はてなキーワード: ToPとは
ランキングやら注目のタグをTOPに置いたり、普段なら邪魔になりそうな新着画像を目立つ部分に置くのも
画像を見る分には良い造りになってるんだろうけど壁紙として「使う画像」を探すには不便すぎるんだよね!
タグ検索で「壁紙」と打ち込むと4348件hitする。もちろんそれらは壁紙には変わりはないけれども、自分の望むサイズのモノがヒットする方が珍しいんだよ。
VGA 31件
WVGA 1件
SVGA 0件
UWVGA 0件
WSVGA 0件
UWSVGA 0件
XGA 1件
WXGA 0件
SXGA 3件
UXGA 4件
WUXGA 7件
このような結果。
数値で検索しても10件を超えるようなものがそんなにないので割愛するよ!
結果を見るにPixivの画像検索機能はそれほど機能してないように見えるんだよね。
Pixivは見る画像を探す分には良いけれども、使う画像を探す分には不便な造りになってると言いたい、心のソコから言いたい!
もし知名度の高い人やユーザー投票で選ばれた人やらに毎月カレンダー付壁紙とかを依頼し、5枚300円ぐらいで販売し出したら需要はそれなりにあるよ!
なぜなら描く側にデスクトップ改造を凝る人はそれほどいなくとも、ROM専の人にはそれなりにいる。確証はないけどね!
ついったーで中の人に指摘する度胸もないのでここで吐かせてもらうよ、ごめんね増田たち!
修正:いい加減&が変換されるのを何とかしてほしい
解説:Hatena::Bookmark::24H(http://hatebu24h.ashitano.in/)に、トップエントリの獲得したブックマーク数の推移のチャートを加えます。
// ==UserScript== // @name chart of Hatena::Bookmark::24H // @namespace http://anond.hatelabo.jp/ // @include http://hatebu24h.ashitano.in/* // ==/UserScript== var url = unescape("http://chart.apis.google.com/chart?chs=160x60%26cht=ls%26chd=t:"); url = url + $X("//div[@class='clocktxt']", Array).map(function(s){return s.firstChild.nodeValue}).join(","); //var id = $X("//h3/a/@href")[0].nodeValue; //url = url + $X("//div[@class='entrytitle' or @class='entrytitle2'][.//a[@href='"+id+"']]/../preceding-sibling::div[1]", Array).map(function(s){return s.textContent.match(/\d+/)}).join(","); var before = makeElements({ nodeName: "div", className: "sidebox", childNodes: [{ nodeName: "div", className: "sidetitle", innerHTML: "Recent top entry chart" },{ nodeName: "div", className: "sidetitle", childNodes: { nodeName: "img", src: url } }] }); var after = $X("//div[@class='sidebox']", Array)[0]; after.parentNode.insertBefore(before, after); // util // var 0.01 function makeElements(obj) { if (typeof obj != "object") return document.createTextNode(obj); if (obj instanceof Array) return obj.map(makeElements); var node = document.createElement(obj.nodeName); delete obj.nodeName; if (obj.childNodes) { [].concat(makeElements(obj.childNodes)).forEach(node.appendChild, node); delete obj.childNodes; } function extend(dst, src) { for (var i in src) { if (typeof src[i] == "object" && dst[i] && typeof dst[i] == "object") extend(dst[i], src[i]); else node[i]=obj[i]; } } extend(node, obj); return node; } // by http://lowreal.net/blog/2007/11/17/1 // $X(exp); // $X(exp, context); // $X(exp, type); // $X(exp, context, type); function $X (exp, context, type /* want type */) { if (typeof context == "function") { type = context; context = null; } if (!context) context = document; var exp = (context.ownerDocument || context).createExpression(exp, function (prefix) { var o = document.createNSResolver(context).lookupNamespaceURI(prefix); if (o) return o; return (document.contentType == "application/xhtml+xml") ? "http://www.w3.org/1999/xhtml" : ""; }); switch (type) { case String: return exp.evaluate( context, XPathResult.STRING_TYPE, null ).stringValue; case Number: return exp.evaluate( context, XPathResult.NUMBER_TYPE, null ).numberValue; case Boolean: return exp.evaluate( context, XPathResult.BOOLEAN_TYPE, null ).booleanValue; case Array: var result = exp.evaluate( context, XPathResult.ORDERED_NODE_SNAPSHOT_TYPE, null ); var ret = []; for (var i = 0, len = result.snapshotLength; i < len; i++) { ret.push(result.snapshotItem(i)); } return ret; case undefined: var result = exp.evaluate(context, XPathResult.ANY_TYPE, null); switch (result.resultType) { case XPathResult.STRING_TYPE : return result.stringValue; case XPathResult.NUMBER_TYPE : return result.numberValue; case XPathResult.BOOLEAN_TYPE: return result.booleanValue; case XPathResult.UNORDERED_NODE_ITERATOR_TYPE: { // not ensure the order. var ret = []; var i = null; while (i = result.iterateNext()) { ret.push(i); } return ret; } } return null; default: throw(TypeError("$X: specified type is not valid type.")); } }
前回分にトラックバックが付いていたので、もう一度それについて考えておく。
その内容を読んでみると、言葉が足りなかったせいか今ひとつ私の意図が伝わらなかったみたい。
以下、引用は特に断りがないものはhttp://anond.hatelabo.jp/20081224161454より。
各発言には優劣があるに決まってるじゃない。優劣というのは自分がハイクで楽しむための優劣のことでしょ?判断するのは各ユーザーだよ。
それに自分の発言が“自分にとって”ノイズになるわけないよ。それが全ての中心なんだから。
そんなんだから盲目的に実況を嫌がる人もいるけれど、盲目的に実況を続ける人もいる。誰も「実況だけ」がノイズなんて言ってない。
ここでの「優劣」という表現は少し違和感を感じるけど、受け取る人によって投稿の価値の有無が変わることは分かる。それについては前回書いた。
自分にとって価値がないと思われるものにフィルタリングをかけてより分けるのも特に問題ないと思う。
何度も言っているけど、頂けないなと思うのは、それらのフィルタリングを他人に強要するということ。
そんなフィルタリングを他人に押しつけてまで、前に出すアナタの「発言」にどれほどの価値があるの?っていう。
近頃「実況」周りでそのような雰囲気が見られるから、たまたま引き合いに出したけど、ほかのPOSTに関しても同じ。
きっと自分にとって自分の発言は価値があるものなんだろうけど、その価値観を人に押しつけなさんな、と。
誰の発言も価値が有る可能性はあるし、無価値の可能性もある。そういう意味で優劣はないでしょ?と言っているのです。
つまりさ、俯瞰的な感覚じゃなくて、ハイクユーザーは自分の発言が全体の中でいかに価値付けられるかに必死な部分があるでしょ?って話をしたかったのだけど。
別に自分の発言の価値付けに必死になるのは構わないけど、必死になる方向ズレてない?と思いますけどね。
そんなもんなんだか良く分からない「勝手ルール」持ち出さないで、それこそ自慢のネタでやんなよ、と思う。
「勝手ルール」の布教に精を出すなら、それこそ有無を言わさず星つけたくなるようなクオリティのPOSTのひとつでもしなよ、と。
これは単純にそう思い込んでるだけじゃないですか?
別にみんながみんなTOPページで全発言を閲覧してないと思う。
ひとつ例を挙げると、idページへの絵の投稿でいろんな人からたくさんの星を貰ってる人だっているし。
アナタが思っている以上にたくさんの人がTOPページ以外の「発言」もマメに覗いてると私は思いますけどね。
結局のところ、事例は変わってもいつも問題の根っこのあたりにあるのは、「個々の勝手な思い込み」って感じだ。
そりゃ私もうどんの人に『ここ十数回分は「同じこと」言ってるし』って言われるわ。
ノイズ云々書いた増田だけど。なんでそういうことになるかなあ。
各発言には優劣があるに決まってるじゃない。優劣というのは自分がハイクで楽しむための優劣のことでしょ?判断するのは各ユーザーだよ。
それに自分の発言が“自分にとって”ノイズになるわけないよ。それが全ての中心なんだから。
そんなんだから盲目的に実況を嫌がる人もいるけれど、盲目的に実況を続ける人もいる。誰も「実況だけ」がノイズなんて言ってない。
自分にとって興味のない書き込みは全部ノイズだよ。実況は番組を見てなければ面白くない、しかもキーワード単位のノイズだという点が特殊。
つまりさ、俯瞰的な感覚じゃなくて、ハイクユーザーは自分の発言が全体の中でいかに価値付けられるかに必死な部分があるでしょ?って話をしたかったのだけど。
自意識過剰やスター乞食と言えばそれまでだけど、Twitterよりもローカルな環境、TOPで全発言を閲覧するという慣習が、その自意識を後押ししてるんじゃん。
今日はあまり深く考えず、流す感じで。
前回書いてから10日ほど経つが、その間は割合落ち着いている印象。
微妙にザワついていた「ハイク忘年会」も取りあえずは無難に終わったらしく(実際の内側は知る由もないが)。
ただ「忘年会」を企画して、わざわざプロジェクターまだ持ち出して2chのハイクヲチスレを眺めていたのには驚いた。
微妙な気分になる人はいなかったんだろうか。
先日はM-1があったこともあり、また「実況」周りでの批判めいた書き込みがチラホラと。
その辺りは相変わらずだな、という印象。「実況」は「実況」として一つの使い方として認識して頭を切り換えてみればいいのに、と思う。
「TOPの流れが早すぎてキーワードを追えない」って誰かが書いてたけど、
別にキーワードはTOPから追う必要はないし(むしろどのキーワードが盛り上がってるかはHot Keywordsのほうが分かりやすいかもしれない)、
キーワード自体の流れが気になるならそれこそキーワードのページを見れば良いし、
誰か特定のユーザーのPOSTが気になるならその人のページを見れば良いし。
エントリーの見歩き方も、状況に応じて都度やり方を変えてみれば良いのに。
あと「実況」に有益さを求めるのも難しいんじゃないかな。
「実況を見てる人も楽しめるように書いてくれればいいのに」って書いてる人がいたけど、それは恐らく無理。
「実況」って同じ番組を見てる人が状況を共有するために書いてるものだろうから。
同じ状況を共有している人同士、余分な情報をそぎ落とした手軽さがいいんだろうし。
そこに「番組見てる人以外も楽しめるように書いてくれ」って言っても難しそう。
そういう書き方する人は多分「実況」はしないと思う。
家で誰かとテレビ見てて、見てる番組について説明的な会話をするか?ということ考えたら分かりやすいかも。
恐らく「実況」はそんな感覚で行われているんじゃないだろうか。
なんか「実況」の話ばかりになってしまった。
ほかにも気になることが幾らかあるけど、次回。
ボロアパート1棟。5から10室程度のもの
生きのいいニート数名
当面の運転資金
アパートにニートを住まわせ、その生態をインターネットで公開するサービス
ニートはニートハウスに居る限りにおいて居住と生命の安全を保証されるものとする
原則として各部屋のニートはそれぞれ持ち寄りの企画に基づいた生活を営む
企画としてはできるだけ人目を引くものが望ましい。電波少年や黄金伝説などで採用されるようなものを想定する
生活、活動の様子は人間としての最低ラインを除き、すべてインターネット上で公開する
各部屋それぞれにブログ、twitter、Ust、チャットや掲示板などを設営し、更新を義務付ける
1週間など適当なスパンで閲覧者による投票や各メディアへのアクセス状況などを集計し、成績が悪い入居者はニートハウスを追放される
部屋に空きが出た場合は新たに入居者を募集する。
入居者の募集に際しては、志望者およびそれぞれの持ち寄りの企画でコンペを行う。
生命に危険が差し迫った場合などは入居者と相談の上、企画の中断、退居を実施できるものとする
懸賞ニート:ネットの懸賞に応募し、獲得商品で生活を営むニート
株ニート:企画開始時に融資を受け、株やFXで生き抜くニート。資金ゼロで強制退去
イラストニート:ネット経由のリクエストに答えてイラストを描き続けるニート
通常のアフィリエイトのほか、各部屋の企画に基づいてスポンサーを募る
(株ニートであれば使用している証券会社、料理系のニートであればレシピサイトや使用食材卸、クリエイト系のニートの場合は使用機材メーカなどとのタイアップを図る)
外国で似たような企画があった気がした。もろパクリにならなければ大丈夫だろ
企画がパクリぽい場合は訴えられないようにアレンジすればたぶん大丈夫
ニートハウスポータルサイトTopにアパートのイラストを置いておき、各部屋の部分に入居者の顔写真を貼るなどして一覧性を確保する
炎上すればpv的においしいのでポータルサイトTopのイラストで該当の部屋から火の手をあげたり、ブログの背景を真っ赤に染めるなどして煽る(企画中断時は遺影に)
マンネリ化してきた場合は入居者間でケンカさせたり、ブログでの不謹慎ネタ、犯罪自慢などあらゆる手段を用いて各部屋を同時多発的に炎上させ、最終的にはニートハウス全体が火柱に包まれ爆発。壮絶な最後を遂げる
この週末見てて不思議に思ったことをひとつ。
「実況」の話。
ハイクではテレビ番組に関する実況のキーワードがしばしば盛り上がる。
実況という性質上、番組放送時間中はPOSTが大きく伸びTOPページへの表示数が増える。
どうやらそれを「うざい」と思う人が多々おり、その旨のPOSTにより一悶着あったみたい。
この手の何か特定の書き込みに対する嫌悪感による衝突って不思議だなと思う。
今回の「実況」に関して言えば、キーワードの元に繋がってるという意味ではそう間違ってはいないと思うのだが。
「実況」や「連投」を問題視する理由に「TOPページが一部の話題で埋まってしまうのは良くない」みたいなのをよく見るが、これも今ひとつ良く分からない。
そもそも書き込み自体に優劣なんてあるんだろうか、という感じで。
いつだったか「ハイクにはもっと有益な書き込みをするべき」みたいな話をしていた人がいたような気がするけど、何が「有益」か?なんてそれこそ人それぞれなわけで。
じゃあ連投批判してる人だったりのPOSTを見てみても私は別段「有益」とは思わないわけで。
そういうのを見ると、「うざいとか言って、結局のところ、TOPページの流れが早くなって自分の書き込みが流されてスターが付かなくなるのが嫌なだけじゃないの?」なんて穿った見方の一つもしたくなる。
そもそもTOPページに固執しすぎること自体どうなんだろう、という気も最近は少ししている。
当初は自分のFollowingにはスターフレンドのPOSTが表示されていたため、フィルタリングをかけるのが難しかった。
でも今やユーザーのみならず、キーワード自体もFollowできるようになっているわけだから、必ずしもTOPに固執する必要もないと思う。
これも前に誰かが言っていたが、現在はユーザー数700程度だからTOPの流れの早さはたかが知れているけど、
これがもし数千、数万レベルのユーザー数になったら流れ云々なんて気にしてる場合じゃなくなるんじゃないかという。
TOPページが特定の話題に選挙されていたら新規ユーザーが入りづらいんじゃないかという話もしばしば出るが、
そうやってハイクの使い方に関して、特に禁止事項として明記されていないにも関わらず、
あれやこれやと難癖付けるほうがよほど初心者に対して敷居を高くすることに繋がると思うんだけどな。
別件だけど、今日は何か「ハイク忘年会」で一部ザワついているみたいだし、同じようなことをクルクル繰り返すのが好きなのかな。
いろいろ不思議だな。
トラックバックを貰っていたので取りあえずその件に関して考えてみようと思う。
以下、引用はhttp://anond.hatelabo.jp/20081130112107より
どうしてRecent EntriesがTOPに来ていると、コミュニケーションを取ることが全面に打ち出していることになるんだろうか?
サービスのTOPページに最新情報が表示されることはコミュニケーションを想定したサービス以外でも普通にあることだと思うんだけど。
これに関してはどの時点を指して「まずidページがTOPに出てきてしかるべき」と言っているんだろう?
ハイクにアクセスした時点?ログイン状態を保持したままアクセスした場合ということだろうか?
ちなみにhatenabarを使ってアクセスした場合、ハイクボタンを押したらまず自分のページに飛ぶんだが、そういう意味じゃないんだろうか?
もしhatenabarを使わなかった場合、ハイクのTOPに飛ぶわけだけど、それははてなの他のサービスも同じだから、はてなのサービス全体の統一感を考えたら妥当な遷移だと思う。
なのでそれを理由として、「真っ白なノート」としてはてダのほうが適切という気には特にならない。
申し訳ないけど、どういう意図で書いてあるのかこれだけでは私には良く分からない。
なので「そういう意味」がどういう意味を指すのかも良く分からない。申し訳ない。
それはさておき、ハイクがコミュニティ化しやすいサービスであるという事に関しては私も異論はない。
私はハイクの使い方は人それぞれの自由で構わないと思っているので、交流をメインとしたコミュニティ的な使い方も選択肢の一つだというのも理解できる。
だけど決して「ひとつ」のコミュニティというわけではないと思う。
私が違和感を感じるのは色々な意思が集まってハイクを形成しているのに、勝手に「ひとつ」のという形で括ってしまうところなんだ。
そして勝手に作り上げた「ひとつ」のルールをさも全体のルールであるかのように運用されてしまうことに疑問を感じているんだよ。
これまでにも何度も書いてきているけど、ハイクのTOPが公共の場であるのは間違いないので、ユーザー同士の気遣いは必要だと思う。
が、それはあくまで各個人の尺度に任せられるものだと思う。誰かが強制するものではないと思うよ。
私は他のサービスを熟知しているわけではないので、「そうそうない」の基準が良く分からないけど、オフが活発なのって一部ではないの?
よく見かけるオフ系のキーワードで実際にオフに参加している人は、既に何度も同じメンバーで集まってる顔なじみさんって感じがするし。
新たに参加する人も幾らかいるみたいだけど、それにしても700人のうちのほんとにごくごく一部だと私は思うんだけど。
「オフが活発」という点もハイクを構成する一要素としては理解できるけど、だけどそれが「コミュニティ化」の主要素としては受け取れない。
最後にこの点について。
私はどうしても「チャット」というイメージでは捉えられないな。
「チャット」とは「会話」すなわち誰か他人と繋がることを想定している発言ってことでしょ?
確かにそういう体でPOSTする人もいるけどみんなじゃないし、仮にそういうものだとしたら、ネタ系のキーワードとかお絵かきはどこに行っちゃうのか?ってことになっちゃう。
あまり用途を限定して捉えないほうが良いと思うんだけどどうだろう?
と、ここまでトラックバックを貰った内容に対して私の捉え方をぶつけてみたわけだけど、やっぱり最終的には「人それぞれ」になるんだよね。
別にトラバをくれた人の捉え方はそれはそれで持っていて良いと思うし、たまたま私は疑問に思う点があったけど、納得して賛同する人もいるだろうし。
結局そういうことなんだよね。
だからほんとに思ったように好きな使い方をすればいいと思うんだ。いろんな使い方を混ぜちゃうのもありだと思うし。
ただ、先にも書いたように勝手に「ひとつ」に括っちゃって勝手な思い込みでそこに押し込めちゃうようなことさえしなければ。
ハイクってダイアリーとかブックマークに比べると狭い世界だけど、「文化圏」みたいな考え方が適用できるのかもしれないとふと思った。
そういえば前に「セグメント」について指摘されたことがあったし。
考えてみると興味深いような気がするけど、ケースを集めるのは意外に大変かも。
「ハイク全体がひとつのコミュニティ」みたいな捉え方をしてしまうとそうなりやすいのかもしれない。
ほんとは全然そんなこと無いのに。
Recent EntriesがTOPに来てる時点で、
ユーザーに対してコミュニケーションをとることを強く全面に打ち出してると思うんだが。
「自分のノート」だったら、まずidページがTOPに出てきてしかるべき。
はてダだって「はてな村」とかいわれるくらい独特なコミュニティを形成するブログサービスになってるわけで
(もちろんはてダだけではないだろうが)、
ハイクはTOPページに他のユーザーのコメントが掲載されてる時点で、
よりコミュニティ化しやすい=暗黙の規範が出来やすいと思うんだが。
これが問題になった書き込み。
Wikipediaは国際的なプロジェクトなので、時刻を統一するために、書き込み時刻や署名時刻など、ほとんどの時刻はUTCで書かれる。この時刻は、2008年11月19日 (水) 00:01 (UTC)のように、諸明治には最後に(UTC)が付く。だから、当然書き込み時刻の最後にも(UTC)が表示されているかと思ったら、書き込み時刻の時には後ろに(UTC)って付かないんですね。
それにしたって、UTCをGoogle検索すればWikipediaの世界標準時の解説がTOPに出てくるのだから、やっぱり毎日新聞はUTCをGoogleで引くことすらせず、そうとう急いでいたらしいことがわかる。
個人的にお絵かき系のキーワードは好きなので、形はどうあれこの手のキーワードが盛り上がるのは少し嬉しい。
それはさておき。
先のキーワードでは描いてもらいたい人がリクエストして、それを見た絵描きさんが描くというやりとりが行われていて、それを見てひとつ気がついた。
「最近交流を指向している人が増えてるかも」
なんとなくTOPページを眺めたとき、そういう雰囲気の人が多いからかもしれないけど。
ひとりごとを呟くというより、「誰か」に向けて呟いているのがチラホラ見受けられる。
もう文体自体が「誰か」に向いている。
この「誰か」というのは特定の誰かを想定しているわけじゃなくて、文字通りの「誰か」。
以前は誰に向けるでもない文字通りの「ひとりごと」があって、その中の何かが引っかかった人はReplyなりをするという形が多かった気がするけど、少し変わってきたんだろうか。
実際オフ会のキーワードへの反応で交流したいという気持ちを明言している人もいるし。
こうなってくるとやはり「ゆるい繋がり」というのとは少し変わってくるかな。
そこでふと「そもそも私は何を『ゆるい繋がり』と見ていたの?」という疑問が。
これについては次回にでも考えることにしよう。
個人的にはあれ位どうでも良いネタのが(「知り合いに向けたネタ」として日記を書く上では)楽でいいけど、普通に「ニュース」として使ってるならそう感じるかもね。
TOP に並ぶ記事が気に入らないってのなら、ミクシィニュースの右下の方に「ニュースの設定」てのがあるから、それでフィルタリングすれば良いんじゃないかな。多分、「エンターテインメント」を外すだけでもだいぶ違う。
記事に付いてる日記一覧は、まともに相手にしたら負け。mixi の日記(というか多くのその他の blog もそうだけど)のほとんどは、井戸端会議とか居酒屋での愚痴が可視化されてるだけだから、書かれてる内容自体にそこまで意味がある訳じゃなくて、仲間うちで「デスヨネー」とか言い合うためのネタでしかないと思う。書いてる本人が自覚してるかどうかは別問題だけど。
観察記23の続き。
例のごとく以下の文はわたしの主観によるものです。
前回「ルール」についてふっと思いついたことが、と書いた。
それはハイクでの「ルール」について考えることは「webのルール」を考えることに似ているということ。
ここで言う「webのルール」というのは「ローカルルール」に類するもの。
例えば最近はあまり見られなくなったけど「無断リンク禁止」とか「ブックマークはTOPページにしろ」とか。
これってページの管理者が主張するのは自由だけど、閲覧者なりがそれに従うかどうかもまた自由なわけで。
主張するのは自由なんだけど、強要はできないという。にも関わらず一定の効力を有する。なぜか?
その原因は「ゆるい繋がり」にあると考える。
前述の「ゆるい繋がり」について考える前に、一度エントリーへの反応について考えておこう。
ダイアリーではブクマやコメント以外にもPVなりで自分のエントリーに対する反応が分かる。
だがハイクでは自分のエントリーに対する反応の指標となるのはスター、Reply、スターコメントしかない。
これはハイクでは閲覧側が能動的に行動しないとエントリーへのレスポンスが反映されないということを表わす。
次に一番気軽な反応と思われるスターを付けるモチベーションについて考えてみる。
お手本的な答えをすると「エントリーに何らか共感を覚えたとき」となるだろう。
純粋にエントリーに対して共感を覚えることも多々あると思うが、この「共感」、ユーザーに対する印象にも大きく左右されないだろうか?
例えばよく見知っている仲の良いハイカーと見慣れない新規ユーザーどちらにスターを付けやすいだろう?
もちろんユーザーの姿勢にもよると思うが、前者のほうがスターを付けやすい人が多いんじゃないだろうか?
Followingページしか利用しない人にしてみたら、見慣れない新規ユーザーの投稿自体を目にしないということもあるかもしれないしね。
スターを多く得たいと思うならば、エントリーの内容に気を配ることに加え、既にある「輪」の中に入っていくのも一つの手だろう。
ここでもう一度「ゆるい繋がり」を考えたとき、この「共感」と「輪」はハイク内の「ゆるい繋がり」の一つの形と言えないだろうか?
わたしは言えると考える。
「ゆるい繋がり」に関してはこれまでも似たような言及もされていると思うので、敢えて言及する必要もなかったのかもしれない。
ではこういうケースを仮定して考えるとどうだろう?
他ユーザーからのレスポンスをハイク上で大きなモチベーションとしているユーザーがいるとする。
このユーザーがレスポンスを得るために「ゆるい繋がり」を頼りにしているとしたら?
「ゆるい繋がり」を維持するために「輪」の中の調和を乱さないように気を付ける必要があるだろう。
調和を乱さないためには「暗黙のルール」を守る必要があるかもしれない。
もしこの「暗黙のルール」から外れて「輪」から飛び出してしまったら?
ユーザー「h」ほどではないにしろ、他ユーザーから距離を置かれて自分のエントリーに対して能動的に反応されなくなったら?
そこまでハイクに執着する必要があるのか?という疑問を感じなくはないが、常駐に近い状態でハイクを利用している人にしたら切実な問題かもしれない。
人となりが影響しないほど、有無を言わさないほどのクオリティのエントリーをPostしている人なんてそうそういないしね。
この「ゆるい繋がり」を維持しようとするがゆえに「暗黙のルール」を守らざるを得ない人は結構いるかもしれないな。
この辺りがわたしの違和感の源泉と思う。いや、もう少し先があるかもしれない。
やや散漫な内容になってしまった気がするので、この件に関してはまた改めて考えるかもしれない。
観察記22の続き。
前回同様以下の文はわたしの主観であることをあらかじめおことわりしておく。
前回、ハイク初期の大喜利記を経て「ゆるい繋がり」が生まれ始めたところまで書いた。
Replyを使った個人同士のやり取りなんかもTOPページで見られるようになってきていたと思う。
今ではこの手のやり取りはidページで行われることが多いと思うが、当時はまだidページの使い方というのが今ほど浸透しておらず、TOPページの交流がメインだった。
(これはProfileというタブ名によるところが大きいのかもしれない。が、それは別の話。)
これまでのような大喜利の流れ、加えて「ひとりごと」などで行われる雑談的な流れ。
この辺りの流れが徐々に目立つようになってきた。
ほどなくしていくらかユーザー各の個性というか、色が見えるようになってきた。
そのせいかユーザーが個別にクローズアップされるなどのキーワードがチラホラ見られるようになってきた。
徐々に「内輪ネタ」であったり、所謂「馴れ合い」のようなものも目立つようになる。
そしてひとつ問題が持ち上がる。
「今のハイクはご新規さんには敷居が高いんじゃない?」
見知ったユーザー同士がレスを返し合ったり、誰か固有のユーザーのことで盛り上がっていたりすれば、それらの事情を知らない人からすれば入りづらいだろう。
でも今にして思えば「新規が入りづらい」ということ事態が「思い込み」だったんじゃないかなと。
だって必ずしも「輪」に入る必要なんて無いもの。それだけがハイクの使い方じゃないもの。
それに別にその人次第で「輪」に入っていくことなんていくらでもできただろうしね。
実際にいつの間にか「輪」に入っていた人はいたと思うし。
でも「こうあるべき」というものは徐々に出来上がっていく。
結局ハイクの多くの部分に影響を与えるのはこの「思い込み」の類なんじゃないだろうか。
ハイクの一部分はこの「思い込み」の輪の中で同じ事を繰り返してるだけなんじゃないだろうか。
以前も書いたが、利用者が気持ちよく利用できるようにユーザー同士の気遣いというのはある程度必要だと思う。
だけどそれは強要するものではない。
と、ここまで書いて「ルール」ってことについてふっと頭に思い浮かんだことが。
…24へ続く。
ユーザー「h」の件を一区切りとして、自分なりにひとつ結論が出た気がするのでまとめておく。
なお、以下の文はあくまでわたしの主観に基づく結論であることをはじめにおことわりしておく。
これまでハイク内で大小問題が起こり、収束するまでの流れを見ていて何度か違和感を感じてきた。
わたしはずっとその違和感の原因が分からないでいた。
でもひとつ、「ハイクはユーザーが思い込みで見えないルールを作り上げてしまう」ここに違和感の原因の一端があるんじゃないか、ってことに気がついた。
そのルールはいつできたのか分からない。誰が作ったのかも分からない。明確な基準もない。
そしてそれはどこにも書かれていない。
でも一部の人たちは何となくそれを意識していて、その枠の中で動いている。
ハイクはある意味、そのシステムは非常に自由なサービスなんじゃないかとわたしは思う。
例えるなら真っ白なノート。
そこに文字を書こうが、写真を貼り付けようが、絵を描こうがかまわない。
あまりに自由すぎて何をすればいいのか分からないから、試行錯誤しながら最初は使ってた。
はじめはきっとそんな感じだったんじゃないかと思う。
そんな中から何となく大喜利的な流れがひとつ生まれた。
でも少しずつ人が増えるにつれて、多様な使われ方が出てくるようになった。
そのうち常駐に近い状態でハイクを利用する人も増え、顔見知りみたいなのもできてきた。
そうして人と人との繋がりが生まれてくると、何となく他の人に気を遣おうという意識を持つようになる。
特にTOPページに関しては多くの人が目にする場所だし、みんなが気持ちよく使える方がいいよねという感じで。
そのためにはある程度ルールがあったほうが良いよね、みたいな流れで暗黙のルールが出来始めたんじゃないだろうか。
もちろんみんながみんなそのルールを知っていたわけではないと思うし、必ずしもそれに納得していなかったとも思う。
「わざわざ外れたことして文句言われるのも詰まらないし、別に意地になって破るほどのことでもないから、何となく収まっておけばいっか」
くらいに考えてたは少なくないんじゃないかと思う。
そうして何となく「ゆるい繋がり」が生まれ始めた。
・・・23へ続く。
その後、別アカウントにてそれらしき人物が現われた(便宜上h2とする)がごく一部を除いて、今回は特に絡んでいく人は少ない。
「h2」は「h」のようにTOPページでは極端な行動はしていないということもあるだろうけど。
ここから少し単純な感想を書く。
何というか虚しい。
あれだけ大騒ぎして利用停止にしても「h」は結局戻ってきている。
まぁ、2回目ともなればちょっとのキッカケがあれば再び停止に追い込むことは容易かもしれない。
「h」はやや極端な例だったけど、今回のように何か問題が起こる度に一連の追い出したユーザーは同じようにするんだろうか。
今回は極端だったから特例?どこがその境目?
どこまでその「戦い」を続けるのだろうか。その「戦い」の度に自分の不快を周りのユーザーにまき散らすのだろうか。
何がそこまでさせるんだろう。
取り留めない「?」が頭の中に浮かんでは消える。
http://anond.hatelabo.jp/20080921012956 のほぼコピペ。
何も考えず巨大化してるのでメニューとか見えなくなりますあしからず。
動画プレイヤーを最大化する需要は他のサイトにおいても存在するし繰り返しは悪なのでスクリプトを汎用化してwedataあたりにおいてあるプレイヤー定義ひっぱってくるようにしたらいいんじゃないかと思ったがまあそれはそのうち。
Tube8用:
//tube8widen.js (function() { if(!document.location.href.match(/http:\/\/www\.tube8\.com\/.+\/\d+/)) return; var do_resize=function(player) { player.style.position='absolute' player.style.top=0 player.style.left=0 player.style.zIndex=10000 player.style.width=(document.body.offsetWidth-100)+'px'; player.style.height=''+(player.offsetWidth*0.75)+'px' } var i_id=setInterval(function() { var player=document.getElementById('flvplayer') if(!player) return player=player.childNodes[0] do_resize(player) window.onresize=function(){do_resize(player)} clearInterval(i_id); },100); })();
redtube用
redtubewiden.js (function() { if(!document.location.href.match(/http:\/\/www\.redtube\.com\/\d+/)) return; var do_resize=function(player) { player.style.position='absolute' player.style.top=0 player.style.left=0 player.style.zIndex=10000 player.style.width=(document.body.offsetWidth-20)+'px'; player.style.height=''+(player.offsetWidth*0.75)+'px' } var i_id=setInterval(function() { var player=document.getElementById('redtubeplayer') if(!player) return do_resize(player) window.onresize=function(){do_resize(player)} clearInterval(i_id); },100); })();
前回書いたユーザーの問題で昨日は一悶着あった。そのユーザーの傾向とは、
なのだが、その後も他ユーザーの「忠告」も無視し続け(理解してない?)我が道を通していたところ、
いよいよ問題のユーザーのidページに他ユーザーが乗り込んできて「対話」が行われていた。
「対話」とはいうものの、かなり過激なやり取りだったように思う。
しかも書き込んでいるユーザーが問題のユーザーのidを揶揄した明らかなサブアカウントである。
正直、若干の恐怖を感じた。路地裏に引っ張り込んでリンチかましているような。
問題のユーザーのスタンスにも問題があったのかもしれないが、あまりにも度を超えているんじゃないだろうか。
わたしははてな内の揉め事にそれほど詳しくないのだが、ダイアリー辺りでもこんなやり取りが起こるんだろうか。
ハイクのような場の流れが早い場所で、矢継ぎ早に追い込みをかけるようなやり方はいかがなものかと思った。
また他方では積極的に運営に働きかけ、アカウント削除を試みる人もいたりするようだ。
確かに問題のユーザーとの対話は暖簾に腕押しのような印象を受けたし、
実際に人によっては「粘着」と受け止められかねない絡み方が原因でハイクを去ったユーザーもいるようだ。
それにしても「毒には毒を以て」というのは問題があるんじゃないだろうか。
「そうは言っても、理屈が通じない」と言われると上の行と無限ループが起こってしまいそうだが。
しかし問題ユーザーを責めるための「正義感」はあまりにも不確かだし、いちユーザーがそこまでの権限を持つとも考えにくい。
このように一部のユーザーが強硬な姿勢を示すことで、それを目にしたライトなユーザーは何らかの「畏怖」を感じるのは想像に易い。
こうして一部ハイク内に「学級裁判」な空気が蔓延し、より「村」としての性質が強まる。
TOPページでのライトな雰囲気の裏にidページ等に流れる重い黒さ。
何が正しいのか分からなくなる。
まず「表」と「裏」という書き方をしたことについて。
これはTOPページを表、idページを裏と便宜上定めただけです。
ご存じの通りidページの投稿はTOPページに出なく、目に付きにくいことからハイカーの間でも「裏」と称されることが多いため、
これに関しては、言葉が足りなかったためご指摘のような印象を与えてしまったのかもしれません。
次に「観察記」と題していることについて。
これも単純にハイクで起こっていることを書き記すに当たって、手近にあった、たまたま思いついた言葉を使用しただけです。
確かに「観察」と銘打っていてもわたしの考察が少なからず入りますので、ご指摘の通り「観察記」とするのにはややズレているかもしれません。
この点に関しては否定しません。
またハイクのクラスタ分割が起こっているということに関しても同意です。加えてわたしが記述していることがハイクの全体の空気であると言い難いということも分かります。
しかし、わたしが見つめている部分がハイク全体の空気に少なからず影響を与えているというのもまた事実だと思っています。
それが全てではないが、ある意味ハイクを語る上で外せない部分ではないかと考えます。
サービスインから約10ヶ月。わたしは多くの時間ハイクを見つめてきました。
その間いろいろなことがありました。
いろいろなユーザーが繋がって和やかな輪が作られた時期もありました。
問題が起こって色々な人が頭を悩ましたこともありました。
そんな様々がありながらも、(わたしの主観ですが)明るい雰囲気だった時期もありました。
しかしその一方で様々な摩擦から離れていったユーザーもいました。
ハイクがはてなの他のサービスと少し雰囲気が違うと言われていたように、ある一定の平穏(馴れ合い)が保たれていたような気がします。
しかし緩やかにハイクの雰囲気は変わっていきました。
ユーザーの入れ替えが起こり、退会宣言等も幾らか見られるようになりました。
わたしはどうしてハイクの雰囲気が変わってきたのか、そこで起こっている価値観のぶつかり合いとは何なのかが気になって、この記事を書き始めました。
以上のような経緯があるため言及する部分に関して幾らかの偏りがあるかもしれません。
ただすべてのユーザーの投稿を見ることはできませんが、それなりに広い範囲の投稿を見ているつもりです。
限られたユーザー同士idページでの交流をする人、ひたすら日常を呟く人、写真だけ絵だけ投稿する人。APIを使って開発する人。
それらについても多くとは言えないまでも、多少は言及してきたつもりです。
ただわたしが今考えたいことは先に書いたようなことです。
可能な限り視点を広げて、公平な視点から考えたいとは思いますが、どうしてもフォーカスされる場所が限られることはあるかもしれません。
それに関して気分を害されると仰るなら「観察記」と題するのは今回限りにしましょう。
最後にわたしは揉め事が大好きなどではありません。これはハッキリと言わせてもらいます。
ハイクで様々な揉め事なりが起こったことで、わたしが好きだったユーザーたちがハイクを去りました。
揉め事なんてない方が良い。場の雰囲気は和やかな方が良い。
でも残念ながらそうはならなかった。では何が原因か?原因が分からないまでも何が起こっているのか?
それについて考えてみたくなっただけです。
文章力が拙いため、内容が散漫になってしまったかもしれません。すみません。
長文失礼しました。
わたしが言いたいことは以上です。
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前回書いた「議論」がまだ尾を引いていて一悶着があったようだ。
議論の内容はさておき、そのやり方がどうも問題だったようだ。
一つはTOPページでそれを行ったこと。もう一つは議論の参加者のスタンス。
ざっと流れを見てみたけど、いろいろな価値観が入り交じりすぎてもはや良く分からない。
ただハイクへの人の流れが若干変わってきてる感じはした。
「はてなキーワード」から流れてきているかもしれない、という声が見られたがその辺が関係しているんだろうか。
あとはブックマークか。
ハイクのエントリーにもブックマークがついていて、それを見て来たという人もいたし。
前回は「ハイクが山奥の集落化に向かってるかもしれない」と書いたけど、
実はそれは逆でキーワードのリニューアルやAPIの解放などによって、風穴が開き様々な風が流れ込んできている状態なのかもしれない。
その延長でブックマーク(B)やダイアリー(D)から人が流れてくることが多くなるのかもしれない。
いや、もともと(B)も(D)の人も眺めていたのかもしれない。
ただハイクはほかのサービスと微妙に空気が違ったため、書き込むまでいってなかっただけかもしれない。
今回のような「議論派」だったり、ほかのサービスを中心に使ってる人が何らかのキッカケでハイクに流れてくるとまたハイクの雰囲気が変わるかもしれないな。
これからハイクはどういう方向に転がっていくんだろう。
キーワード同士がうまく連結されるといいんじゃないかと思うんだけどね。 なんか素敵な仕組みはないかね。
というのがあり、確かに「はてなキーワード」とも繋がったし何か面白い使い方が生まれるといいな、
と思っていた矢先に興味深いことが起きていた。
あるキーワードの下でちょっとした議論が起こっていたようなのだが、
話の内容が重かったせいかTOPページでの展開を嫌う流れが起きていた。
基本的にライトな話題が多いハイクだけに少し重い話が出ると際立つらしい。
またそれを指して「ここでやるな」的な雰囲気に包まれるのも不思議な感じだ。
確かに論調によってはTOPページの場の空気は重くなり、緊張感が漂いいたたまれない感じになることもあると思う。
しかしながら「キーワードで繋がる」というのがテーマのハイクなら問題は無いような気がしそうなものだが。
仮にそのキーワードでの議論が不要であると思えばFollowingという選択肢もあるし、グリースモンキーのスクリプトを使うという手段もある。
にも拘らず、敢えて苦言を呈し自粛を促すというのはどういう流れなんだろうか。
やはり「TOPページ尊重論」というのは「個人の理解を超えるものに対する排除」ということに繋がるんだろうか。
だとすれば、その「個人の感覚」というのは誰に寄るものなんだろうか。
この辺りの感じがブックマークやダイアリーと比べた場合のハイクが特異な点となるんだろうか。
ハイクはただの村から「山奥の集落」の状態に向かってるんじゃないかとふと思った。
【追記】
もうひとつ気になったことがあった。
Google Adの表示形式が変わったようなのだが、これに嫌悪感を感じる人が多いように見受けられた。
確かアドの文章を使ったキーワードなんかもあって、かつてはそれなりにPOSTもあったと思うのだが…。
「長文論議」はひと段落したようだけど、ユーザー間の揉め事(?)が原因で、退会やエントリー削除が幾らかあったようだ。
こういう場合の心理状況ってやはり、「もうめんどくさい」とか「もう見たくない」だったりするんだろうか?
それとも一連の行動自体が「抗議」的なスタンスだったりするんだろうか。というのは考えすぎかな。
個人間の揉め事もそうだけど、色んな要素が絡まりあってハイク全体的に不穏な空気が漂っているような気がする。一触即発というか。
直接ハイクの出来事とは関係ないが、たまたま読んでいた本に書かれていたことが引っかかった。
それは、「人は理解を超えたものに遭遇したとき、それを恐怖、嫌悪、排除の対象とする」みたいな感じのこと。
これを読んでピンときた。「あぁ、そうか。ハイクで時折見られる現象はこれか」
もう何ヶ月も前の話になるが、ある特定の時間帯になるとひたすら「へのへのもへじ」を連投するユーザーが現れた。
特に文章の投稿もなく、ひたすら「へのへのもへじ」。
そのころには既に「TOPページ尊重論」が出来上がっていたので、程なくして衝突が起こった。
「へのへの」側のユーザーの言い分は正直、私も良く分からなかったので割愛する。
そして既存ユーザーの言い分はこう。「そんなに画像を連投したら携帯ユーザーが見づらい」など。
この主張は近頃の「長文議論」にも通じるところがある。まぁ、それはいい。
その時、たまたま見かけた書き込みで引っかかってたものがあった。それは「正直、気持ち悪い」。
そう、始めは無言で、その後の「へのへの」ユーザーの主張はなかなか難解なこともあり、多くのユーザーが理解し切れなかったのだ。
そこから「自分が理解できないものは不快、だから排除」この向きがハイク内では強いということが分かったのだ。
もちろんそうではない流れもあるのだけれど。
当時も漠然とそれは理解していたし、その傾向に関して言及する人も幾らかいたように思う。
ただここへきてそれがより明解になったというか。