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はてなキーワード: 地理とは

2007-05-28

ばあちゃんとの会話で盛り上がる話題

うちのばあちゃん(正確には叔母なんだが)の場合、下記のような話題で盛り上がれる。
1、ヨンさまキムタク
2、身内が最近どうしているか
3、ばあちゃんの体の不調
4、自分の職業についての説明(何回言っても理解できないので何度でも話せるネタ
5、天皇陛下万歳
6、最近あったニュースで特に残酷なもの(いかにひどいか、で盛り上がる)
7、地元商店地理の変化
8、昔話総合

http://anond.hatelabo.jp/20070528203405

2007-05-18

そういう失礼な言い方もないもんだと思った

http://anond.hatelabo.jp/20070518205258

だが、一般論で言えば、沿岸部や半島などのなかで、比較的孤立した地理的条件にあるような地区の場合、海からやってきた通常ありえない血筋との混血が発生したりする。だからときどき日本人離れした碧眼の美女がいたりもするし、別の意味日本人離れした骨格や肌質の持ち主もいたりするわけだ。静岡県全体がひとくくりに議論できるものでもないし、県内の限られた地域をみればそういう理屈が成り立つのかどうかも寡聞にして知らないが、局地的には方言が特殊なことを思えば孤立度の高い地区があったことはほぼ間違いないのではないかと想像する。だがまさに文字通り想像の域だ。

2007-04-29

一人暮らしによるメリット経済コスト釣り合わない(と思う)

http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070429/p1

こういう俺はもちろん実家暮らしなんだけれども、一人暮らしってしようとは思うけど、中々する気にはならない。

それはもうひとえにコストの問題。

だって家賃 + 光熱費だけでも月7 ~ 10万くらいはするわけでしょ。

年間で換算すると、100万くらいだろう。一人暮らしのためにかかるコストは。

100万って、相当な額だよね。

PCだったら5台、小説で5000冊・漫画は2万冊・CDアルバム3000枚。

車でも大衆車だったら買えちゃう。

それだけの額を払って得る事の出来るメリットって何?

彼女や友達を気軽に呼べる?そんなに頻繁に遊ぶ方じゃないし、遊ぶなら外でいい。

料理とか洗濯とか出来るようになる?実家でもできるし、やってる。

社会的に認められる?別に仕事が出来ればいいじゃん。そもそもそんなもんは一人暮らしとはまったく無関係だし。

俺は一人暮らし実家暮らし、実利的に考えれば間違いなく一人暮らしの方が得だと思うから実家暮らしをしている。一人暮らしで出来て実家では出来ないことって言うのがある事は理解できるけど、それに年間100万の価値はない。

結局のところ、一人暮らしで享受できるメリットって言うのはひとえに社会的能力を鍛えることが出来る事だろう。

ほら、一人暮らしは「一人前」になるために不可欠なイニシエーションである、みたいな?

俺みたいに社交性が低い人間にとってはそういうものにあまりメリットを感じる事がないので実家暮らしでいいやー、となる。

だから、実家地理的な問題や経済的な問題をまったく無視できる前提で実家暮らしかどうかを聞くときに判断すべきはそいつが本質的に社会的(≒社交的)な人間であるかどうか、じゃないかなぁ。

そういえば世間はGWですね。

2007-04-20

今更だけど

結局高校世界史っていつから必修だったの?

今30歳なんだけど、高校社会現代社会地理しか履修してないよ。

これってセーフ?アウト?

2007-03-15

こんな釣りはどうだろう【バカアイディア

(1)まず、「公共機関でのマナーが悪い」とか「常識とされていることをこんなにもたくさんの人が知らない」という文章を書く。

 意図的に省略されたデータを用いて。

 いかにもな煽り方で。ミスリードだと悟られない演出・誘導も必須。

 「痛いニュース」的だといいですね。

(2)反応を待つ。

 「これだからゆとり(世代)はーー」「最近若者はーー」みたいな反応が集まればOK。

 日本の伝統を知らない、なんてデータを使って、「サヨクの悪影響」なんてコメントを集めるのもいいですね。

(3)そして、省略していたデータを出す(追加する)。

 実は中高年のデータでした、とバラす。

(4)引っかかった連中を見てニヤニヤする。

 どうでしょうか?

具体例

 はてなで人気の批評家東浩紀氏は院生時代、バイト先の塾で、神戸の場所を知らない

女子高生に会ったことがショックだったらしく、以後ポストモダン動物化した(同じ

国内なのに関心が薄い)代表例としてこの女子高生の逸話をよく使いまわしております。

 

(1a)まず、東京在住者の日本地理の知識に関する調査データを出す。

 西日本に関する無知さをさらけ出すようなデータがいいですね。

 実際クイズ番組雑誌で見たことがあります。

 若い人のデータだと誤誘導させる演出が必要です。

 上手く世代論だと「演出」できればOK。

 関係ないですが、鶏肉調理法やライフハックフリーウェアの話題を入れるとブックマーク

コメント数が跳ね上がるでしょう。

(2a)反応を待つ。

 文体に気をつければ、そこそこブクマコメントが集まると思います。

 東浩紀氏の名前を出したりポストモダン用語を出したりしたら、ライトノベルエロゲー

現代思想愛好者(青土社読者?)の注目も集められそうです。

(3a)そして、省略していたデータを出す。

 世代論なんかじゃなかったことをばらします。

 実は、地理的知識というのは世代と関係なくかなりあいまいで、穴のある人が多いのです。

 もしくは、(1a)の段階では世代論だと本気で信じている(かのような)文章を

書くのもいいですね。(3a)の段階になったとき、謝りながら恐縮しながら

「すいません(汗) まだデータには続きがありました。見落としてました」なんて

ドジなキャラ付けもありです。

 大丈夫。ブクマで鋭いツッコミを入れられるほどのリテラシーを持ったユーザー

コメント中5%くらいなものです。

 みんな「ゆとり」が大嫌いですから、たいてい先入観を強化するような言説には

飛びつくものです。

(4a)引っかかった連中を見てニヤニヤする。

 以上を参考にして、馬鹿な世代論イメージをいじってみてはいかがでしょうか。

 応用として、地域間格差イメージも扱えるはずです。

 それでは。

2007-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20070227020139

見るだけなら誰でもできるじゃん。

枷になるのは地理的な制約だけ。

2007-02-26

港区とかは中央だよね

http://anond.hatelabo.jp/20070226113632

東でも西でもない真ん中。もうちょっと住めばわかりますよ。実は真ん中は便利だしびびるほどのことはないんです。

地理的に考えると、たぶん、皇居とお堀、環状道路と川と私鉄がキーです。

まんなかより西か東かってのが一番大きなざっくりとした区分です。

俺含めお行儀いい人はこのくらいの区分とワイルドといった形容で十分です。

2007-02-07

MMO

http://anond.hatelabo.jp/20070206233139

あ、そうね。そういわれればそうかもしれない。

ROをかれこれβからやってるので時間にすれば相当だが「ゲーム」はからきしやっていない。

チャットゲと化してるけど、地理的なリアルクロスしていないのでかなりいい。

そういえば誰かが増田で「社会人になれば同期ぐらいが友達として付き合える最後だ。」

みたいなこといってたけど、「友達」とはいかないかもしれないけど、

くだらない愚痴をこぼしたりあーだこーだ言ったりするのには最適な場だぞ。

世代も性別も超えるからな。

普通リアルだけですごしてたら子育て愚痴なんて聞くことないもんな。

増田もにたようなもんか。

関係ない情報もある程度受け入れてないと人間としてバランスを失いそうで怖い。

2007-01-25

ヒト2.0

「Web 2.0の倫理」Lessig blog JP

これは間違いなくweb2.0の原則のひとつ。

多くの人々に使いやすいインターフェイス

手際よく「ハックとリミックスを可能にするためのデザイン

レッシグのこのエントリでは動画イメージについて語ってるんだと思うけど

WIKIにも同じことが言えるわけで、ここまではサイトとかアプリとかスクリプトっていう人間外の、モノ側、機械側の話。

では人間内の、ヒト側、ユーザー側のあり方の話

上記のようなコンテンツの構築の方法に特化した

素早く効率的にハックとリミックスが可能な、人間の脳というか思考というか意識、精神のあり方。

それは本読んだり喋ったりっていう従来の情報の出し入れの方法に特化した現代人のそれとは違うのでは。

そこで最も合理的な人間側の態度

新しいコミュニケーション方法、新たな環境に特化した知性の集約方法、

集団((かつては地理的地域が主だった))の知恵の構築と保護の方法を

研究し獲得する

新しい道具、メディアに合った、知性、知的情報インプットアウトプットの回路、それを具現化する言語体系とそれを扱う能力ってのが

必要になってくると思ってるのって俺だけ?

2006-12-17

AKIBA FUTURE -オタサイト秋葉原

はじめに

秋葉原現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェアコンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェアハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。

この記事は、秋葉原歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。

1 電脳都市秋葉原誕生

電気屋街としての秋葉原歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前秋葉原にも山際電気現在ヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生ラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。

この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野新橋渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原国鉄都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。

その後、GHQにより道路拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器テレビ冷蔵庫洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原電脳街となるのである。

2 オタク層の流入??趣都の誕生

秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタク聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。

秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌アニメグッズ、ガレージキットフィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原移転するまで吉祥寺渋谷新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャーショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。

3 社会最適化されたオタク??個のオタクから公のオタク

批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメ物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語メッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生ミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。

東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語アニメにおけるキャラクターロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」

この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティコミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクター好み、そうしたキャラクターが登場するアニメゲームガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術進化趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。

オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。

しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。

秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタク情報家電親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブパソ通などで、一部のオタクBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチ趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。

「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。

4 個の聖地秋葉原??インタラクティブ都市としての発展

秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバbloghttp://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在秋葉原オタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。

高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在秋葉原は評価されるべきだろう。

参考文献

「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹

http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm

秋葉原歴史

http://www.akiba.or.jp/history/index.html

オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思

http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php

伊藤計劃:第弐位相 - 学園祭の話

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1

秋葉原におけるメイド喫茶コスプレ喫茶歴史

http://sotokanda.net/his_cafe.html

註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。

コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博

カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介

動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 幻冬舎 著者:森川嘉一郎

2006-10-28

世界史未履修問題

通っていた高校普通理系クラスでは現代社会地理しか勉強した記憶が無い。一応センター試験地理は自己採点で99%は取れたが、社会1科目のみなんで当然役に立つ筈も無く結局社会科は合否に無関係な地元工学部に進学したんだなぁといまさらながら。

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