ユーザー「h」の件を一区切りとして、自分なりにひとつ結論が出た気がするのでまとめておく。
なお、以下の文はあくまでわたしの主観に基づく結論であることをはじめにおことわりしておく。
これまでハイク内で大小問題が起こり、収束するまでの流れを見ていて何度か違和感を感じてきた。
わたしはずっとその違和感の原因が分からないでいた。
でもひとつ、「ハイクはユーザーが思い込みで見えないルールを作り上げてしまう」ここに違和感の原因の一端があるんじゃないか、ってことに気がついた。
そのルールはいつできたのか分からない。誰が作ったのかも分からない。明確な基準もない。
そしてそれはどこにも書かれていない。
でも一部の人たちは何となくそれを意識していて、その枠の中で動いている。
ハイクはある意味、そのシステムは非常に自由なサービスなんじゃないかとわたしは思う。
例えるなら真っ白なノート。
そこに文字を書こうが、写真を貼り付けようが、絵を描こうがかまわない。
あまりに自由すぎて何をすればいいのか分からないから、試行錯誤しながら最初は使ってた。
はじめはきっとそんな感じだったんじゃないかと思う。
そんな中から何となく大喜利的な流れがひとつ生まれた。
でも少しずつ人が増えるにつれて、多様な使われ方が出てくるようになった。
そのうち常駐に近い状態でハイクを利用する人も増え、顔見知りみたいなのもできてきた。
そうして人と人との繋がりが生まれてくると、何となく他の人に気を遣おうという意識を持つようになる。
特にTOPページに関しては多くの人が目にする場所だし、みんなが気持ちよく使える方がいいよねという感じで。
そのためにはある程度ルールがあったほうが良いよね、みたいな流れで暗黙のルールが出来始めたんじゃないだろうか。
もちろんみんながみんなそのルールを知っていたわけではないと思うし、必ずしもそれに納得していなかったとも思う。
「わざわざ外れたことして文句言われるのも詰まらないし、別に意地になって破るほどのことでもないから、何となく収まっておけばいっか」
くらいに考えてたは少なくないんじゃないかと思う。
そうして何となく「ゆるい繋がり」が生まれ始めた。
・・・23へ続く。
観察記22の続き。 前回同様以下の文はわたしの主観であることをあらかじめおことわりしておく。 前回、ハイク初期の大喜利記を経て「ゆるい繋がり」が生まれ始めたところまで書...
観察記23の続き。 例のごとく以下の文はわたしの主観によるものです。 前回「ルール」についてふっと思いついたことが、と書いた。 それはハイクでの「ルール」について考えるこ...
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