はてなキーワード: 小泉改革とは
http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20090923
http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20090926
ここでは「不幸の平等化」が悪いことであるかのように書いてるが、再配分政策だって貧乏という不幸を平等化する行為なわけで書いてる人自身が足の引っ張り合いに加担してるように見える。
世の中に不幸がなくならないなら、なるべく平等に不幸なほうがいいだろう。
失業倒産とか一部の人に不幸が集中するような世の中が本当にすばらしいんだろうか。
というか不幸の不平等化をやったのが小泉改革なんじゃなかろうか。
格差を広げる構造改革を批判しておきながら不幸の平等化を批判するのが理解不明。
じゃあ不幸の不平等化をやりたいのかとこ一時間問い詰めたい。
失業倒産とかに遭いにくい比較的恵まれたほうの人により多く負担してもらうのがあるべき再配分のはず。再配分の財源を貧乏人から取るような福祉じゃだめだろう。その意味では脱官僚で無駄遣い減らして直接給付にまわす事だって別に悪いことではない。
http://www.youtube.com/watch?v=_bqMegdZ-lY
↑これ。
小生が小学6年生のとき(はい、まずシャレ一つ入った)のことである。
参議院選挙があって、比例代表制の導入により少数政党でも議席が確保できるのではないかという予想が広まり、日本全国から胸に一物ある豪傑たちが我も我もとこぞって立候補をし、まさに混迷と高レベルネタの宝庫となっていた。
その後の数年に渡り小生と(中生なのにね)愉快な仲間たちのあいだではその時のことを思い出してはキャッキャ(もしくはカーカカカ)と笑っていたものです。
その中でもひときわネタ度数が高かったものに「全日本ドライバーズクラブ」というのがありました。
小学生だった我々が覚えてい、(←ここ大江健三郎風)ネタとして重宝したキラー・ワードは「酒を飲んでいても事故を起こさないものは起こさないんです!」だった。
結局わたしたちはそれらを公然と見ることのできたキチガイとして見ていたのですね。実際そういうボーダーライン上のものも多数あったのです。UFO党(韮沢さんのとこ)とか。
2009年初秋、ふと思い出した小生はインタァル・ネェットゥ(より正確な発音を普段から心がけています)を駆使し、全日本ドライバーズクラブについて調べてみると、なんと動画を見つけることが出来たのだ!
どんな楽しいキチガイだろうと思って閲覧していると、これはこれは、、、すでに32歳になっているオッサン小生(←小生意気な知恵をつけてしまっている。主にワイドショーとスポーツ新聞で)から見ると、意外や意外けっこうまともなことを言っているではないか! というかこれいわゆる小さな政府論でしょ(←ここは弁当爺風)。
つまり全日本ドライバーズクラブというのは一人小泉改革だったということだったのだ(この辺の結論がワイドショーでつけた知恵の限界を露呈してしまっている)!
中学のときのお友達におしえてあげよっと。
谷垣・河野両氏に続く第三の候補とされる西村氏出馬への指摘として、あまり見かけない部分を(半分思い付きだが)書いてみる。(以下敬称略)
いくつかのブログやBBSを見て回ったところ、彼は「河野票(若手への世代交代派)を削ぐための当て馬」という意見を見かける。まぁ普通に見ればそうなのだが、それだけだと思うとどうにも不思議な部分がある。
まず、彼の主張は河野とあまりに違いすぎ、それでいて谷垣の主張と被る部分が多い。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009091900223
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009092100296
これは「河野票を削ぐ」という目的のみを持っている場合、明らかに失策と言える。彼の主張に同意する存在が「ただ若手というだけ」で、西村がいない場合に河野を支持するか?という問題に行き着くからだ。
例えばこれが
「小泉改革路線支持」
「安保・外交課題など野党にとっては影響力の乏しい部分だけ河野との差異を強調(それが河野支持に回れなかった理由と説明)」
などの主張をしていれば、また話も違ってくる。
西村という人物の経歴的にはこういう主張も十分に可能な筈で、それ故の人選という見方もできるくらいだ。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-998.html
このままでは、実際に彼が食う層は「若手にすべきだが河野では」という理由で「政策的に谷垣にしよう」と考えてた層も含まれてしまうだろう。むしろ「対河野専用当て馬」であれば、本来は最も取り込まなければいけない「谷垣(長老支配・派閥支配)でなければ誰でも良い」という層が逃げ出すような話が、公示直後にメディアを通じて流されてもいる。
http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2009-09-19
事前運動があったなら兎も角、唐突な出馬表明であれば余計に下種の勘繰りのネタになる。まして今回投票権を持っているのはインサイダーである国会議員や党地方組織の人間だ、こういう話が早期から表沙汰になる以上、彼らの行動は当然こうした噂を踏まえたものとなるだろう。こういう状況下では「若手にすべきで河野は嫌だが仕方ない」となってたかもしれない人達が「一応若手だし西村にしとくか」と妥協する可能性は限りなく0になったと言えるのではないだろうか。
では彼の立候補はまるっきり無駄か?それとも別の思惑があるのだろうか?
私はひょとすると「谷垣の勝ち過ぎ警戒」のために引っ張り出されたのではないか?と考え始めている。
今回の選挙では地方票の割合が多く「彼に国会議員票で負けても地方票で逆転が可能」と言われているが、それ以上に党長老が心配しててもおかしくない事がある。それは「地方で圧倒的な得票」を得てしまうと「国会議員軽視の可能性」が出てくるのではないか?という事だ。
これはごく身近に小泉という先例があり、長老たちも散々手を焼いた記憶があるだろう。地方組織からは「小泉改革路線が地方組織をズタズタにした」という感覚があるとされ、河野が「小泉路線の継承」、谷垣が「小泉改革の否定」を旗頭にした場合、地方票が谷垣に殺到する可能性がある。仮に河野と2者での対決となったとして「地方票300対0」という結果になった場合、谷垣がこれを理由に暴走しないという担保がない。
一端総裁についてしまえば選挙での公認権などで強力な権限を持つ事ははっきりしている。反麻生の動きがいずれも腰砕けになった要因もこれだという主張も散見される。
http://www.news.janjan.jp/government/0907/0907187332/1.php
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090722/168980/
森たち長老が野党にまで落ちた未だに総裁選に口を出すのも、次の選挙で差し替えられるのが怖いからかもしれない。
「私が総裁になれたのは議員票以上に地方組織からの支援があったからだ!」
谷垣がこう言い出して長老の言う事を聞かなくなったら?そうならないために、谷垣への支持は「地方中心」「地方票だけでも谷垣総裁」という状況になっては困る。
だからこそ、西村が狙っている(指示された)のは「河野に流れる地方票の削減」ではなく「谷垣に流れる地方票の削減」なのではないのだろうか?
まぁこれも下種の勘繰りではあるので、単に西村が自分の役割を理解してなくてアホな事言ってるだけかもしんないけど。
まあ、何とかなるんじゃね?
選挙後10日ぐらい経って、ニュースとかワイドショーなんかで「民主党政権になったら」っていう特集をよくやってる。
その手の話題の後の、割とお決まりの締めゼリフ
マニフェスト解説では「我々は巨大与党となった民主党がこのマニフェストを本当に実行できるか見張る必要がありますね」とか
連立がらみでは「難しい舵取りをどれだけ早急に進めていくかですね」なんてのや
小沢一郎の幹事長就任決定あたりからは「二重権力になることだけは避けて欲しいものですね」て感じのも。
まぁ気持ちは分かるし、どうせならできれば”早急に実現”して欲しいとは思うけどさ。さすがにちょっと民主党可哀想になる。
巨大与党って言われても、4年前の郵政選挙の時の自民の議席数の方が今の民主の議席数より多かったわけだし。
4年前の自民党勝利後に、掲げたマニフェストがどのぐらい実現可能なのか、あら探し的な特集なんてしてなかったと思う。
安全保障(ひいては自衛隊・九条がらみ)での意見対立を10日で手打ち出来ると、本当にマスゴミの皆さんは思ってるのかな。
二重構造とか言い出したら今までの自民党はいったい何重構造なんじゃい、っていう感じだし。
そもそも日本の政治史を見ても権力が二重になってない時期なんて、ほとんどないじゃん。
今まで長い時間をかけて作られてきた世の中の仕組みが、そんな、2週間で変わるわけないし、4年で変わるとも思わないんだけど。
こういうのって、自民政権が悪かった、とか民主政権になったら改善される、ということじゃなくって、
日本人の国民性がそもそもの原因なんじゃないかと邪推してるんだけど。
勝ち馬に乗る生活行動がすっかり板に付いた感じで(いくら小選挙区制になったとはいえ、なかなかの衆愚的結果だと思わないでもない)
オウンリスクを取ってまで大きな変革を望んだりはしない(小泉改革で掲げた”痛み”の意味を理解して当時自民党に投票した人がどれだけいるか)
取りあえず安全な暮らし、が何によって維持されてきたかなんて考えたことがない(いいたかないけど百姓根性っていうか)
そういう国民性の方が、政治を誰がやるか、ってことよりも原因として大きそうな気がするのだ。
まぁいくらなんでも、そんな切り口でワイドショーの特集組むわけにもいかないと思うけども。
そもそも、バカかと思われたくないので友人知人にもこんな話できなくて、増田に書き込むしかないぐらいの邪推・暴論ではあるんだけども。
個人的な主義としては、日本の経済状況も世界の流れも、高度資本主義に両足ずっぽし入っちゃってる以上、
こっから4年間が民主党的低成長になるとしたら、ちょっと厳しいなーと思ってたりするのだが。
とはいえ、せっかく変わってしまったのだから、せめて改善できるところはして欲しいと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/yellowbell/20090831
二大政党制の一方に振り子が振れて、これでようやく「何をするか」ではなく「何をしたか」でふたつの党を選べる時代になったわけです。
民主党国民新党社民党とか野党にも与党を経験した人がたくさんいるわけで「何をしたか」で選べるのは93年非自民連立ができてからずっとそうだった。これからは二大政党傾向が加速されてますます選択肢が減るだけ。何をしたかでいろいろな党を選べる時代が終わってしまうことに危惧は感じないんだろうなこういう人たちは。「現状に不満があるなら野党に入れよう」程度の低い意識で与党とほとんど変わらない野党第一党に入れて次の選挙でまた現状に不満を感じて自民民主入れ替えて同じようなこと繰り返すだけだろう。現状に不満があるからと言ってそれが今の野党が与党になればましになるとも限らないし、逆に現状に満足できていたとしても今の野党がもっと満足させられる可能性もある。そして不満の分野とか程度にはいろいろ違いがあるわけでたった二つの政党では政権交代が起こっても一体どういう点が不満だったのか全然伝わらない。今回の選挙だって小泉改革への不満で自民下野とか言うけど選挙直前に結党したみんなの党が票取ってるけど国民新党や社民党は減らしてる事から見てもそうともいえないように思う。中選挙区制みたいに多数の党が乱立してどの選挙区にもみんなの党国民新党共産党新風みたいに主張のはっきりした政党の候補がいれば、改革自体が嫌だったのか改革が不十分だったのか、右翼がいいか左翼がいいのかとかもっと民意がわかりやすくなったはず。
さて、国政選挙編。
http://anond.hatelabo.jp/20090725024708
http://anond.hatelabo.jp/20090726002306
このエントリ↑の続きです。
俺は、上記のエントリからも予想がつくと思うが、国政選挙では、小泉流の構造改革路線を支持した。公共事業をガンガン削れ。既得権益を完全に打破すべきだ。自民党をぶっ壊す。この言葉を俺は、断然支持した。これで日本が良くなる。脂ぎったオヤジたちは、消滅はしないが、間違いなく勢力は弱くなる。日本の赤字状況も改善されるはずだ。公共事業に依存するのは、一種のパターナリズムだ。それよりも、自発的起業体制を整えるべきだ。労働者派遣など、行き過ぎた面もあると思ったが、痛みを伴う改革である以上、一時的にはやむを得ないと思った。
安倍首相の下で参議院選挙が行われたとき、俺は、悩んだ。小泉流を継承する経済政策については、安倍晋三を支持できる。しかし、「美しい国」のフレーズの下、前面に提示してくる保守的価値観には合わない。価値を国家という装置によって押し付けようとする姿勢に嫌気がさした。価値は家族や地域、コミュニケーションなどの空間で形成されるべきであって、国家が押し付けるべきではない。価値の多様性、多元性を認めるべきだ、というのが俺の立場だ。
この時の選挙で、民主党は、公共事業の拡大による景気対策を主張した。これは昔の自民党と変わらない。脂っこいオヤジたちの世界だ。民主党案では、国の財政状況を改善できるのか、と。
昔からの自分の政治信念を優先させるならば、自民党。しかし、価値の押し付けには反発がある。悩んだ末、俺は、批判票として、共産党候補に入れた。結果は、自民党の大敗、民主躍進。民主党の政策には、賛意を示す点もあるが、構造改革路線を批判した点には賛成できなかった。
結局、自民党も、構造改革路線からの後退を始めた。このとき、自分が支持する政党がなくなった。精神的、価値的な次元では、多様性、自由を容認すべき。経済については、選挙の足を引っ張り、既得権益をむさぼる利権団体をぶち壊し、財政再建に取り組む。自分の立場は、ここなのに。決して異常な立場ではない、と思っているのに。
このエントリ(→http://anond.hatelabo.jp/20090726011213)にも多少関係のある話ですが、自分の立場は、保守、リベラルという枠組みで自己規定することができない、という自覚はある。上記のエントリは、おそらくアメリカの共和党と民主党の対比をモデルとした保守、リベラルの対比だと思う。特徴的な人物と言えば、共和党がレーガンで、民主党がリンドン・ジョンソン、かな。
このような枠組みに、自分は当てはまらない。政治理論に関する文献は、大学の時にかじっただけであんまり詳しいわけではないが、自分は、典型的な保守でもないし、典型的なリベラルでもない。自分の立ち位置がわからない。こういうのは、変なのかな。
自分の考え方の奥にある話。なぜ公共事業が無駄、と思われるのか。
一言で言うと、役に立ったと実感できないから、だと思う。橋を造る、道路を整備する、としても、すでに現状に特に不満がないならば、役に立つ実感を得ることができない。
例えば、3年ほど前、とある県のとある県庁所在地に住んでいる20代後半男性の「俺」の実家から徒歩10分ほどのところに、新しい橋が建設されました。橋を渡ったところに大型の買い物施設があるわけではありません。近隣住民は、通常の生活をしている限りではあんまり使いません。自動車を利用する人たちも確かに以前よりは便利になったと思いますが、以前も不便で不満だらけだった、というわけではありません。もちろん、トラック運送業者の方々など、自動車運転を専門としている方はどう思っているのかはわかりません。だけど、日常生活で自動車を使うレベルの人間では、過去の状態に不満があったわけではない。
つまり、20世紀後半に自民党が色々開発してくれたおかげで、ある程度、生活基盤が整備されているわけです。新たに道路や橋を造っても、確かに便利になったといえばそうだけど、別に以前の状態に不満があったわけでもないのです。公共事業の成果を実感できない。だから道路、箱モノを造る公共事業が無駄、と思われるのです。
裏を返すと、役に立つ、と実感できる公共事業を実施すれば、支持を集めることができる。
例えば、名古屋の天守閣工事。詳しくは、このエントリを参照→http://anond.hatelabo.jp/20090726163635
名古屋在住ではないのでわかりませんが、名古屋市民が役に立ったと実感できるならば、有益な公共事業だと思います。
そして、今、現在。
自民党の政策は、箱モノ行政から脱却できていない。生活者レベルで役に立ったという実感がないのに、公共事業の投下。だから、利益を与える代わりに票を得るという構造だ、既得権益だ、と批判の対象となる。麻生首相は大型公共事業を実行したが、あくまで目的は景気対策。生活者の利便性の向上、ではない。だから、特定集団の支持(=業界団体の票)しか集められない。公共事業を遂行しようとするならば、生活利便性の向上以上の正当化根拠が必要だと思う。
では、民主党はどうか。箱モノ行政を支持する人たちは、相対的には自民党よりも少ないが、民主党内部にも、存在している。あくまで私が書いた最初のエントリは、とある県のとある県庁所在地の話なのです。とある県のとある県庁所在地の民主党系の市長は、箱モノ行政体質を改善して、赤字財政をなんとか立て直している、というだけ。
だから、民主党政権になったら箱モノ行政を改善する、という期待感はあるが、実際のところは不明。予算の組み替えは、現実路線なんかに走らずに突っ切れるならば、凄い。高速道路の凍結も断固として実現できるならば、凄い。だが、実施できるのかという面は不安。
道路や箱モノよりも、医療や教育にお金を回すべきだという民主党の方向性自体には賛成できる。民主党政権が誕生した場合、戦後の日本が形成してきた社会システムをどれだけぶちこわすことができるのか、は個人的に注目している。また、民主党案では、財政赤字の解消ができるか不安。ま、これは自民党案でも同じだけど。プライマリーバランスの問題はどこに消えたの?
今の自民党の迷走を招いたのは、おそらく、安倍晋三がバカだったからだと思う。
小泉さんは「痛みを伴う改革」と言った。ある程度の「痛み」は織り込み済みなんだ、と。小泉が選挙で圧勝した以上は、国民は「痛み」を共有すべきだ、と思った。だから、安倍が惨敗した参院選の結果に、俺は、国民のわがままさを感じた。かく言う俺も、安倍晋三を支持しなかったんだけど。
小泉改革への批判と受け止められているが、俺は、安倍晋三の選挙対策がバカだったから、と思う。小沢さんが「国民の生活が第一」と、生活者レベルの問題、さっきの自分の言葉でいえば、役に立ったかどうかという実感を改善すると訴えたのに対し、安倍ちゃんは、「美しい国」。イデオロギーには、やはり信者しかついていけない。イデオロギーを前面に出せば、神々の争い、世界観闘争を生み易く、反発も招く。しかも、安倍ちゃんの場合、バカ右翼と同レベルで、歴史的検証を欠いている。こういうこと書くと、お前はサヨクか、と思われるけど、俺は福島瑞穂の憲法観もカスだと思っているからね。私はやや特殊な立場です。
憲法改正よりも、生活レベルの改善。イデオロギーよりも、景気や、雇用を争点化した方が支持が集まる。これに着眼した小沢さんは、参院選で大勝利。自分は支持しなかったけど、選挙対策能力の高さはさすが、と思った。
イデオロギーを前面に出さず、小泉さんの後継者として政治改革、経済政策を実行していればよかったんですよ。結局、それがわからなかった安倍ちゃんは、保守観丸出しのイデオロギーを表明し、反発を招いた。その後の自民党の顛末は見ての通り。福田、麻生と続き、小泉改革を揺り戻す。昔の自民党に戻ったといわれても仕方がない。
選挙というのは単一の争点で戦うものではないが、経済政策に関しては自民党は行き詰まりを示しているんじゃないかなーと思う。自民党政権で恩恵を受ける人が特定化、特権化され過ぎていて、国民の一部にしか恩恵が受けられない。恩恵を受けない人にとっては、なぜ恩恵を受ける特別な業界があるのか、という理由が欲しい。なのに、その理由は、もうすでに賞味期限切れ。
麻生内閣は特に失政はしてないんじゃない?って前提を文に入れたつもりだけどね。
明らかにダメなことやり続けたら仕事しても評価されないで政権交代だろう。
まぁでも実際、俺は麻生内閣に関しては支持してるつもり。(何か運動してるとかは一切無いけどな。)
俺は安倍も福田も麻生も掲げてる政策は良いと思ってたんだけど、その実行を邪魔してる民主党がいると、
成果が何も出ないうえに停滞するし、本当にそれが良かったのかどうかの判断も出来ないし、なんだかな~と思ってる。
でも世間では民主党支持が増えてるんだろ?わからんねぇ。
話長くなるけど続けさせてもらうけど、
俺の記憶だと鳩山って以前民主党の党首だったときに、当時の小泉総理に向かって
「あなたが構造改革を失敗しても我々があとを継ぐ」
みたいな趣旨の発言してるんだよね(正確な発言は忘れたけど)
小沢も構造改革と似たような政策書いた本出してたような?読んでないから知らないが。
だけどその後結局小泉改革の負の側面がどうたらって言い始めたんだよな。
野党だから政権批判するのは良いと思うよ。本来の姿に戻ったといえる。
だけどそうすると今度は小泉改革とは少し違った政策出してる、
安倍福田麻生の各内閣と対立してるのは何故?って疑問が俺に出てくる。
結局当時「抵抗勢力」と呼ばれてた自民党内部の人らと民主党は違うんだ、
って思われたくて前述の鳩山発言になったんだなと思うしか無い。
だけどそうするとまだ疑問が出てきて、
当時抵抗勢力扱いで自民党を最後に追い出された国民新党の連中と連立政権するみたいな話になってるのはどうなの?
ってなる。
鳩山兄の話のついでに弟の話もするけど最近自称正義の人として内閣批判してるけど、
その後に民主党作ったのは人生の間違いだとか言って自民党に戻ったんじゃなかったっけ?
総裁選のときに何度も麻生立てて麻生内閣作ったのも間違いですか?
なんか話がどんどん反れて鳩山兄弟信用出来ん話になってしまったが、
そんな鳩山兄弟が支持されてるのが俺にはやっぱり理解出来ない。
個人的には、
それから、あまりにもめちゃくちゃな補正予算であることは、あなたがたがよくお分かりになっていると思います。官僚まかせの弊害極まれるという話でありますが、アニメの殿堂、総理がアニメがお好きなのは知っておりますが、117億円を、なんで、ソフトパワー重要なのは分かりますけども、箱物にそんなお金を使う必要があるのか、このことは逆に、いわゆるマンガ喫茶の民業圧迫になるじゃありませんか。こういうことを平然と行ってしまう。
そもそもあれは「漫画喫茶」じゃねーし。麻生が好きなのは紙媒体の「漫画」であって「アニメ」じゃねーし。
あと、官僚まかせとか官僚依存とか言い過ぎ。お前んとこの公認候補だって元官僚どんだけ入れてるんだと。しかも中には小泉改革で辣腕をふるった人とかいるし。
そもそも、省庁が増えすぎて、問題が発生した時に、どの省庁に割り振れば良いのかの判断が難しくなった上に、複数の省庁にまたがった問題である事が判明した時に、天下り先が作れそうなら奪い合いになり、作れなさそうならば押し付け合いになるという状況にあきれ果て、縦割りがまずいという事で、複数の省庁をまとめて総数を減らしたのが、省庁統合である。
省庁統合によって大臣のポストも事務次官のポストも減ったわけで、死ぬ前に一度で良いから大臣をやって、自宅の門前に簡易交番を置いて警官に立番してもらいたいとか、事務次官をやってから天下りたいといった、筋違いの欲望を抑制しなければならなくなった。
小泉改革が、当選回数が多い大臣候補クラスの代議士や事務次官までもう少しという所まで競争してきた官僚にとって、蛇蠍の如くに嫌われていたのも、むべなるかなという所である。
それを引き継いだ安倍政権は、少なくとも、行政においては間違った事はしていない。ただ、国民の支持によって支えられているという支持基盤を、衆議院の3分の2という数字でしか認識できなかった為に、衆参同時選挙に踏み切れず、参議院で負け、直近の民意という錦の御旗を野党に奪われてしまった。衆議院の3分の2を振り回すのに、やたらと苦労ばかりするようになっていき、ついには投げ出さざるを得なくなった。
問題は、福田政権である。小泉・安倍時代の反主流派を取り込むために、消費者庁の新設という方法で、大臣級や事務次官級のポストを増やし、方針を転換してしまった。軽い神輿になり、小泉・安倍時代の反主流派に力を蓄えさせてしまい、あげくに、小泉改革を完全否定する悪役を押し付けられる状態になった。プッツン辞任と言われているが、そうでもしなければ、面子が維持できなかったのであろう。
小泉・安倍時代の冷や飯食いが主流派に返り咲いた麻生政権は、反動といっていいぐらいに、昔に戻っている。それも、森・小泉になる前の、財政赤字を膨らませてしまった小渕政権に近い状態にある。小渕内閣では6194億円分の地域振興券をばら撒き、麻生政権では2兆円の定額給付金をばら撒いている。小淵内閣では30兆円をバブル不況の景気対策に使い、麻生政権は事業総額75兆円をアメリカ発経済危機の景気対策に使おうとしている。
小淵内閣の時の30兆円にまるっきり効果が無かった事が検証済みなのに、なぜ麻生内閣はその倍以上の景気対策を行おうとしているのか。答えは簡単で、景気対策という建前を使って、選挙区や天下り先にじゃんじゃん現金をぶち込もうという話だからである。
麻生氏自身はこれで景気が良くなると信じているかもしれないが、回りで誉めそやし、協力すると申し出ている人々は、自分自身の景気が良くなるが、日本全体の景気がよくなるとは、微塵も考えていない。これでオラが地盤や金庫にごっそり金を引っ張れるとほくそ笑んでいるのである。
内閣人事局構想は、問題が発生した時に、その問題を担当する官僚を一人から複数名つけて調査させ、問題解決に必要な省庁に政治任命として送り込み、問題が解決したら、次の問題に当たらせるというやり方で、縦割りの省庁を横断して、問題解決に当たらせる為の手段でもある。
頭の悪い人のとりうる最善の策は、自分の頭を使おうとせず、頭の良い人の智恵を借りる事である。もっとも、自分の頭の出来が悪い事に気が付けないほどだから、悪い頭で精一杯考えて、正しいと思い込んで間違った事をやらかしてしまうのである。
小淵内閣の景気対策は失敗だった。しかし、2000年6月25日の第42回衆議院選挙は自民党の圧勝であった。2000年5月14日に、現職首相のまま小淵氏が死亡した為である。今年の9月までに行われる衆議院選挙で自民党が勝つ為には、同じ事をやる必要があるかもしれない。ばら撒きや地位は欲しいし、与党であり続けたいという欲深き人々は、どう動くのであろうか。軽くて馬鹿な神輿でも、使い方次第で役に立つ。もちろん、そうなる前に、福田氏のように逃げ出すという展開もありえるのだが、首相として外交がやれると有頂天になっているので、状況が見えてないかもしれないねぇ。
それは半分当たっていて、半分は間違っている。
地方公務員の場合自治体によって俸給表が違うので、国家公務員を例に取る。元ネタは人事院規則(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S32/S32F04509002.html)と一般職の職員の給与に関する法律(http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxoutrefdata.cgi?H_FILE_RECNO=06649&START_P=0&END_P=0)
国家I種はまあ置くとして、普通の大卒者に相当する国家二種の初任給は、新卒で何の前職もない場合で1級25号俸。これは現行法で月給172,200円だ。これでも正社員にしてはそう高くない。
これが普通の高卒者に相当する国家三種だと1級5号俸、同じく月給140,100円にあたる。正社員でだぞ。手取りベースだとこれもはやワープアじゃねえか?
でもそれが全行政職を老いも若きもひっくるめると平均で月給38万円強になるという(http://www.jinji.go.jp/kankoku/kokkou/20kokkou.htm参照)。ボーナスは抜きで。高え。うん、この額ならねたむ気持ちも分かる。
何でかっていうと、今まで公務員てえのは基本的に年功序列だった。実力評価にはなじみにくいということで。それで先ほどの号棒ってのが毎年毎年勤続年数だけでぽんぽん上がっておった=ばんばん定期昇給しておったわけだ(勿論出世できなければ上限というのはあるのだが)。自動的に上がるのだから、最後には高止まる。これが高給の正体。高止まってる高齢層≒団塊の世代の数多い職員と、給与の低い数少ない若年層。平均すれば高い方が母数が多いのだから、高くなる。
だが、これからは違う。既にあげた「一般職の職員の~」で、能力評価が定められた(これ小泉改革の成果な)。国では既に能力による昇給査定が始まりつつある。地方もいずれそれに倣うだろう。結局、よく働くごく一部を除けば、最初の低い給与からそう遠くないところに留め置かれることになる。自然と給与抑制に繋がる。
要するに、必死扱いて叩くまでもなく、いずれ公務員の給与なんてほとんど皆ワープア程度になるよ!(ただし公務員が無能ないし凡庸であることを前提とした場合) というおはなし。
■共通認識
■疑問点
・党内の選挙向けの方向性を「小泉改革の見直し」に振るためなのか
・バッシングとは違う風向きに舞い上がってるのか
■関連リンク
鳩山邦夫総務相の人気とり政策はちょっと度が過ぎるのではないか?
http://www.yochomachi.com/2009/03/blog-post_02.html
政権末期で・・・・
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10210024676.html
[世評]郵政問題に垣間見える思惑
http://d.hatena.ne.jp/bohemian_style/20090303/p1
[時事]鹿児島県指宿市と鳥取県岩美町のかんぽの宿事件?の解明
http://d.hatena.ne.jp/digicon/20090306/1236276317
鳩山総務相「もうこわれてんじゃねえか」って、おもしれえな
http://www.asahi.com/politics/update/0218/TKY200902180312.html
ここの主張をみてて、親の収入が下がったので仕送りを打ち切られてぶち切れるバカ息子を見た気がした。
いつまでもスネかじってないで働こうや。
郵政民営化の時にも、決議の時に反対票を投じた人には造反として刺客を差し向けたが、決議を欠席・棄権した佐藤信二、中村正三郎、高村正彦、古賀誠、野田毅議員等には、お咎めなしとした。
したがって、小泉氏に同調する者達が決議を欠席しても、造反にはなりえない。結果的に3分の2を使えなくなったとしてもである。まさか、自分が欠席した時は造反ではないが、他人が欠席した時は造反であると主張するわけには行くまい。
自民党が迷走を始めたのは、麻生、福田、安倍と、さかのぼって考えると、安倍政権の時の参議院選挙ということになる。
衆参同日選挙に踏み切らず、参議院単独で選挙を行い、過半数を取れなかった。
衆議院の3分の2を失ってでも、衆参両院での単独過半数を取るという博打に踏み込めなかった時点で、政権は停滞を始めた。
たとえ衆議院の3分の2を持っていても、政権の正当性が無ければ、国民の支持を得られないという事に気が付かなかったのである。
衆議院解散のタイミングを探っていたが、経済情勢は悪化する一方であり、タイミングが無いまま、総裁を変えてごまかしてきた。去年の総裁選でやっと、小泉改革を継承すると言い切る者が現れたが公約が未熟で票を集めきれず、迷走を続け、再び行き詰まってしまった。
自分の政策を通したければ、自分で集めた票で通すべきであるという、あたりまえの事ができなかった時点で、迷走するのは当然だったのである。
問題は、その先である。
衆参のねじれ状態を理由に開店休業に入るか、あるいは、再び総裁選を行うかという展開になるのだが、小泉改革を継承し、改革の次の段階のプランを公約として出せる候補者が出てこない限り、総裁選をやっても無駄である。衆参のねじれを理由に開店休業になるというのが一番ありがちな展開なのだが、この場合、任期満了の解散後に、自民党は下野する事になるであろう。人材の居ない政党に政権を持たせておく意味が無いからである。
次の総裁選の公約は、次の衆議院選挙の公約でもある。戦後体制のままのばら撒きを続けるようでは、国民の支持は得られない。公約を練り上げる事ができなければ、与党の地位を失うという危機感をもたなければならない。
うちの親、零細の土建業をやってましてまあ会社を潰すか潰さないかですったもんだしてるわけですよ。
ちょっと興味なくても目に留めてやってくださいな。
小泉改革の頃から役所の工事金が約半分になりました。単純にいえば工事が半減するということ。
でも会社の数は変わらないわけです、そうするとどーなるか
まあ潰れるよね。競争相手が多いわけだもの。
それぐらいは僕の親もとーぜん想像してましたしそこまでは問題なかったです。
そして数が減っていきました。しかしそれでマシになってくるかといえばそうでもなく
現状では具体的な数値を出すと役所が算出してる予算の70%程度で無いと落札は困難ですね。
もちろん利益なんて出ませんし、下手すると従業員の手間賃すらだせないこともあります。
役所の仕事というのはとにかく作業途中のことまで写真に収めていかなきゃならない。
材料も過程も決められていてそこを工夫することが出来ない。
そして最近は厳しくなってきて材料の生産元に価格を問い合わせて
運賃は出ない。マンホールとか知らない人が多いかも知れないけど
大型にコンクリートで作った筒のようなものが積まれてやってきます。当然相当かかります。
その辺は仕方ないとして、問題は手間賃。
ドカタなんてものは手間賃で食ってる様なもんなのでそこで利益が出ないといけないわけですが…
問い合わせしてるのが大手ゼネコンなのです。
ピーンとこないかもしれませんが1000人近くを動かせるような大きな工事での単価と
数人動かす単価なんてまったく違いますよ。当然です、大量生産の品物と少数生産の工芸品とじゃ値段はちがいます。
穴を掘れば幾ら水が噴出してきて往生しようが、石や昔の建築物が出てこようが一律の値段です。
処分費も当然出てきません。ちなみに普通の土でも土建屋が触ると産廃扱いになるので普通のところには捨てれません(おかしくね?)。
たとえば浅めの管を通す場合に採算あわすには3人作業なら一日50mは必要ですね。
正規の方法だと埋め立てを10cmごとに行い、常に踏み固めることになっています。
そんなのやってたら一日10mも行きませんね、はい。
当然のごとく――暗黙の了解で――やっているところも無いわけですが。
という訳でさながらチキンレースのようになってるのが非ゼネコンの現状です。
そんなんでまともに仕事になるかどうかは察してください……
モラルのない会社が受注受ければ致命的な手抜き工事が行われるであろうことは容易に想像できるかと思います。
で、これがなんで談合につながるかというと
多かれ少なかれ昔は「話し合い」することはあったようです。
それが良いとは僕も思いませんが、このまま見直しもされないままでは手抜き工事がはびこるだけだぞっと。