はてなキーワード: 主婦とは
暇空のやってる事(住民訴訟)ってざっくりまとめると
何故か従来のリベラル界隈には受け容れがたい発想なのが本当に不思議でしょうがないんだよね。
「ある日、ある一般市民がちょっとしたきっかけである団体の公金不正疑惑に気がつく」
「疑惑を追求しようとした所、団体だけでなく繋がりの深い政治家や政治団体、マスコミ等のバッシングに晒される」
「それに反発した市井の人間が立ち上がった者にエールと支援を送り、巨大な疑獄に立ち向かう」
仮に一般市民が平凡な主婦のH子さんだったら、かのアカデミー賞映画『新聞記者』の続編のプロットになりそうだよね。
望月ライクの主人公が平凡な主婦H子さんに寄り添って共に戦う役回りでさ。
リベラル界隈が異常に反発するのって、その役割をよりにもよって「中年のオタク男性」という
彼女ら・彼らが最も忌み嫌い差別する属性の人間に取って代わられた嫉妬もありそうなんだよね。
とは言え嫉妬は抜きにしてもやってる事はリベラリズムそのものであるにも関わらず
左翼やリベラルサイドの人間は何故か権力者側である被糾弾側に肩入れし、暇空や彼を支持する人間を異様なまでに悪魔化して
一丸となってバッシング・誹謗中傷の限りを尽くしているというのは本当に不思議なんだよね。
えっ?あなた達、弱者や一般市民の味方を標榜したり自認してるし「公金の不正利用・会計疑惑」とか叩く側だよね?
何で政治家や政党のバックを盾にやりたい放題やってる権力者側の肩を全力で持ちまくるの?って。
党派性とか抜きにしてリベラリズムを支持しなきゃいけないんじゃないの?自称リベラルの紛い物じゃないんならさ。
裁判一年やっても未だに領収書すらまともに出せないなんて、一般的に考えれば
or
・領収書を物理的に出せない(まともな会計処理をやっていない、不正の温床)
だったかの二択なんだけど、未だに「女性差別!女性に攻撃するな!」で押し通そうとしてるのも
そんなのを支持しているってのもある意味凄いよ。一般市民の感覚と完全にかけ離れてる。
一体リベラルはどこの上級国民様なんでしょうね?それで「一般市民の代弁者」を自認しちゃあかんでしょ…
仮に杉田水脈や三浦瑠麗が自身の言動や活動、息のかかった団体の公金不正利用疑惑に対し
「批判するのは女性差別!女性達を攻撃するのを止めろ!」って言ったら、一体どうするんだろうね?
絶対に無視するか「言い訳するな!」って更に燃やす人の方が大半でしょ?リベラル界隈は。
杉田水脈や三浦瑠麗が「(私を攻撃するのは)女性差別!」と言った時、
石を絶対に投げないと誓える者だけが、暇空を批判する権利があると個人的には思うよ。
まあ俺は石を投げる側だし暇空も同時に批判するけどね。それがリベラルでありリベラリズムだから。
たまたま自民党系の息がかかった団体じゃなかった、というだけで、リベラリズムを自ら否定して
権力者側についちゃうのは、ハッキリ言ってリベラルじゃないと思うよ。マジでね。
暇空のやってる事に批判があるのも分かるんだよ。
彼は確実に敵を作りまくる側の人間だし過激な発言も多い。批判されるのはよく分かる。
で攻撃する人間が未だに少なくないのはさすがに酷いって思うけどさ。
問題が始まって一年以上も経つのに未だに暇空への解像度が低いってのもどうかと思うよ。
神原先生らがやっている「暇空は温泉むすめを批判した事の恨みで女性支援団体を攻撃してる!」って主張。
俺はてっきり、悪性立証という裁判戦術の一つでやっていると勝手に考えてたよ。
やましい事が無いのなら悪性立証なんて事をせずに堂々と戦えとは内心思ってたけどさ。
でも最近、ひょっとして本気で「オタクの中年が温泉むすめという萌え作品を批判した恨みで攻撃している!」
と考えているのでは?と思うようになってきたよ。
だとしたら未だに解像度も低いし攻撃も頓珍漢で、ギャラリーである我々から疑問符が浮かびまくる様な
戦術で攻撃しているのも納得するよ。いくら何でもレベルが低すぎるーよ。一年以上も何をやってきたのさって。
いくら何でも戦い方も向き合い方も下手っぴ過ぎる。
そりゃ暇空なんかを支持する人間が未だにいるってのも分かるよ。カンパも一億円突破するわなって。
「カンパで儲けてる!」に代表されるデマ連呼(ナザレンコさんに共同通信のデスクがやっていた様なヤツね)
ちょっと党派性が強いメディアによるメディアスクラムから増田への怪文章投下とかいう草の根ネット活動までやっててさ、
これがどう中立層の第三者にどう判断されるのか、マジで分かっていないか、これで影響される様なコア層にターゲット絞ってる確信犯かのどちらか。
もう「こんなのを支持する方がちょっとヤバいかも…」ってなって、元々の支持者側(自分含め)からもドン引きされてるのが現状だよ。
一時期の仁藤さんと一緒でさ、過激な言動で先鋭化してくとマイルドな層って普通に脱落していくのよ。
ただでさえ高齢化で層が薄くなりつつある支持層を更に先鋭化で削っていくやり方に固執するのか、俺には全く分からないよ。
暇空ってさ、あくまでも合法の範囲、正当な手法(裁判)というやり方で決着をつけようとするタイプじゃん?
良くも悪くもルールを厳守しルールの範囲内で暴れまくるタイプに思えるんだよね。
またそれは彼が自認・自称するアスペルガー症候群(発達障害)の特徴でもある。
生きづらい発達障害の人間を集団で攻撃するのって凄い差別的なヘイトだと思うんだけど、ヘイトが嫌いな人達は当然反対だよね?
サッカーで例えるなら、暇空はラフプレー上等でルールのギリギリを突きまくるしカード上等のプレイもするけど
あくまでもサッカーというゲームの中で戦うタイプのプレイヤーなんだよ。
しかし一方で相対する側は、サッカーのフィールドで釘バットとか青龍刀を振りかざしながら
「ピッチャービビってる~ヘイヘイヘイwww」と煽りまくってる輩というね。
で、観客であるお左翼やリベラルの人達がフィールドに向かってゴミや汚物を投げ込んだり
「ヒトラーの子孫は死んで下さい」という垂れ幕を堂々と掲げている様な状況だったりするじゃん?
今日日フーリガンですらそんなマナー悪い事しねーでしょって思うんだけど、清廉潔白とか社会的正しさを標榜している人達が
何故かそういう蛮行をしているか、堂々と支持しているってのが本当に不思議でしょうがない。
君たちのリベラリズムは「自己矛盾」という言葉を捨ててしまったのだろうか?
例えばColaboのバックは共産党系の勢力で、フローレンスのバックは公明党系の勢力だったりする。
本来彼らは対立する勢力なんだけど、対暇空に関しては一致団結しマスコミや政治家の力も使って
ありとあらゆる盤外戦術を取りながら暇空という存在自体を潰そうと協力している様にも見える。
これじゃ暇空のいう「ナニカ」とかいうダサい概念を否定出来ないよね。これが本っ当に気持ち悪い。
いい加減リベラルはリベラルをやってくれよって思うよ。これじゃリベラルを自認してた自分が馬鹿みたいじゃん。
素直に公金を雑な会計でやってる団体は公金事業に関わって欲しく無いし、無駄遣いしてるのなら返金しろって思うよ。
男女平等の観点で言えば、女性支援の異常な厚遇や一切の批判も許されないってのもどうかと思うよ。
ホームレスへの炊き出しとか手伝った事ある?95%ぐらい小汚いオッサンかジジイだよ?
生活困窮者という意味では彼らも助けなきゃおかしいでしょ、ってさすがに思うよ。
批判されにくい女性支援を盾に政治家の権力も使って好き勝手に公金使ってるのなんて、ハッキリ言って市民社会の敵だよ。
何でその対象と一緒になって、批判側を躍起になって攻撃しているのか…
Colaboから端を発した騒動は、左翼とかリベラルと呼ばれていた人達の壮大な自縄自縛の自爆に思えてならないよ。
もう暇空と一緒に左翼の星になって爆散して欲しいとすら思うよ。
いいじゃん超新星爆発みたいでさ。素敵じゃない?
将来安泰のエリートで家柄もつり合うし人柄も悪くないが、結婚するとしたら娘は仕事をやめ遠方の相手の地元について行って
主婦として支えなければならない(女中は雇う前提だろうけど)であろう花岡
いまいち頼りなくすぐ腹を壊し、高等試験(司法試験)にも結局受からず仕事は自分が世話して自分の会社で雇ってやってる状態、家柄も格下だしすでに実家はない、
でも(姓は娘側が改姓したが)事実上は婿入りで嫁実家同居のマスオ状態でいてくれて、優しく娘を理解して娘のやりたい事を自由にさせてくれる優三
寅子が選んだのは優三だが、寅子の父親は今わの際に「本当は花岡君が良かった」とぶっちゃけた。
戦前の良家の父親であればそれが妥当な考えだっただろうと思う。
でも現代だったら?
私は、弁護士資格を持っているような娘であれば現代なら家柄や男の稼ぎにこだわる必要もないし
それを捨てて主婦になるのが前提の花岡より、やりたい仕事をさせてくれて理解もある優三の方がいいよね?と思ったけども
夫は現代でも父親が娘の結婚相手として考えるなら同じ(花岡を選ぶ)だよねと言っていた。
男性はそんなもんなんだろうか。
今月の頭ぐらいの事だが増田に婚活では高齢男性は歳の差婚が確率が高いと言われてるのに、なぜ歳の差婚が叩かれるのか?という記事が上がっていた。
実は私は発達障害のある女性と結婚し、夫婦生活を送っている。
そこで、今回は、発達障害のある妻を持つ男の実情を書いてみようと思う。
私
最終学歴:試験用紙に名前を書けば合格できるレベルのFラン大卒
年齢:40
職業:工場勤務
妻
最終学歴:試験用紙に名前を書けば合格できるレベルのFラン大卒
年齢:39
職業:主婦
最初の出会いは同じ大学で。Fランク大学によくあるヤリサーに、そこがヤリサーだと知らずに入ったがヤリには参加せずにいた私と、
1年後に同じ大学に入学し、同じヤリサーに、そこがヤリサーだと知らずに入った後輩の関係。
後輩(後の妻)が入った年の新歓で、他の奴らがそれぞれ新入生達をお持ち帰りしている中、
外見は可愛いが、幼稚園児~小学生っぽい言動等が多々有り、明らかに軽度知的障害か発達障害な雰囲気が有り狼男達をドン引きさせていた後輩(後の妻)は、
狼男達からお持ち帰り対象外扱いされた事で新歓で貞操の危機に遭う事を運よく回避した。
新歓で、狼男達が酔ったふりして新入生女子の胸とか触ったりして、まともな女子なら恥じらう、怒る等の何らかの反応を見せるのだが、
後輩(後の妻)は、恥じらいも怒りもしない。完全に無反応で、性的な知識とか羞恥という感情が無い様な感じだった。
それで「こいつはお持ち帰りしても楽しく無さそうだ」と思われたらしく、お持ち帰り対象外扱いされた模様。
それで、帰り道が同じ方向だったので私が一緒に帰る事になったのだが、ヤリサーのやばさを感じて、翌日には、その後輩(後の妻)と一緒にヤリサーを退会した。
それから、大学を卒業するまで二人でよく一緒に居た。付き合ってるという感じではなかった。
「こいつは一人にしたら確実に、ヤバイ奴にエロ漫画みたいな事をされる危険性が有る」と感じて護衛の様な感じだった。
後輩(後の妻)を一人で大学に残す事に何かしら危機感を感じて、私がわざと1年留年して、後輩(後の妻)と同じ年に大学を卒業した。
その後10年ぐらい、付き合っているという感じでもなければ、付き合っているという感じでもあるレベルの清い交際を続けた。
大学の卒業式で後輩(後の妻)の両親と会っており、後輩(後の妻)の両親公認の付き合いではあった。
10年間で、恋のABC(キス・胸・それ以上)のうち、Aすらしなかった。交際中にやった一番エッチな事は「手を繋ぐ」だったと思う。
交際10年目になる頃、後輩(後の妻)の両親に「娘と結婚してくれませんか」とお願いされた。
現在は、結婚してから5年と少しが過ぎている。
軽度知的障害か発達障害がある妻なので、家事を任せると、アイロンをさせたら消防車を呼ぶレベルにはならなかったが火事が起きたり、
料理をさせたら消防車を呼ぶレベルにはならなかったが、鍋から火が出たりする事が有り、
「家に居るだけでいいから、何もするな」と言い聞かせる様になった。
体だけはSEXできる体の、知能は幼稚園児~小学校低学年、と結婚している様なものだ。
結婚するまで妻は処女だった。
性的な知識や羞恥という感情が結婚当初も無く、初めて抱いた時も、喘ぎ声一つ出さなかった
ガチでマグロを抱いてる感じ。
未だに、マグロである事に変わりはない。
正直、もっとまともな女性と結婚したかったという思いも無くはないが、俺の学歴や収入ではこういう相手じゃなきゃ結婚できなかったと思う。
これからも、夜はマグロで、知能は幼稚園児~小学校低学年な妻と暮らしていくのだろうと思っている。
何故こういう話を書いたかと言うと、少し前・・・4カ月ほど前、妻の妊娠が発覚したからだ。
底辺男性な俺と、軽度知的障害か発達障害な妻で、これから育児をすることになるのかと色々と思う所が有る。
その上で、言っては悪いが婚活では高齢男性は歳の差婚が確率が高いと言われてるのに、なぜ歳の差婚が叩かれるのか?で書かれている
そこで40以上のおっさんの婚活の戦略として一番成功率が高いって言われてるのは
20代とかのずっと歳の差婚。
ただしただの歳の差婚ってわけじゃなくて、軽度知的障害や発達障害、高卒と言ったハンディキャップのある女性や低年収の貧困層を狙うニッチ戦略をとることなんだわ
というのは極めて正論だと私は思う。
これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーション・キャンペーン。
[B! 上川陽子] 【内部文書入手】上川陽子「うまずして」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」差し替え経緯も判明
共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に
「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったこと。いかにも日本的な乗せられ方だ。
これは欧米でミスインフォメーション・キャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。
ミスインフォメーション・キャンペーンとは、世論や有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させる可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディア、マスメディア、口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュースを作成したり共有したり、事実を操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。
その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたりすることだが、ひいては選挙制度に対する国民の信頼を低下を招くため、このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に影響を及ぼす可能性がある。
これがいかにヤバいことかのメディア自身の自覚のなさが、世界報道自由度ランキング70位という結果にも反映しているんだよ。
今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。
それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。
上川氏が女性の役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか。
しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道が「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。
ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。
今回のメディアの場合、不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的な正義に訴えたわけだ。
上川氏の潜在的な差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。
出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。
子育て環境の制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からのプレッシャーとして理解するひともいるだろう。
女性の出産の役割に自己実現の価値を見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。
つまり、上川叩きの味方を増やす効果があって、上川氏からすれば、保守からも批判されうるし、フェミからも批判されうるという状況に置かれてしまったことになる。
今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定のターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。
「出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆の感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。
問題は、これが選挙に影響を与えかねない、ということを報道機関が自覚しているかどうか。
それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信のスタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。
とはいえ、共同通信だけでなく各社報道機関は、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についてはやっぱり少しは考えてもらいたい。
「出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別な配慮を必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。
これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味の偏見が強化されるってことでもある。
社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者の感情や意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分の発言を自己検閲し、無意識のうちに自らの意見を抑制するようになる。
「兵隊さんご苦労さん」みたいな、何気ない表現が大衆を戦争に巻き込むプロパガンダとして一番効果があるのと似た話で、こんな配慮や遠慮、忖度の積み重ねで、誰かが傷つくのを恐れて何もいえない社会にどんどんなってしまう。
これに対して、いやいやむしろ、偏見解消は積極的にキャンペーンをやるべきだ、女性に対する偏見が解消されて、社会全体としてハラスメントが減るならそれは結構な話じゃないか、といわれるかもしれない。
しかし、実際のところ、偏見というのは、配慮すればなくなるというものでもない。
強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、悟りを開けば自分の偏見を解消できるわけでもないし、
言論警察よろしく配慮に欠ける発言をバッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。
近代の黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、
なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。
それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。
さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。
ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点に限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。
もちろん、制度機会平等を理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。
偏見はなくならないけど、制度の普及・概念の進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいい。
ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい左翼の傲慢だからだ。
「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な価値観で自己実現をしたいひとだっているんだよ。
進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。
「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」(中島みゆき、世情)というわけだ。
私から言わせると、そういう進歩史観を押し付けようとするところがもっともサヨクのムカつくところなんだよ。
かつて反戦フォークの全盛期、学生運動が最高潮を迎えていた時期、中川五郎の「主婦のブルース」のなかにこんな歌詞がある。
息子は今夜も帰らない 私は心配で眠れない
だけど私は家庭が一番 真面目に生きるのには疲れたわ
おお 人生は悩みよ ちっとも楽しくない 恋なんてしない間にふけちゃった
わびしい夢に はかない楽しみ 思い通りには何もならない
安保世代では親ですら論破すべき守旧派だった。しかし、学生運動は結局、どの社会階層とも連帯できずにスピンアウトしてゆく。1968年に作られたこの歌はそれを暗示しているかのようだ。一方、中島みゆきの「世情(1978)」は、この10年後の70年代の世界がうたわれたもの。ひとつ前の安保世代の情熱が新左翼へと変遷、空回りしてゆくさまを見せつけられたシラケ世代からみると、左翼残党はあたかも守旧派とさして変わらない頑固さでイデオロギー打破を訴えている、という皮肉な構図になる。
今回の場合でも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、そうした表現のタブー視が蔓延し、出産に自己実現を見出している人まで遠慮しなければならない、という空気をつくるかもしれないし、他方で、女性の傷つきやすさを過度に強調することで、女性が弱い存在であるという潜在的な差別意識が助長されるおそれだってある、みたいな妙な副作用が現れる。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。
たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分の偏見を認めたほうがいい思うんだよね。
制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せや自己実現は否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。
男性社会にあって嫁として母として子供を育ててきた誇りある人生を否定するのがフェミではないと思うし。
そういう意味じゃ、左翼は保守主義のマインドも頭の片隅に入れておく必要があるし、保守派も制度的な公正について左翼の主張に耳を傾ける必要がある、といったところか。
再雇用された老人なんてその後働いたとして精々5年くらいだろうにその後どうすんだろ
主婦も今の若い女性は出産しても辞めないから技術力高いのに仕方なく専業主婦になって最賃で再就職するしかない人材なんてどんどん減るだろうし
最後に、ダントツに最大の職業、最も長い時間を要する職業、賃金が最低で最も退屈な職業を廃絶しなくてはならない。
賃金労働を廃止し、完全失業を達成することによって、我々は性による分業の基礎を堀り崩すのである。
核家族は、現代の賃金労働制度に課される労働分業を可能にするための、不可欠な家族形態なのである。
男が外へ稼ぎに行き、女は冷酷な世界で男に休息所を提供するため、クソしごとをさせられるのは、
好むと好まざるとにかかわらず、過去百年から二百年の間、経済的には合理的であった。
主にママから引き離して管理し、ついでに労働者として必要な服従の習慣と時間厳守を教え込むためだ。
もし男性支配をなくしたいなら、核家族をやめなければならない。
イワン・イリイチが言うように、核家族の無給の「シャドウ・ワーク」が、それを必要とする労働システムを可能にしているからである。
https://open-shelf.appspot.com/TheAbolitionOfWork/chapter1.html
女性で管理職になる奴はいても男性は専業主夫やパート主夫になりたがらない
生物学上ヒトはそうなってる
専業主夫やパート主夫に納得づくでなったとしても男はすぐに自分の同期や妻と比べてしまう
他人と比較して優劣を決めたがるのは不毛で馬鹿馬鹿しい行為なのだが男はなぜか人より上に立ちたがる生き物なのだ
昼間からスーパーで買い物をし公園で子供を遊ばせても他者からの「目」が気になってしょうがない
俺はどんな風に見られているのか、昼間から子供と遊んでいるダメ人間と思われているのではないか
そんなことばかり気になってしまう
だから専業主夫になった男はそのうち主夫の仕事をやる気がしなくなる
主婦仕事そのものが男のプライドを削り続けるものだから仕事を放棄することで己のプライドを保ち妻にマウントを取るわけだ
でも収入は妻の方が多い事実は厳然としてあるから妻に怒られるとどうしようもない