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はてなキーワード: 現代社会とは

2024-06-17

キャンセルカルチャーダメ理由はこの三点、異論は認めない

社会には明文の有り無しに関わらず色んなルールがある。そして、その中には逸脱した場合に強い制裁刑罰場合もあれば社会制裁場合もある)が科されるものがあり、さらにその中には再起不能キャンセル)になるほどの一発アウトのものがある。

ここまでは異論のある人は少ないと思う。その意味では、昔からキャンセルされるようなケースは多々あったわけだ。

では何が問題か。

①誤っていた場合補償がされないこと

草津町の例が典型だ。

基本的キャンセルを仕掛ける側は相手に対して被害者感情または悪意(法律的意味ではなく)を持っているので一方的意見になりやすい。

それに関して、捜査機関司法第三者を介さずして大勢の者が同調連帯してしまうと、事実関係確認の前にキャンセルがなされかねず、甚大な被害が発生する。

そして、この被害について、キャンセルを仕掛ける側も同調者も、被害回復できる程度の補償をしたという例は存在しないはずだ。

実質的私的制裁自力救済であること

キャンセル方法は多様であり、暴力を伴う実力行使から相手の職を奪うなど様々だ。そして、暴力脅迫を伴う私的制裁は当然認めることはできない、というのは説明する必要はないだろう(一応現代だしね)。

次に、社会制裁報道で大きく取り上げられたり、職を失ったり)についてはどうだろうか。社会規範を逸脱した場合一定社会制裁を受けることが一般的であり、現時点でそれを悪だとは言えないだろう。

では何が問題か。現在問題になっているキャンセルカルチャー場合社会制裁が行き過ぎており、キャンセルを受けた者が再起動しようとした場合さらキャンセルをかける事例が散見される。

刑罰でさえ社会復帰が重視されるようになっている昨今、キャンセルをされた経験ってのは刑罰以上に社会から排除されなければならないものなのか。

ダブルスタンダードが甚だしいこと

これが①に並んで大きな問題で、この不公平感を払拭できれば受け入れる人も多いのではないだろうか。

実例のほうがわかりやすいだろう。

キャンセルを受けた人)
豊田真由子さん

衆院議員。部下へのパワハラで辞職(辞職ではなく離党とご指摘を受けました!ありがとう)。かなり時間をかけてからマスコミに復帰

森喜朗さん

元首相、五輪組織会長女性蔑視発言をしたと報じられ辞職。

呉座勇一さん

研究者Twitterの鍵アカウントにて特定の者への誹謗中傷をなしたとして失職

キャンセルを受けなかった人)
泉房穂さん

元明市長。部下へのパワハラを繰り返すも続投、再任。辞職後も即マスコミに重用され続けている。

白井聡さん

京都精華大学准教授松任谷由実さんに「早く死んだほうがいい」、真鍋かおりさんに「機密費もらってるの?あとそんなことしたら仕事なくなるよ?」などと発言するも無傷。

草津町に対した批判をした人たち(北原みのりさん、隠岐さや香さん、北村紗衣さんなど)

皆さんそれぞれのポジションにおいて活躍されており、失職などはなされていないようだ。

この違いはなんなのか。

例えば有名なオープンレターには「中傷差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。」とあるが、これは平等適用されるのではないのは上記を見れば明らかだ。(中傷差別的言動を行っていたオープンレター関係者もまた多いが、距離を取られなかったよね?)

まとめ

はっきり言って、キャンセルカルチャー現代社会過去のものとしてきた私的制裁自力救済現代に蘇らせたものだ。

そのデメリットを解消できない以上、少なくとも推奨されるべきものではない(世論の盛り上がりで実質的にそのようになることはこれからもあるだろうが)と考える方どうだろうか。

まぁ異論は認めないんだが。

もちろん現代の救済手段は万能とは言わないが、その改善あくまでも法的であったり、制度的であったり、客観的であったりなど条件をクリアした上でなされるべきだろう。

追記 異論は認める!

遡及が一番駄目だと思う。「今日からこの決まりのもとでみんな生活することになったから、この決まりを5年前に破ったお前を制裁する」ということが平気で行われている。正気ではない

全面的にこの意見を受け入れる。

実は元記事を書いていたときに「四点」で整理していて、書く段階になって1つつどうしても思い出せなかったので三つにしてた。

その一点はこれ。感謝する。

https://anond.hatelabo.jp/20240614205200 タグ付けソースつづき

文字数制限かなんかで途中で切れる……

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2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
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2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
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2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
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2008年 (第13巻) 特集リスク Permalink | 記事への反応(0) | 10:30

2024-06-16

anond:20240616115721

でも、統計上、修道女修道士寿命差はないことがバレてるから現代社会男性にだけ社会的圧力が強いだけだよね。

2024-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20240614204953勝手タグ付けソースだよ

1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
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1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
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1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流 スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
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1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

AIに分析させてみた

プロンプト

以下のページにアクセスして、キーワード抽出し、何回登場しているかをまとめて教えて下さい。

http://jssf86.org/doukou.html

(そうしたらエラーになったのでテキストコピペした)

結果

特集:80回

学術:52回

社会:48回

日本:45回

科学:38回

研究:36回

福島17

ジェンダー:15回

災害:14回

震災:13回

ジェンダーやそれに類似単語で整理するとどうなります

以下は「ジェンダー」やそれに関連する単語の整理結果です:

ジェンダー:15回

ジェンダー平等:3回

ジェンダー視点:2回

ジェンダー問題:1回

ジェンダーバイアス:1回

男女共同参画:8回

これにより、合計で「ジェンダー」やそれに関連する単語は30回登場しています

福島東日本大震災に関連する単語で整理するとどうなります

以下は「福島」や「東日本大震災」に関連する単語の整理結果です:

福島17

東日本大震災11

震災:13回

復興:8回

原発事故:6回

放射能汚染:3回

放射線:3回

被災:2回

被ばく:2回

復旧:1回

これにより、合計で「福島」や「東日本大震災」に関連する単語は66回登場しています

環境問題気候変動に関連する単語で整理するとどうなります


以下は「環境問題」や「気候変動」に関連する単語の整理結果です:

環境:16回

気候変動:6回

地球環境:5回

環境問題:4回

環境変動:2回

環境汚染:2回

環境保護:1回

持続可能:8回

エネルギー12

カーボンニュートラル:1回

これにより、合計で「環境問題」や「気候変動」に関連する単語は57回登場しています

以下は「科学技術」や「学術」に関連する大きな概念に関する単語の整理結果です:

科学:38回

技術:15回

学術:52回

研究:36回

科学技術12

科学者:6回

科学的:4回

学術会議:42回

学術研究:9回

学術情報:7回

科学技術政策:3回

科学倫理:2回

技術革新:1回

これにより、合計で「科学技術」や「学術」に関連する単語は227回登場しています

このページは日本学術会議広報誌のページです。このを根拠に「日本学術会議ジェンダー論に偏っている」と主張する向きがありますが、それについて論じてください。

日本学術会議ジェンダー論に偏っている」という主張に対する反論議論は、以下の点を考慮することで行うことができます

したがって、「日本学術会議ジェンダー論に偏っている」という主張は、全体の内容を十分に考慮せずに特定の側面に焦点を当てたものと考えられます。実際には、多様なテーマを取り上げていることが明らかです。

感想

この手の分析はやっぱりLLMに任せるに限るわ。こう言う使い方をしている文には嘘をつかないし。

科学振興や学術振興に関連する話題を除けば多い方だとは思うけど、環境問題東日本大震災の方が普通に多いので、これをもって偏っているとは思えんな

ちょっと増田落ち着けと思うわ。学術会議に対してはもっとツッコミどころあるでしょ。

2024-06-13

anond:20240613134443

なんで500万年前が現代社会そっくりなんだ?ピアノがあるんだ?

500万年前に人力車あるの?

500万年前の人類?が猿そっくりなのか?

そもそもコロンブスにする意味は?しかアーティスト達は日本人っであってポルトガル人でもない

コロンブスにする意味は?

全部がおかしいんだよ

企画としてもストーリー脚本としてもでたらめなんだ

2024-06-12

映画レビュー: 「関心領域

タイトル: 関心領域 (Sphere of Interest)

公開年: 2023年

ジャンル: サイコロジカルドラマ

概要

関心領域」は、街中で淡々駆除される弱者男性たちと、それに見向きもせずに日常生活を送る女性たちの冷酷さを描いたサイコロジカルドラマです。映画は、眼の前で悲劇が起こっているにもかかわらず、全く関心を向けない女性たちの無関心と冷淡さをテーマにしています弱者男性たちが駆除されるシーンは直接描かれず、セリフや背景から暗示的に伝えられます映画ラストには視聴者に対する挑発的なメッセージが込められており、観る者をもその冷酷さに同調しているのではないかと問いかます

ストーリー

物語は、都会の無機質な風景からまります主婦の美奈は、平凡な日常を送っています彼女生活は、家事、買い物、友人とのランチといった普通のことに満ちていますしかし、街中では、弱者男性たちが駆除されているという不穏な噂が流れています

観客は、駆除される男性たちの姿を直接目にすることはありませんが、背後にある会話やテレビニュース、そして女性たちの無関心な態度から、その存在を感じ取ります。美奈とその友人たちは、この問題について全く触れることなく、日常を過ごしていきます

映画の中盤では、美奈が日常の中で幾度となく駆除痕跡を目にするシーンが描かれますが、彼女はその度に意図的無視し、話題を変えます。街の雰囲気は次第に冷酷さを増し、観客はその不気味さに引き込まれていきます

演技

美奈の演技は淡々としており、無関心な主婦を見事に演じています彼女の表情や態度から感じられる冷淡さは、映画全体のテーマを強調しています。友人たちも、それぞれが無関心な態度を自然に演じ、物語リアリティを加えています

演出

監督は、視覚的に直接的な暴力を避けつつも、観客にその不快感を巧妙に伝える手法を用いています。背景のディテール登場人物の何気ない会話を通じて、物語の裏にある冷酷な現実を描き出しています

音楽

音楽は控えめで、むしろ静寂が多くのシーンで支配的です。これにより、日常の中に潜む不安感が強調され、観客の緊張感を高めます

メッセージ

映画は、視聴者に対して強烈なメッセージを投げかけますラストシーンでは、観客自身映画の中の冷酷な女性たちと同じ無関心な立場にいるのではないかと問いかます。この挑発的な結末は、観る者に強い衝撃と反省を促します。

総評

関心領域」は、現代社会における無関心と冷淡さを鋭く描いた作品です。直接的な描写を避けながらも、そのテーマを強く観客に伝える巧妙な手法評価に値します。視聴後に残る不快感自己反省感情は、この映画の最大の特徴であり、サイコロジカルドラマとして非常に成功しています

評価: 4/5

このレビューが参考になれば幸いです。「関心領域」は、視覚的な暴力を避けつつも深いテーマを持つ挑戦的な作品です。観客に強い印象を残すこと間違いありません。

2024-06-11

anond:20240611205613

ヨイトマケの唄みたいなことやっても、

上京した娘がホス狂になるのが現代社会からな。

正規分布の端に生まれ

アドラーの本を途中まで読んだ.

これによると,精神疾患など生きるのに役立たない道に陥るものには,幼少期から共通感覚コモンセンス)を獲得できていないという特徴があるらしい.

そして共通感覚を獲得できなかった子供いじめられたり問題行動を起こしたりする.

この共通感覚は家庭において保護者から学ぶらしい.つまり保護者共通感覚を有していなければその子供も共通感覚を獲得することが困難で,大人になってから苦しむのだ.


なぜこの世界では誰でも子供を持つことが許されるのだろうか.ペットですらちゃんと育てられないなら飼うなと批判されるのに.

あるいはせめて,誰でも子供を作る自由があるのなら,どんな子供自分で死んでいい自由を認めるべきではないか


ここまで書いて村田沙耶香消滅世界という小説を思い出した.

この物語では,子供は生まれたらすぐに親から引き離されて専門の施設集団的に育てられるというユートピアが描かれている.

作中ではこのユートピアを明示的には否定肯定もしていないが,画一的に育てられた子供個性がなく皆同じような表情をするという描写が描かれている.


個性なくしたら死んでるのと一緒だよ」

偉大なベーシストである山田リョウ氏は言っている.

消滅世界で描かれたシステムは本当にユートピアなのだろうか.


だが,本当に個性必要なのだろうか.

共通感覚を有しない"悪い個性"を持つことは決して本人のためにはならない.

個性を持つことが良いとされるのは,個々の親が独立して子供を育てる現在社会におけるナッシュ均衡にすぎないのではないか

消滅世界システムのように全員が同じ教育を受け,共通感覚を有していることこそがパレート最適なのではないだろうか.


あるいは,個性個体差環境が変化した際に種全体が生き延びるのに有利だと説明される.

だが,これは明らかにほとんどの平均から外れた個性を持つ個体にとっては酷な話だ.当然ながら平均から外れた個体殆ど環境適応できず苦しむからだ.

上のような理論を唱える者は,「お前らのような珍獣が居た方が俺/私の遺伝子が残る可能性が高まるから生きろ.そして苦しめ」と言っているのに他ならない.

現代社会第二次世界大戦前の全体主義反省し,個人幸福を最大化しようとしたのではなかったか所詮それは,正規分布の真ん中あたりにいるマジョリティ自己満足に過ぎなかったのか.

そもそも人類環境変化を生き抜くのに,遺伝子多様性必要なのだろうか.

多数のサイコロをばらまいて確率論的に変化に打ち勝とうとするその他大勢の生き物とは違って,人類は理性を持って変化を予測し,技術環境を変えて乗り越えることができるのではないだろうか.

現に人類技術天然痘という感染症を撲滅させた.


だが,とき個性天才を生み出し,その天才技術を飛躍的に進歩させる.

こういった天才を生むために正規分布の端のほうの人間も,その殆どは苦しむ運命にあるとはいえ大人になるまで生きていなければいけないのかもしれない.これによって,苦しむ未来天才に生きる希望を与えることができるから

本当にそうだろうか.電球発明のように一人の天才の発想が大きな一歩を生み出した時代とは違って,現代科学進歩過去技術を積み重ねて積み重ねて演繹的に導き出された進歩ではないか

いや,そうでもないか.私も理系大学院研究の真似事をしたことがある.今でも科学最先端では天才の発想が不可欠だ.そしてそういう人は共通感覚を有していない人が多い.少なくともそう見える.

まり現代においても正規分布の端にいる,共通感覚を有しない,遺伝子的耐用性を持った人間を生きさせることは必要なのかもしれない.


私は天才ではない.だが,共通感覚を獲得することができず,苦しんでいる.正規分布中央に行けなかった人間の中の,一握りの天才を除くその他多数の中のひとりだ.

この苦しみを終わらせるには死ぬしかない.

私の意識死ぬことがのみが正解だと確信している.だが,私の無意識が生きることを声高に主張している.そのせいで私はまだ生きていてこの文章を書いている.

理性で動く私は,なんとかして自分死ぬことが論理的に正しいのだと結論付けたい.だが,今日も失敗した.

誰か私を助けてくれ.お前はもう開放されて良いのだと背中を押してほしい.

タトゥーはそんな大したもんじゃない

https://togetter.com/li/2381518

これ、自分も含めて身の回りに入れてる人そこそこいるんだが

ノリで決めてる人も多いのは確かだと思う(それが悪いという話ではない)

なんかこういうのって溝を深めるだけな気がして(普段叩かれやすいからついこういう事も言いたくなるのはわかるが)

そうじゃなくってもっと軽いものであるって認識になっていったほうが嬉しい

ちなみに自分あんま見えないとこ(恥部とかじゃないぞ)にちょこちょこかわいらしく入れてるだけだが

それだけで自分身体が愛おしく感じるようになった





人生なんて短いっちゃ短くて、なんかあるたびにタトゥーに刻むっていうのは精神的にすごく浸透するものがあって

私というものを定着させてくれるような働きがあるなと感じるんだな

モチーフを起こった出来事と直接的に結びつける人もいるけど、けっこうそれってリスキー

それよりはこのタトゥーは~の時に入れたんだったという感じで思い出すものが多くて

案外モチーフのものにそんなに拘らない人も多いと思う

もちろんデザイン的に好きなものにはすると思うが

入れ墨って太古では武装に近いものスピリチュアルものだったと思うけど

現代社会でのそれはもっとカジュアルな生きた、生きている証のような感覚

日本ももっと身近になってほしいなとずっと思っている

一生消えないっていうけど、一生なんてあっという間なんだよね

社会的に損することが多いか日本で入れるのは別の意味リスキーなのは確かなんだけど

自分身体に印をつけるという行為は「私は私なんだな」と直感的に感じることがしやすくなる

それはタトゥーを入れることで見た目として威圧したいとかそういうヤンキー発想のものじゃない

もっともっとパーソナルなものなんだ

からほんとに見えにくいとことかでもいいかワンポイント入れてみるといいと思う

タトゥーなんて親からもらった大事な体になんてことを、なんて考え方もまだあるけど

タトゥーを入れることで自分身体がすごく大事に思えてくる、そんな効果もあったりするのだ

別に人生が豊かだと思えなくてもいいじゃん、特になんにもないけどちょっと入れてみるか、なんておじさんがやるのもシャレてていいと思うよ

なんにもなくても、ああ自分には生きた体があるんだなって実感できるよ

追記

コメント色々ついてた・!

MRI

全身入りまくりとかだいぶ昔に入れてる人とかはリスクいかも(医者に止められやすいかも)

今は金属含まない成分になってきてるのでそのへんの事情も変わってきてるよ

自傷行為

これは自分の書き方もよくなかた

入れる時ってどんな柄にするかとか、どこでするかとか、いつするかとか、何回に分けるとか、けっこう計画的にするものなんよ

から衝動的にする行為とはそもそも心持ち全然違うと思う

もっとなんていうか丁寧なものだよ


他にも色々書かれてたけど温泉入れないとかは自分もいやなんよね

からわかんない程度にしか入れてない

まあでも日本でもああタトゥー入ってるんだね、くらいの当たり前のものになったら

そもそも輩の武装、怖い、みたいなイメージもなくなるだろうし温泉にも入れるだろうしそうなってくれたらいいなーと思ってる

消えないからこそいいんだよね

でもこの感覚文章にしようと思ったらどうしてもスピリチュアル系っぽい感じになっちゃうのでやめとく・・

2024-06-10

サイバー攻撃

最近サイバー攻撃被害に遭った。信じられないけど、自分が使っていたGmailアカウントが乗っ取られたんだ。最初は、Googleからの「不正ログイン試行」みたいな警告メールが来たとき、ただのスパムかと思って無視してしまった。でも、次の日に目を疑うような事態になった。

Amazonからの購入確認メールが次々届き、見覚えもない高額商品が注文されている。慌ててAmazonアカウントログインしようとしても、パスワードが変えられていて入れない。楽天市場でも同様のトラブルが発生し、しか自分クレジットカード情報まで盗まれていることに気づく。

もう頭が真っ白になって、すぐさまクレジットカード会社に連絡してカードを停止した。それにしても、こんなに簡単個人情報漏れしまうなんて。調べてみると、FacebookTwitterアカウントも乗っ取られていて、スパム投稿が大量にされていた。友達フォロワーからメッセージでそれに気づき、慌ててアカウントを凍結したけれど、もう手遅れだったかもしれない。

一番ショックだったのは、自分中学時代から使っていたYahoo!メールアカウントまでもが被害に遭っていたこと。懐かしい友人とのメールや、家族との大切なやり取りが全て失われてしまった。

総務省警視庁サイト対策を調べたり、二段階認証を導入したりしたけれど、被害の全貌が分かるまでには相当な時間と労力がかかった。もう精神的にも疲れ果てて、何もかも投げ出したくなる。

自分は、日々の生活に戻るためにどれだけの時間必要なのだろう。そして、こんなに簡単サイバー攻撃被害に遭ってしま現代社会に対しての不信感が拭えない。皆も、気をつけて欲しい。自分のような被害者がこれ以上出ないことを願うばかりだ。

結局みんなが賢くなったか少子化なんだと思う

男女がセックスしないと子は生まれないが、後先考えないバカにならないとセックスはできない。

子ができたとしても生んで育てることに伴う責任とかリスクコストとリターンとを冷静に考えたら産むなんて無理って結論になる。

そこに目をつぶってバカにならないと子を産む決断はなかなかできない。

でも現代社会バカを許容しない。

そのダブルバインドに対してどっかで折り合いつけられる人たちだけが子供を作ってる

バカに対して、賢くなれ、後先のことを考えろ、子供が生まれたら親はその責任を負え、子供不自由をさせずに幸せに育てろ、そういう教育をした結果、賢くなった人たちは子供を産むというリスクを取らなくなったんだよ。

anond:20240610175309

そもそも女性男性に対する要求自体が不平等立場によるモラルのない要求であり

ブラック企業ブラック労働労働者に要求してるようなものである

このようなモラルのない行いは現代社会にそぐわない昭和の亡霊だよ

女も令和に脳内アップデートしないと

風邪をひいたら休め

 ここに、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という規範を示す。

 本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲットである。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。

・「この程度の風邪なら大丈夫」と考え、外出をしたことがある

・「風邪程度で休むのは甘えである」と考えることがある

風邪をひいても休まないニンゲンがいる理由はなぜか?

 風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る風邪治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病蔓延を防止することができる。

 以上より、右規範合理性があることが明らかである

 ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。

 私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである

 しかし、かかる見解妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。

 以下、敷衍する。

★「人を傷つけてはならない」という規範

 なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。

 まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為禁止されているように、紀元前時代から常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民構成要件として配布していることからも明らかである

 そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者生理的機能障害傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。

 したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。

 よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである

もっとも、休めないときもあるのではないか判断枠組み

 そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範適用するのは妥当ではない。風邪自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いか判断するべきか。

パターン1 自覚症状なし

 まず、自らの病状につき善意無知である場合について、いかに解するべきか。

 故意責任本質は、反規範人格態度に対する道義的非難である

 すなわち、自分風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為道義的非難に値する。

 よって、自分風邪である認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である

 逆に、自分風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間存在するウイルスは多いことからも、このような結論妥当である

 以上より、自らの病状につき善意無知である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。

パターン2 風邪体調不良判断できない場合

 風邪体調不良判断が難しい場合は、いかに解するべきか。

 なお、ここでいう「体調不良」とは、月経片頭痛食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。

 この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズム観点からは、風邪体調不良判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。

 しかし、単なる体調不良であれば、他者生命身体侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。

 したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。

 具体的には、下記の事情伝染病である蓋然性を高める。

 ・平熱と比して体温が高い

 ・前日に気怠さがあった

 ・雨にうたれた

 ・知人が熱を出した

 反対に、下記の事情伝染病である蓋然性を低める。

 ・病状が軽微である

 ・月経片頭痛など伝染病以外の体調悪化事情がある

 ・病院伝染病ではないという診察を受けた

 たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしか月経という事情伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般風邪判断されるべきものである

 よって、伝染病である相当の蓋然性が認められるだろう。

 なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良場合自由意思尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解採用しなかった。

パターン3 どうしても外せない用事等がある場合

 では、自らの風邪自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。

 この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。

 そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである冠婚葬祭親族危篤会社学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズム第三者身体生命侵害正当化する場面は限定的であるべきである

 これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである

 では、いかなる判断枠組みが妥当するか。

 第三者身体生命は、きわめて重要法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事重要性・症状を鑑みて、第三者身体生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきである判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。

 たとえば、冠婚葬祭親族危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事重要性は高いものといえる。

 もっとも、当人が伝染させればきわめて身体生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ新型コロナウイルスノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれ事情存在しない限りは、外出するべきではない。

 そして、会社学校への出席は、上記用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。

 そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである

★まとめ

 以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という合理的規範が成立し、ニンゲン原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである

 規範限界については、判断枠組みを明確に提示した。

 その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。

★その他、想定される反論質問

・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?

 症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体生命侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである

 もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要考慮要素となりうる。

風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?

 友人の集まり会社等で、自己風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範妥当しないのではないか?という反論が考えられる。

 しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害惹起する可能性があるだろう。

 そして、合意者がさら第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。

・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?

 たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。

 しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病頒布他人傷害する行為であるから、伝染によって他人傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。

 また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的理由であるからエゴイズム第三者生命身体侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。

 したがって、上記で示した判断枠組みが変動することはない。

以上

2024-06-09

anond:20240609221836

子曰く、「誠如増田之所言、戦争有道、掘井、走沙、行惑、不知其道也。」

孫子兵法に、「戦争の道を知らない者は、水を掘る井戸も、砂漠を走る足も、惑うのみである」という教えがあります

現代社会における「スマホ運転」もまた、道理を見失った行為に他なりません。

増田の観察に共感します。

「道を知る者」として、我々は常に注意を怠らず、安全第一に考えるべきです。

スマホに心を奪われることなく、周囲の状況を正確に把握することこそが、真の「道」を歩む者の心掛けであるべきです。

そもそも現代において子供存在利益ではなくコストなんだよ

今も発展途上国ならそうだが

子供は多ければ多いほど労働力として単純労働に使えた

現代社会においてはそうではなく

教育費を筆頭に金食い虫と化し子供は単なる嗜好品になり果てた

こんな状況で少子化改善するわけがない

そもそも少子化改善できた国がいまだかつてない

2024-06-08

研究目的として身体測定の時に陰毛性徴を確認」というシチュ自体は凄い興奮する

常識改変系のエロ同人としてはかなり面白い分野だと思う。

勘違いしないでほしいが、俺はこの犯罪者ちゃんと怒ってるからね。

面白いネタが潰されてしまったなと。

でも陰毛ばかり描かれてもニッチすぎて受けなさそう。

処女膜チェックとかにすればワンチャンありそうだけど、日本モザイク基準だと肝心の所が隠れちゃうんだよなあ。

レントゲンみたいな機械を使って撮影したってことにしてシルエットだけ表示するとかにすればいけるかな。

うーん。

アナルチンコを突っ込んでない状態ならノーモザでも許される」と同じようなライン攻めになるな。

うーん。

難しいかなあ。

しかし、シチュとして興奮はするけど現代社会小学生相手にやるのはマジで変態すぎるし卑怯者って感じだなあ。

昭和時代に歪んだ性認識蔓延因習村で行われている既習ぐらいだったらともかく。

いやマジで現代社会でこれを実行に移せる脳みそバグってるね。

AV見てシコって寝て、医者看板下ろしてシルバーとして便所掃除でもして暮らしてろって感じ

最初期の警察24時系番組はかなり酷かった

テレ東警察24時が遂に終了との事だが、これ系の番組の初期はまぁ本当に酷かった。

1990年代の後半あたりに始まったのだが、なにぶんにも報道の訓練も体制もない部署下請けが撮るので問題だらけの映像をそのまま流してしまうというトンデモ状態

番組終了の理由撮影時間が掛かる事、時間掛けても空振りのことも多くてそれで無理をして捏造的な場面を作ってしまうなどが挙げられていたが、まぁそうだろうね。

 

悪を断罪!という図式

最初期の番組兎に角撮影側が警官と一体になりナレーターで悪を断罪」というモチーフで撮られていた。

このモチーフの元はズバリ時代劇だろう。「この紋どころが目に入らぬか!」「余の顔を見忘れたか?」「おぅ、この桜吹雪が全てお見通しなんだよ!」と悪を断罪悪人は「へへぇ!」と平伏して視聴者カタルシスを得る。

 

だが警察24時で映しているのは近代法支配する現代日本である

もう一つの問題はそんなに判り易い事件は起きないという事だ。フィクション遠山の金さん将軍様も数日~数週間に亘る地道な取材や潜入捜査の末に処断してるのに、複雑な現代社会で偶然舞い込んだ事件をその場で処断できるわきゃない。

そこでやはりというか、一番多い交通事故処理を撮影するのが専らとなる。そしてその交通事故ナレーションで「断罪!」してしまうのであった。

例えば首都高で3台ほど絡んでしまった事故処理であれば、「スピード違反が招いた悲劇である!」という風に。

地方の人や免許がない人には判りずらいだろうから説明すると、首都高というのは大部分が60キロ制限になっている。だがこの速度を守って走っている車というのは皆無なのだ制限速度が遅いのは高度成長期に低い規格で作ったためで仕方がない。道路規格によって制限速度の縛りがあるので自動的に60キロとなってしまうのだ。

それで直線区間では全部の車が速度違反して走っているという状態になっている。路線バスでさえ守っていない。

そこで事故が起きたら警察は原因の一端に速度違反を挙げるのは当然で、それが主原因とは言えないわけだ。

なのにほぼ意味のない断罪ナレーションを被せてしまう。

 

これ以外の事故でも「確認の不注意が招いた事故であった!」とナレーションが次々に断罪していくのだが、事故の原因なんて複合的で、事故処理の警官確認遺漏で後からひっくり返る事もあるし、その為に当事者はかなりの労力と時間を使う。それをその場のノリだけで断罪しまくっていた。当事者が見たら憤怒間違いなしだ。

 

警察犯罪行為善意放送

当時、日産スカイラインGT-RBNR32型)という車種を出していて、これはアウトバーンでも300キロ出る、ガチで早いスポーツカーだった。

そこで交通機動隊や各県警の高速道路交通警察隊がGT-Rパトカーを導入した、というのが車好き向け媒体のみならず一般ニュースでも取り上げられていた。「GT-Rから逃げられない、という威嚇効果も大きい。

 

そこで当然のように24時のカメラマンは高速隊のGT-Rの後部座席に乗り込む。すると通報が入り、現状へと急行するGT-R景色は飛ぶように流れ、速度計は190キロを指している。国産車ECUエンジン制御コンピュータ)のリミッターカットだ!

…という映像を流した。

 

ところで道交法上の緊急自動車最高速度というのはご存じだろうか?一般道では80キロ高速道路では120キロである。但し例外があり、速度違反者を追尾計測するパトカーはそれ以上出しても良い。そうじゃないと速度違反検挙できないからね。

この高速隊GT-Rは追尾計測中ではなくて臨場する為の緊急走行であるから190-120キロで、70キロ超過となり、赤切符+一発免停で、刑罰も6ヵ月以下の懲役又は10万円以下の罰金となる。現行犯人だ。

別に増田パトカー消防速度違反して緊急走行していても構わんのだが、証拠映像電波に乗せて流してそのままで済むわけがないな。

報道畑じゃ無い奴がカメラ持って取材の真似するといこういう事をやるというリスク典型例だし、後ろでカメラまわしてるのにマッドマックス1のインターセプターみたいだろー的にアクセル踏んでRB26DETTをぶん回してる警官もアレだし両者色々アホすぎるとしか言いようがない。

 

警察24時系の元祖モンド映画に続くショッキング映像

ドキュメンタリというのは今では真面目なものだが、昔はいい加減で捏造まみれのものだった。ディズニーが『白い荒野 』というインチキ動物ドキュメンタリ映画で、レミングスは増えすぎると入水自殺する、というインチキ映像を撮る為に崖の上からレミングをポイポイ放り投げて殺していたというのが有名だ。

60年代に『世界残酷物語』という、エログロインチキドキュメンタリ映画がヒットすると、次々に同じような映画が作られ、エスカレートしていった。世界残酷物語原題は『Mondo Cane』なので、この手の下世話なインチキ映画モンド映画と呼ばれるようになった。

最初世界習俗と題して未開部族残酷処刑残酷儀式でっち上げものを繋げていたのだが、やがて観客の「リアルな死や本物の死体が見たい」という欲求に応えて、事故暴動で実際に人が死ぬ映像を繋げたショッキング映画が作られるようになった。因みに実際の映像だけでは尺が足りないのででっち上げインチキ処刑シーンとかも紛れ込ませているのが多い。

 

やがてモンド系もショッキング系もTV番組化するようになる。モンド系のインチキ成分だけを掬ったのが『川口浩探検隊』などだ。ショッキング系は苦情が来る事を恐れ、人体が千切れる場面や脳が飛び出すシーン等はカットして直前で映像を途切れさせたり、人体破壊の瞬間だけカットして死体を映すなどの手法が取られた。番組名はそのまま「ショッキング映像100連発」等。

たこれら番組には顕著な特徴があり、必ず番組最後消防隊や救急隊の訓練シーンで終わる。基本的に下世話な欲求に答える番組であって、その後ろめたさを誤魔化す為に取ってつけた映像を入れるのだな。

 

警察24時系も必ず最後に交機の訓練映像で終わるであろう。つまりはモンド~ショッキング系の系譜に則ったフォーマットなのである正義行使カタルシス時代劇から番組ターゲットが野卑な欲求ではないかとの疑問はモンド系の〆映像フォーマットで誤魔化し。それが警察24時系の構造だった。

 

因みにこんな取ってつけたような訓練映像付加手法だが、それを見て正義だと考えるリテラシー人間ちゃんと居るのだ。今ニコ動が全部落ちていてURLを貼れないが、ニコ動には例えばアメリカ精神問題がある人間刃物を手放さず警官隊に射殺される、というようなショッキング映像があるのだが、それには映像最後に州警察の訓練風景を入れてある。単に事件現場で殺人映像が撮れただけなのだが、モンド系フォーマット最後に訓練風景を取ってつけると正しさが保証されると考えているのだ。あれを本気にする者もいるというのがモンド系ドキュメンタリ的でありますな。アメリカに赴任してて厨房の心根は侵されずと言ったところか。

 

結局モンド系が内包する問題で倒れる

警察24時系は結局モンド番組なのだが、元のモンド系が虚実入り交じりのインチキ映画だったのは製作費と製作日数の問題でもあった。真面目なドキュメンタリは撮るのに時間が掛かりすぎて一部の意識高いしかみてくれないからペイしない。だから人目を惹くエログロインチキ映像を撮る。

警察24時も最初期にかなり問題になった筈だ。同乗させてもらった警官免停とか色々だ。すると地道に長時間警察に同行するしかない。歩留まりが悪くなる。しか映像パンチが無い。

ヤクザ事務所ガサ入れとか映像的にパンチがある事件はある。でもそういうのはマジな方の報道部門が呼ばれてモンド系バラエティ取材班は呼んでもらえない。カメラ持ってても素人なんだから報道マン暴力性に負けてゴミ扱いされて追い出されてしまう。

そんな状態視聴率上げようとしたら数多のワイドショーやらかしたように捏造っぽい方向に行っちゃうのは仕方ないね

 

んでもこの手の番組培養してしまった視聴者は「報道番組がモンド系と違う」ので報道を信用しなくなり、「川口市クルド人傍若無人治安崩壊!」とか「安芸高田市市長論破!」というショート動画クリックしてモンド系の毒に身をうずめるのでした。なんつーかペニシリン必要だな。

 

警察24時の初期は無茶苦茶だったぞーという話でした。

やはり、人口の半分ぐらいは家政婦をやるべきじゃないだろうか?

もう辞めた会社の話だが、俺は生活指導をやらされていた。(NDAとまではいかんくとも、念の為に若干はぼかす)

職場にいくつかの「◯◯委員」のようなものがあり、たとえば「オヤ部長」とか「宴会部長」的なヤツのもうちょい面倒なバージョンだ。

たとえば、健康診断の成績が悪いと「スポーツ委員」が昼の体操ちゃんやらせてるのか運動習慣はつけているのか談話室バランスボールを買ってやったが使っているのかと詰められるわけだな。

俺の担当生活習慣だったが、仕事の大部分は「臭い指導員」だったと思う。

普通の神経ではなかなか指摘できないし、された側もイラっとくるような臭いについての話を「組織がね、やれって言うんだ。君もあと10年したら課長係長ポストと一緒にこういう役目がついてくると思ってくれ」みたいなオーラを出しつつやらされていた。

臭い指導過酷だ。

いい大人がいい大人に「柔軟剤匂いかな?エイトフォーちょっとキツいぞ。洗剤の量をちゃんと守ったり、無香料の物を使ったほうがいいかな」と指摘する権利なんてあるのかといつも疑問だった。

梅雨の季節に生乾き臭のする奴に部屋干しなら扇風機を使えと言ったり、オキシクリーンの回し者になったりするわけだ。

ワキガがキツい奴のためにデオドラント商品の選び方を調べたり、食生活についていくつかの頼み事をしたりだよ。

あんまり臭いとね。やっぱ職場全体の雰囲気がね。そうなるとね、仕事を頑張っても評価かにね」とわざわざ俺の口を通して言わされるわけだよ。

しんどかった。

なんで「体臭キツイのに深夜ラーメンニンニクシマシしてんじゃねーよ」をやんわりオブラートに包んで社会人に指摘させられとるねんと。

思うんだがな、やっぱ専業主婦専業主夫というのが必要なんじゃないだろうか。

仕事拘束時間が長すぎてみんな家事が疎かになってる。

家事を専門でやってくれる人が必要だ。

共働きの家庭ならハウスメイド的なのを雇うようにするべきじゃないだろうか。

なまじっか専業主婦一般化したせいで日本という国から家政婦の文化が失われているように思う。

パワーカップル年収2000万円あっても家事は全部自分たちでやるという人達インターネットで見かけるがあれは非効率じゃないだろうか?(本当にいるのか?時給5000円の人間洗濯掃除を?と思うけどこの話題には便利なので乗っておく)

専業主婦専業主夫というシステム夫婦の力関係的に歪になりやすいのは分かる。

家電が発展してハウスサービス需要介護にばかり集中しているのも分かる。

プライベート意識が強くなって赤の他人に家の中弄られたくない人、伴侶であっても趣味の部屋を触られたくない人、色々いるのも分かる。

だが、現代社会で求められるレベル家事を働きながら両立するのはしんどいだろ。

家電の力でなんでも自動化されたと言っても、洗濯機や乾燥機ちゃんと使おうとすればどうしても人間管理必要になるし、何の知識もない人間やらせれば漂白剤か洗剤の片方しか入れずにやってハンガー吊るしでめちゃ臭になる。

つうかなんで皆こんなに働いてるんだ?

全然仕事が減らないの不思議すぎるだろ。

どうなってるんだ?

少子化の原因はまぎれもなく男

まず大前提として、どれだけ理性的論理的な女でも「出産」という行為を前には野生動物に戻る。

強いオス(集落の中でのヒエラルキーが上のオス)の子供以外は産みたくないと考えるのが女という生き物。


強いオスかどうかは、時と場合によって

・力強さ

容姿

・知能

年収

コミュ力

技術

独創性

など色々な能力判断されるけど、基本は「他のオスにも舐められないオス」じゃないと、子供を産む気にならないのがメスの本能

この本能は変えられない。可愛い子の裸を見ると勃起する男と同じ。


昔は男同士で力比べをして、女のお眼鏡に叶う男になろうとみんなが努力したり

あるいは女の行動を制限したりして、子孫繁栄できるような仕組みを上手く作ってたりしたが

現代社会では軟弱な男が増え、さらフェミニズムがはびこり女を甘やかした結果、

女にとっての「強いオス」が減って、今こんな状況になってるわけだ。


これで女が変わればよかったけど、残念ながら女の本能は変わらないので、

未だに「強いオス」を求めた上昇婚か、ヤリチンによるシングルマザー量産くらいしか子供を産む手立てが残ってない。


結局女を変えようとしても無駄なので、男の方を変えるしかない。

anond:20240608033334

自分の悪い行いを罪と思ってない人ほど石を投げて、

罪がない人ほど自分の行いを罪と思い石を投げない…

これが現代社会!!!

2024-06-07

anond:20240606150120

恋愛結婚出産あたりは、現代社会が蓋をしてるはずの男女差や人間本能とそれを基づく選別が溢れ出てくるから、こういう社会的アンケート本心がずれていそう。

ってブコメがあるけど、たぶんこの人が考えてる事と現実は逆だと思うんだよね

元々メスってのはオスほど性欲は強くないし、何より子孫を残す事より保身を考える

子供安全に育てられない環境にいるメスは発情しない

自然界で母親子供を育てないと子供が生きられない動物母親が死んだら子供死ぬわけだから当たり前だ、

「我が身を犠牲にしてまで子供を」ってのは社会的にそれを強制される人間だけ)

この自分一人が生き残れるかどうかも分からん時代、メスの本能全開の人ほど発情しないと思う

2024-06-05

anond:20240605161560

生殖のためには労働必須なんよ

 

たとえばオスが縄張りを獲得するために必死で戦う生き物ってたくさん思いつくでしょ?

別に動物学者じゃなくてもさあ

雄にとって縄張りとはすなわち衣食住の確保つまり生存資源の確保であり、

これがなきゃ生殖に進めないのよ

 

から生き物の生存競争において生殖労働は不可分だよ

そのうえ社会的地位が低い個体の子どもは繁殖成功率が低いからね

オスは特に社会とかコミュニティの頂点を目指すわね

(※人類の頂点でなくてもいい、とりあえずお山の大将であればいいので俺はお山作る!タイプもいれば、

 頂点とか目指さないで他人のオスの成果物掠め取り戦略狙うのもいる。

 一つの戦略けが正解でも、勝てる戦略が常勝でもない)

 

ぶっちゃけ、中卒ヤンキーで子だくさんパターンもいるはいるけど、

じゃあ低学歴年収のほうが婚姻率が高いか出生率が高いかって言われたら違うのは知ってるだろう?

(男は高収入ほど婚姻率が高いし、今は高年収夫婦のほうが出生率が高い、「子どもはぜいたく品」と言われるようになったゆえん)

 

生物学に話を戻して、自分の子どもを次世代繁殖競争に勝たせようって思ったら

労働者として社会で勝ち抜ける「強い」子に育てなければならないというプレッシャーが親にかかってる

で、現代社会じゃそのコストが高い

なぜなら大学卒業してなきゃ低学歴扱いになってるから

大学卒どころか高卒ですら一部の選ばれしエリートだった100年前とはけた違いに子ども一人に必要コストが跳ね上がってる

 

から生殖競争に勝つために労働を頑張る

2024-06-03

「人として接する」の意味深読みし過ぎだよ

どういう文脈で出てくるのか見れば、一言で片付く問題じゃん

例えば、ぬいペニ問題でも明らかなように、女と接する弱者男性に投げかけられる言葉なんだよ

ペニ出す前に人として接しないとねと

これって、シンプルに「弱者男性は私を女として見ないで」って話であって、よくある性淘汰圧しかないんよ

けど、これを言うと優生主義を露呈して現代社会ではアウトになるから弱者男性責任押し付けるような言い回しになる

これだけの話に、なんで面倒くさい説明をしようとしてるのか謎なんだよ

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