はてなキーワード: 博物館とは
カルト的な社会形成作用だし封建的な支配関係だね、文化資本って。
しかし、それが個人としてではなく、信用・関係性・家柄・身分にまで発展しうるのが厄介なんだろうけど
なぜわざわざ「資本」って言葉が使われてるかといえば文化教養のような形のない物も貨幣や財のような富と同じく
社会的地位や経済的利益を生む元手となることに注目してるからで「社会的地位や経済的利益の再生産に寄与する」ことが一番重要なポイントなんだよ
美術館や博物館なんて「庶民にも文化の片鱗に触れさせてやろう」って施設でとてもじゃないが資本なんて言えるもんじゃないんだよな
阪神の岡田監督が「親が有力なタニマチだったから子供のころから阪神の選手が家に来て野球教えてくれた」とかそういうのが文化資本だよね
「フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱された社会学における学術用語の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産」
とのこと
東京には個々人が様々な文化資本=教養や体験を積める場所が多くある。以下例を挙げると
A. 一流大学で行われる授業や研究、一流の文化人が講師を務める講座、芸能人が集まるテレビスタジオ、クラブ、
日本のリーディングカンパニーの経営者が集まる会合、大型書店の専門書・洋書コーナー、
B. 野球・サッカー・コンサート等が頻繁に開かれる球場、美術館・博物館、かつては若者文化の発信地だった渋谷原宿、オタクが集まる秋葉原、金と欲望と暴力の歌舞伎町・六本木
デートも観光も釣りも野宿もできるお台場、マルチ商法の詐欺師がカモを連れ込む新宿の喫茶店、外国人と話ができるカフェやバー、瀟洒な議員会館の威容
また、一流大学や一流タレントだけでなく、準一流大学やアイドルの卵など、場は階層も深い
資格や教養が無いと参加できない場もある(主に上記Aで挙げた場所)し、誰でも参加できる庶民の場所もたくさんある(上記Bで例に挙げた場所)
イギリスとノルウェーのすべてをレビューすることはできませんが、ロンドン(Lūndonjon / Lūndyn / Lunden)をレビューすることができます。
西暦873年にそこに立っていたであろうものの多くは欠けています。ユービーアイソフトの歴史家は、ウィキペディアからこの地図を参考にしたようだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_Londinium_400_AD-en.svg
しかし、その地図には、当時のロンドンの少量の建物が含まれています。このレベルの歴史研究では、ウィキペディアのような一般的な知識サイトは不十分です。
一般:
または、フォーラムの南にあるCandelwic Strætのロンドンストーン(Millarium / Praetoriumゲート)から放射する道路のパターン:
Trajectus Way:Douegæt(川までダウンゲート)からLondon Stone(Candelwic StrætのPraetoriumゲート)まで
Wæcelinga Stræt(Praetorian Way):南東からニューゲートまで
Earninga Straete (Ermyn/Ermine street a.k.a.オールドノースロード)は、Wæcelinga Stræt southwarkに同行し、南西からDouegætに入り、Cripplegateまで北上しました
ヴィシナルウェイ(フェンチャーチ通り)TrajectusからAeldgate(旧門)を通ります
フォーラムの東:
フォーラムの西:
クリップルゲート:
ルンデンウィッチ:
ゲームには一般的な「Lundenwic Abbey」が1つあります。9世紀には、ルンデンウィッチには5つまたはおそらく7つの修道院があっただろう。
他のいくつかの観察:
私は上京組だ。地元は市内にライブハウスが2軒あるくらいの地方都市。
高校までを地元で、大学を別の地方都市で過ごし、就職で上京してきた。
私は予定がないとひたすらゴロゴロしてしまうタチなので普段はなるべく予定を詰め込んでいるのだが、その日は何もなかったので昼まで寝てご飯を食べてそのままダラダラしていたのだ。
ふと「ライブに行きたい」と思い立ち、ライブハウスのサイトを回ってみた。
東京には星の数ほどのライブハウスがあり、週末にはほぼ全てのライブハウスで何らかのライブが行われている。
何軒かのサイトを巡ると、ちょうどその日に私の好きなバンドのライブがあることを知った。
私はその場でライブの予約をし、電車に乗ってライブハウスに向かった。
ライブハウスに向かう道中、私は心から「ああ、これが東京か」と感じた。
ふと思い立った1時間後には好きなバンドのライブが見られる。常にどこかで数え切れないほどの人たちがライブをしている。
私の知っている地方都市ではそんなことはない。
ハコはせいぜい1~2軒、そこそこ名の知れたバンドでも回ってくるのは年に1回あればいいほう。それを何ヶ月も前から予約し行くものなのだ。
その気になれば毎週でも自分の好きな様々なバンドを見ることができる。というか、見ていた。
と言っても専門的な知識なんて何もなく、ターンテーブルの再生と切り替えとちょっとした調整くらいしか知らない。
知識をつけて本気でやる気もないし、集客を頑張るつもりもない。
音楽繋がりで会った友だち数人と企画して、身内を30人くらい集めて遊ぶ。そんな感じだ。
「ちょっと声をかければ数十人の趣味仲間が集まり、場を共有して楽しむことができる」
そこで一緒に遊んでいた友だちはイベント企画にハマり、ちょっとしたインディーズバンドを呼んで外部集客含め100人くらいのイベントをやるようになった。
こんなことができるんだな、と思った。
わからないなりに「綺麗だな」とか「すごいな」と思うことはある。
それよりは博物館や科学技術館みたいなところのほうが楽しいな。
どうやら私は物事の仕組みや分類みたいなもののほうが好きらしい。
あ、でも文化庁メディア芸術祭はとても楽しかった。終わっちゃったのが寂しいな。似たようなイベントってどこかでやっていたりするんだろうか。
そういう「自分は何が好きか」というのも、行ってみなければわからないみたいなところがあるよね。
なので、行ける機会がある人は知らないものにもどんどん触れてみるといいと思う。
正しくは「東京に住むことによって得られる文化資本がある」だよね
とはいえ「美術館がある!博物館がある!」っていったってそこに頻繁に行くような層は東京でもそこまで多くはないし
学生時代に本屋だの映画館だのレコード屋だの古着屋だのに寄り道ができたのが文化資本だったって言うサブカルっ子もクラスのごく一部で
たいがいは学校と家の往復、せいぜい帰りにファミレス寄るぐらいの生活だから地方でイオンにたまってヴィレヴァンで買い物してる高校生とそんな変わらない
東京以上に安全で清潔で文化資本やエンタメの集積があり、住環境も整い、交通移動手段が超高度に発達し、緑も多く、食文化も高度に発達し、経済的にも豊かな都市があるのなら知りたい
これに対して自分の考えをつらつらとまとめてみたので
興味がある人は見てほしい。
ちなみに自分は九州出身、東京在住10年目のサラリーマンだ。東京と他の都市との比較についてはフラットに見れていると思う。
この投稿で安全、清潔、エンタメ、交通手段が発達していて経済的に豊かであるという点については強く同意している。だからこうして自分も住み続けているし移住する考えも今のところ無い。
よくある『文化資本』の解釈としては美術館や博物館、立派な図書館やコンサートホールが多数ありそこで開催される催しに気軽に参加できるという点や、マイナーなジャンルの文化でも人口が多いため一定の需要があり、その需要のもとにお店が成り立つといったものである。
しかしほんとうにこれらは文化であると言えるのだろうか?自分としてはこれらは全て文化ではなくどちらかというとエンタメであり、消費される事を前提とした工業製品のようなものだと認識した。
これらを文化として捉えて口に出す人々はほぼ例外なく消費するお客様の立場としてこれらを文化として捉えており、自分たちの手で作るといった皆無に等しいからだ。美術館の展示においても商業的な最高の見込みのある展示物をよそから借りてくるor他所で作られた東京で保管しているものを展示しているだけなのだ。
そういった商業性第一主義の中で商業的に優れたものをありがたがるという点で文化ではなくエンタメだと考えた。無論エンタメという視点で捉えれば東京は世界でも5本の指に入る優れた都市であると思うが、それが文化か?と言われると疑問が残ってしまう。
食文化についても同様にミシュランの星獲得店数が世界一や高級店の数、価格帯を持って優れているとする人が多いがそうは思わない。それも同様に商業的に正しいとお墨付きがついたものをありがたがって消費しているにすぎないからだ。
「東京は世界一」類の話をされると「とりあえず関西に負けてないか?」と思うことが多い。シンガポールやNYの前にまず大阪や神戸を見ましょう。ここに挙がっているもの大半で東京は日本一でさえない。
(今回は文化面について掘り下げているので他の項目については触れないので悪しからず)
食に限らず日本文化の本拠地はやはり関西にあると考えるし、文化という観点で捉えると関西が優れていると思うり日本の歴史上首都は千年以上前から関西にありそこを中心に今の日本につながる文化が作り出されてきたからだ。中心が江戸に移った後も上方文化として文化をひと足先に作ってきたのも関西だ。
東京の人はよく、関西は文化(特に食について)が乏しいとか言うが、そういう人は串カツたこ焼きお好み焼きぐらいにしか理解ができないのだろう。和食、日本料理の原点はやはり京都や大阪にあり、日本酒なども発祥はそっちの方にある。そらが理解ができない時点で勝ち目がないのだ。
この話をわかりやすく置き換えると東京=アメリカ、関西含む西日本=ヨーロッパの関係に似ていると思う。
アメリカは近現代以降に建国してそれ以降急速な発展を遂げて世界一の国になった。世界一の国には優れたエンタメが無数にあり、商業的に成功している。
しかしそもそもアメリカはヨーロッパから逃げ出した移民の移住先であり、地名ですらヨーロッパ各地の地名が由来になっている。ニューヨークですらそうだ。
アメリカはイギリスやフランスやイタリアよりもエンタメという視点で捉えると優れているが、文化という視点では到底太刀打ちできないことに異論はないと思う。
それは上記の3カ国だけでなく他の無数の国々も同様に。
日本や中国も文化という視点ではアメリカを圧倒的に凌駕するだろう。
東京と関西の関係も上記の言い換えでだいたいの説明がつくだろう。
長くなったが東京という街全体の全てがエンターテイメントであり、それが世界でも五本の指に入る優れた街である事を誇りに思ってほしい。
だが、エンタメと文化は違うものであること、日本国内でも東京が1番になれない分野があることも理解してほしいと思ったのでこのような記事を書いてみたが意見を聞きたい。
職場にいる東京生まれ東京育ちの上流階級ぶってる世田谷オバさんが一々東京が何にしても1番である事を常々言ってくるのが鬱陶しく鬱憤が溜まっていたところこの論争に行き着いたという背景もある。
〈追記〉
思いの外反響がたくさんあってびっくり。
また、現代の東京の文化というものも否定していません。それらはエンタメに当たると指摘しており、エンタメは日本一どころか世界一ですらあると思っています。
ではなぜ文化とエンタメを分けたかというと元の引用があえて分けて記載をしており、実際に自分も地続きではありますが別物だと考えています。
エンタメが積み重なって長い時間をかけて定着することで文化になると考えています。
古い例で言えば源氏物語はただの異常性癖恋愛小説ですし、枕草子はおばちゃんの愚痴を綴ったTwitterみたいなもんだと思います。
ただ、どなたかのコメントにあったように現代はエンタメの消費スピードが早く盛り上がっては消えての繰り返しで定着がなされていないことから文化に昇華する前に次の流行の爆発が起きて焼畑農業みたいな事を繰り返しているのでエンタメ→文化への流れが途絶えつつあると思っています。
そういうことからエンタメ面では首都圏を含めた東京が圧倒的に上ですが、それが文化かというと違う気がします。
あと、Twitter民がミシュランの店数や美術館などの箱物が多く展示が充実していることを文化資本の例としてあげるのをよく見かけるのでそうでは無いだろ?と言いたいところから始まっています、
そういうの大体博物館や記念館になるよね
エキヒュームS一つでピンチになるなんてことある?と思って調べたら
https://www.tobunken.go.jp/ccr/pub/antibiochart.pdf
殺菌用としてはエキヒュームS以外にアルプというものがあるみたい
https://www.tobunken.go.jp/japanese/ipm-list/com/com-j/files/downloads/com-j.pdf
カビが生えたら対処する従来の方法から、普段から管理するIPMへの移行の必要性があるみたい
https://www.bunchuken.or.jp/management/1325.html/
カビの発生を抑えるためには湿度を60%RH以下に保つことが重要だ。文化財IPMコーディネータの講習でも取り上げられる有害生物対策の基礎知識の一つである。
しかし、室内の湿度を60%RH以下になるよう管理しているにもかかわらずカビが発生したという話を聞くことがままある。そうした時に疑うべき原因の一つが「結露」である。
これ。ここで高断熱高気密住宅建てた人なら勉強した「常識」が出てくる
建物自体が直射日光にさらされる場所にあり、かつ、断熱が充分でない場合、外気の温度変化が建物内部の温湿度にも大きな影響を及ぼすことがある。建物内外の温湿度データを比較した時、屋外の温湿度変化に引っ張られる形で屋内の温湿度にも大きな変化が生じるようであれば対策を講じた方がよい。
断熱の話が出てくる
簡易な断熱補強の例としては、建物に日よけを付けたり、スノコなどを用いて遮光したりする方法が考えられる。完全でなくとも、直射日光を遮断することの意義は大きい。
結局、建物自体がしょぼすぎるからなんとか頑張りましょう的な対策が書かれている
二重窓にも言及してるしね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/culture/dentou/20240522-OYT1T50073/
よく男性と女性の性差で議論になるとき「性差よりも個人差の方が大きい」という優れた意見に出会うことがある.同感である.
確かに性差はあるだろうが,個人差の方が大きいのは事実だろう.
東京 vs 地方の話題も同じだと感じる.どちらも都合よく,文化や環境の議論をしているように思う.
そこで,地方の子育て事情(3σ外れた異常値と認識している)として,自分が行った子育ての例を紹介したい.
異常値であると記載した通り,地方の子育てがこれが平均だというつもりは毛頭ない.むしろ,地方においても親が異常者であればこういう子育てが可能であるという例である.
先にバックグラウンド.私は東大卒で,妻も東京の国立大学卒である.二人とも博士号を有している.
仕事の都合で,地方都市(三代都市圏近郊ではない,まさしく地方都市.人口数十万人)で15年間子育てをすることになった.
私は仕事で住んだ地方都市よりもさらに人口の少ない地方都市出身者であり,18歳までその地元で暮らしていた.
まず,毎週末のように,県内及び隣県にある文化施設や大きな公園などに高速を使って出掛けていた.
子供たちが異常に好奇心が旺盛であったため,科学館や天文台,美術館,博物館なんでもOKだったし,
公園には必ず図鑑を持って出かけ,気になる花や虫は図鑑でチェックしながらなるほど〜と家族みんなで確認した.
連休は近隣県でジオパークに出かけたり,温泉旅館に泊まったりした.行く前に図鑑や本で地域の情報や歴史を調べ,
車の中でみんなで披露するというのがお出かけのパターンであった.
中学校くらいからは歴史に出てくる場所や有名建築家が設計した建築物回りなど,社会科学寄りのお出かけも増やしていた.
半年に1度程度の頻度で東京や大阪には出かけ,そこでしか体験できないこと(科博,未来館,キッザニア,鉄博,USJなど.なぜかディズニーには一切興味を示さなかった)
にも出かけた.特に未就学時は鉄道大好き人間だったので,JRの全ての鉄博,地下鉄博物館,京王レールランドなどにも行った記憶がある.
体験格差などという言葉があるが,少なくとも我が家はお出かけという観点において,首都圏での子育てと比べて,劣っているとはあまり思っていない.
それは元々自分も妻もお出かけ大好き人間であり,軽々しく遠出をする人間だったためと考えられる.
上の子,下の子ともにゲームは2-3歳から解禁していたが,1日30分というルールで行っていた.最初は駄々を捏ねていたが,
1週間もすればルールに順応する.小学生からは1日1時間.お休みの日や特別な日(テストが終わった日など)は長時間を許すという柔軟な運用をした.
私自身ゲームが大好きであり,子供の頃も馬鹿みたいにやっていたので,ゲームをすれば頭が悪くなるなんてことは一切考えたことない.
一方で,ゲームは面白すぎるのでやめ時が難しいことが問題で(これはマンガであれ,Youtubeであれ,小説であれ,映画鑑賞であれ他の全ての趣味にも共通する)
そこさえ親がきちんと見守れば,子供がやりたいこと,見たいものは与えて良いと思う.際限ないことが問題なので.
習い事や勉強について.未就学期の習い事は上の子は水泳,ピアノ,造形教室,ダンス教室,下の子は水泳,造形教室だった.
通っていたお絵かき教室が県内で相当有名なところであり,コンクールの賞ゲッターを量産するところだったので,
我が家もそれなりにエフォートを割き,小学生と中学生の際にはいくつかの賞を受賞し,地元の新聞に載った.
公文は個人的に否定派だったので,未就学時は自宅でこぐま会をやっていた.もちろん小学校受験などするつもりはないので,あくまで頭のパズルと基礎力をつけるという程度.
自宅で先取り学習は絶対にしないようにした(ここでいう先取り学習とは学年よりも先の内容をやること)
小学校(公立)では,全く勉強に困ることはなかった.これは首都圏のようなレベルの高い競争がないため,当然と思われる.
そのため,自宅では,首都圏の中学受験用の教材を4年生くらいから利用した.また,その地元の進学塾にも通っていた.
大学時代の友人(首都圏在住)を通して,勉強法を聞いたり,首都圏と地方での勉強の違いなどを埋めようと親が努力した.
(が,友人とも話したが結局は個人差の方が大きいというオチだった)
中学受験期には,本人も同意の上で,通えないこと前提で首都圏の学校をいくつか受けた.本人にとっては力試しという意味が大きく,通えないことは理解していたし,前向きだった.
上の子は開成に受かり,下の子も渋幕に受かった.上の子は中学は地元の公立中学に進学した.下の子は後述.
上の子が開成に受かった時は親としても非常に悩ましく,妻と子供たちだけ首都圏で暮らすことも考えた.
が,家族みんなで暮らす方が楽しいだろうということで,これはあくまで力試しが目的だったはず,本来の目的に戻ろうということになった.
ただし合格は本人の自信になったようだ.
それから数年後に私の転職があり,首都圏で暮らすことになった.
上の子は高校受験で開成に,下の子はちょうど引越しタイミングと受験タイミングが重なり,渋幕に無事合格した.
子供達二人とも首都圏に引越してから,学校でついていけないこともなかったし,特段の文化的な劣等感も感じることはなかったと話していた.
この後,我が子が殺人鬼になったり,オレオレ詐欺の主犯として捕まる可能性もあるので,手放しで自分たちの子育てが成功例であるとは言わないが,
少なくとも人口数十万レベルの地方都市においても,首都圏と同レベルの子育てはできるという実例になると思う.
もちろん親は二人ともめちゃくちゃ努力したと思う.そりゃ週末はイオンに行って1日過ごせば親もフードコートやゲームセンターで休めて楽だけど,
妻がお弁当を作り,大きな公園で遊ぶ,子供達が疲れてきたら近くのイオンに行き,買い物をして帰るという生活は体力的にも根性的にも辛い.
ただ,あの時の自分たちは私の仕事の都合で地方都市で暮らしていたこともあり,親の都合で子供達の住む場所が決まってしまっていることへの罪悪感からか,
過剰に,それこそ首都圏での子育て以上に様々な体験をさせてやるんだという気概があったように思う
その意味では,首都圏がどんなに文化や環境に恵まれていたとしても,1日中switchを与えて親が子供を放置していた家庭よりは地方の我が家の方が多くの体験をしていただろうし,
かといって周りを見渡した時に,周りのご家庭が我が家のようにある意味で狂気的な子育てをしていたかというとそんなことはないと思う
よって「地域差よりも家庭差の方が大きい」という面もあることを伝えたい.
「東大卒博士号の経歴をドブに捨てて田舎の専業主婦で終わった奥さん可哀想という感想しかない 」
というトラバ,まず妻は東大卒じゃないし,専業主婦とも書いてないんだが,エスパーか?
妻は専門職なので,地方都市でも東京でも育休中以外ずっと働いてたんだが…というのが1点目.
次に,仮に東大卒博士号持ちが専業主婦をすることの何がおかしいのか,可哀想なのかがわからないというのが2点目.
もしかして博士号のような生産性の高い人物が子育てという非生産的な行動を行うのが勿体無いと言いたいのか?
世の中で博士号持ちの女性,たくさん子育てしてるよ.日本だけじゃなくて海外でも.
それに,君,働いたことある?会社の仕事取ってくる営業や開発だけが生産的で,人事はコストセンターで生産性が低いまたはゼロと思ってる?
目の前でお金を稼ぐことだけが生産性じゃないんだよ.世帯内や社会全体で役割が分担されていて,その寄与度は複雑な関係になってるよ.
それに君が好きな生産性で言えば,うちの子供達が2000億ドルくらいのイーロンマスク並の資産を形成したら
うちの妻が仮に東大卒博士号持ちの専業主婦で20年子育てしたとしても,100億ドル/年のリターンがあるわけで,めっちゃその優秀な能力を発揮したことにならない?そんなこと求めてないけど.
3点目として,別にうちの子供がイーロンマスクにならなかったとしても,うちの妻的には人生が楽しければ良くないか?
上にも書いた通り,私はゲームが好きなんだけど,ゲームした時間って別に新自由主義的な意味で生産的な時間じゃないだろうけど,面白ければ良いのでは?
我々夫婦が「大変なこともあったけど,色々二人で頑張って面白かったな.子どもたちも育って勝手に好きなように生きてるし,なかなか我々がんばったね」って思えたら御の字で子育てでそれ以上を求めても仕方ない気がする
おそらく25年以上前に、科学技術館でRPGで遊んだ記憶がある。なぜか不気味なものとして記憶に残っているんだが、あれがなんだったのか誰か分かる人がいたらおしえてほしい。
以下、うっすら残っている記憶