろうことが怨念の籠もった書きぶりからわかる。まあ、それは12年後のネットを見ていてもよくわかるところで。
男性について語れば女性の方がつらいから女性について語れと言われ、女性について語れば男性の方がつらいから男性について語れと言われる。もういい加減そういう「やってる感」を出すための100字ですら余るようないちゃもんはやめにしませんか。お前がやれ。俺もそいつもやったのだから。
澁谷は非モテを3種類に分類する。
a-1 性的存在としての異性との関係性を欲しているタイプ(セックスをしたい、「女性」の存在に癒されたい)
a-2 とにかく他者承認を欲しているタイプ(オレを認めてほしい!)
「恋愛」を押しつけてくる世間や、いま現在「恋愛」と呼ばれている行為の中身や、それを統制するルール等々に違和を感じているタイプ(p.90)
この分類に対して何か意見を言うことは誰にとっても容易であり、それは分類表の絶えざる細分化を招くだろう。むろんその行き着く先は完全に無意味な、総人口分のパターンである。だから、ここでは非モテ男性に最低でも三種類ある、という点を強調しておくことが必要だろう。
男で、かつ非モテ、という狭く見えるテーマに絞っても最低これだけのバリエーションがある。そのことを非モテ男性当人達ですら大抵わかっていない。aのタイプの非モテ男性が「今すぐ女をあてがうべき」とまでは言わなくても「女をあてがってくれると嬉しいのは確か」ぐらいに思うことは自然であるが、bのタイプの非モテ男性から見ればまったく話が合わず、「非モテの中でも過激な野蛮人」と感じられることだろう。それをきっとaは「すかした奴だ」とか「きれい事を言っている」とか感じるだろう。まして女性が受け手の場合はさらに混乱が深まるだろう(男女の非対称性については後で論じる)。
澁谷は当時の主流であった「経済的問題が解決すれば結婚は増える」「機会をつくれば結婚は増える」といった主張を論駁し、「フリーター論壇」が経済について述べたフレームワークを非モテの問題にスライドさせることを試みている。その過程で澁谷は「あてがえ論」について、2009年の時点ですでに考察している。
非モテ問題の場合、これ〔若年労働者問題におけるベーシックインカム〕を「ベーシック異性」によって解決する発想がありえます。女性をもれなく男性に分配する制度です。(p.95)
澁谷はこの論が全くの荒唐無稽でないことを、19世紀半ばの宗教的コミュニティ、オナイダコミュニティを例に挙げ示すが、結局現代においては不可能であろうと言う。
当然のことながらこれを現代日本でやることは不可能です。「分配」される側の女性の中には、どうしても相手のことが好きになれない人が出てくるでしょうし、男性とつがいになりたくない人だって居ることでしょう。そうした女性に男性との共同生活やセックスを強要するのは、現代日本の常識においては、「人権侵害」となります。
もちろん、男性にとっても全く同じことが言えます。あなた好みの女性があなたのもとに「分配」される保証はありません。〔…〕「なんであいつには美人が来て、おれのとこにはそうでないのが来るんだ!」なんていう新手の「格差問題」も生じるかもしれません。(p.97)
この「格差問題」という未来予測は面白い。「チェンジ」なんて贅沢は、限られた資源(女性)をやりくりしないといけない政府が許すはずもない。チェンジOKをうたう風俗でも2回目以降は有料だったりするのだから。
個人的にはこの例示こそ「あてがえ論」に対する何よりのカウンターであると感じる。仮に「あてがえ」とガチに主張する人がいたとして、その人に人権を説いても馬の耳に念仏だろうが、こっちの懸念は聞いてくれるような気がするのである。
澁谷は続いて、経済問題における社会保障にあたるものとして、思想的セーフティーネットの構築を提唱する。まあそれ自体は正しいと思うのだが、本田透『電波男』における主張ほど面白いものではないのでここでは省略する。『電波男』を読め。
暴力的だったり、女性にたいして思いやりがない場合をのぞき、ある男性が女性から選ばれないのは、その男性のせいではありません。女性にとっての「よき男性像」が特定の偏り――収入と学歴が一定以上あり、ある水準以上のルックスをしていて、会話が続く――を見せている限り、そこに当てはまらない人や当てはまろうとしてもできない人が出てくるのは当然のこと。それは、男性陣が特定の偏りを持った「よき女性像」を持っており、そこに当てはまらない女性(非モテ女性)が出てくるのと同じことです。(p.100)
おそらくこの記述で多少救われる人もいるに違いない。KKOは来世に期待するしかないが、それはあなたのせいではない。
ただここで考えたいのは、「暴力的だったり、女性に対して思いやりがない場合」をしれっと除外している点である。そんな男でも「女をあてがわれた」のがかつての日本社会であったことは、澁谷も指摘している。
とはいえ、ちょっと脇道にそれますと、「分配」の方法は問わずに「男性にもれなく女性がくっついた」という現象だけを切り取ってみれば、それに近いものを一九五〇~六〇年代の日本に見出すことができます。当時の男性の生涯未婚率(五〇歳時点で一度も結婚したことのない人の割合)はわずか一%台でした。九八%の男性が一度は結婚したことがある、つまり女性を「分配」されたことがあったのです。
何故これだけ広範囲の「女性の分配」が可能になったのか。「男女とも結婚して一人前」という社会規範が強かったこともありますが、なにより男女の経済格差が今以上に大きかったことが上げられます。
この時代、一部の職種を除いて、女性が一生続けられるような仕事はありませんでした。有名企業に就職できたとしても、当時は、女性にのみ適用される「三〇歳定年制度」によって追い出されてしまったのです。一方、男性には安定した仕事がありました。給料は毎年上がり、先の見通しも明るい、なんといっても高度成長の時代です。(p.97-98)
ちなみに本書では2005年の男性生涯未婚率15.4%という数字を引いているが、2020年には23.4%になっているらしい。
それに加えて、上で述べた加害性が必ずしも本人の責任ではないということも、90年代以降の精神医学や社会学が明らかにしてきたのではなかったか。
とすれば、KKOのみならず、KKKO(キモくて金が無くて加害性があるおっさん)もまた、必ずしも本人のせいとばかりはいえず、社会に包摂すべき、という話になってくるかもしれない。その際には「ラベリング」「過剰包摂」など、社会学が障害者やホームレスなどについて積み上げてきた知見を生かすことができるだろう。というか、福祉の現場の人たちはいまもKKOだけでなくKKKOも社会の内側へと復帰させるべく頑張っているのではないか。
なぜ、おっさんが問題なのだろうか。あるいはより学術的な言い方をするならば、非モテはなぜ男性の問題になるのか。本書はその問いに直接的に答えてはいないが、ヒントは与えてくれる。以下は1章のはじめの方の記述である。
皆さんは、なーんか気分が晴れない、ってことありませんか? あるいは、漠然とした不安があるとか。原因不明の体のだるさがあるとか。そういった不快な状態、つまり精神的に健康で無い状態を「ディストレス」といいます。そのディストレスが、独身男性と既婚男性とで、どちらが高いかを測った調査があります。〔…〕結果は〔…〕二八歳から七八歳まで、どの年齢層においても既婚男性のディストレスのほうが低かったのです(稲葉昭英「配偶関係と精神的健康」『日本の男性の心理学』二〇〇八)。男性にとって、そばに異性(=妻)がいる人生は、いない人の人生にくらべて、ハッピーなようです。(p.15)
澁谷はディストレスと妻帯のどちらが原因でどちらが結果かはこの調査からは分からないと述べるが、続いて妻に感情を見せることによって、夫が精神的に健康になっていくことを示す調査を引用し、「つまり女性と一緒に暮らすことがディストレスを低くすると考えるのは、間違っていないようです」と一旦の結論を置く。そして次のように続ける。
ならば、男性は女性から精神的なケアを引き出している、といえる。「女性だって同じことでは?」という反論に答えておくと、女性は独身か既婚かでディストレスに大きな差はありませんでした。〔…〕統計的な傾向でいえば、男性の精神的健康に女性の存在は欠かせないが、その逆はない、ということです。(p.16)
この下りはまったく読んだ記憶がなく、今回読み返して一番驚いた部分である。増田の実感としては「男がいないと鬱病になって死にそうな女」はよくいるが、その逆はあまりいない印象であるが、それはどうやら必ずしも正しくないようである(むろん男がいる=結婚ではないとか、ディストレスが高い=鬱病になって死ぬではないとか、そもそも元の調査やその読解がどうなのか、とかは考えなければいけないだろうがそれはそれである)。
上の論述は、女性(強者弱者フェミニスト非フェミニストを問わず)による「女に頼らずに男同士の友情で満足すればいいじゃん(私であればそれで満足するのに)」という主張が、必ずしも的を射ているとは言えない可能性を示唆している。もちろん逆もしかりで、「男性と夫婦になれば女性だって幸せになるはずだ(俺のように)」という男性の主張が間違っている可能性も同時に発生している。
ここに性にまつわる問題の隠れた難しさがある。「相手の気持ちになって考える」ことと「相手の気持ちになって考えたつもり」を区別することは、専門家であっても難しい。さらに加えて、先に述べた非モテ男性の三分類といった差異も隠れている。とにかく、話題への参入障壁が低い(男もしくは女であれば誰でも一家言持っている)わりに、トラップが多すぎるのである。これが2009年から今に至っても議論が終わらないし前に進んでもいない一因だろう。
こうした非対称性が発生する原因として澁谷は、現在の社会において女性が男性より相手の話をよく聞くように育てられており、それに対して男性は競争的に育てられていることを挙げている。その結果として男性は女性に癒やされているし、女性も女性に癒やされているのだろう。
一応言っておくとここで澁谷や増田は「男性と違って女性は人を癒やすべきだ」とか、まして「男は働いて女は家にいるべきだ」とか主張しているわけではない。ただ、そういう傾向がいまの社会にあるようだ、と言っているだけである。それを望ましいとか望ましくないとか考えるのは社会科学の領分ではない。「〈こうである〉から〈こうであるべし〉を導くことは不可能である」(ウェーバー)。
12年後のいま、澁谷の主張に触れると、多くの部分はそのまま現在に流用可能であると感じる。しかし、目配りが足りていない部分もある。おそらく澁谷は包茎手術と高須クリニックの関係よりも、男性における経済的問題について語るべきであっただろう。「女はホームレスにならなくて済むからいいよな」「いや危険だから女はホームレスになれないのだ」「それでも事実として死ぬでもホームレスになるでもない選択肢がある女は恵まれている」云々のあれである。むろんそれは今だから言えることであるのだが。
それでも増田が望んでしまうのは、そうした議論が両者ともにマジでクソだと考えるためである。ホームレスと実地で接しろとは言わないからせめて、ホームレスに女性は本当に少ないのか、少ないだとすればホームレスになるはずの女性はどこへ言っているのか、それはほんとうに「恵まれている」といえるのか、といった事実についての認識は両陣営ともに共有すべきであるし、その時点で認識に差異があるならどの点で異なるのかを明らかにすべきである。
そうした仕事を澁谷が12年前に済ませてくれていたら、と思う。思うのだが仕方ないことなので、現在を生きる我々がやるしかあるまい。というところまでは澁谷の背中に乗って増田が到達させたので、ここから先はお前の仕事だ。頑張ってください。たまに手伝いに行くかもしれない。
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(追記)
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27才までに見ていた夢は全て叶った
『1日の炭水化物摂取量とか摂取カロリーの目安なんて守らなくていいんですよ。だって体に入った糖は代謝されるんですから。当たり前でしょ。
病気になる?いやいや、無制限ではないですよ。そんなこと不可能ですから。制約は必ず存在します。それが何かというと、血糖値ということです。空腹時血糖値が125mg/dL以上だと糖尿病になる。つまりそれ以下なら全く問題ないんです。
血糖値が正常の範囲内なら、1日にどれだけ炭水化物を摂取しても糖尿病ではないんです。ホントです。これ、財務省も認めてます。
糖尿病になるって?なに寝言言ってるんですかって。糖尿病になった人って、どんな人ですか?って言ったら、血液検査で異常を指摘されても無視した人とか、アルコール依存症とか、そういうような人しか糖尿病になってないじゃないかってことです。
活動量が少ない、基礎代謝が低いからカロリーを抑えろなんて、無茶苦茶ですよ!!!!
人間は活動する時に、そのためのエネルギーを糖から調達します。炭水化物を摂取しないと体内で糖が足らなくなる。
炭水化物の摂取を抑えてたら、もっと活動できなくなる。つまり活動量が少ない人こそ、エネルギーが必要で、炭水化物を摂らないととダメなんですよ。
このグラフを見てください。
縦軸が摂取カロリー、横軸が身長の成長率です。18歳までは摂取カロリーが年々増えて、身長も年々伸びてます。でもそこから10年間で、摂取カロリーは増えてない。むしろ減った。だから身長も伸びなくなった。摂取カロリーを抑えたことが失われた10年間の原因です。
これ、山本太郎が勝手に言ってるわけじゃございません。参議院でちゃんと試算してもらったんですね、参議院で。
参議院が試算したところによると、健康な成人男性が3食コンビニ弁当を食べる生活を2年間毎日続けても糖尿病にはならないんです。
麻生太郎さんもこう言ってます。「食べたら運動すればいい。簡単だろ。」
やらないとダメなんです。実際に1人暮らしの女性の3人に1人がやせ気味という状況があるならば、これ普通に炭水化物増やさないと。
残念な状況なんですよ。これ変えるしかないでしょう。変えるしかないんですよ。私が変えます!!!!
皆さんにお聞きしたいんですけど、この中にお金持ちいらっしゃいます?お金持ち。私たちその財力ございません。なので無理をせず、気持ちとしてできる範囲で、もしもできる方がいらっしゃったら、ぜひカンパをいただければと。
〇〇選手がジャイアンツに指名されました、というように、球団が一方的に選手を選ぶ。
ただし拒否することもできる。拒否した場合は、来年以降のドラフトで指名されないとプロ入りはできない。
「どの球団に行ったら一番力を発揮できるか」という観点は全く置いてけぼり。
ひどいマッチングだ。
野球が上手い選手ほど、行きたい球団には行けないのだ。本来は選ぶ立場にあるような選手なのに。
あまり注目されてない選手なら、スカウトと仲良くなった球団から指名されるだろうし、選手側から選ぶという意識もあまり無いだろう。指名されればどこでもいいというスタンスに寄っていく。
しかも一度プロ入りしたら最後、10年近く活躍しないとFAで自由に移籍できない。
ドラフトでは東京に家族も友人もいるのに、地方に飛ばされる事なんてザラだ。結局はFA宣言して東京に帰る。人として失われた10年を過ごしている。