はてなキーワード: 人生とは
元増田の真意はわからんが、平均以上の収入があって子を育ててる身としては、"せめて"平均的な収入の人も生活に追われず生きていける適度にはなって欲しいとは思う。子供いなかったら2人で楽に生活できたかもしれないが、子供1人でもいると生活に追われてる感じはある。もし妻が倒れて一馬力になったらと考えると正直恐ろしい。
あと地域にもよると思うが平均収入だと一人暮らしは娯楽に割く金はなかった
そんで子供はどんな親でも教育へのアクセスが閉ざされない方がいいと思う。
でももし高等な教育を受けれなかったとしても平均的(高卒)な収入でもただ生きてるだけじゃなくてそれなりに楽しい人生送れるようになってくれれば、親としても教育に必死にお金を注ぎ込まなくても子供が幸せに生きれる確率が上がるのなら安心する
親には子供が自分で自分の人生を生きれるように土台を作ってあげる必要がある
子供が生活に終われず社会で幸せに生きていけるような教育をしてあげられのか、若しくは平均的な収入だったり多少の障がいがあっても生活に追われず幸せに生きれる社会であるのかが大事
そう思えない社会では一時的にお金を出したくらいじゃ誰も産まない
子育てするお金が無いというのは出産費用がないとかではなく、子供が幸せに生きていけるだけの教育を施してあげられないという事
一作目からいきなりバズりまくるとか商業デビューとかは流石に狙ってないやろ?
ぶっちゃけ一作目なんて完全に黒歴史になってゴミ箱シュートが関の山なのは分かりきってると思う。
それでもなんとなーく筆が乗らなくて動き出せない奴多いんとちゃう?
そういう人にオススメなのが「自分のことを書いてしまうこと」。
日記をちょっとばかし小説風にしてもいいし、半生をストーリーっぽく描いて見せてもいいよ。
自分を題材にすれば取材はほとんどいらなくなるからすぐ始められるし、人生からいくらでもネタを取ってこれるから短編集っぽくやるのも長編っぽくするのも自由。
とりあえず簡単に一作目っぽいのが作れるわけよ。
一作書いて読み返してどうしてこんなにつまらないのかってのを考えるとさ、次はここを改善しようって目的意識で動けるようになる。
今まで漠然としてた「なんか書こう。とりま面白いやつ」みたいな意識から、「前回駄目だったのをひとまず改善したやつ」という具体的な目標へと変えていけるわけ。
一つ目を作るのは本当大事なんだけど、なかなか踏み出せないもんなんだよね。
祖父が85で亡くなったんだが亡くなるちょっと前には家族や見舞いに訪れた人とやたらと握手したがってさ。
自宅のベッドでまどろんだ意識の中「ああ、俺には嫁も子供も孫もいて幸せな人生だったな。もう会えなくなるのさみしいなぁ……」とか考えていたのだろうか?
> こういう発想が一番嫌なんだよな弱者男性論界隈、自他関わらず人を尊重する倫理から離れようとする。女に教育するな~とか不謹慎チキンレース的な、無論本気ではあるまい(本気出されても困るが)。
人として尊重されたことなんてほぼねぇ~~~~~~~お前の人生クソワロタと言われた経験しかないから、すべての人生はクソワロタンバリンシャンシャンくらいしか混ぜっ返し方わかんないし喋れねーんですよ。他人からずっとないがしろにされてきたら、大した能力もないのにどうやって自分を尊重するのか。そしてどうやって他人を尊重したらいいのか。辛いな。
コミュニケーションに飢えまくってるからグダグダ書くぞ。でも毒親の話はカット!いつも通りのテンプレ毒親!(最近ネトウヨってるらしい。ばーかばーか)
社会的な立場もないし、大した能力もない人間って、何話しても基本的には否定しか返ってこないよ。毒親辛い話もたいてい「育ててもらった」だの「産んでもらった」だの、まず親は正しくてお前の考えが歪んでる前提のお説教が返ってくるし、いじめ被害経験も最終的には「そんなだからいじめられる」ばっかりよ。私の中にあるもののうち、肯定的なものって「メシつくったらうまかった」とか「今やってる仕事けっこう上手く行ってる」くらいで、自分のほとんどを占めてる暗くて長くて気色悪い時代は、存在を許されてないんですよ。「30歳近くなって未だに他責」で「そうなったのは自己責任」な自分を尊重?どうやって?
他人のそんな感想とかが思い通りにならんなんてのは当然なんだけど、思い通りにならないことを楽しめるやつなんて最低限が保証されてる奴だけで、生き延びるので精一杯なんですよ。で、これ以上生き延びててもしょうがないなーっていう消極的な希死念慮ってのはずっとついて回ってて、「産んでもらったんだから」とか「育ててもらったんだから」の否定として無意味に死にたい積極的希死念慮がたまに出てきてすべての人生はクソワロタンバリンシャンシャンしちゃうんだろうなぁって。
救いなどは人類誰にも与えられてないってのはなんとなくわかるんだけど、せめて許しはくれよ。赦し?どっちでもいいか。まあこんな辛さも一理はあるって感じてほしいです。二理は感じなくていい。まず存在するんだよ、こういう人間も。人間だよ、弱者男性論界隈でもチー牛でもないよ。いるんだよ。
大丈夫。
85歳になって病院のベッドでまどろんだ意識の中「ああ、俺には恋人が出来ない結婚も出来ない童貞であるだけの人生だったな……」と後悔して死ぬより
「ああ、俺は恋人が出来ず結婚も出来ず童貞であるだけの人生だったけど、Youtubeを楽しく見たりSNSで楽しくリプつけあったり推しのライブ行って何とも言えない充満したエネルギーに充てられたり、唐突に一人で焼肉食いに行くなどそこそこの幸せ・そこそこの楽しい感覚を積んできたなあ」って振り返りながら死ぬ方が良いですよね
大丈夫。
あなたは童貞を卒業することは出来ません。結婚することも出来ません。恋人が出来ることもありません。もう良いトシなんですからいい加減受け入れて下さいよ。
85歳になって病院のベッドでまどろんだ意識の中「ああ、俺には恋人が出来ない結婚も出来ない童貞であるだけの人生だったな……」と後悔して死ぬより
「ああ、俺は恋人が出来ず結婚も出来ず童貞であるだけの人生だったけど、Youtubeを楽しく見たりSNSで楽しくリプつけあったり推しのライブ行って何とも言えない充満したエネルギーに充てられたり、唐突に一人で焼肉食いに行くなどそこそこの幸せ・そこそこの楽しい感覚を積んできたなあ」って振り返りながら死ぬ方が良いですよね?
それだけで救われるのに、彼女彼女彼女彼女彼女うるせーーーーーーーーーーー
異性との付き合いはそれだけ難易度高いのになんで最初に突撃する?
Lv.1で中ボス倒せない人生終わりとかいってるのと一緒!バカ!
境遇が似てて共感がイージーモードで、性欲が発生しない冷静に行動できるフィールドで「尊敬・信頼」をまず構築する訓練をしろよ
まず3人、お前が幸せだと嬉しいって思ってくれる(お前も思う)同性の友人を作れよ!!!!そうしたら彼女はもっっっっと簡単にできるよ…………
本当のアホ
そして結局8割がたの占い師が「その状態ならうまくいく」と太鼓判を押してたのに最悪の終わり方をした
そのおかげで占いも自称霊感ある人も宗教も全部詐欺師ってのを看破できたんでそれはそれで良かった
2割の方のうまくいかない派の占い師は本物だったのかというと、まあそれも無いなとしか言いようがない
100万とかほんとに愚か者過ぎるだろ
30kgくらいのダイエットをした。
散歩極めた。
自炊も極めた。
35年住んだ実家を売った。
中古マンション買った。
15年ニートやってたけど、そろそろ働かなきゃと就労移行支援に通った。
なんだかんだで就職決まった。最低賃金アルバイト。そこそこ有名な企業。オフィスがやたら綺麗。みんな優しい。
車買った。バイエルンのエンジン屋さんのやつ。速くはないけど軽い。めっちゃヌルヌル曲がる。
NISA買った。4ヶ月で40万上がってて怖い。
キャンプはじめた。日帰りデイキャンプ。焚き火やるの楽しい。外で食べるカップヌードル最高。
カメラ買った。今までAPS-Cしか触ってこなかったけど、思い切ってフルサイズ買った。絵の情報量の桁が違った。
ニート→障害者雇用→クローズ正社員という経歴の人間だ。30代男性。発達障害、社交不安障害、鬱、BPD(男性では珍しい)など、それなりに生きづらい人生は送ってきていると思う。
色んな人の助けがあってここまで社会復帰ができたが、今新たに問題が発生している。30代男性が持っているであろう社会経験が全く足りていない。
30代といえばビジネスマンとして中堅として活躍し始めるはずの年代だ。プライベートでは結婚し、子どもがいる人も少なくはない。何より心身ともに成熟し落ち着き始める頃だろう。自分にはそのようなイベントや経験が抜け落ちており、あるのは若くない外見だけだ。経験のなさが不気味さとして映っていないか、しばし不安になる。
今の自分は仕事ができるとか、ビジネスマナーも足りていないとかそういう段階にすらない可能性がある。年相応の社会人としてどうふるまえばいいかわかっていない。社会の文脈や背景が読めないから、相手の言葉の意図がつかめない。誰しも引っ越しや転職などで環境を変えると、今までの環境とのギャップを感じると思うのだが、そのギャップがとてつもなく大きいイメージだろうか
自分の行動で周囲をたびたび不安にさせるというか、言葉を選ばずに言うと、やばいやつだと思われている。相手に嫌な顔をされたり、避けられたり、嫌味らしき言葉を吐かれて「この言葉や行動はそこまで相手を不快にさせるものだったのか?」と気づき、一つ一つ修正している。昔から「この人やばいな」と思われることは多かったが、転職してからはその数が若いころの比ではなくなった。未熟さは社会経験のなさは、障害をオープンにしていた頃は配慮されていたし、若さで許されていた側面もあったのだと今になって気が付いた。「30代の中堅社員」という役割を期待されるにもかかわらずその役割に乗れない僕は、気持ち悪いおっさんとして映ってもおかしくない
発達特性というより、社会経験のなさから来る生きづらさなので、趣味のサークルでも飲み屋でも外に出てみるのがいいのかもしれないと考えた。しかし30代の友達とコミュ力のない独身のおっさんがいったいどこに行けばいいのだろう?飲み屋なんかに行くと陽キャばかりで浮いてしまったし、読書サークルに入ったときは発言が過激だったからか浮いてしまった。ボドゲバーやネトゲ、ネット上のコミュニティは何だかんだ10~20代の若者のノリで居辛かった。趣味でカメラを買いInstagramを始めたが続かなった。深くは語らないが、障害者の自助会でも僕は馴染めなかった。まだ試していないことは多くあるので、ガチャ回る感覚であちこち行ってみるのもいいのかもしれない
ニート時代からクローズ正社員になるまで頑張ったが、このまま変なおっさん、やばいおっさんとして孤独に老いていくのか。そう考えると少し辛くなる。
メメント・モリで人生が輝くのって、それだけじゃダメで諦めの良さとやる気が要ると思う。
有限であるならしょーもない事をしている暇はないし、やりたい事は可能な限り全部やった方がいい。
しかし有限なので何もかもは出来ない。
生存を維持するための行動を除いて、何かをしようとする度にそれが限りある人生の時間を投下する価値があるのかと考えなければならない。満足に生きるという目標を最大限効率的に実現するなら。
常に自分の確信を問い続けなければならない。その選択は他の可能性を捨ててまで選び取るべきものなのか。本当に自分の人生に満足をもたらすのか。
自分にとって大切なものを見極める誠実さと、そのために他の魅力的な可能性を捨てる諦めや思い切り。そもそも人間は一つの頭と一つの身体しか使えないのだから常に他の選択肢を捨てて何かを行っているし、人生の有限性なんか考えるまでもなくそれは大事な力だ。
むしろ変に有限性への意識とか持ってると、選択の心情的なコストを無駄に増やすだけだ。
それに、好きな事と言ったって24時間364日出来る訳ではない。
音楽が好きというなら、常に聴いているはずだ。睡眠中、食事中であっても音楽を聴くことは出来る。それをしないなら真剣に音楽を愛しているとは言えない。「本当の」音楽好き好きではない。
なんて言うのは極端過ぎる。そういう人インターネットによくいるけど。
どれだけ好きだったり憧れたりしていても、やっぱり地道な練習とか積み重ねは退屈でしんどい。
面倒臭さに屈する程度の「好き」が「本物」かどうか、なんてのは神様に聞かないと分からないけど、とにかく面倒臭いものは面倒臭い。
死の待ち受ける人生では好きを追求する時間にも限りがあるといくら頭で理解してたって、やる気がなきゃ始まらない。
有限性への焦燥感が義務感となり情熱に昇華されればいいけど、やっぱりやる気をもたらすのはもっとシンプルにこれが好きだという強い確信や実感なんじゃないかって思う。
面倒臭かったりしんどかったりするけど、それでもその先の純粋な楽しさだったり、もっと新しい可能性に辿り着きたいという好奇心が人を動かすんじゃないかと思う。
大谷翔平はめっちゃ練習してるらしいし、自分の目標も実現してる。そこに人生の有限性への意識があるかどうか、傍目には分からない。
してるかもしれないし、してないかもしれない。無意識にでもそういう感覚がちょっとはあるのかもしれないし、全然まったく、何の意識もしてないかもしれない。
限りある中での意義ある人生への義務感だとか、自己顕示欲や憧れで動いてるのかもしれない。ただただ純粋に野球が楽しくてああ生きているのかもしれない。そのどれもが混在しているのかもしれない。
ただ明確な事実として、他の魅力的な選択肢にかまけず野球一筋でストイックに練習している事だけは分かる。
まあ厳密に言えば我々が知ってる彼の生き方はテレビが切り抜いた部分だったり、他人の目を通した情報だったりでしかないけど。野球以外に色々なものを選び取っているのかも知れない。そこはいくら考えても邪推にしかならない。
満足な人生を送るのにはやる気とそれを支えるバイタリティ、思い切りの良さは確実に重要な要素だろうし、それさえあれば死なんか想う必要ないんじゃないかって思う。
結局メメント・モリなんて意識はあってもなくてもいい。ダラダラ生きてる人間への喝入れにはなっても、そこから誠実に生きるための道具にまではなってくれない。それどころか、下手すれば心を擦り減らすばっかりのレトリックなんじゃないかって思う。
全部欲しい、と何か一つだけでも心からの満足が欲しい、の間で揺れ動くのは辛い。
地方国立大学医学部医学科を卒業し、研修医を経て基礎の道に進んだ。
熱心だったのは博士取得後数年間のみでその後は学内と学会内で政治家として生きてきた。
教授の顔色を見ながらテーマや手法をコロコロと変える私に対して、彼は頑固だった。
だから彼は去った。
彼はあの頃から一切ぶれていない。
アラサーを迎えて振り返ってみると、リアルはもちろんネットの世界でも友達と呼べる人が皆無な事に気が付く。
仕事の人間関係はあるが、ここには自己を開示できるような関係は無い。
それは自分自身、仕事は自己とビジネスを切り離してきたのもあるし、同僚もそのように考えている人がほとんどなので、押し売りのような事を避けたいからというのもある。
孤独には耐性がある方だとは思っていて、死ぬまで一人でも耐えられるかなとは思っていた。
しかし、それはそれとしてせっかく生きるなら楽しめた方が良いとは思う。
友達がいれば自分の好きなものを共有できるし、自分の知らない世界を見せてくれることもあるだろうし、それはきっと幸せなことなんだろうと思う。
白状すると、わいわいVC繋いでオンラインゲーム楽しんだり、そういうものに憧れがある。それを体験せずに死ぬのもなんだか損な気がしてくる。
こういう問題意識というか、あるいは下心によって、年齢や環境的に既に手遅れかもしれないが友達を作ろうと考えてみる。すると、思考を深めるほどに私には友達の作り方がわからないことが分かる。
結局のところすべての人間関係はギブアンドテイクで成り立つものなんだと思う。
人が友達を作るのは、自分の話したい事柄について1話すと10返ってくるような、そんな知識量があったり、あるいは私もそういうのを期待している通り知らない世界に連れ出してくれるのも嬉しいだろう。
または、ルックスに優れていて関わっているだけで楽しくなったり、趣味に合う創作物があったり……つまり、与えられるものがあるから友人になりたいと思うし、思われるのだろうと。
逆にこれを満たせない人間とは関わりたくないものだろうと。そんなものだと思う。
では自身を顧みるとどうか?私にはいくつか趣味や好きなものがあるが、ミーハー気質で幅は多分あるものの底は浅め。
ただ、それ以上に私の好むコンテンツというのがどれもメジャーではないような、人を選んでしまうようなサブカルばかりなので、多くの人と共有できる話題をほとんど持たない。
何かしら創作を通じて自己表現ができればと苦悩はするものの、将来への不安から金につながる短期的なことばかり、例えば仕事関連の事に時間を割いてしまい、人に見せられるようなものはさらさらできずじまい。
本当は金の事に苦心する生き方なんて反吐が出るほどしたくないのに。人と会話するための話題が不足してしまうのも、こういうのが原因なんだろう。
更に内向的な性格なのでそもそも人と関わること自体が苦手。それはそれとして寂しさは感じるからめんどくさい人間だと思う。
少し愚痴っぽくなってしまったが、こんな人間なので人に提供できるものなんて無いんだろうと思う。
要するに現代においては私よりもよっぽど時間を割くべき価値ある人々で溢れている。SNSを通じてそういう人々とつながることができる。ゲームだって下手くそよりは上手い人としたいだろう。
なんだったら大抵の場合ChatAIとでも話してたほうがずっと楽しいし有意義なんだろうと思う。
実際私自身も仕事の悩みやスキルアップのメンターのお願い、あるいはこういう人生の悩みの相談をChatGPTにしてもらうことが多々ある。きっとAIがなければ人に投げかけたはずの話題を機械で解消してしまう。
だから、人に声をかけるところまで至れない。友達を作るための最初の一歩を踏み出すことが出来ない。
出来ないと分かりきっていることに時間を割くほど私も暇ではないし、恐らくスパム扱いされるようなリプライを他人に投げかけて時間を無駄にさせてしまうことも申し訳なくなる。
とはいえ、結局自分自身の悩みの原因は自分自身のギブアンドテイクではない人間関係を想定できない狭い世界観とそれに裏打ちされた行動によって縛られているからなんだろうとは思う。
では、世界のすべての人は世界一の人だったり優れた人間とのみ繋がっていれば良いではないか、ということになるものの、実際にはそうはならない。
世の中には明らかに問題のあるような人ですら多くの友人に恵まれているというのを多々見るので、このような砂漠のような人間観に対する反証はいくらでも思い浮かぶ。
きっと世界は自分が思ってるほど厳しさに満ちたものではなく、恐らくもう少し優しさを内包しているんじゃないかなと。
今は「友達が欲しい」という、まだ自分の中では深刻でない悩みとして表出しているものの、他人を頼れないから嫌でもお金を優先して生きなきゃいけないと思いこんでいたり、そういう更に切実な問題に繋がっている気がしないでもない。
閑話休題、だからこそ、私にはわからない、ギブアンドテイクではない友達というのはどうしたら作れるのか?きっと存在するはずのその疑問の答えを見つけたい。
そんなものが本当に成立し得るのか全くわからないし、こういう問題はAIにも答えられないだろう。でも、これを解決しない限りは私は他人に対して希望を見いだせないと思う。
色々詰め込みすぎてしまって長くなってしまって申し訳ないです。こんな長文をここまで読んでくださった稀有な方で、さらにもしも友達に恵まれている方、あるいは同様の問題を抱えていたものの解決できた人がいれば、この哀れで孤独な人間に少しの同情心を持っていただき、その心得を少しでも分けていただきたいです。
人生の全ての問題は面白くない事であり、それもまた更に辿っていけばやる気がない点に問題がある。
面白くないからやる気が出ないし、何か面白いことを探したり実行しようにも、そのやる気がない。そして更に面白くなくなるという悪循環に陥ってる。
この結論はもう大分前から出てるけど、メンクリ行ってもあんまりどうにもならんかった。
最近になって、取り敢えずジョギングでもしてみるかと思い立った。
といってもそれは事後的な意味付けで、シャワーを気持ちよく浴びるために乾いてしまった汗を再度かくために走ったのがきっかけだった。意識的な行動よりも案外偶然の方が強いのかもしれない。
習慣化しつつあるけど、体力ややる気が向上しているのかは分からない。はっきりと分かる変化はただジョギングが習慣化した事と、常にほんのりと脚に痛みを抱えている事だけだ。
ただ映画を観る本数は若干増えた気もする。恒常的な上下の範疇かもしれないけど。
精神の不健康は運動不足による気の迷いだなんて言う人もいるけど、つまんねーなら死んだ方がマシじゃね?という思いが頭の中から消える気配は今のところない。
数年前まではツイッターの映画好き界隈(今はあまり言わないがクラスタと言われてたやつ)にかなり出入りして毎日映画の感想や議論をしてたのだが、俺の私生活の変化で映画を見る時間が出来なくなってガクっと映画を見る時間が減り、そのまま界隈に積極的に参加することもなくなり、暇な時間に界隈のTLを眺めるだけになっていった。
その結果どうなったかというと、「俺はなんてムダな時間を使っていたんだ」と思うようになった。映画クラスタなんてもう10年くらいやれポリコレだのやれ監督の倫理観だの労働問題だの邦画はカスだの代り映えのない話題をずっと繰り返している。それかバカしかいない。
その間俺は仕事しもっと有意義な時間を過ごし、そのうえで彼らがわざわざ映画越しに学んでいるらしい社会問題や価値観アップデートをちゃんとした本を読んで学んでいる。まるで「麻雀は頭の体操になるんだよ」とのたまうジジイみたいにまるで映画を見るだけで自分が頭よくなってると思ってるバカ共をしり目に、俺は充実した生活を送っている。
映画なんて見なくても人生は充実するし教養は身につくし価値観もアップデートできる。むしろお前たちのほうが退化している。映画なんて気が向いた時だけ見ろ!一回2000円かかる意味を考えろ!!!!
幼い頃から犬と共に暮らしていた人間にはデバフが与えられている
金銭負担に加えて旅行の制限や臭い・毛などもあるが本質はそちらではない
犬を飼っていた子供が成長して一人暮らしを始めたとしよう、寂しくなると犬に手を出す
そして餌代に病院代に被服に玩具、ペットホテル、各種諸費用がお出ましだ
飼い犬が寿命を迎えそうであればペットロスを避けるため次の犬に手を出す
犬の無限ループだ
これが犬を飼っていなかった子供だとどうなるだろう
多少一人暮らしが寂しくても「犬飼ったことないし責任が取れないかも」で踏みとどまるだろう
人生左右されかねないのに、幼い頃から犬と暮らしているとそのハードルをいとも簡単に飛び越えてしまえるのだ
犬はかわいいよ