はてなキーワード: 支配とは
今の日本のエンタメ界隈ってのは大雑把に1990年代からテレビよりのドラマ・邦画とオタクカルチャー(漫画・アニメ・ゲーム)に分裂している。
間を繋いでるのが2次元実写ドラマなわけだけど、やっぱテレビ局が介在するとすべてが駄目になるね。
少女漫画とか女性向け作品みたいな女性に人気のものってテレビ局が間に入って実写化されることが多い。
1990年代以降テレビ局はどんどん女性向けの作品を売り出すのに躍起になっていったけど未だにテレビ局はそういう風潮だよね。
根本的に日本のテレビ局はオタクカルチャーの作品を未だに見下していてほとんど尊重されない。
しかも男性が女性向けの作品を尊重していないとかいうことじゃなくて、セクシー田中さんを見てもわかるけど脚本家もプロデューサーも女性なのに女性向け原作の作品が滅茶苦茶にされてる。
たいして男性向けが多いオタクカルチャーの作品は昔は原作改変が当たり前だったけど、どんどん原作を尊重するようになってる。
女性原作だけど鋼の錬金術師もダンジョン飯も鬼滅の刃も薬屋のひとりごとも原作尊重が当たり前になってる。
ふむ
並ばないと入れない入場制限のある店に入るのに親切な彼を巻き込んで彼氏を連れ歩く女王の自分のイメージが壊れた、まで読んだ
そもそも親切な人なので文句も言わず行列に一緒に並んでくれたわけだが、その親切さは自分のためにのみ使いたい、人に対しては使ってほしくない、とあなたは思うわけだ
粗野な状態に置かれた捕獲されたものは主に女性である。これにはもっともな理由がある。
男性の奴隷階級が存在するところ以外では、女性は原始的集団の中で、より役に立つばかりかより簡単に管理できるものである。
その労働は集団にとってその扶養をおぎなう以上の価値があるし、武器を持っていないので男の捕虜より脅威が少ない。
女性は非常に効果的な勝利記念品という役目も果たすし、またそれゆえ、捕獲者には、証拠として、捕獲者であるという彼女らとの関係を跡づけ保つことは価値がある。
この目的のために、彼は捕獲した女性たちにたいして支配と強制という態度をとり続けるのである。
そして、武勇の印であるから、彼女たちが競争相手の戦士のいいなりになることを許さない。
彼女たちを支配することは、彼の名誉と虚栄心のどちらも満たしてくれるのであり、この点での彼女たちの有用性は非常に大きい。
この捕獲の慣習が共同体の習慣になった後、服従させられ証拠とされた女性は一般に、
その捕獲者と慣例として認められた婚姻関係にはいるようになる。
その結果生じるのは婚姻の新しい形式であり、そこでは男は主人となる。
この所有権――婚姻は私的財産および家父長制家族の両方の起源であるように思われる。
したがって、この偉大な制度はどちらも競争的起源をもっているのだ。
https://open-shelf.appspot.com/TheBeginningOfOwnership/chapter1.html
どれだけ嫌な事があろうが、満足している瞬間が少しでもあればそれだけで人生を肯定出来る。それは自己実現の喜びであってもいいし町中で買える喜びであってもよくて、重みは問題ではない。
そもそも重みなどない。快不快を勘定しようとする事自体がナンセンスだ。限界効用だのアドレナリンの分泌量だのと数字を持ち出してお茶を濁した所で、我々が常に瞬間的に感じている快不快とは定性的なものなのだから。
こういう風に考えれば、生きることに対して割と無条件に近い状態で希望を持てるような気がする。というよりは悲観に屈しないといった方が正確かもしれない。
こうありたいような気もする。安直なヒューマニズムとはまた違うと思う。リアリストを気取っていてその実単にペシミストでしかない奴は嫌いだし。おれはニヒリストではあるけれど、ああいう連中はいけ好かない。
ただあんまり無闇矢鱈に人生は素晴らしいと考えるのも、それはそれでなんかなって思う。少しでも引っかかりがあるのなら、そこを無視して人生バンザイと言うのも自分に不誠実な気がする。
やっぱりなんとなく心の中に秤をイメージして、総体的に納得ある人生を送れているかを気にしてしまう。
自分の望む生き方を出来てる人はこういう考えでも別に問題無いんだろうけど、そうでなきゃ辛い。
辛さをバネに、とかそういう気にもあんまならんし。
不快な気持ちに特別な意味を見出したり、道具として支配してやろうってのもなんかなあって思う。嫌なことをただただ嫌なだなあと受け止めるのも大事に思えてならない。 まあ嫌なことは嫌だし、大して楽しくもないのに面倒臭さだったり不快さだったりを抑えながら生活に追われるくらいだったら死んだ方がマシだろ……
みたいな考えが頭の中をぐるぐるぐるぐる回ってる。
結婚でもするなりして他人への奉仕に生きよう、なんてのはありがちだけど、それを実践してる人が果たして幸せそうかというと微妙なところはある。他人な上に立場も違えばもちろん視点そのものが違うし、そういう人らの人生のほんの一部しか見てないから何とも言えんのだけど。
科学教育への要求が言外に主張するのはどんな問題であれ科学的な訓練を受けた者の問題への取り組み方はそうでない者よりも知的であろうということだ。
科学者の政治的見解、つまり社会学や倫理、時には芸術に関する見解さえ、科学者のものは門外漢のものより価値があると言っているのだ。
言い換えればもし科学者が支配すれば世界はもっと良い場所になるだろうというのだ。
しかし私たちが見てきたように現実には「科学者」とは厳密な意味での科学の一分野の専門家という意味だ。
そうすると化学者や物理学者などが詩人や法律家などよりも政治に関して聡明であるということになる。
そして実際のところすでに固くそう信じている人々が数百万人もいるのだ。
だが科学的とはいえない問題に客観的な方法で取り組むことに関して狭い意味での「科学者」がそれ以外の人々よりも適しているというのは本当に真実なのだろうか?
科学とは何か ジョージ・オーウェル
当方男。
「ずっと好きだった」という平成に流行った歌がある。かつてクラスのマドンナに憧れていた若者だった男が、歳を重ねた彼女に酒席で再開し、酔って絡みながらナンパするという歌詞だ。当時、結構流行って、ずっとラジオから流れていたので記憶している人も多いと思われる。
これが実に苦手だった。とかく苦手だった。
いやだってさ、「すきだったんだ『ぜ』」だよ。「すきだった」というかつての気持ちの吐露でもなくて、現在進行系でまだ熱い気持ちを持っていますという「すきです」でもなくて、「だったんだぜ」だよ?! 女々しいにも程があるわ。あわよくばワンチャン狙ってまーす、って気持ち(=著しい性欲)がダダ漏れで、サブイボが、やばい。
それで、むかし好きだったんだけど、べつに今はそうではないですよぉー的な匂わせをしておいて、その上でボソっと、それであの日、キミのがボクにしたキスの意味ってなに? だよ!? だよ!? だよぉおおおお!?
いや、これはもうれつにキモいとしか言えない。普通に好きだったんなら、正直に「好きです。あの日から忘れたことありません」って言えばいいし、久しぶりに会うことになって、たまたま当時を思い出したんなら、過日の美しい思い出にして黙って彼女の今を尊重すればいいし。
にもかかわらず、それであの日のキスってなに?だよ!? どう考えても、当時のロマンチックだった(かもしんない)、彼女の若気のいたりのきもちをくすぐって、なんかいい感じにもっていきたいって下心全開じゃんけ。利己的な遺伝子に思考ルーチンが支配されとる。
全編こんな感じで、もうねっとりとした固形じみたギトギトのポマードが臭いすぎて、ぐぎゃぁみたいな気持ちで当時は過ごしていたんだけど、冷静に考えると、このニヒたキモさって、多分歌詞が徹底的に男目線で書かれているからなんだよね。一方的にマドンナ扱いして、キレーだったよなぁ、今もかわいいぜみたいに、とにかくねっとりマドンナに迫ろうとする心情。それが肌を敏感チキンにさせる。
──────と、これまでは夏に冷房が死んだ時にもしかしたら涼を取るのに役立つかもしれない曲、というだけだったんだけど、実は今日、コペルニクス的大回転があって、ついにこの曲の愉しみ方が分かったかもしれんと電撃が走ったのだ。
男がイライラする男って、実は女子ウケが良い=かわいいのでは!?
もしかして、この曲の女々しさにイライラするのではなくて……女々しさにクネクネする男を可愛がるのではないかと。
今までは、脳みそが下半身に半分以上めり込んでいるような態度に、同じ男である自分を重ねてあんぎゃぁーーーってなっていたけど、実は、そんな男を「ふふっ、男って本当にバカね」by 想像上のマドンナとなって、アホでマヌケで五大欲求に素直な永遠のチェリーボーイを愛でるのがこの歌詞ではないかと。滑稽なような、烏骨鶏なような、だんすぃーの愛らしさが表現されているのではないかと。
アサクリ世界では、遥か昔に「かつて来たりし者」が超古代文明を築き、強力な遺物をいくつも残した
その遺物を収集し世界を操ろうとする敵集団が「テンプル騎士団」である
騎士団の起源は紀元前10世紀、古代インドで釈迦によって設立された「修行教団卍」である
世界中に広がった騎士団は国や時代にあわせて様々な宗教団体、企業などに姿を変えながらも遺物による世界支配を企み続けていた
テンプル騎士団に与する歴史上の人物には、アレクサンドロス大王、始皇帝、クレオパトラ、フィリップ4世、フランシスコ・ザビエルなどがいる
アサシン教団は、テンプル騎士団の企みに気づき、人々の自由を求めて抗う集団で、主人公側
遺物の眠る神殿を騎士団(当時は"結社"という名)に襲われ家族を殺された男が、騎士団と戦うため前身団体「隠れし者」を結成
アサシン教団に与する歴史上の人物には、ブルータス、フィリップ4世、徳川家康などがいる
6世紀、アサシン教団の鑑真は、遺物を隠し守るために唐招提寺を建設
遺物の一つである「エデンの剣」は強力な力を持ち、ペルセウス、チンギス・ハーン、ジャンヌ・ダルクなどを主人とした後に、武田信玄の手に渡る
遺物を求めた騎士団のフランシスコ・ザビエルは、信玄の孫である望月千代女を取り込み信玄に与する
信玄は遺物の力で天下統一を目指すも、アサシンの服部半蔵に暗殺される
本能寺の変にて、アサシンのヤマウチ・タカは信長を暗殺、遺物を回収
豊臣秀吉は徳川家康殺害をもくろみ、その忠臣である服部半蔵を風魔小太郎に暗殺させる
関ヶ原の戦いでアサシンは東軍を支援し井伊直弼の陣に加わり、島左近を暗殺
アルターエゴ社という多国籍企業を隠れ蓑にするようになった騎士団は、1945年にアメリカで暗躍し、日本に原爆投下をさせた
2013年、アサシン教団日本支部はヤクザの陰摩羅鬼(オンモラキ)組に襲撃され、返り討ちにして陰摩羅鬼組を乗っ取り教団の表向きの顔にした
ヤクザもまた、闇に紛れて光に奉仕し民衆を守る集団であるとした
陰摩羅鬼組の構成員であるタカクラ・キヨシは最初は反発していたが、アサシンのモチヅキ・ケンイチとモチヅキ・サエコに教えを受けて彼もまたアサシンとして生きる道を選ぶ
弥助が注目されすぎてW主人公の忍者ナオエが注目されていないが、今までのアサクリ日本史で大活躍していたヤマウチ・タカってナオエじゃね?
ナオエは女性差別の風潮が強い中で、男の名前を使って男のふりをして2つの名前を持っているのでは?
アサクリシリーズは各国を舞台にし、主人公の名前は各国語で「鷹」を意味するものになっている
タカのビジュアルは発表されており、まあ普通に見れば男だし、発表当初は男として描いてたと思うが、ギリ実は女設定いける範囲
天狗のお面つけてる絵とかは、性別偽装に便利そうなアイテムだし
弥助=タカは流石に難しそうだが、その線もなくはない、でもナオエ=タカだと思う
弥助は奴隷の立場を逃れて信長の家臣になったつもりで信長に心酔するも、結局は見世物かつ慰み者の性奴隷にすぎず、ナオエが自由を説き真に解放させるのではないか
父親はクソ人間。自営業で儲かってくるくせにろくに家に金を入れずいわゆる経済DVをしていた。母親の婚姻前の貯金や金目のものを取り上げ、親や友人との連絡手段を奪い、家に閉じ込めていた。
父親は毎日飲んで帰ってくるのに、母親と俺と弟は半合の米をお粥にして3人で分け合ってた。まじで惨めだった。平成生まれ、平成育ちなのに酷い生活だった。
そんなんだから母親は働きに出ようとするのだが、「外聞が悪い」「お前が働きに出ると儲かってないと思われる」「俺を陥れる気か」と怒鳴って殴って阻止していた。母親は内職でなんとか日銭を稼いでた。俺も弟もなるべく手伝った。
そんなこんなのうち、父親が愛人にのめり込み、運良く離婚できた。俺達は捨てられた形だが、嬉しかった。
3人の生活は貧乏だが前よりは楽しかった。だが、父親が愛人と別れてから大変だった。
突然「戻ってきてくれ」「子供だけは返してくれ」「子供は俺の生きがいなんだ」と親戚やら取引先に言い始め、中学校にも突撃してきたりした。
社会的地位もあるし口も上手いので、母親が悪いような印象操作も上手かった。
俺も弟も周囲に「父親はおかしい。家にいるときには全然金も入れないし母親の生活の制限もして最悪だった」と言うのだが、「家に入れていた金を元妻が使い込んでいた」「息子たちを洗脳していた」「気づかなかったことを息子たちに謝罪したい」と父親が言うので、俺達兄弟は「母親に騙されている可哀想な子どもたち」認定されていた。
共同親権が導入されていたら、絶対にクソ父親は行使したと思う。
養育費を払わなくても共同親権には影響はない。しかし収入は合算されるので低所得層向けの政策は対象外になる。
クソ父親は俺の進学先に口を出しただろうし、居住地にも文句をつけたと思う。
ある種の人間は、子供や配偶者を支配したがる。愛情なんてない。そんなに子供が好きなら単独親権を主張しろよ。
離婚前に「ふつう」に家事育児、出来ないならせめて経済面では貢献しろよ。
今回の共同親権が施行されると、施行前に離婚している子どもたちにも適用されるという。
俺と弟はなんとか成人できた。
資本主義は貧者に優しいよ
共産主義なんて実態は一部の特権階級以外は全員自由なんかないクソ貧乏社会だったし
それに比べたら金さえ払えば対等なサービスを選べる資本主義社会ってめちゃくちゃ弱者に優しい世界だよな
普通にバイトしたりサラリーマンやってればそれなりの選択の自由があるからな
たまにサヨっぽい思想のやつが雑な資本主義批判、不平等批判するんだけど
そういう奴らって大体無職とかニートとか精神病んでて働けないやつとか、お前の場合はどんな経済制度でも不自由だろ笑としか思えないやつばっかなんだよな
前野町1丁目は曲がり角に10本のポールを許して、自転車は、人間の目的に合わせて、車輪を出してサドルというスマートに取り付けて移動できるように支えるように作っているものだから
お前が住んでいる、ペガサス浮間舟渡も、リヴァージュシティの建造物も、技術的な根拠があって、構成されている。 その全体を、技術的に構成された法で支配しているというだけで、
被支配者層や女性全体に絶望を与えたり分断しようという言論がしばしばあるが、被支配者層の言論はいつ解放されるのか。統一教会の話さえ水面下に沈められ、公になればイスラエルが戦争で話題をさらう、メディアはユニタリアンの歴史も、大成建設(大倉財閥)を作ったのは政府であることも報じない、きな臭さ。
今に始まったことじゃない。女性がエネルギー源だったのは置き屋と製糸工場ぐらいだったろうに、平塚らいてうは「ゲンシ、女性は太陽であった」などと言った上、不倫騒動で失墜してみせ、日本人女性は低レベルの実例になったし、政府は地所を抑えている大成建設となかよくして、爆発でふきとぶ建屋も建てられた
私は東京郊外育ち、都内の私立大学に進学し、知人N子経由で、同期で都心に住む青年と知り合い交際することになり、このまま結婚するのかなぁと思っていたことがあった。ところが、2年が経過するころには、青年の母親から結婚を反対されているらしいことが分かった(当の青年の口からそれを聞いた)。青年はいわゆるイイトコの坊ちゃんで親は銀行大手の偉い人なので逆らえないと言った。私の家は両親共働きしてるような家だし、そういうことを平気で言うような人物と付き合っても仕方ないので別れた。
ここまでなら人選誤った、で済んだのだが、そのあとさらに嫌な思いをする羽目になった。青年はその後、親の銀行にコネで就職し融資面接担当になり、ほどなく結婚したそうだが、そのあと1度だけ電話がかかってきたので会った。ところが会ってみると、私とまたつきあいたいようなことを言ってきた。私が無価ついてしまったのは、彼も自分も一応純真な大学生だったのに、もはやカネのあるエロジジイが昭和の2号さんを期待しているような臭いがしたからだし(ただ単なる想像なので、実際には搾取される恐れもあった)、もしかすると青年はそもそも私の時間を無駄にするために私と付き合っていたのかもしれないとも思ったからだ。
つまり、親の意見が強いなら、初めから親に早めに相談するなり家系を調べるなりして、結婚できないなら交際しないという選択もあったはずだった。なので私は憤然として二度と会いたくない旨を伝えた(一時は惹かれていたけれども、二度と会いたくないということはありうる)
なお、自分の家系のほうにもやや問題があることがのちに分かったので、知人N子と〇〇〇銀行こそ裏活動をしているエージェントだったかもしれないな?と思っている。というのは青年の名前検索してみると、似たような同姓同名が多くヒットするから(金融諜報機関は隠したい人物がいるならば、同姓同名の人物を雇って煙幕にすることが考えられる)。
自分に対して特殊人脈攻撃が行われていたとすれば、まさにカネがモノ言ってるディストピアなわけで残念だし、ユダヤ人が書いた恋愛物語のようなものに騙されてはいけない世界だなと思ったわけです( 「ラブストーリー」等が有名ですね)。なお、不適切な交際をして両親を困惑させた女性が相続人から除外された、という判例が1993年にできている。支配層は女性にはいろいろ罠を仕掛けているかもしれない。
そのあたり、男性アイドルの支配者ジャニーズ(旧)の影響だと思うよ
スマップやTOKIO、V6、嵐、みんな中年になっても少年アイドルみたいな歌い方しかしてなかったじゃん
あれが男性アイドル業のデファクトスタンダードになっちゃった感ある