はてなキーワード: 地理とは
http://anond.hatelabo.jp/20080104210824
元増田です。ブクマの方に熱烈なご意見を頂いたので、つらつらと何か書いてみたいと思います。
2008年01月07日nagaichi不可知論いってるなあ…。デカルトでも読んで解毒したら?例えば大河ドラマを見ながら、武田信玄が実在したかどうか私は確認できませんとか、この人は言うんだろうか?俺も10代の頃はそういうこと考えたけどね。
2008年01月06日me-can-say-jinでは、あらゆる候補者をあなたは見たことがないから投票しなければいい。金融もサービスもネットも直接みえないのだから嘘かもしれない。ふ〜んて閉じこもって社会の外側の目に見える物だけで生きればよいです。
2008年01月06日zu2
2008年01月06日cubed-l自分自身の専門分野以外なんでも同じ。それでも楽に判断を下せるものはあるんだが
2008年01月06日good2nd「客観的資料とやらから妥当な結論を導き出す専門的能力がない」ので、アポロが月に行ったことも、水が言葉に反応しないことも、なにもわかりません><
2008年01月06日buyobuyoあたまがわるいそんなことは物理でも化学でも地学でも程度の違いで似たような構造があることになぜ気がつかない。何で歴史だけそういう風にしたいの?そこにお前の悪しき願望があるんじゃね?
2008年01月05日hagakurekakugo歴史修正主義微妙
2008年01月05日BigHopeClasic
結局、南京事件についても、どこか不可知論的に頭に放り込んどくしかないと思うのです。私も純粋に真実を知りたい一人なのですが、仕方ありません。
我々は原則的に<<生活世界>>の中で生きていて、その世界の中で「妄想」や「物語」を頂いて生きている、というのは周知のモデルだと思います。マトリックスの世界ですね。本当は目の前にある存在すら100%そこに存在すると確認することは出来ません。ただそこにそれが存在すると頭の中で妄想して生きている。化学の世界においても、原子や分子、そのまた原子核や中性子や陽子を実際見たことのある方は一人もいらっしゃらないと思いますが、あると妄想することを前提にその先の議論を進めているんですよね。物理の世界でもニュートン力学・相対性理論・量子論的に世界が出来ているという妄想が前提です。もっと言えば科学の前提にある数学、とりわけユークリッド幾何学上の公理からして幾分か妄想の域を出ないということもご存知であると思います。
ですが、ほぼ全てのことが妄想・物語であるから私は何も信じない!と宣言するつもりはなくて、社会の総意として「確からしい」とされている妄想・物語の大部分は私も受入れているつもりです。上に挙げた科学の諸理論であるとか、武田信玄がいたこととか、官僚機構や金融システムの存在であるとか。
ただ南京事件は決してそれらと同程度に、社会共有の妄想・物語とされているとは思えません。議論が過熱しているのがその何よりの証拠でしょうし、一般人にとっても「あった?」「なかった?」のどちらか分からないという程度が現状なのではないでしょうか。それは否定論者の宣伝が功を奏したのか、肯定論者の宣伝が足りないのか、その辺はよく分かりません。そして一般人としては、自力でどちらかの立場に到達するには、元記事にも挙げた1、歴史学的能力の点、2、資料収集の地理的・法制的制約等の点、で難しい。
ですからまあ、とぼける以外にないのです。
否定論者の方にとってはこういう態度は好ましくないのかもしれませんが、私のような一般人がとぼける必要もないくらいこの論点を「確からしい」ものとして物語化してほしいと思います。私もそれを受け入れられるよう体制をつくっておきますから、それまでは判断を留保しておくことをお許しください。
あんまり有意義なことかけなかったですね。でも書いたから上げておきます。
私は知らない。南京で何があったのかということは何も知らない。当たり前の話で、私はその時代のその時刻のその場所にいなかったわけだから。存在すらしていなかったのだから。
これはすごく決定的なこと。だから現に何があったかということを確認できない。どうあがいても確認できない。
だから、「南京で虐殺があったんだぜ」といわれても「ふーん、でもなかったかもしれないんでしょ」と応答するより他はない。もちろん「南京で虐殺なんざなかったんだ」といわれても「ふーん、でもあったかもしれないんでしょ」と応答するより他はない。
とするとおそらく、客観的資料とかゴロゴロ転がってるんだから自分で科学的・学術的・実証的に確認の努力をしてみろよ、といわれることと思う。
そこに大きな溝が横たわっている。つまり、まず自分には、
ということで結局、南京がどうとか知るのは土台無理な話なのです。私だけでなくほぼ全ての人がそうなのだと思います。だから信頼できそうな思想家・評論家・研究者の著作・論文などを読んで、それをそのままオウム返しのようにして語っていくより他にありません。その辺りがほぼ全ての人間の限界であり、現在のネットや酒の席での議論の限界かと。
で、その先は結局こうなる。「○○先生の主張によると…」←「でもそれってまちがってるのかもしれないんでしょ?」「それって都合のいい資料だけ抜き取ってきたものなんでしょ?」「それってイデオロギーだよ」「プロパガンダ乙w」「○○厨ワロスw」
やっぱりだめだ。読書などを通して確認の努力をしてもどうにもならない。誰がどんなにムキになって主張を展開してきても私はとぼけることしかできません。悲しいことですけど。
誰か全ての客観的資料と過去の全ての論争プロセスをネットに上げてくれないかな。膨大な量になることでしょうけど。そうすれば何かを知ることは終局的にはありえないとしても、市井の論者の虚妄ぶりは幾分か解消することができるでしょうに。
未だにネットにある情報っていうのは体系化されていないと感じる。だから、何かについて本格的に知りたいと思ったら大学に行って教授に聞くか、本を読むかになる。ただ、本を読めばそれなりの知識を得られるけれど、周りに同様の興味を持っている人間がいなければ、それについて議論できない。
知識を得る場としてはまだ発展途上のネットなわけだけど、議論する場としては有用だと思う。それは地理的にも社会的にも離れた人と出会える可能性があるから。だから、荒れない程度に礼儀をわきまえて議論をできるサービスがあれば、色々な人と知識を共有できて、学会で発表するような緊張感をネットで味わえるようになるんだと思う。
意見を表明して議論をできるサービスはいくつかある。mixiとか2chとか普通のblogとか。mixiは基本的に馴れ合いだし、本人を特定されやすいので言いたいことを言いづらい。2chは建設的な議論をする場としては殺伐としすぎてるから、ちょっと使いづらい。blogで考えたことを書くことはできるけど、検索に引っかかって読んでもらったとしてもなかなかコメントはつかない。さすがに、教えてgooとかに書くほど困ってはいない。
そんな感じで、匿名性を保ってネット上で建設的な議論を促進できるサービスはないかな、などと考えた。その点、はてな匿名ダイアリーはどんな感じなんでしょう。
最近の若者の間では、「最近の若者は...」で始まる説教を批判することが流行っている。
そもそも、「最近の若者は...」という枕詞は、時代・地理・文化をこえておよそ言語が使われている限り存在していると言えるほど、普遍的な定型句なのだ。
「最近の若者は...」話題は、下ネタ・警察批判・上司の悪口・森本さんの不倫となんら変わらないレベルの愚痴なのだ。
親切にも「これから愚痴を言いますよ」とわざわざ断ったうえで、愚痴を言ってくれるのだ。
だから、「最近の若者は...」ではじまるようなネタにマジレスするのは、たいへん失礼なことなのだと知っていいただきたい。
ほんとバカ。
「「最近の若者」は、昔からいるんですよ。」なんてくだらねぇこと真に受けて、説明すんじゃねぇよ。流せよ。老人の戯言なんだから、サラッとスルーしてやれよ。マジレスするとじじぃ((実年齢が若くてもジジイがいるから注意が必要だ))がムキになって食ってかかってくんだぞ。ウザイダロ。
最近の若い人は、バスや電車でのマナーが悪すぎ! 優先席にドカーンと座り携帯電話かけたり・お年寄りや身体のご不自由な方を見ても席を譲ろうとしないで、寝た振りするし.... - 人力検索はてな
先日、彼女にふられた。
高校を出てからそういう話がとんとなかったなか、ようやくできた彼女で、
そういった思い入れもあったんだと思うけど。
向こうも、昔にあったさまざまな出来事のせいで男性不信なとこがあって、
ぼくの恋愛面での無知さが純粋に思えたのだろうか、何故かお互いに好きになった。
なんで付き合うことになったかはいまでもよくわからない。
とりあえず気づいたころには、関係が始まっていた。
はじめは何で会ったんだろう。
ぼくは正直演奏するのはうまくないし、キレも悪いけど、必死さがなんかむこうの心んなかに残ったみたいで、
二週間ぐらい断続的にぼくが夢にでてきたらしく、mixiで連絡をくれるようになった。
とてもとても頻繁なメールの後、馬鹿みたいに電話をして、急激に会いたくなって、
会いたい!とか言ってほぼ車を運転したことのないぼくがレンタカー借りて40kmぐらい離れた彼女の地元まで行って飲んで次の日まで一緒にいたりとか
向こうが地理的に全然はなれたところに用事でいってるのに「会いたくなった」とか言って会いにきたりとか、
そこから、付き合いだすのまでは早かった。
一年半ぐらい、そういう時期が続いた。
とりあえず地理的な隔絶をものともせず、会いまくって話をしまくって愛し合いまくった。
いま考えれば、ぼくと彼女は一体なにを話していたのだろうと思う。
ぼくらふたりは、バックグラウンドや、趣味も、全然違っていた;
ぼくが中学、高校のころに、プリンスやトム・ウェイツを聞きながら数学ばっか勉強してるころに、
彼女はタバコをふかしながらケラケラ笑って昭和歌謡やクラブ系の音を聞きながら「ポリをまいたり」したりしてた。
ぼくの憧れだったのはヒルベルトで、彼女の憧れだったのは岡田准一と荒くれNIGHTだった。
正直、いまでもよくわからないけど、なぜか共感しあうことが出来た。
彼女の親にも紹介され、こっちの親はちょっとヤンキーっぽいから、と毛嫌いしつつみとめていき、
なんかよくわからんぐらいうまいことすすんだような気がする。
大学卒業して関西の院にいくことになっても遠いけど一緒に行くよって言ってくれた。
ぼくは、そのことばがとてもうれしくて、ながいこと続けていたバンドをやめて、将来のことをしんけんに考えようと思った。
ちょうどそれぐらいからだったような気がする。
彼女の様子がすこしづつ変になった。
毎日50つうちかくきてたメールが、ぱたりとこなくなった。
朝仕事にいくまえと、帰ってきたあとだけとかになった。
別に浮気しているわけでもないようだし、ぼくが嫌いになったわけでもないようだった。
ただ、自分の部屋から出たくない、とか言って、部屋でとじこもってることが多くなった。
どこにいっても、どこで見ても、仕事場に用事でいったときに偶然すれ違って顔を見たときも、同じ顔をしていて、
とてもとても苦しそうな顔をしていた。
見てるのさえつらかった。
会える日は、当然のように減っていき、連絡もとりにくくなった。
バンドを最終的には喧嘩別れ、みたいな形でやめたのもこのころで、
友人の多くを切ったことになったその夜のことも、彼女に結局その話をすることもなかった。
彼女は付き合いで連日のように深夜まで飲んで帰ってきては、部屋で死んでいる。
もう、よくわからなくなった。
会えなくなって、三ヶ月ぐらいたったあと、ぼくが詰問したのが切欠だった。
会えないのは、しんどいならそれでしょうがない。
けど、どうして付き合いでは飲みに行くのに、俺とは会えないのか。別れたくてそんなことしてるのか。
メール送って、二日ぐらい待ったあと、「なぁ、友達にもどろうぜ。オレ、正直しんどいんだ。」彼女はそういって電話をかけてきた。
「浮気してるわけでもないし、別れたくてそんなことをしたわけでもない。ただ、しんどかったんだ。」
「オマエといっしょにいると、彼女といっしょにいるみたいだ。オレがわからないのなら、それでいい。ひとりにしてくれ」
会いに行こうと言い出したが、それもしんどいんだ、ってことで拒絶された。
「どうでもいいひとじゃないから、友達って形ででも一緒にいてほしいんだ」
彼女を苦しめたのは或る意味ぼくのかけた重圧だったんじゃないか、とか思った。
真剣に考えることは或る意味で重圧にもなるし、彼女の両親もおいらをすごく認めてくれていたのも彼女の重圧になったんじゃないか、と思った。
俺はなにもできなかったし、間違っていたんだと気づいた。
そのあと、ぼくの誕生日がきて、彼女はいまでは遠くなった地元から、二日休みをとってきてくれた。
まだしんどそうな顔をしてたけど、普通に飲んで、あそんで、しゃべって。
でもすごく切なくて、ぼくは結局最後に、もう一度、やりなおさないか、ってことを言った。
無理だよ、って言われた。そのあと、メールがぱたりとこなくなった。
そんな顛末。
或る意味でぼくはとてもとても自分勝手だったってことだろうと思う。
相手のことを考えたような行動ってことが、相手に対して負担なときもあるんだって言い方で表現できるだろうか。
それでもぼくは彼女のしんどさを理解することができなくて、爆発してしまって、ふられた。
ぼくは、とても好きな人のことを、しんどくさせたことを、そのきっかけを今ようやく理解して、このエントリを書いている。
もし、もし、だし、たぶんこんなことはないと思うけど、もう一度やりなおせたら、彼女のことをもっと考えられるようになろうと思う。
でもそんときには彼女のそばにおるのはぼくじゃないのかもしれんし、俺のそばにおるのもあいつじゃないのかもしれん。
それもいいんだろう切ねぇけどちくしょうとか思うことにした。
昨日、誘われてネトゲをちょこっとやってみたんだ。
誘ってくれた友人は始めて数年間(といっても途中でやっていない時期も結構ある)の人で、マップをすいすい歩けるし、町から町への移動もさくさく。狩場も案内してもらって、転職も手伝ってもらった。モンスターのドロップしたものの換金もやってもらっちゃった。
でもな、一人だったらまず、地理を自分で覚えなきゃいけないし、どうやってものを売ればいいのか必死でヘルプとかみたりしなきゃで、手伝ってもらったよりも遙かにたくさん時間がかかったはずなんだ。
なんせ、まだステータス画面すらよく把握できていない。
面倒を見てもらえるのはとても嬉しいんだけど、働いてるしプレイ時間は一日30分から一時間ぐらいで抑えたいので一人で自在に動けるようになれる日がとても遠い気がしてちょっとめげそう。
楽しかったんだけどね。
それにしたってなんだかね。こういう生まれつき系の問題ってどうやったら解決するんだろうね、
日本というかアジア系向きのスポーツとしては、やはり「柔よく剛を制する」だとか「スモールベースボール」などの言葉に代表される「テクニック」を使ったものになる感じがある(良い悪いは別にして)。
それに人種ごとの得手不得手なんて、そりゃあるよ。もともと、その土地で生き延びやすい一族の固体が勢力範囲を広げ、個別に進化したのが人種ってものなんだから。
ただこれは知っておいて欲しいんだが、人種としての身体能力や容姿と『文化』とは、必ずしも重ならないということ。地理的要因も含め、人種と文化ってのは本来は、密接な関係がある。それを断ち切ったのが、例の「奴隷交易」などで、その末裔がアメリカ等に連れてこられたのは説明するまでも無いか。
日本の場合、身体的にはそれほど特徴のある人種ではないし、縄文・弥生系のミックス比率が違う事が、それなりの顔付きのバリエーションの多さを決めていると言われる。
一方でだが、ネット利用から分析してみても「凝ったものを作ったり、分析したりする」ジャンルでは、圧倒的に『アジア系』(日本含む)が多いらしい。日本の場合、島国であったことが良くも悪くも、文化の醸成に関しては結果的に重要な役割を果たしているとはよく言われる話だね。
なに、あいつらはズルいだけ。「競技に勝てない場合、日本人はルールの枠内で何とかしようとし、白人は『ルールを変えろ!』と抗議して自分たちに有利になるよう働きかける」という笑い話があるけど、これなどはまさに「ルール」というものに対する考えの違いを、端的に表わしている気がする。
日本全体の安全のために沖縄に負担を強いているというのは確かですが、気になることが。
沖縄そのものの防衛についてはどうなのかという問題。
地理的な要素を考えないとこれは論じられないのでは?
東京から九州までの距離と九州から沖縄までの距離を測って比べてみてから考えてみるのもよいかと。
あと、役には立つけれども迷惑な公共施設は基地のほかにもいろいろありますが、その辺はどうなるのか、とか。
基地の存在が、外交とは無関係の沖縄の地理的条件によるものになったら、それはもはやアメリカによる侵略じゃないの?
現状では侵略ではなく、国家間の相互合意に基づいてるという表現が正しいかと。
ちなみにオレは22だから、もっと年齢の高い人達がどうなのかはあまりわからない。
だけど若い人達はそんな、日本史の江戸とか明治とかの時代で習うような歴史にはこだわってない。
正直あまり政治には詳しくないから素人考えだけど、個人的には独立出来たら楽しそう。ますます混沌とした街になっていきそう。
でも実際やったら生活水準はガクンと下がると思うから、その点では嫌だ。そしておそらくこっちが多数派だ。
実際沖縄の最低時給は608円だよ?これでも上がってんだよ?
基地の存在が、外交とは無関係の沖縄の地理的条件によるものになったら、それはもはやアメリカによる侵略じゃないの?
いや、分からないんだけどさ。
西暦2026年。日本にある奇妙な現象が起こった。出生率が激減したのだ。
もちろん、出生率の低下はつい最近に始まったことではない。前世紀半ば1970年ごろの、いわゆる第二次ベビーブーム以来日本の出生率は一貫して下がり続けていた。だが、2026年に起こった出生率の低下はそれを凌ぎ、前年度の半数以下にまで落ち込んだのだった。だれもが首を傾げ、専門家も市井のブロガーも、ありとあらゆる人がこの問題の分析を議論した。
21世紀の情報化社会にあっても、丙午の女性は男を食い殺すほど強い、という迷信が健在なのだというトンチンカンな分析をする社会学者も居た。
O社というある小さな会社の出した女性型ロボットが、その原因らしい。
そもそも、人間の基本的な欲求、適応度を上げると言う意味で生物的に基礎的な欲求は、あるレベルを超えれば経済学で言う収穫逓減の状態を示す。水も空気も食品も、あるいは快適な生活空間も人間の生存には無くてはならないが、ある一定以上を求めることは無い。もうおなかいっぱい、と言う状態が存在する。だが、男性の性的な欲求だけは例外であって、際限が無い。
三大欲求という言い方がある。食欲、睡眠欲、そして性欲を指すのだそうだ。このうち、食欲と睡眠欲は自身の存在を存続させる欲求、性欲は自身の存在を拡散させる欲求であると言い換えられる。では何故自身を存続させたいと思うのだろうか? それは、自身の存在を拡散させるため、自身の遺伝子のコピーを広げるためであると言える。生物の存在という目標のためだけに生物は存在し、またその目標が無ければ生物自身も存在し得ない。果てしの無い自身の再生産のためだけに生物は存在する。
男女の愛に関する悲劇の全ての源泉は、男女によって生物学的な適応度を高める方法が違うということに由来する。女性はいくら多くの男性と関係を持ったとしても、直接には子供の数を増やせないが、男性は数多くの女性と関係を持てば、原理的にはほぼ無限に多くの子供を持つことができる。それゆえ、自身の適応度を際限なしに高めることができる。だから、男性の性欲には限度がない。1000人、あるいは10000人と関係を持ったとしても、1001人目、10001人目の女性とセックスできるだろう。
だが、一般的な水準の容姿と金銭と道徳観念を持った男性にはそんなことはできない。だから、売春が生まれ、ポルノが生まれた。英語で"the oldest profession"「最古の職業」と言えば、売春のことを指す。古くは版画やグーテンベルグの発明から映画に至るまで、あらゆるメディアにおいてポルノは存在した。ビデオデッキの規格戦争においてVHSが勝利したのも、その影にアダルトビデオがあったのは有名である。軍事的な目的のために開発されたインターネットを一般人に普及させたのもポルノサイトがあってのことだ。ありとあらゆる技術は、男性の性欲を満たすために使われてきた。人間の経済活動は、男性の性欲に由来している。いや、そもそも言ってしまえば経済活動も含めたあらゆる人間の活動は、究極的に突き詰めれば、この男性の性欲の限度の無さに由来するのだ。人間の無限の欲望も、背後にある原動力として性欲によっている。もし人間から性欲が無くなれば、あらゆる種類の人間の活動は全て無意味になる。
たとえば、車は分かりやすいステータスシンボルであり、セックスアピールである。移動手段としては不相応なまでの高級車を持ち、ガソリン代、車検と不必要なまでのコストを掛けることは、生物学でいうハンディキャップ理論の表れであると言える。食欲を満たすという目的のためにはあまりに高級すぎる、人気のデートスポットであるフランス料理店。これも性的な欲求を含めなければ説明がつかない。動きにくく実用的でない服装や、映画や絵画といった美術ですら、究極的に突き詰めれば性欲に由来する。男性が権力や高収入を求める欲求が女性より強いのも、それが歴史的に女性を得る手段に直結していたからである。歴史を紐解いてみればいい。権力者、独裁者はほぼ例外なく側室を持ち、多くの子を残している。アメリカの元大統領のクリントンのように、権力者が複数の女性と性的関係を持つことが倫理的に許されないことになったのは、ごく近代のことでしかない。日本ですら、戦前までは政治家や財界人が愛人を持つことは当然のことであったし、社会通念的にも認められていた。明治天皇や大正天皇ですら、嫡出子ではなく側室の子であった。「英雄色を好む」という言葉があるが、これは生物学的に見れば一種の逆転である。英雄と呼ばれる人間だけが好色なのではない。そうではなく、あくまで権力を得た人間は自身の欲求を実現する方法をも同時に得られるということでしかない。
しかし、人間は婚姻という他生物には見られない独自の制度を持っている。世界中どこを見ても、結婚制度が存在しない社会は存在しない。「交尾でオスの役割は終わり」という生物とは違い、どんな社会においても、人間の男性は自身の妻や子供を養育する義務を持っている。(蛇足だが、人間の男性が若い女性を好むのも、長期にわたって一人の女性と性的関係を築く婚姻制度によって生じたものである。その証拠に、交尾でオスの役割は終わりというチンパンジーの一種は出産、育児経験のある中年のメスを好む。なぜならそのほうが自分の子供が生き延びられる確率が高いから)それゆえ、近代のテクノロジーが発達する以前の社会においては、自身の限度の無い性欲を満たせるのは、社会的に成功したごく少数の男性だけだった。付け加えて言うならば、有史以前、人間が貨幣を持つ前の狩猟採取社会においては、どうやら一夫多妻制度はまれであったらしいと言うことが分かっている。多くの皮肉屋の主張とは違い、資本主義の発達により貧富の差が生まれたことによって、多数の妻を養うことが可能になったようだ
だが、大容量のインターネット回線と、テレイグジスタンス、バーチャルリアリティ、そして人型ロボットの研究が男性の際限の無い欲求を満たすことを可能にした。
月々数千円も出せば、海の向こうの幼い少女からディスプレイの中にしか存在しなかった理想の美少女まで、ありとあらゆる女性とのバーチャルな性行為が楽しめるのだ。お互いの性器に装着したネットワーク対応の性器具と、データグローブとボディースーツ、そしてヘッドマウントディスプレイによって、その場に存在するような臨場感を持って、バーチャルセックスを体験させるサービスが提供されていった。インターネットのサービスは、地理的な障壁や囲い込みがないため、常に、全世界が競争相手であるし、容易に相手のイノベーションを取り込めるので、リアルでは考えられないほどのすさまじい速度で進化していくのが常だが、ネット経由の売春も、その例外ではなかった。
そして、流れが決定的になったのは、前年に発売された女性型ロボットだった。
ちょっとした高級車を買うくらいのお金を出せば、文字通り女性を所有することができるのだ。しかも、現実の女性と違って妊娠することも浮気をすることも歳をとることもない。なにより、飽きて捨てたとしても何一つ文句を言わない。
しかも、簡易ではあったが会話もでき、(ちぐはぐな受け答えが、逆に幼さを感じさせるとして喜ぶ男性も居るようだ)食事や掃除と言った家事をすることもできた。妻を持ちたくない、または持てない男性にとっては正に福音であった。
いや、もてない男性だけではない。中間層の普通に交際相手が居る男性にとっても救いであった。彼らは常に女性のご機嫌を伺い、足代わりに使われ、食事を奢らされてまで、不確実なセックスにありつくことに疲れ果てていたのだ。彼らにとっても、女性型アンドロイドの登場は救済であった。何も要求せず、見返りの無い愛を注いでくれる、いつまでも無垢な女性。有史以来の男性の永遠の理想の体現であった。
だがしかし、その後不可解な面白い現象が起きた。一体何が起きたのか?
数年間のうちに、出生率がV字回復したのだ。ちょうどそれは、60年前の丙午の翌年に起きた出生率の回復のようだった。
例え人形であっても、女性と生活を共にする以上、身だしなみを整え、生活習慣もきちんとしなければならないという男性が多少は増えたのだ。現代の情報化社会の中で、不当に抑圧され、自己肯定感を失っていた若い男性が、たとえそれがロボットであっても、全面的に肯定されることで自信をとりもどしたのだ。不当にワガママな女性に対しては、いつでもアンドロイドに戻れる、ということをほのめかし、恋愛において男性が女性と対等な立場で渡り合えるようになったのも大きい。
そして、性欲は人間の本質的な欲求であるが、それと同じくらい、子供を持ちたい、家族を持ちたいという欲求も本質的なものであるらしかった。擬似恋愛という一種のカンフル剤で人間性を取り戻した男性が、次々に現実の恋愛、結婚へと戻っていったのだった。
しかし、再び恋愛市場の中に戻っていったのは、男性全体から見ればごく一部でしかない。彼らはもとから女性に相手にされるだけの財産なり顔なりを持っていた幸運な男性なのだとも言える。大部分の男性は、そのまま「戻ってこなかった」 なにせ、どれほどのキモメンであろうと、振られる事はありえないのだ。大部分の男性は、理想の彼女と一緒に、自閉的な生活を送るようになった。それでも彼らは満足しているようである。
こうして今や、少数の結婚市場に復帰した男性と、大多数の「降りた」男性たち、そして、理想の彼女との競争に晒される女性だけが残った。出生率が回復したと言っても、日本の出生率は世界最低レベルを走り続けている。どうやら経団連は、労働力不足を補うために本当に移民の受け入れを考えているらしい。このままでは1半世紀しないうちに日本人は消滅すると予測している学者も居る。
しかし、再び現実の恋愛へ戻っていった男性も、擬似恋愛を楽しんでいる男性も、それぞれに幸せなようだった。
だが、、、これは本当に人類の進歩なのだろうか? はたして、テクノロジーは本当に我々を幸福にしたのだろうか? 科学技術の進歩によって、最後に生み出されたものが「自由意志による断種」「幸福に包まれた自死」でしかなかったとしたら、数千年に及ぶ人類の歴史は一体何だったのだろうか? 今後の人類の未来を考えるにつけ、私は絶望的な気分になる。
夜、車で走ってるとき、
1台の車が追いかけてきた。
来た方向に戻っても追いかけてくる。
川沿いの細い道を飛ばしても追いかけてくる。
これは明らかにおかしい。明らかに遠回りの道を選んだから、相手も同じ道を行きたかったのだとは到底思えない。
尾行なら、相手に見付からないようにするよなぁ。
覆面パトなら、てかなぜに追いかけられなきゃいけないんだ?
道に迷った→交番に聞いてくれ、近いんだから。
最後思いっきり飛ばして振り切ったけど、あれは一体何だったんだ?
ただ、1つ後悔してるのは、最初の道に戻ってやりゃよかった、ということだ。そしたら、いくら方向音痴でも、ここらへんの地理に詳しくなくても、おかしいって気づくだろう。それとも、面白半分で追っかけてきたんだろうか。理解に苦しむ以前に、不審車すぎる。
ドド田舎ちゃうわ。ド田舎だけど。市街地が小さく集中してるからバスは時間一本だけど電車は昼間で一時間3本程度は来る。
つか愛知言っても色々じゃない? 名古屋とか一宮とかだったら殴るよ? 十分都会だし。東京基準の、あんな世界最大級の都会を基準にした都会っていうのは世界水準どころか先進国的にも大都会だからね。大都会に目が眩んで自分が田舎者だと思ってる都会人に田舎を語られても、真に田舎住まいの人間は困ってしまうのですよ。
と、話題が逸れた。田舎的な閉鎖性を引き起こすのは人口やら地理やらにあらず、土着民ばかりの町なら、ドド田舎じゃなくても閉鎖的なのです。「市」クラスの人口でさえ、土着民比率が高ければ閉鎖性を持つのです。
それから、地方といっても距離があったりすると旅行予算を組むのさえ厳しくなってくる。まさか新幹線乗り回すような金持ち想定してるわけじゃないよね。学生時代なんかはちょっと無理だって人は多いと思うよ。
「お弁当には海のものと山のものを入れてください」
まなめさんの「料理って数学だよね」も読んだ☆ 一番しっくり来た★ 俺には武器が足りないのか^^; 素材+加工セットのデータベースが小さすぎるorz
それでまた考える★ じゃあ、出来るようになる為にはどうすればいいのだろうか。現存する膨大なレシピを片端から作って経験値を貯めるのはなんだか迂遠だし金がかかろう(sigh) じゃあ範囲を区切ろう。区分として文化圏が有効っぽいので、ここは日本人らしく和食という括りで……いや、はなから和食はハードルが高い。ここはイギリ……だめだー★ 林望「イギリスはおいしい」で「イギリス人は何でも一緒に形がなくなるまで煮る」「塩が足りない。でもたまに多すぎ」(うろ覚え)と書いてあって、「これ、どこの俺の話?(゜д゜)」などと思ったのだった。和食にしよう。和食のレシピを因数分解して要素のデータベースを増やすとしよう。ああ、そう考えると道場の本にあった五種類の命のダシはいきなり要素を提示してくれてたんだなぁ。って何でこんなに料理本読んでて一向にうまくなる気配がないのだろう(´Д`;)
やはり実践だ。実践が足りない。机上演習だけでは防衛力にならん!書を捨てスーパーに行こう。行ってきた。この素材を毎日さまざまに加工することで基礎力をつけるのだ。見ろ、この青々とした大量のピーマン……なぜだー★なぜしょっぱなから応用の利かなそうな脇役素材を、安いという理由で大量に購入するのか!そうか素材には主役と脇役がいるのか☆ 買う前に気づけ!ピーマンが大量にあるので、ここに肉を買ってくれば青椒牛肉糸が……和じゃねぇ!!
食のボーダレスが進む前、和食は地理と季節によって比較的限られた食材で構成され、手法としても完成していたはずだ。まずはそこからじゃないのか。そうですね。それでモヤシか。そうです。
スーパーで買い物する人々は偉大だとつくづく思う♪ 素材オブジェクトには栄養素と味のデータがあって、煮る・焼く・炒める・蒸す・打つ・買うなどのメソッドがあって……メソッドによって味・食感が変わって……ああ、賞味期限なんていうデータも持ってたな。そんなややこしいオブジェクトが一杯あるライブラリーであるところのスーパーから成果物である料理作る。なんて複雑な作業なんだ。仕事帰りにそんなことできん!
訊きたい気持ちはわかるが答えるのに困る質問の最右翼だと思うがどうか?子供やおとんは内蔵レシピが貧弱か、あるいはいままで食べたものにラベリングされてないので「なんでもいい」と答えて、おかん切れる。切れるのは今ならよくわかる。でもおかんは切れる前にイメージする旬の素材、あるいは特売の素材をあげて、どうやって喰うのがその日の気分なのかを訊くのが良かったんではないかと思いました。あとそれにあわせた素材を一緒に買いにいくとか。今おかんのひとはそうやって教育すると俺のような悩む大人を減らせるのではないかとおもったのでした。Φ(.. )