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はてなキーワード: 客観的とは

2024-06-02

anond:20240602013626

はてブというか人間関係を作るのに向いてないのかもしれません。(仕事ではそんなに気を使わずに済んでいるので)

気遣いいただきありがとうございます

精神的にすり減ったとき対処方法(いか客観的自分状態を把握するか。そこからいかに通常(?)の状態に持っていくか)を考えるいい機会なのだと考えるようにします。

2024-06-01

トイレちゃんと手洗わない奴多すぎ。

その手で吊り革を掴んで、それをまた別の人間が掴んで券売機ボタンやらテーブルやらをベタベタ触って、と考えると暗澹たる気持ちになる。

うんこの方がまだマシで、気持ち的には十分嫌なんだけど、まあ紙越しに拭き取ってる訳だから別に汚物ベタベタと手に付けている訳じゃない。

小の方がタチ悪い。これも気持ち的な問題はさておいて、ちんちんのものが汚いという訳ではないと思う。何もわざわざおしっこちょっとついてる亀頭を掴んで用を足す訳でもないし。

それでも立ちションだとおしっこが跳ね返りもするだろうし、さて置いたけどちんちん触ってるのも気持ち的に十分嫌だ。

まあその理屈で行くと、おしっこや下手すればうんこのついたトイレの床を踏んだ靴でそこら中を歩き回る訳だから、土足禁止場所以外に安全地帯存在しない事になるけど。

実際おれは地面に座れない。

これは菌がどうこうという訳じゃなく穢れの話であって、気持ち的なものだ。社会性を持った大人なので悪目立ちしてまでポリシーを貫くような事はしないし、マジで我慢すれば別に座れるんだけど、それでもかなり神経は磨り減る。地べたに座ることがあれば必ず帰って即座に服を洗う。

かなりパラノイアめいた所がある自覚はあるし、そういうの考え出すともう呼吸すら嫌になってくるから意識的忘却しようと努めてるけど。やっぱり嫌なものは嫌だ。強迫性なんちゃらだのとラベルを選んだところで悩みが解消する訳でもない。

客観的にズレてはいるんだろうけど、おれが間違ってるとは全く思わない。

セクシー田中さん報告書、ありえねえって思った箇所抜き書き

『セクシー田中さん』報告書、何というかこうありえない箇所が多すぎるのでいくつか抜き書きしてみた。()内は報告書のページ数を指す。

これは友情と恋のドラマです☆

企画書には、企画意図企画ポイント(①自分を縛る“呪縛から解放された時のカタルシス、②真反対なふたりの女友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるドラマ、④あらゆる世代に響く! 60 代専業主婦女性の1歩、⑤田中さんと笙野の恋の行方!?)、主要想定キャスト等が記載されていた。(9)

あっ……(察し)。TVドラマスタッフには恋愛しかおらんのか?

原作者の不満が高まってるらしいよ」

なお、これらの本件原作者意見については、A 氏 はコアメンバーに対してはそのまま伝えたものの、本件脚本家に対しては ドラマ化について本件原作者の不満が高まっているという 温度感のみ伝えた。一方で本件脚本家は、 8 話のやりとり あたりから本件原作者の語調が強く、こだわりが強いという印象を抱き始めた。(24

温度感のみ共有してんじゃねえよ! 具体的な指摘も共有しろよ!

「キツい指摘は見ててつらいか咀嚼して伝えて」という相沢友子要求は、メンタルケアとしては間違ってないんだけど、それは当然「パイナップルは味の相性が最悪なので絶対酢豚に入れないで」という要求を「原作者パイナップル酢豚に入れてほしくないそうだ」と伝えてほしい、という意味であって、「原作者酢豚の出来に怒ってるよ」と伝えろっていう意味じゃねえんだよ!

「もう撮影したと言ったな? あれは嘘だ」

C 氏を通じた本件原作者撮影シーンに関する問い合わせに対し、 A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。 A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者か ら撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、 A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたって キャストスタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。(25)

対応小学生すぎるだろ……

「改変はしないで」「わかった、今まで通りやるね!」

C 氏から A 氏に、 6 7 話の脚本修正文書、及び「修正について」と題する文書メールにて送付され、そのメール本文には本件原作者書き下ろした 8 10 話に関しては、撮影の都合などの理由以外では、出来るだけ改変しないでほしい旨述べられており、 A 氏は C 氏に対し電話ドラマ化の上で改変は発生するので、今まで通りやらせてほしい旨回答した。(29)

何で??? 真剣ホラーだった。TV関係者認識ってこんななの??? そら、芦原妃名子先生がなに言っても暖簾に腕押しで糠に釘で馬の耳に念仏だわな。

セリフ音楽が不一致でもOK

本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信 許諾が取れていなかったので、 配信使用出来る別の音楽差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!! 」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽セリフの不一致が生まれた。(32)

役者が「モーツァルトの『トルコ行進曲』!」って言ってるのにジャジャジャジャーンって聞こえてくるようなもんだろ。ギャグしか聞こえんわ。マイナー音楽ならいいと思ってるのかもしんないけど、そのマイナー音楽が頻出する作品ドラマ化でやることか? 許諾を取るか、セリフ部分だけ収録し直して差し替えるとかしろよ……(アニオタ並の感想

脚本家アイデアには著作権がある!

B氏は日本テレビライツ部門に状況を共有し、同部門顧問弁護士である P 氏に本件脚本家の「クレジット約束が守られないのであれば9,10 話で本件脚本家アイデアを一切使わないでほしい、それができないのであれば 8 話までの私の脚本を使わないでほし い。」という発言法的根拠について確認を依頼した。 P 氏の見解は、この時点で脚本利用契約が未締結であるので、脚本家原著作者であるため二次利用差し止め可能であるということであった。(34-35)

この「アイデア」って何を指してるんだろう……そこの検討必要不可欠じゃない? 相沢友子が何をもって「アイデア」と呼んでいるのかがクリティカルなのにそこを書いてないのは不親切に感じる。もし相沢が「自分が考えた、原作にはないキャラセリフ」を「アイデア」と呼んでいるなら、確かに相沢には著作権は発生するので彼女要求は法的に正当なものかもしれないけど、もしも「最後溶鉱炉に沈みながらサムズアップするんですよ!」みたいな「ストーリーの展開」を「アイデア」だと思っているなら、それは著作権法で保護されるものではないわけで、彼女要求法的根拠は一切ないことになる。どっちなんです? 著作権法に詳しいであろう顧問弁護士が「可能」って言ってるってことはマジでセリフをそのまんま使ってたってこと? それとも相沢の言葉通り「アイデア」が使われていただけなの?

女だから短大に行かされた→可愛い制服を諦めた

原作では朱里短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、 20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「 父親リストラドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、 高校受験の際に、父親が勤める会社不景気になり、母親から高校公立いいんじゃない?」と言われて 本当は友達と一緒に制服かわいい私立校に行きたかったけど、 「うん、そうだね」と笑って受け入れた という設定に変更する旨のプロット案を送信した。

2023年6月12日上記プロット案に対する本件原作者の返事として 、かわいい制服私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである原作ジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨記載がなされた文章送信された。

その当否は別として、本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論積極的理由があった。しかしながら、本件原作者上記返信内容をみる限り、本打ちメンバー議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。(60-61)

あなた女の子から短大でいいよね」という理由で進路を決められたという深刻なエピソードを「あーあ、あっちの制服の方が可愛かったのになー」に変えていいと思う神経が理解できなさすぎてヤバいし、原作者に「議論した内容・意図が十分伝わっ」たからそういう反応になったんじゃないですか??? と思わざるを得ないというか……

余談

芦原先生は真面目で良い人だったんだろうな、と思った。

仮に自分原作者だとしたら、途中で「もう撮っちゃった? そんなの知らない、撮り直して」とか「ちょっとすぐに解決するとは思えないんで、今週のオンエアはなしで」とか「なんか作品のコンセプトが理解されてない感じ? じゃあもう制作中止しよっか」って言ってただろうな、っていう場面が少なく見積もって1ダースはある。

でもそれをやると方々に迷惑がかかるから自重して、頑張って耐えてらっしゃったんだろうな……

TV局や俳優なんて、あなた作品にとって不可欠でも何でもない、添え物以下のどうでもいい無価値存在なんだからもっと振り回してやってもよかったのに(それができない人だったから繊細な作品を描けた? それはそう)。

増田日本実写化を憎みぬいている勢なので(『天地明察』も『インシテミル』も『ビブリア古書堂の事件手帖』も許してないからな)、実写化に出る俳優にも欠片の同情も感じないんだけど(『咲-Saki-』を汚した浜辺美波個人的に不買してるし、岡田准一のことも「あっ『天地明察』とかいうクソ映画ゴミみたいな主演してた人だ!」と認識してる)、俳優の苦労とかにうっかり思いを馳せてしまったらそんな要求をするのは難しくなるのはわかるので、やっぱり実写化に出る俳優は(「ひどい実写化だったけど、俳優さんには罪はないよねー」と庇われるんじゃなくて)積極的共犯としてもっと叩かれてよいのでは、そうすれば俳優の苦労とかを慮って言いたいことを言えなくなってしまうことはなくなるのでは、と思いました。

田中さん報告書の見所

全ページ読み終わったので自分ハイライト

笙野と小西の勤務先は、原作都市銀行広告代理店であったが、ドラマ化ではドラマ内で両人が頻繁に顔を合わせても不自然ではないように、同じ職場(商社)とした

同じ職場にした方が纏めて撮影できて楽なのはわかるが、こういう小さなところから改変は始まるのだなという学び。

原作では朱里短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親リストラドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社不景気になり、母親から高校公立いいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服かわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。

「何故わざわざこんな謎の設定変更を?」みたいな謎改変に至る思考プロセスが詳らかに言語化された日本初の資料だと思う。「本当は友達と一緒に制服かわいい私立校に行きたかった」のあたりは特にキャラクタをどう捉えているかが最高によく出ている。

しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバー議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。

内容・意図は十分すぎる程伝わってると思う。本当に心底どうでもいいことをわざわざ考えて議論してることを何より誠実に伝えてるプロットとして自信を持って欲しい。

朱里田中さんメイクをしたが老けメイクとなり失敗するシーンをカットするか(制作サイドでは、該当女優の肌がきれいすぎるため映像ではうまく表現できない等の理由カットしたい)等で制作サイドと本件原作者でせめぎ合いがあった。

映像制作レベル低すぎない?ハリウッド映画特殊メイクしろって訳じゃあるまいし、映像でそのまま見せられなくても演技、演出、照明、カメラワークで何とかしようとしないのか。

A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャストスタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。

仕事でよかれと思って嘘をつくの、どうしてもあるよね。わかるわかる。

でも自分が助かろうと思ってつく嘘は絶対バレるし、バレた後の処理を考えてないと破滅するんだよね。これ絶対バレた後のこと考えてなかったでしょ。

A 氏の認識では、この時初めて「創作するな」という話が C 氏から言われた。A氏はこの時点でもこれまで同様ラリーを続けて本件ドラマを作っていくのがいいと考えていた。

ここまで来ても噛み合わないの、恐怖を感じる。

C 氏は A 氏に対し、オリジナルで挿入したセリフマストでなければ削除してほしいと言ったところ、A 氏は、それでは本当に本件原作者が書いたとおりに起こすだけのロボットみたいになってしまうので本件脚本家も受け入れられないと思う旨答えた。

ここまで来ても噛み合わないの、恐怖を感じる(2回目)。

本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信許諾が取れていなかったので、配信使用出来る別の音楽差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!!」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽セリフの不一致が生まれた。

許諾の有無なんて調べりゃわかるよね。というか調べてるから差し替えできた訳で。

いいものを作ろうと思ってるプロスタッフが揃ってこんな初歩的なミスを犯すとか不思議で仕方ない。

その際、サントラ盤のジャケットに🄫NTV記載されていたところ、小学館から本件ドラマサントラ盤でありドラマの要素を使用しているにもかかわらず、🄫NTV日本テレビ)のみのクレジットであることはおかしい。販売を延期してほしいという要求があった(CD の中にあるブックレットには本件原作者名を記載していた。)。

著作権者表記だけで、原作付きドラマ権利をどう思ってるかがよく現れていていいと思います

限られた予算では、大規模な撮影が難しく、美術セットを多くは作れない。こうした場合には、原作とは場所の設定を変更するなどして撮影が行われることがある。

鬼畜ロボ「予算がないなら制作しなければいいのに…」

地上波では、残虐なシーン・過激な性表現等に配慮必要なため、原作のシーンやセリフカットや変更等が必要になる場合がある。

地上波バラエティ番組もそんな配慮されていたのか…

上記とは別にドラマをより面白くしようという観点からストーリーキャラクター、セリフの改変を行う場合がある。

自動車用品店に「燃費向上グッズ」ってあるじゃん。そんなもんで燃費向上するならとうの昔に各自動車メーカーがやってると思うんですよね。

…という話と同じで、改変してより面白くなるならドラマスタッフよりも先に漫画家なり編集なりが認識してやってるんじゃないですかね。

なぜ自分たちなら面白い物が作れると思ってしまうのか。強メンタル過ぎるだろ。

2024-05-31

   ざちゃん: 東大法学部の成績表の提出、 良の成績が並ぶ、客観的には優れた成績にみえるが、人間性までは分からない。

    須佐 :  前田さんは優しすぎるのね。 患者の症状は統合失調症患者に見られるような特徴とは明らかに違うように思います

2024-05-30

anond:20100217233522

2010年を振り返る

 

祈りが足りないというのは客観的評価できないが貨幣量増加は客観的数字で出てくる。実際日銀マネタリーベースの増やし方は他国と比べ明らかに小さい。「少しの金融緩和で十分な効果がなかったからこれ以上金融緩和すべきでない」という人は「少しの利上げでインフレ抑制できなければ追加利上げが不要になる」とか思ってるんだろうか。”

anond:20240530114931

恣意的という言葉意味説明するにあたり、まず、この言葉語源に着目せねばなりません。「恣意」という言葉は、「恣」と「意」という二つの漢字から成り立っています。「恣」は、「ほしいまま」「みだりに」という意味を持ち、「意」は「思う」「考える」という意味を持つ、いわば、cognitive functionを表す言葉であります

ゆえに、「恣意的」という言葉は、「自分意思欲望に基づいて行動する」という意味合いを持つのです。しかしながら、この言葉が持つニュアンスは、単に自分意思に基づいて行動するということだけではありません。むしろ、「恣意的」という言葉が使われる文脈においては、その行動が、社会的規範倫理、あるいは、客観的事実論理に反しているという含意が込められているのです。

例えば、政治家自分利益のために公共資金を使った場合、それは「恣意的な行動」であると言えます。また、科学者自分の仮説を証明するために、都合の良いデータだけを選んで発表した場合も、「恣意的データ選択であると言えるでしょう。

このように、「恣意的」という言葉は、主観的欲求意思に基づいた行動が、客観的基準からは逸脱しているという状況を表す言葉なのです。それは、言わば、個人ego が、社会の norm を超越してしまった状態を指す言葉だと言えます

この言葉が持つ意味合いを深く理解するためには、哲学倫理学、さらには心理学社会学といった、様々な学問分野の知見を総動員する必要があるでしょう。そして、その理解を通じて、我々は、個人社会関係性という、人間存在の根源的な問いに対する洞察を深めることができるのです。

科学教育への要求が言外に主張するのはどんな問題であれ科学的な訓練を受けた者の問題への取り組み方はそうでない者よりも知的であろうということだ。

科学者の政治的見解、つまり社会学倫理、時には芸術に関する見解さえ、科学のもの門外漢のものより価値があると言っているのだ。

言い換えればもし科学者が支配すれば世界もっと良い場所になるだろうというのだ。

しか私たちが見てきたように現実には「科学者」とは厳密な意味での科学の一分野の専門家という意味だ。

そうすると化学者物理学者などが詩人法律家などよりも政治に関して聡明であるということになる。

そして実際のところすでに固くそう信じている人々が数百万人もいるのだ。

だが科学とはいえない問題客観的方法で取り組むことに関して狭い意味での「科学者」がそれ以外の人々よりも適しているというのは本当に真実なのだろうか?

そのように考える理由はあまりない。

科学とは何か ジョージ・オーウェル

https://open-shelf.appspot.com/WhatIsScience/chapter1.html

anond:20240530095707

そうやって言ったところで、

と言う客観的な状況を覆すことは到底出来ないと思う。

俺だったら恥ずかしくてアカウント消すレベル

ビジネスシーンでは感情的になるのは良くないと思っている。

他社に迷惑をかけられ、その過失が100%相手のせいだった時でも、怒鳴るようなやり方はスマートではない。

そんな時に、「誠実・実直に改善提案をしているテイで、いか相手を上手に貶すか」がビジネス的な攻撃方法となる。

事実ベース客観的な指摘の中に、ユーモアペーソスを混ぜ込み、伝えるべきを伝える方法だ。

anond:20240529205227

そもそもお前めちゃくちゃ狭い視界で生きてるだろ

自他境界って言葉ご存知?

お前の人間関係以外のところで流行ってない

それを「ブーム」とはいわない

客観的にはまるで流行ってないごく小規模な話題でも、開催地東京だと元々の膨大な人口日本全国から人集める容易さでそこそこの人数が集まってしまうためそういう勘違いが生まれがちだが

お前の周囲以外では「ブーム」など起きていない

あと自営業イベント出店に10万+人件費も払えないってどんだけ貧相な界隈なん

可哀想

2024-05-29

anond:20240529163634

はい、交差検証法はホールドアウト分割を繰り返し行う手法です。

## 交差検証法の手順

1. データセットを複数フォールド(部分集合)に分割する。[1][2]

2. 1つのフォールドをテストデータ、残りをトレーニングデータとしてモデルを構築する。[1][2]

3. テストデータモデル評価し、評価指標(精度など)を記録する。[1][3]

4. 2と3を、すべてのフォールドが1回ずつテストデータになるまで繰り返す。[1][2]

5. 各フォールドでの評価指標の平均を最終的な評価値とする。[1][2][3]

まり、交差検証法はホールドアウト分割(トレーニングデータテストデータに分割)を複数回行い、その結果を平均化することで、より信頼性の高い汎化性能評価を行う手法なのです。[1][2][3]

この繰り返しによって、特定データ分割に左右されずに、より客観的評価ができるというメリットがあります。[1][2]

代表的な交差検証法には、k分割交差検証やLOOCV(Leave-One-Out Cross-Validation)などがあり、データ量に応じて使い分けられます。[1][2]

Citations:

[1] https://shoblog.iiyan.net/cross-validation/

[2] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E5%B7%AE%E6%A4%9C%E8%A8%BC

[3] https://qiita.com/RyutoYoda/items/4ca997771e99d6c39ddb

[4] https://aiacademy.jp/media/?p=263

[5] https://qiita.com/Shun_PI/items/896d05ed9689f4b24347

anond:20240526145523

別にそんなつもりなんだけどなんかちゃん客観的な外形的基準で上か下か判断してるの?

敬語で言えよならまだわかるけど、上から言ってるとか言われてもその基準漠然としてていちゃもんに聞こえるんだよね

2024-05-28

anond:20240528222253

「効いてる」とか言えば言い返せてると思ってるやつwwwww

敗北宣言直後から会話に参加してきて「しらんし」とか言ってるの、

客観的違和感ありすぎなのわかんないのかねーw

小学生にはわかんないかーw

伝説科学哲学ソーカルさん、トランス批判してしま

https://thecritic.co.uk/woke-invades-the-sciences/

性に関する事実単純明快であり、高校生物学の授業で習うようなことである。ほぼすべての動物や多くの植物有性生殖を行う。ほとんどすべての有性生殖を行う多細胞種では、卵子と呼ばれる大きな配偶子精子と呼ばれる小さな配偶子が結合することによって生殖が行われる。植物動物の中には卵子精子の両方を産む「両性具有」の種もあるが、哺乳類には両性具有の種はない。哺乳類では、各個体は1種類の配偶子しか産まない。比較的少数の)卵子を産む個体は雌と呼ばれ、(多数の)精子を産む個体は雄と呼ばれる。哺乳類の胚が雄になるか雌になるかは、(少なくともうまくいった場合、つまりほとんどすべての場合)一対の性染色体によって決まる: メスはXX、オスはXYである

赤ちゃん名前は出生時に決定される。 しかし、赤ちゃん性別は「割り当てられる」のではなく、受胎時に決定され、出生時にまず外性器検査によって観察され、疑わしい場合には染色体分析によって観察される。もちろん、どのような観察にも誤りはありうるし、まれ出生証明書に報告された性別不正確で、その後修正される必要がある場合もある。しかし、観察が誤りやすいからといって、観察されているもの、つまり人の性別が、血液型指紋パターンと同じように、客観的生物学現実であり、「割り当てられる」ものではないという事実は変わらない。

冷静な心を持った科学者たちが、このような簡単反論できる見解を唱えざるを得なかったのはなぜだろうか?その原因は明らかに政治的ものである医学界の権威が、生物学現実について正直に語りたがらないこと、そしてそれを不誠実に語ることに無頓着であることは、トランスジェンダー人権を守りたいという称賛に値する願望からきているのだろう。 しかし、その目的は称賛に値するが、選択した方法は見当違いである。 トランスジェンダーの人々を差別ハラスメントから守るためには、性別が単に「割り当てられたものであるかのように装う必要はない。

2024-05-27

anond:20240527151749

謝るってか折れることを覚えるって感じじゃね 常にお前の主観イコール客観的事実かつ決定では無いことを認めるっていうか

anond:20240527132148

正論だし、「お礼を言わない」という客観的に見て明らかに人として誉められない言動を難癖付けて自己正当化しようとする精神が終わってると思う

anond:20240527043955

やっぱり徹底的に脱線を禁じると、差別主義者はなんにも言えなくなるのね

まあメスは、主観的な快不快客観的差別区別する習慣がないから仕方ないけど

意味のある反論ならいくらでも歓迎したんだけど、そのスタートラインにも立てなかったな

anond:20240527003023

自身は俺に絡まれたと思っているようだけど、それこそ全て間違っているんだよ

君が女叩きしたいだけのセクハラオジサンという事実を覆せないから、俺が絡んできたということにして逃げたいだけでしょ


客観的には、俺の日記に対して無関係オッサンが絡んできているとしか見えない

なのにその人が絡むなとか言うのは不自然だよね

でも実態は、俺の話についていけなくて反論できないけど自分は負けてないと思い込んでる

「いっちょっがみするな」と最初に言っていたけど、君自身はその話題に対してどう考えどういう発言をしているんだ?

他人投稿を「いっちょっがみ」と揶揄したり、絡んでくるなということは、その話題に対して外部からのヤジを阻止する理由を持っているということだよね

そんな理由を持っている人物ってどういう立場なの?

間違いの指摘というより、その話題をするなってどういうこと?

当然、君は部外者傍観者

そんな部外者が俺の日記揶揄する理由はないよね

関係者やその話題に知見を持った専門家などならば、最初に表明しているはずなので、その線がない

無関係なのに「絡んでくるな」ってどういうこと?

君が絡まれたわけでもないのに、なぜ絡まれたという表現をするんだ?

俺は君という個人を知らないし、君はその話と一切の関係性がない部外者であり傍観者だろ?

君が「絡まれた」と感じるのは、俺の投稿が君の琴線に触ったからだろうな

ようするに自分にとって都合のいい解釈や筋書きを見聞きして「おんなうぜーー」程度に酔っていたところに、俺の投稿を見てしまったので「なんだよ人が女叩きに酔っているのに邪魔だな」程度の理由揶揄しているんだろ?

それを口に出すと俺を肯定ちゃうから、俺が絡んできたことにして逃げている

俺の発言が間違っているから叩いているのかな、とも思ったが「絡んでくるな、興味がない」というのは君自身の趣向でしかない

まり君は客観的事実関係すら持っていないというわけだ


事実の間違いを指摘することもできず、別に関係者でもなければ、知見を持っているわけでもない、単なる女叩き楽しい糞爺なんだよ

から「絡むな」としかいえない

2024-05-26

  以下の最高裁法廷判決の 真ん中に、 「しかしながら、同条の文言および前示相殺制度本質に鑑みれば」 とあるように、法解釈技術は、 文言(法的安定性)と、民法本質(公正公平)を両立させる難しい技術であるから本件判決は、最初に、民法511条の本質説明したうえで、民事執行法規定などとの技術的な整合性を図りながら、結論を導出しているので、最高裁の法解釈は、論理的技術的なものであり、裁判官感想とか、文学の類を並べたものではないから、お前が考え方を間違っているだけ。なお、判決をした裁判官名前が、 いしだかずと、おさかべきんご、けさいち、という氏名も見られるように、老人の氏名が並んでいるが、この判決は、昭和45年のものであり、この老人男性はこの世に存在しない。

ところで、相殺制度は、互いに同種の債権を有する当事者間において、相対立する債権債務を簡易な方法によつて決済し、もつて両者の債権関係を円滑かつ公平に処理することを目的とする合理的制度であつて、相殺権を行使する債権者の立場からすれば、債務者の資力が不十分な場合においても、自己債権については確実かつ十分な弁済を受けたと同様な利益を受けることができる点において、受働債権につきあたか担保権を有するにも似た地位が与えられるという機能を営むものである相殺制度のこの目的および機能は、現在経済社会において取引助長にも役立つものであるから、この制度によつて保護される当事者地位は、できるかぎり尊重すべきものであつて、当事者の一方の債権について差押が行なわれた場合においても、明文の根拠なくして、たやすくこれを否定すべきものではない、およそ、債権差し押えられた場合においては、差押を受けた者は、被差押債権処分、ことにその取立をすることを禁止され(民訴法五九八条一項後段)、その結果として、第三債務者もまた、債務者に対して弁済することを禁止され(同項前段、民法四八一条一項)、かつ債務者との間に債務消滅またはその内容の変更を目的とする契約、すなわち、代物弁済、更改、相殺契約債権額の減少、弁済期の延期等の約定などをすることが許されなくなるけれども、これは、債務者の権能が差押によつて制限されることから生ずるいわば反射的効果に過ぎないのであつて、第三債務者としては、右制約に反しないかぎり、債務者に対するあらゆる抗弁をもつ差押債権者に対抗することができるものと解すべきである。すなわち、差押は、債務者の行為関係のない客観的事実または第三債務者のみの行為により、その債権消滅しまたはその内容が変更されることを妨げる効力を有しないのであつて、第三債務者がその一方的意思表示もつてする相殺権の行使も、相手方自己に対

する債権差押を受けたという一事によつて、当然に禁止されるべきいわれはないというべきであるもつとも、民法五一一条は、一方において、債権差し押えた債権者の利益をも考慮し、第三債務者が差押後に取得した債権による相殺差押債権者に対抗しえない旨を規定している。しかしながら、同条の文言および前示相殺制度本質に鑑みれば、同条は、第三債務者が債務者に対して有する債権もつ差押債権者に対し相殺をなしうることを当然の前提としたうえ、差押後に発生した債権または差押後に他から取得した債権を自働債権とする相殺のみを例外的禁止することによつて、その限度において、差押債権者と第三債務者の間の利益の調節を図つたものと解するのが相当である。したがつて、第三債務者は、その債権差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権および受働債権の弁済期の前後を問わず相殺適状に達しさえすれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうるものと解すべきであり、これと異なる論旨は採用することができない。

 

     最高裁判所大法廷

         裁判長裁判官    石   田   和   外

            裁判官    入   江   俊   郎

            裁判官    草   鹿   浅 之 介

            裁判官    長   部   謹   吾

            裁判官    城   戸   芳   彦

            裁判官    熊   谷   永   華

            裁判官    永   谷   正   男

            裁判官    岩   田       誠

            裁判官    戸   田   勇   哉

            裁判官    色   川   幸 太 郎

            裁判官    斎   藤   秀   司

            裁判官    鈴   木     光

            裁判官    飯   村   義   美

            裁判官    村   上   朝   一

            裁判官    関   根   小   郷

anond:20240526010152

文系のことは知らんけど、自分のいた研究室毎日来るのが当たり前の情報系だったので、そことは大いに違うな。

「これでは修士に値しない」と卒業できなかった

個人的感覚だと、研究室が課している出席のルールを満たしていてこれはちょっとあり得ない。

過去卒論をそんな理由で失敗していた学生なら見たことはある。

学部3年のころ、先輩方の卒論発表会を傍聴してたんだけど、

一つ下の学年の自分から見てもヤバいと思うような発表内容で、回覧に出されていた卒論ほとんど何も書いてない感じのだった。

後で聞いた話だと、その発表をした学生ほとんど研究室に来ていなかったらしい。

...まあ、こういう状況で「これでは修士に値しない」はわかるけれど、それなりに研究室に来ているのにそれをもらうのははっきり言ってブラック研究室

実際に見たことはないんだけれど、自分のいた学部にかつて卒論発表会で自分学生パワハラを始める人がいたらしくて、

その研究室に行くとヤバいってことが知られているところがあったな。

今でいうAIのような流行ものテーマを扱っている研究室だったので、憧れだけで研究室を選んで地獄を見る場所だったらしい。

文系大学院常識は知らんけど、自分感覚だと修了率50%は相当ヤバいと思う。

ゼミ以外の時間は(研究質問に)来ないでね。

この研究室論文を書く場合って、指導教官はauthorに入りますか?

ゼミ指導をしたと言えば言えるのかもしれないけれど、文系研究室はえらく気が長いんですね。

月1程度(1回1.5時間ほど)以外は研究について話すのNGなんですよね。

研究を進めるうえで研究室特殊機械を借りたり、先生の人脈を使ったりしてますか?

自分感覚だと、その程度の相談時間で、研究室リソースも使わないとなると、指導教官をauthorに入れていいのか怪しいレベルだと思うんだけど。

ちなみに、自分のいたところは毎日指導教官テーマについて話してました。

論文を書くときは構想から相談して、添削もしてもらってました。

増田君が言いたいことはこういうことでしょ」と先生が書き直したことも時々あったので、ぶっちぎりでauthor感があった。

ゼミでのご助言が抽象的すぎる

これが1カ月に1回。ほんとに研究室の進捗がslowなんだな。

そして、シン・仮面ライダーメイキング(NHK制作ドキュメンタリー見てくれ)よりもひどい世界だ。

早いフィードバックで何度も回すのが自分の周りだと普通なので。

もちろん、先生に毎回確認するのは気が引けるので博士などの人が先生質問をするときに一緒に居たりして、一緒に先生の話を聞いて意図を組んで、その人と壁打ちをすることが大半だと思うけど。それでもって、その博士の人もauthorに含まれる。話しているうちに博士の人のアイディアが入ることもあるし。

私たちに聞かれても、知識がないからわからない。私たちを頼りにしないで」

別に正直でいいと思うんだけれど、先生の知り合いでその分野に明るい人を紹介してもらって共同研究できないんだろうかとかは考える。

ヒステリックになっていると言われる

先生同意ちゃうかな。

先生方は現状をどのようにお考えなのですか」の回答はそんなに問題があるとは思えない。

「お考えですか」だからね。

大学としてこの修了率は普通ことなのか、普通じゃないのか?みたいなところからだな。普通のことだったら、それ以上の会話はないよ。

普通じゃなかったら改善案についての話になるけれど、普通のことだったら改善などないからね。

正直、元増田お気持ち表明以上の意味がある質問には見えない。

納得いかない感情をぶつけられても困るだろうなと。

修了率が高い研究室に移れないかを考えてもいいとは思うけれど。

計画性がないと言われる

ここまで読んでいて思うのは先生には学生を育てる動機づけがないってことかな。

先生問題というよりも、大学やその業界問題のような気がしてならない。

うちの分野だと自身研究成果はさておき、育てた学生(特に博士)の数や研究評価対象になるので、下を育てることにそれなりの動機付けがある。

多分、指導能力がない(学生を育ててない)人はテニュアトラックに乗れないんじゃないかなと。

あと、先のところでも書いたけれど、もしかして元増田の通っている大学院別に修了しない学生が多くても構わないって思ってない?

自分のいたところはその分野の人材を育てるという意味合いもそれなりにあったのか、修了率はかなり高めだったと思う。中途で消えた人は見たことない。

でも、修了率50%でなんとも思わないというのは研究室どころか、その専攻科がそれを良しとしているとしか思えない。

休みメールすると怒られる

え?先生って定形勤務なの?てっきり裁量労働なのかと思ってた。

働きたかったら何時間でも働いていいけれど、働きたくなかったら別に何もしないでもokみたいな。

ふんわり定時みたいなのがあったほうが自分学生も働きやすいからそういうのをやっているだけかと思ってた。

前述のとおり、先生には学生を育てる動機づけがないと思う。

でも、この書類GW直後に見てもらうのだと間に合わなかったんだろうかとも思ったりする。

先生だって休みの日を休みの日として過ごす時間必要だと思うので。

家族サービス中にちらちらとメールチェックをするのはokですか?ngですか?

旅行に行けるような休みは、去年の年末からありません。

これは理系だと普通という認識

ちょっと研究室にいた時間と自宅にいた時間かぶってて、なんかおかしいので時間帯はわからんけど、

理系だと追い込みの時期に研究室に住んでいるみたいな人は普通にいる。

ま、事実上研究室に住んでいるような人生研究に捧げた先生なんかもいるらしいしね。

学位論文書いてた時は研究室から徒歩数分のソバ屋で年越しそば喰って、正月研究室にいたけれど...

大学院はこんなものですか?やっぱりおかしい?

研究に費やす時間についてはこんなものだと思う。修了できなかったら死ぬみたいな気持ちでやってたのは事実で、文字通り命を削って学生してた。

親はモラトリアム楽しんで遊びに行っていると思っていたようで、恥ずかしいからと親戚の集まりに来ないように仕向けられてた。

就職して思ったけれど、仕事の方が大学院行くよりも楽だな。

労働基準法で守られているし、学位を取れなかったら死ぬみたいな謎な緊張感もないしね。

でも、指導教官対応はなんかおかしいと思う。そもそも学生を育てようとか卒業させようとかい意思を全く感じない。

でも、それは個人問題というよりもシステム問題なのかもしれないとも思う。

もし、増田の分野が人を育てることを重視していないなら、それは業界問題であって個人問題ではないし、

そこは手厚い育成を求める人たちが行ってはいけない分野なんだと思う。

アカハラで(学校以外で)駆け込むとしたら、どこ?

法テラス

普通に考えると、この手のトラブル弁護士に話す案件かなーと思った。他の人の状況や客観的証言を集めたかったら探偵も使うのかもしれないけど。

anond:20240526012926

頭悪いやつはいつも「頭悪そう(そうだと良いな)」って希望的観測で逃避しようとするよね。

まともに知能と教育がある人は、頭悪いやつは頭悪いと客観的判断できます

君は頭が悪い

2024-05-25

anond:20240525180156

プレーン弱者男性だけど、はてブの男女タグが盛り上がるたびに遠い目をしてるよ。

俺の肩書き使ってポリコレカードバトルしてらぁ・・・・。

って。

そういうのがきっと客観的幸福なんだろうな。

なぜ日本FPS流行らなかったか

なぜ日本FPS流行らなかったかといえば、制作されるのがチーム対戦ゲームばかりだったかである

チーム対戦ゲームは「労働」に過ぎないと、以前述べた。

チームで勝つためのセオリー規範確立は、参加者を隷属させ、そこには「労働」が現出した。

普段から臆面もなく雑に働く欧州人にとっては「労働」がレジャーたりえるのであって、

日本人はさような「労働」に無賃休日出勤するほど殊勝ではなかっただけである

かつて唯一の希望があったとすれば、ArenaFPS1on1路線の重大さに気づいていればよかったのである

しかに「デュエル」という個人対戦モードはあった。

しかし、数ある対戦モードの一つ、余興の一つという扱いを辞めるべきで、

覚悟と決意をもって、FPSにおける個人対戦ゲームの道のりを進むべきだった。

個人参加なら「デスマッチ」でも「バトルロイヤル」でも良いというわけではない。

数ある群像の中の一人では、観戦コンテンツとして弱いのである

無論、「チームデスマッチ」だの「キャプチャーフラッグ」だの「サドンデス」だの「ドミネーション」だの「エスコート」だの、

いくら対戦ルールをこねくり回してみたところで、ダメである

それがチーム対戦ゲームの時点で、運命は決まっていた。

デュエル」にしても、遮蔽物ごしの駆け引きという消極的なシーンが多々見られる点はいただけない。

観客にしてもプレイヤーにしても、壁や景色監視し続けるために、わざわざ休日を割いているわけではない。

格闘ゲームのように、対戦プレイヤー位置は常に表示しても構わなかったのだ。

FPSにおいては、位置情報秘匿も駆け引きの内と、信じて疑わなかったところが限界だった。

防御を軸にした格闘の駆け引きと、回避を軸にした銃器駆け引き、題材の根本差異が生み出す限界であった。

マップ上に点在する武器リソースを拾い集めるというArenaFPSのコンセプトは、それに付随するものだ。

そうでもしなければ、有利なポジションで銃を構え続けるだけなのだから

怠惰FPSプレイヤーたちを動かすために、ゲームデザイナーはエサをバラまいて釣らなければならなかった。

だが、その涙ぐましい工夫でさえ、リソース差をつけて、まだ何も拾っていない丸腰に等しい相手蹂躙し続けるという、

観戦に堪えないシーンを産み出し、それがテクニックや力量の証であるという開き直りに至る始末であったが、

もちろん内輪の人間以外に通るわけもなく、順調に衰退コンテンツたる現状に至っているわけである

それでもかつて「デュエル」による競技の試みはあった。

だが、日本世間一般では格闘ゲームesportsプロゲーマー第一号とされているとおり、その試みは歴史の闇に潰えたと見るのが客観的妥当であろう。

その観戦のつまらなさと敷居の高さは内輪志向を加速させ、限界集落と揶揄される衰退コンテンツとなった。

私としては、個人対戦FPSが、プロスポーツのように、生計を立てる手段の一つとして勃興していてほしかった。

野球ダルビッシュ選手は「自分価値がある人間じゃない、1番最初野球ルールを作ってくれた人がいて、そこに自分達が生まれてきて、その才能がたまたまあっただけ」という。

FPS以外になんの取り柄もない私が生計を立てるには、FPSを通じて身を立てるのが自他共に最も幸福だろう。

しかし、そうはならなかった。

私は価値がなく、運もない人間だった。

数少ない上位プレイヤーたちは、内輪の馴れ合いとゲーミングデバイス実演販売業で満足してしまった。

からFPSにきた若者たちも、チーム対戦ゲーム限界気づき、今ではゲーム配信者として、揃いも揃って格ゲーを嗜む有様である

すでに全員、取るモン取って逃げ切り体勢、焼畑農業である

芽は、私が来る前に、とうに枯れていたのである

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