はてなキーワード: 必要とは
優秀な人は人生でやりたい事なんていくらでもあるんだろうけど、
私みたいなゴミクズ劣等種は人生でやりたい事なんか1~2個くらいしか無くて、それを親にダメって言われたら一生開花しないまま終わるのよな。
成人した頃になると子供の時にやりたかった事なんか忘れてるんですよ。やっぱ子供の時にやりたいようにやらせてあげるってのは必要だと思いますよ。親の器ガチャ
芦品先生は、自身の作品がドラマ化される際に発生した問題について、SNS上で声明を発表しました。しかし、その声明が予想外の反応を引き起こし、ドラマの脚本家が中傷されるという事態に発展してしまいました。このような展開は芦品先生の本意ではなく、「攻撃するつもりはなかった」と慌てて投稿したことからも、自分の言葉が誤解され、意図しない方向に事態が進んでしまったことに動揺していたのでしょう。
- 責任感と罪悪感:芦品先生は、自身の声明がきっかけで脚本家が中傷されていることに責任を感じ、罪悪感に苛まれた可能性があります。特に、創作業界では「表現の自由」と「表現による影響」のバランスが常に議論されるテーマであり、先生は表現者としての責任を重く感じたのかもしれません。
- 予想外の事態に対する恐怖:SNSは時に予想外の方向に世論を動かします。芦品先生は、自分の言葉がこれほど大きな反響を呼び、攻撃的な行動に繋がるとは予想していなかったでしょう。この想定外の事態に恐怖を感じ、パニック状態に陥った可能性があります。
- 創作者のプライド:芦品先生は漫画家として、自身の作品に強い思い入れがありました。その作品が自身の意図しない形でドラマ化され、さらにその問題を指摘した声明がさらなる問題を生んでしまったことに、創作者のプライドが深く傷つけられた可能性もあります。
- 孤立感と絶望感:SNS上で騒動が起きたとき、芦品先生はひとりで対応していたのでしょうか。所属する出版社やテレビ局などのサポートがあったのかは不明ですが、騒動の渦中で孤立感を感じていた可能性はあります。さらに、テレビ局側が何らかの対応をする前に先生が亡くなってしまったことから、事態の収束や解決への道筋が見えず、絶望感を深めたとも考えられます。
これらの要因が絡み合い、芦品先生は自殺という選択をしてしまったのかもしれません。創作者の表現は、時に思わぬ影響を及ぼすことがあります。この悲劇をきっかけに、SNS上での発言の重みや創作者の責任などについて、改めて考える必要があるでしょう。
自分が政府とか内閣とか国家運営体制についてガチで絶望したのは、「村木風海」がムーンショット計画で核融合関連の役職を持ってたのを見たとき
それまではなんとなくどっかには利益があるんだろうなとかそういう必要があったんかなとか、理解ができんだけでそういうこともあるんだろうなと思ってた
そんなことはなかったんやな
ただただなんとなく何も知らんやつが運営してるんだなってのが見えちゃった
親には子供が自分で自分の人生を生きれるように土台を作ってあげる必要がある
子供が生活に終われず社会で幸せに生きていけるような教育をしてあげられのか、若しくは平均的な収入だったり多少の障がいがあっても生活に追われず幸せに生きれる社会であるのかが大事
そう思えない社会では一時的にお金を出したくらいじゃ誰も産まない
子育てするお金が無いというのは出産費用がないとかではなく、子供が幸せに生きていけるだけの教育を施してあげられないという事
さも困った風に相談とかきて、それをよくよく聞いてみると
せいぜい「お洒落な鞄が買えない」とか「駅チカで築浅のオートロック付きマンションに住めない」とか
「実家の毒親(実際は過干渉なぐらい)と折り合いが悪く、家からも出られず辛い(じゃあ自立して働いて一人暮らししろよって話)」
「一重がコンプレックスで二重にしたいのに整形費用が無い」といった程度の下らない事から
「ホストに貢ぐ為に体を売らなければいけないのが辛い、病みそう」といった、しょうもない上に犯罪に繋がる様な事が大半だったりして
過労死、孤独死、精神疾患、生活苦、いじめからの長期引きこもり、3K低賃金仕事、そして自殺と言った、
男性のガチな苦悩に比べれば、話にならんレベルで軽いなってつくづく思う
ガチの貧困層に関わった経験からすると、上記のなんちゃって貧困では無い
もはや、“女性の貧困“というワードすら、本当の貧困者に対する冒涜に聞こえて虫唾が走る
某スカウトマンの知人も言ってたけど、貧困ですってそういう仕事してる人達は
ホスト本人ですら、その女性に「少しは自分の為に使いなよ」と言っても
労働のモチベは貢ぐ事なので自分の為なら働けません、って感じらしい
こういうのが貧困女性とか言って手厚く支援していきましょうね、って一方で
こちらも活動には限度があるけど風当たりも強く、女性の社会に「ガラスの天井」があるならば
男性の社会には少なくない人達が「鉄の地下室」に押し込められ、そのまま消えていく現実がある
「助けが必要なものは助けたい形をしていない」なんて事はよく言われるけどさ
こういうのは行政の範囲だと思うんだけど、今じゃ行政ですら女の方ばっか見て
男は勝手にやってろ死んどけ、支援するなら女の方を何故優先しないの?って態度でうんざりする
そしてこういう事書くとすぐに「男ハー!」って叫んで場を荒らして
男性の貧困問題や男性差別など「無かった事」にしようとする人達は
恥を知れよ
今ならネットでもよい
はじめましてトークは当然はじめましてしかできないから、沢山会う必要がある
聞いていくとどこかである程度覚える
付き合わなくていいから沢山軽くあそぶ
2人きりであそぶ
基本女子にあわせる、主導しなくていい、ある程度好みのパターンが見えてくる
当分彼女は作らない
噂になったら嫌な子には配慮する
髪はショート〜ミディアムショートにする、毎日鏡を見る、ヒゲを剃る
服は最初はどシンプルでいい、ビジュアルで気を引こうとがんばらない、ビジュアルは減点方式であるという意識を持つ
だいたい50人〜100人くらいできれば
「女ってなんてめんどくせーんだ」「これだから女は」「男といるほうが楽しいわ」
くらいになると思うから、そしたらゴール
あとは好きになれそうな子を絞り込む
エッチについて
エッチが好きな子、まぁまぁな子、嫌いな子がだいたい1:1:1で存在している
好きな子のうち、仲良ければ割りと誰でもOKな子が3割位(全体の1割くらい)
だから基本的には「相手はエッチが嫌いな子」だと思って接した方がいい(当たる確率が高い)
なので下心や下ネタは控える
そういうのが好きな子は基本我慢できずふってくるので、1回乗ってみる
乗ったら急に「セクハラやめろ」みたいに言ってくるうぜーやつも居るから注意する
彼氏になったら「エッチが好きな子」「まぁまぁな子」の6,7割は大丈夫になる
嫌いな子に当たったら、身の振り方を考える、無理はしない
年によって多くの女子が何に惹かれるか、一部の女子が何に惹かれるかを理解する
具体的に何に惹かれるかは割愛
まあこんなところでしょう
俺はタイムスリップしたとしても多分やれないと思う
多分、パソコンカタカタしかできない人はバイトに仕事取られちゃうんじゃないかな。
交渉力を伸ばす人、機械の勘所を身につける人、若い方々の面倒を見る人事っぽいスキル、などなど
U字に伸ばせる才能を見つけることが必要、だと私は思う。
理想気体の状態方程式 𝑃𝑉=𝑛𝑅𝑇
𝑉 は体積 (L)
𝑛 はモル数 (mol)
𝑇 は温度 (K)
温度 𝑇 は 273.15 K
問: 101325 Pa、273.15 K、5600gの水素を45141.42 kPaに加圧した場合、温度は何度上昇しますか?
加圧に伴う温度の上昇を計算するために、まず初期状態と最終状態の理想気体の状態方程式を使用します。
初期状態(STP)の条件を使用して、モル数を計算し、その後、加圧後の温度を計算します。
初期状態の条件は、101325 Pa、273.15 K、141 L です。
最終状態の圧力は 45141.42 kPa = 45141420 Pa です。
最終状態の温度を 𝑇𝑓とすると、理想気体の状態方程式は次のようになります
𝑃𝑓𝑉=𝑛𝑅𝑇𝑓
Tf= PfV/𝑛𝑅
これを計算するとTf≈121635.5K
初期温度は 273.15 K ですので、温度上昇は121635.5−273.15≈121362.35K
したがって、5600 g の水素を 45141.42 kPa に加圧した場合の温度上昇は約 121362.35 K となります。
ポリコレ作品を原作通りにドラマ化しても叩かれない世界だったらそのままやれたんじゃない
でもあれをあのままやってたらお前らが発狂して叩いてただろ
お前らから身を守り放火されないためには、ポリコレ要素を削除してふわふわ恋愛物にするしかなかった
そのままやってたら虎に翼みたいに毎回炎上して、虎に翼の脚本家のように人格攻撃されて火だるまになっていた
日本語学習者を支援するボランティアの講習会(全3回、1回でも休むと参加資格なし)(3回しかないけど)に参加した。
特に資格は持ってないけど、外国人との交流が好きだったし、日本語を学ぶ人を通して私も学べることがあるはず!と思って、引っ越したばかりで娘の保育園も決まってないけど、義母や義姉に見てもらって、時間を作って行ってきた。
2回目までは楽しかった。資格がある教師と資格がない支援ボランティアとの違いを学んだり、「やさしい日本語」を使って実際に外国人と話したり…ディスカッションでアイデアを練ったり、「資格がなくてもあなたの気持ちがあれば日本語を教えられる!」という言葉で、資格がない私でもできるかも!って思った。誰でもできるっていう言葉を信じてワクワクしてた。
ボランティア団体の紹介をしてもらえたんだけど、だいたいどこのボランティアも参加するのに年会費が必要と。えっ、ボランティアって無償の施しだとは思っていたけど、むしろこちらが費用を負担するの?しかも高いところで年に7000円?ちなみに支援を受ける側の費用の負担は無い。えっ、無いの?あなたたちの使う会場やテキスト、その他諸々の費用も私たちが負担するってことなの?
様々なバックグラウンドの人が平等に勉強する場を設けたいというのはわかる。それに対してお金のかからないボランティアを募るというのもわかる。でも、自ら来日してきた人に対してマンツーマンで教えてあげる上にこちらが費用も負担って…それって私たちがしてあげる必要ある?
さらにはここへきて、日本語教育に関しての資格などがないと厳しいと。興味ある人はブースへお立ち寄りくださいって言われて、のこのこ行ったら無資格の方は必要ないかな…みたいな顔されて、恥ずかしかったわ。交通費かけて行って3時間みっちり講習を受けて、最後の最後で、資格がない人はちょっと…みたいな、酷くない?2回までの「気持ちでなんとかなる」みたいな講習、なんだったの。
費用も負担してくれる有資格者のボランティアを募集って、多くを求めすぎでは?
ボランティアをしたことがないんだけど、そういうものなのかな。
誰かの助けになりたくて、周りに協力してもらって子供預けて参加して、これから活動するなら定期的に見てもらえるところ探さなきゃなー!とかワクワクしてたのにな。
まあどれもこれも参加しなかったらいいだけど話なんだけど。そういう慈善活動は余裕がある人とか、誰かに施したいやりたい人がやればいいし。それはわかってるんだけど。
折角、頑張って参加したのにな。うまく言葉にできないけど、全部、蔑ろにされて無駄になった気分、なんだか泣ける。
なんだか多いのだが、これは原発はやっぱり必要ですね、という結論を出すためなんだろう。
まったくだ。
今だったら火力(も円安で高くなるけど)でCO2排出を減らしたほうがよっぽど人口が多いところに発電所を作れる分有利じゃないかなあ。
だから優先順位としては、下にいる女性と男性の立場を向上させることなんだよ
フェミってすでに地位が高い女性ばっかりだから、下の男女に注目が行くのが嫌なんだよな
言ってる意味分かる?
あのね
社会ってね
死んだ人間の就労する場所とか、避難場所とか、遊技場とか、死んだ人間の人権ってみたことある?
そんなものはないんだよ
結果それが社会的に不要な動きをしてもそう判断された時に処分されるだけで
社会にいる人間を減らしてそちらにもっていく必要もないしむしろ行かれると困るから
そういうのは作らないんだ
でも生きた人間が生きていく上での都合でほかの人を殺すという事はある
自分に向ける殺意というのは人間が唯一自分の思考を現実のものにできる手段で
現実に起こりえるのにだれもその間、心の中とか想像したものに手出しをすることができない
宗教なんかで無理にでも「罪」って言うくらいしか否定のしようがない
逆にいうと手がつけられない個人のものだからそれについて権利を主張してみようって人もいる
けどね社会ってとにかく生きている人間が生きていくためにあるものだから
それ以外のものを作るという事はないんだよ
でも実際に自殺を罪にはしないって国がもう出てきてるよね
社会においての健康とか生きているの段階を引き上げた結果がそれなんだ
たとえば優秀な人だけが生きていければよりより国になるとしたら
下からどんどん人権を無くして生きている状態を保障されなくなり無視されて
生きているかどうか判別不能になっていく つまり結局終わりにさせられてしまう
同じように心が病気だったら体の病気と同じと扱う健康レベルとして扱って
末期患者は治療と選択肢の一つとして生きていくのを放棄できるって段階に
その線でいうなら実現可能なもののひとつの視野として自殺を認める事になったら
道連れにほかのつらい人たちの選択肢も奪うことになるんだ
もしそれを実現したいと思ったなら
メメント・モリで人生が輝くのって、それだけじゃダメで諦めの良さとやる気が要ると思う。
有限であるならしょーもない事をしている暇はないし、やりたい事は可能な限り全部やった方がいい。
しかし有限なので何もかもは出来ない。
生存を維持するための行動を除いて、何かをしようとする度にそれが限りある人生の時間を投下する価値があるのかと考えなければならない。満足に生きるという目標を最大限効率的に実現するなら。
常に自分の確信を問い続けなければならない。その選択は他の可能性を捨ててまで選び取るべきものなのか。本当に自分の人生に満足をもたらすのか。
自分にとって大切なものを見極める誠実さと、そのために他の魅力的な可能性を捨てる諦めや思い切り。そもそも人間は一つの頭と一つの身体しか使えないのだから常に他の選択肢を捨てて何かを行っているし、人生の有限性なんか考えるまでもなくそれは大事な力だ。
むしろ変に有限性への意識とか持ってると、選択の心情的なコストを無駄に増やすだけだ。
それに、好きな事と言ったって24時間364日出来る訳ではない。
音楽が好きというなら、常に聴いているはずだ。睡眠中、食事中であっても音楽を聴くことは出来る。それをしないなら真剣に音楽を愛しているとは言えない。「本当の」音楽好き好きではない。
なんて言うのは極端過ぎる。そういう人インターネットによくいるけど。
どれだけ好きだったり憧れたりしていても、やっぱり地道な練習とか積み重ねは退屈でしんどい。
面倒臭さに屈する程度の「好き」が「本物」かどうか、なんてのは神様に聞かないと分からないけど、とにかく面倒臭いものは面倒臭い。
死の待ち受ける人生では好きを追求する時間にも限りがあるといくら頭で理解してたって、やる気がなきゃ始まらない。
有限性への焦燥感が義務感となり情熱に昇華されればいいけど、やっぱりやる気をもたらすのはもっとシンプルにこれが好きだという強い確信や実感なんじゃないかって思う。
面倒臭かったりしんどかったりするけど、それでもその先の純粋な楽しさだったり、もっと新しい可能性に辿り着きたいという好奇心が人を動かすんじゃないかと思う。
大谷翔平はめっちゃ練習してるらしいし、自分の目標も実現してる。そこに人生の有限性への意識があるかどうか、傍目には分からない。
してるかもしれないし、してないかもしれない。無意識にでもそういう感覚がちょっとはあるのかもしれないし、全然まったく、何の意識もしてないかもしれない。
限りある中での意義ある人生への義務感だとか、自己顕示欲や憧れで動いてるのかもしれない。ただただ純粋に野球が楽しくてああ生きているのかもしれない。そのどれもが混在しているのかもしれない。
ただ明確な事実として、他の魅力的な選択肢にかまけず野球一筋でストイックに練習している事だけは分かる。
まあ厳密に言えば我々が知ってる彼の生き方はテレビが切り抜いた部分だったり、他人の目を通した情報だったりでしかないけど。野球以外に色々なものを選び取っているのかも知れない。そこはいくら考えても邪推にしかならない。
満足な人生を送るのにはやる気とそれを支えるバイタリティ、思い切りの良さは確実に重要な要素だろうし、それさえあれば死なんか想う必要ないんじゃないかって思う。
結局メメント・モリなんて意識はあってもなくてもいい。ダラダラ生きてる人間への喝入れにはなっても、そこから誠実に生きるための道具にまではなってくれない。それどころか、下手すれば心を擦り減らすばっかりのレトリックなんじゃないかって思う。
全部欲しい、と何か一つだけでも心からの満足が欲しい、の間で揺れ動くのは辛い。
今日は、仕事がほぼ徹夜だったのですが、医者に行きたかったので早起きをする必要がありました。とても大変でした。朝早く起きるのは苦手です。でも頑張りました。医者に行くために、寝ぼけながらもなんとか起きました。診察が終わってからも、仕事がたくさんありました。
コーヒーを何杯も飲みました。でも、あまり効きませんでした。頭がぼーっとして、集中できませんでした。お昼ご飯の時間が来たとき、少し休みました。それでも、眠気は取れませんでした。
午後もずっと眠気と戦いました。仕事の効率が悪くて、イライラしました。早く家に帰って寝たかったです。やっと仕事が終わって、家に帰りました。すぐにシャワーを浴びて、ベッドに入りました。とても疲れました。今日はよく寝るつもりです。