はてなキーワード: マンネリとは
飽きずに毎日何となく続けられる英語Podcastを、また色々と漁ってみた。前に書いたのから特に変化なければ内容省略してるのもある。
★=今回の新項目。
NBC Today ←雰囲気が明るくて毎日いい感じの朝のニュース。
CBS Evening News ←見ごたえに定評のある夜のニュース。
New York TimesのWorld News ←数分の世界各地のドキュメンタリー。音声の異常な臨場感が抜群に素晴らしい。
★Mr.Deity ←動画、週イチ。キリスト教の神が主役の知的でシニカルなショートコント。面白いので初回まで遡って全部観た。
The CNN Daily
★Onion News Network ←動画、週2。ガセネタ・バカニュース。本気の出し方を間違えてる。電車の中で;`;:゙;`(;゚;ж;゚; )の危険。英語のLv.はけっこう高め。
★Stuff You Should Know ←「○○って何さ?どーなのさ?」を2人の男性の会話で概説してくれる。ファシズムって?臓器提供って?ミツバチって?など多方面の話題。リスナーのお便り紹介もあり。
TIME Magazine Video Podcasts ←日替わりだが、インタビューイが「誰?」てのが多い。How they train(スポーツのオフシーズン時の練習もの)が最近あまり無くて残念。
Monocle
★Planet Japan Podcast ←月2、音声。男女がまったりと世間話をしている。ネットニュースを見てる人にとっては特に珍しい話題は無い。
★NewScientist ←月2、動画。素人っぽいおねーちゃんが色んな方面の新技術を紹介する8分前後の番組。物珍しくてよい。
Slate V ←新作アメリカ映画情報を早く知りたい人にはいいだろうが…日本公開はまだ先だし…他の話題もマンネリ気味に。
Big Ideas ←話が1時間ぐらいと長いので集中力が持たなかった。
★TechCrunch ←SNSとかiPhoneとかtwitterとかそれ系の新しい話題メイン。自分がそれ系に疎いのと、DJ♀の鼻にかかったセクシーボイスwに耐えられずギブ。
Podcastの有名どころは白人様のご提供のが多いので、そうでないものも探してみた。
★CNN-IBN's Podcast ←インド。毎日、音声。現地のだなぁ…という雰囲気。
★Whats' Up India? ←インド。毎日、音声。
★Al Jazeera Riz Khaj - Video ←アルジャジーラw 週1程度、動画。中東からの視点ではどんなニュースやってるんだろーか?
★Forbes.com: Notes On The News ←週1動画。経済誌フォーブスの記者さんのご意見?
★Jpost.com-Middle East News ←エルサレム・ポスト。JはJapanじゃあない。毎日、音声。どっち寄りのメディアなのか知らないが…
★H&M Fashion Video ←英会話はあまり無いけど、海外ファッションもので見てて絵的に楽しい。
★The Washington Post Video Podcast ←言葉は無く、映像とSEのみ。景色、祭り、町の人々の様子などだが、毎回とても美しくて見ごたえある編集。
★NASACast ←月に数回、動画。NASAですよこれは見るしかない。
なんかブクマしてくれてる人は沢山おられるようだが、その後、皆さんのPodcast視聴は続いてるんだろうか。
どれが気に入ったとか、新しくすげーの見つけたとか、そういう意見も聞きたいんだけど…
君の生態だか芸だかは見慣れてしまってマンネリだから
京大に「折田像」が今年も登場したが、今年もずいぶんと良い出来であった。例年この二次試験の時期は雨が降り、ともすれば無残な姿を晒しかねないハリボテは、しかし雨を受けてもなお一点の色落ちもなく、見事なものだ。投入された技術は、たしかに数年間の制作の経験が生かされているのだろう。ニュースにもなったし、受験生の目にもおもしろいものとして映ったに違いない。
ところが、である。
京大生の一人として、今年はついに像に対して「憔悴」に近い感情を覚えてしまった。
理由はただ一点。
「誰にでも作れる像を造って、どうするのか?」ということだ。
折田像の歴史は、「誰にも考えつかないことをやってきた」歴史である。塗り替えるだけでは飽きたらず、着せ替え、かぶせ、はては像そのものまでねつ造してきた。それは、真に驚くべき創造力の歴史だ。だからこそ折田像はいまや京大の象徴としてニュースにも取り上げられるほどの知名度を誇るまでになった。毎年毎年、誰ともわからぬ匿名の、それも非公式に建てられた像が、これだけ全国区に有名になったことはかつてないことだろう。まさしく、「創造力」のなしえたことだ。
しかし、だ。この数年に、はたしてその「創造力」が存在しただろうか?
「タケシ」の像に、「誰にも考えつかないこと」の一つや二つがあっただろうか?
皮肉なことに、「よりよくできた像」を作れば作るほど、「創造力」は失われているんじゃないだろうか。今年の像だが、自分の目には、「クォリティが高いものを作っていれば、みんなが喜ぶだろう」という傲慢さだけが目についた。それは言うなれば日本の「モノづくり」の象徴であり、今日本が抱えている問題そのものだ。「作れば売れるだろう」「技術力が高ければ売れるだろう」という傲慢さ、である。日本の家電メーカーがなぜ行き詰まっているか。高い技術力を誇っているのに、なぜ韓国に後れをとっているのか。なぜうまくいかないのか。なぜ沈没しようとしているのか。その問題の象徴が、あの折田像にあるんじゃないだろうか。
日本のものづくりの歴史は、ある意味自らの破壊そのものだった。よりよいものを作るために、これまで常識とされていたスタイルさえ破壊し、新しく、革新的なものを提案していった。それはまるで折田像が汚され、被され、そしてあまつさえ新しく作り替えられた歴史とうり二つだ。そして今、京大にはただ単に「よくできた」というだけの像が建っている。なんのおもしろみもない、ただの像が。技術力と、過去の知名度だけで名をはせる、まるで空虚なあの像が。
それは、完全に行き詰まった日本の姿、そのものではないか。
京大当局は、像をなし崩し的に認め、いや、今や、推奨すらしているかもしれない。いずれ当局の「支援」が行われるかもしれない。「伝統」という名の保護主義のために。その先には、死んで腐った創造力でもたらされる、ただ単に見た目だけがよい、うつろな幻としての折田像が残るだけだろう。そしてそれすら残らなくなる。あとに残るのは、一地方大学として細々存続する京大の姿だ。ああ哀れなり京都大学。日本ナンバー2として、東大と並び称され、「変人」を排出することで知られた大学は、ただのありふれた大学に成り下がるのだ。いや、悲しもうじゃないか。それは世界における、将来の日本の姿そのものなのだから。
ばかばかしいとは思う。あんな像ひとつに、日本の将来を予言させるなんて。でも、危機感を持って欲しい。たたえるだけではなく、新しい創造を行って欲しい。日本を変えるような、すさまじい力が欲しいのだ。
しかし、現実は、少なくとも京大生には――あの像を造った京大生には、その力がない、ということだ。
そろそろ、あの像の姿に、絶望しても良いんじゃないだろうか。
***
相変わらず爆釣だぜ、と。
で、お前さんは「折田先生像」に勝る何かを生み出したの?
はい。
しかしそれは「折田像」という形としては結実しなかった、そういう話です。
やってない奴が何を言っても無駄
本気でそう思うんやったら、こんなわかったようなわからんような文章書いてる暇があったら来年は自分がやったらええやん。
その気がないんやったら、要するに君は自分が言うたことを別に本気で信じてへんいうことやろ。
むろんアジテーションの趣が強いかと思います。
しかし「もののたとえ」は、どんなものにでも当てはまる。必ずしも崩壊は大きな音を立ててやってくるわけじゃない。
そして残念ながら、自己保身と、それから私にとっての「折田像」に忙しくて、私にはリアルの「折田像」を作っている暇がなかったのです。
現在、日本が陥ってる最大の問題は、この日記のように努力を無駄と切り捨てることではないだろうか。
だから、私は「折田像」の制作に関して一切の手出しもしていないし、また、完成した像を汚すこともしていません。
ただ、「そんなことをしていてはダメなんじゃないかな」と言っているだけです。
あまり京大生だから、見た目によくできているからといって擁護するだけでは、何も生まれませんよ。
それこそ護送船団の中で腐るだけです。
***
学生のお遊びごときに「没落日本の象徴」とか、おおげさ。「匿名で学生のお遊びに文句を付けるチキンが出るようでは日本も終わったな」とか言われたら、君はどう思うのかね。「俺は別に日本を代表してねーよ」とでも言うんじゃないのか。
さておき、学生のお遊びならFランでも誰でもできるような「タケシ」の像を京大生がわざわざ造ることに意味はない。
そういう意味で、自らさえぶちこわすような新しい提案をすることは、すでに京大生ですら不可能なんだ(日本第二位(笑)の大学のはずなのに)、絶望しようじゃないかって話です。
「文句をつけるな」などと批判されて、像を精神的に壊すこともままならないなら、残された道はただ物理的な破壊しかない。
「俺達は黙って働いてるのに、文句言うな!お前も黙って働け!」っていうのとまったく同じ。
革新派は、調和の名の下に握りつぶす。びっくりするほど日本の抱えてる問題と同じ構図だね。
その点で、誠に残念ながら、「俺は完全に日本を代表してものを言っている」。
予定調和最高や!自由なんか最初からいらんかったんや!
http://anond.hatelabo.jp/20100114215738
付き合い始めの頃を懐かしんで思い出してみた。
3年前にTwitterを始める。ちょうど第一次のTwitterブームの頃。相手は遅れること2ヶ月後に始めたらしいけど、面識は全くなかった。
(当時はユーザも今ほど多くなく、出自のクラスタである程度Followerのコロニーができていたと思う。私ははてなクラスタ、相手は学校クラスタにいて、相互の交流はほとんどなかったように思う。)
約2年前 ついったったーだけのオフ会にて初お目見えする(ただしこの時点ではこちら側だけが認識)。
1週間後 初めて相手にReplyする。その後ちょくちょく@会話。
1ヶ月後 別にあったついったったーのオフ会に誘う。
3週間後に初デート。
その後はDMをやりとりしたり、週1ペースで会ったり。相手の存在が自分の中でどんどん大きくなっていった。
初デートから約1ヶ月後に告白する。相手の返事は保留。
その2週間後、OKされる。付き合うことに。
Twitterが恋愛に関わるコミュニケーションツールとして優れていることは間違いないと思う。それは、「出会い」の機会としてというよりも、性格が合いそうかどうかということが、当人に向けた発言以外のtweetからも情報収集できるからだ。私の相手は、私とコミュニケーション的な距離が近づき始める端緒の時点で、私の名前をぐぐって、ネットワーク上の私の発言を逐一確認していたとのことだ。そして、Twitterはそれを容易にしてくれる。良い意味でも悪い意味でも、相手がどのような生活を送り、どのような発言をし、どのような嘘をついているか透けるからだ。例え自分を偽って見栄を張った発言をしていたとしても、大量のTweetは発言者の性格を否応なしに表す。「あ、この人とは関心領域が似てる、趣味が合いそう」ということがわかったのは、今の2人の関係を考えれば大きかったと思う。
元増田も言っているように、DMの作用は重要だ。140字のコミュニケーションは携帯メールに似ている。ただ、携帯よりも文字を入力しやすいキーボードから入力ができる点で、DMのほうがより直接的に考えを送りやすい。もちろん慣れの問題はあるだろうけれどね。
私も相手が大事な人だと思っていて、最初は付き合うなんておこがましいと思っていた。ただ、この点は関連があるというより、たまたまである可能性のほうが高いと思う。恋愛において、上下関係などどのようなケースでもありうるだろうと思うからだ。
ちなみに相手が「尊敬ときどきかわいい」は同意。たまに、もう少ししっかりしてほしいと思ったりもするし、思われたりもする。相手に至っては、いい年してかわいいTweetはやめて!と言われる。バリバリ。
大きな差異点は一つくらいだろうか。
この時点で、純粋にTwitter経由とは言えないのだが、Twitter関係のオフ会だったので、これもある意味ではTwitterつながりなのかも。
2人の現状としては、2年経ってもそんなにマンネリにはなっていない。趣味領域が近いこと、Twitterでコミュニケーションがしっかり取れていることが、2年経っても続いている最大の要因だと思う。お互いに好き嫌いははっきりしているので、スルーすべき場所にはお互い立ち入らず、でもたまに真剣な話もしたり、馬鹿な話をしたり、そんな感じのゆるくもお互いに良い意味で頼りあえる関係だと勝手に思っている(相手がどうかは知らないけど)。
Twitterを起点とした恋愛は、特に状況把握の点で他のコミュニケーション手段よりも強みがあると思う。当人に向けたTweetやDMでないとしても、その人のtweetを見れば、何をしているのかはある程度把握できる。ありったーなどのツールは要注意かなあ。このへんも発言傾向ですぐばれそうだけど。もしTweetがなかったりすると少し心配になるけど、単に寝てるだけの時もあるし、気にしすぎることもない。
コミュニケーションが密になりすぎると、アディクション(病的依存)状態に陥るリスクがある。私も特にこの点を気にしていたのだけど、もうすぐ2年経つ現在のところは、アディクション的関係に陥る気配はない。単純な2点間通信でないことが、ゆるいつながりを保ち続けられている理由のかもしれない。共通のFollowerもいれば、互いに全く関連のないFollowerも多く、それらの人とのつながりから、お互いがお互いに個のついったったーとして独立した外界との接点を多く持っていることは、こと恋愛の中で視野が極端に狭まることを防いでくれる。
とはいえ、私は今でも、Twitterを使う限り、相手を疑い始めれば簡単に相互束縛関係に陥るリスクが依然として残っていると思う。Tweetの中で「かまってほしいオーラ」を出すことは簡単で、かつ相手に対して容易に束縛感を与えられる。私の周囲のFollowerでも、この傾向にある人を何人か知っている。この点は本当に気をつけていきたいと思う。
Twitter発の恋愛という共通点に共感していくつか書いたが、私にとって、かつて相互依存関係の部分で失敗した経験があるので、ゆるいつながりを維持できるTwitterというのは、本当にすっぽりとピースが埋まったようなコミュニケーションを実現させてくれた。
そして元増田さん。元増田さんが分析を含めていろいろと書いていたので、嬉しくなって私もついチラシの裏的なことを書いてしまいました。お互いにゆるく、かつ強固なつながりを持てる幸せな時間がずっと続きますように。
自分で言うのもなんですが、僕はセックス上手なテクニシャンなんだと思います。
30になるまで3人と付き合い、セックスだけなら10人くらいとしましたが、
セックスをした女性からは100%「こんなに感じたのは生まれて初めて」などと言われ、
女性のほうから熱烈に求めるようになってしまいます。
僕とのセックスで初めて中イキしたとか、失神したとか、セックスの本当の良さを知ったとかで
すごく感謝されるのはいいんですが、会うたびにいつまでもセックスをしたがります。
付き合ってしばらくの間はそれでいいのですが、女性のほうがエロくなり過ぎてしまって、
その態度に僕の方が引いてしまって興奮出来なくなってしまいます。
付き合った女性がみんな、セックスで頭がいっぱいのストーカーみたいになってしまって怖い。
清純派まではいかないにせよ、エロ過ぎる女性は僕の趣味ではないんです。
ここまで読むと、贅沢で何が悩みかわからない人も多いと思います。
でも、もう一回タイトルを見て下さい。
僕は背は高いし、太ってないし、オシャレも人並みだし、ブサメンというわけでもないと思います。
でも、ものすごく照れ屋で小心者でヘタレな性格なので、気になる子とはまともに話をすることも出来ません。
だから恋愛テクニック(特に口説きのテクニック)の方は小学生並です。
「いい人」なんだけど恋愛対象にはちょっと、って言われるタイプです。
せっかくセックスが上手という才能があるみたいなので、もっと可愛い子と付き合いたいんですが、
どうすればいいんでしょうか。
友人には、風俗嬢の中から相手を探せよ、って言われたことがありますが、風俗に行く気はしません。
ちなみに、セックスのうまい下手は、相手の反応の観察眼、快感ポイントの記憶・再現力、
マンネリにならない構成・演出力、の大きく3つで決まると思っています。
石川町の駅の前に現れた彼女は、いつものように妖精のようで、いたずらっぽい笑みを浮かべて、今日はなにをしてやろうかという顔をしている。
「待ちました?」
「ええ、15分」
そういって、2人で歩き出す。
三ヶ月前からはじまった横浜開拓計画は現在でも実行中で、2人の手には横浜市のハンディな地図が握られている。
「保土ヶ谷は失敗でしたね」
「まあ、でも石川町はかなり期待しているんです」
ぼくらのデートは、カメラ持参の街歩きが主で、それはぼくの趣味にも彼女の趣味にも合っている。毎回、駅を決めて、目星をつけて、とりあえず予定は作らずに勝手気ままに、好きなように散歩するデート。
旨そうな店があれば昼食をとり、面白そうな店があれば入り、歩き疲れたらカフェを探す。街歩きは一種の冒険で、見たことのないなにかに出会うかっこうの手段。特に横浜はそんなものに満ちあふれていて、シャッターを切るたびに増えていくすてきな思い出が、なにやら旅行記のようにさえ思えてくる。
「そういえば、飲むところ、見つけました?」
「あ、ごめん。ちょっとネットではピンと来るところなかったかなあ」
「困ります、それじゃあ」
「なんかどっかにあると思うんだよね、この辺なら」
今日のデートは、ささやかな彼女との忘年会のおまけで、一応形式的には、仕事仲間と親交を深めるための散歩だった。
しかし、彼女とのデートは悪ガキ同士の探検のようで、あれこれ目の前に現れるものを宝物でも発見したようにシャッターを切る。彼女はどちらかというと構図で切り、ぼくはどちらかというと物で切る。だから彼女は遠写が主で、ぼくは接写が主。探検が終わったあとにお互いの撮った物を付き合わせると、けっこう見ているところの違いが分かって、1度で2度おいしいような心地になる。
あれ、これ、カメラ仲間じゃないかと、そう思うときもある。
「そういえば、石川町は洋館狙いでしたよね?」
「あ、ああそう」
ぼくは地図を見る。
「撮ってみたいかも」
「じゃあ、そのように」
教会では、結婚式の真っ最中で、華やかな衣装の方々が、雑談をしている。
そういう中でそそくさと洋館目当てになるのはちょっとしゃくで、2人で手などつないでカップルですアピールなどしてみる。まあ、どう考えても、何ヶ月もふたりで散歩デートしてれば好き合っているのは否定できないのではあるが、それでも手をつないで視線が合ってしまったりすると、やっぱりそういう関係だよね、という意識が募る。
視線が気まずい。
「キスしても怒らない?」
「怒りません」
それで彼女は視線をそらして照れる。
もうキスなんて何十回もしているのに。
結局のところ、関係の飽きとはマンネリから来るというのだけど、それは、これがされて当たり前、という共通認識が構築されてからはじまるような気がするのだ。
むかしの彼女との関係は、「完全な同意」に基づいていて、その中で一番刺激が大きい、抱き合うことがすべての目的になっていた。だから、抱き合うためのデート、抱き合うための飲み会、抱き合うための日々。そんな風になってしまっては、2人の関係はマンネリになる。
結局セックスのために付き合っているのでしょう?
ほど貧しい関係はなく、その貧しさにひたすらに打ちのめされる。
だから彼女との関係はいつも揺らいでいて新鮮で、恋人のようでもあり、友人のようでもあり、同僚のようでもあり、同士のようでもある。
それなりの居酒屋を見つけて、わいわいと話し始める。
「あんまり飲まないでくださいよ」
おっと、彼女は今夜をご所望だった。
結局のところ、それがすべてになってしまうと、手をつないだ瞬間に愛撫をはじめてしまう、キスした瞬間に愛撫をはじめてしまう、もう触れ合った瞬間に、抱き合うことへのカウントダウンがはじまってしまう。
それは、とても息苦しくて、すべての女性とのつきあいが、そのためだけにあるのだとそういう錯覚に陥ってしまうのだ。ぼくは君を性的に喜ばせるためだけに存在しているのだって。
そうじゃないって、関係で示して欲しい。
身体の関係がなくても、シャッターを切り合っていれば、それで充分だって。
食事が済んで、小ぎれいなホテルの部屋を取ると、彼女は淑女から一変する。
シャワーを浴びて、裸でシーツの中で待っている彼女に向き合う。
「電気消して」
「輪郭ぐらい見えないと、上手くできない」
常夜灯を点す。
キスをして発情していないのを見て、柔らかく抱きしめる。ぎゅうと肌と肌を合わせるように。それで肌の温度が合ってくるのを確かめる。
「つめたい」
「冷え性だから」
「ぼくもそう」
可愛くチュッと頬にキスをする。くちびるで頬を愛撫するようなキス。
それで視線を合わせて、とろけ合う2人を確認する。
もう片方の頬を愛撫。瞳が潤んでくる。
髪をやさしく撫でる。もう溶け合いはじめている。
彼女との日々はそんな感じで、陶酔はあるのだけど、いつまでも、なぜか新鮮さが保たれている。曖昧な彼女との関係は、どこまでいっても曖昧で、それが、いつまでも都合よく毎日が展開される。
全部って答えはないのだろうか。
幸せとはなんだろうか?
「仕事と遊びが分断されていないこと」
これが俺の定義だ。
.
「分断されている」とは一体どういうことか?
これは、次の二点を指す。
A. 遊ぶために、我慢して仕事していること
B. 仕事の疲れを発散させるために、遊んでいること
.
順に説明しよう。
.
しかも、仕事は、遊びという価値をもたらす「交換価値」に過ぎない。
すると、当然、仕事を深く楽しめない。
.
逆に、Bの状態の人は、遊びを深く楽しめない。
彼の中では、遊びがストレス発散度というワンパターンな尺度で測られる。
これでは、遊びそのものを深く楽しめない。
.
言うまでもなく、AとBは併発するのが普通だ。
そういう人のことを、俺は「不幸な人」とみなしている。
.
そういう不幸な人は、AやBの状態を当然と考えている。
だから、そうじゃない幸福な人もいることを、説明する必要があるだろう。
.
幸福な人は、次のような状態である。
C. 仕事のなかに遊びがある
D. 遊びのなかに仕事がある
.
順に説明しよう。
.
Cの状態の人は、仕事を遊びとして感じる。
.
では、「遊びとして感じる」とはどういうことか?
それは、「多様性を味わい、その楽しさを追求する」ということである。
これが遊びの本質だと俺は考えている。
.
例えば、ブランコという遊びを考えてみよう。
ブランコは、反復運動であり、何が楽しいのかと思うかもしれない。
これが不幸な人の感性である。
.
いろんなやり方でこいでみる。
すると、いろんな味わいが生まれる。
「どんなタイミングでどうこげばどうなるか」
「立ってこげば、また違った面白さがある」
などの発見も生じる。
また、いろんな要素を遊びのなかで発見することもできる。
腰の角度、頭の位置、風を切る感覚、足を振り出す反射神経、遊具の音、景色の変化、などなど。
こういう多数の要素をもったものとして遊びを捉える。
そうすると、また異なる味わいが生まれる。
異なる味わいが生まれれば、新しい発見にもつながる。
そうして、いろいろ遊んでいるうちに、
「じゃあ、これくらい高くこげないかな」
などと目標を立てることもできる。
それに、創る喜びが生まれ、楽しい思い出になる。
.
こうして、単調な物事であっても、味わい、発見し、目標を立てる。
そうすることで、遊びが生まれ、深まっていく。
.
これと同じことが仕事にも言える。
仕事を単調な作業とみなすのではなく、そこに多様性を見いだす。
いろいろ変化をつけてよく味わう。
そうして、さまざまな深みを感じていく。
すると、新しい深みを味わいたくなり、目標を立ててみたくなる。
その目標に意欲的に取り組むことで、喜びが深まる。
.
これがCの状態、すなわち「仕事のなかに遊びがある」である。
・
長くなった。
今度は、Dの状態、すなわち「遊びのなかに仕事がある」について説明しよう。
.
これは、遊びが享楽に堕していないということだ。
言い換えると、目的があるということ。
他人のため、社会のため、地域のため、未来の自分のため、真理のため、美のためになっているということ。
「そんなことを考えていたら楽しめない」と思うかもしれない。
しかし、これは楽しむために大切なことだ。
なぜなら、享楽に堕していると、ワンパターンな尺度でしか遊びを捉えられないから。
その典型例が、先に触れた「ストレス発散度でしか遊びを評価できない」という状態である。
それは、発見が無いからである。
すでに述べたように、遊びの楽しさは、多様性にある。
そして、単調で浅い喜びしか得られないようになってしまう。
発見が無ければ、さまざまな味わいを見いだし、比べ、探求していくという深みが生まれない。
だからこそ、遊びは、単なる享楽であってはならない。
単なる享楽ではなく目的があることで、多様性の喜びがもたらされる。
.
以上で、CとDの説明は終わりである。
このCとDの状態、すなわち、
C. 仕事のなかに遊びがある
D. 遊びのなかに仕事がある
を兼ね備えた人こそが幸福な人である。
.
「では、仕事をしていない学生はどうなるんだ?」と思うかもしれない。
その問いに答えよう。
・仕事は、義務と言い換えても同じ。
・遊びは、楽しみと言い換えても同じ。
すなわち、次の定義になる。
・義務のなかに楽しみがある
・楽しみのなかに義務がある
この二つの状態を兼ね備えていること。
厚労省山井政務官のメルマガからそのまま抜粋(改行・スペースなどは勝手に修正した)。山井議員は福祉一筋でやってきた、実力派の議員と評価してよいと思うが、この人が何を思ったか。
さて、事業仕分けには
私は 厚生労働分野の立会人 として参加しています。
有意義だと 感じています。
まず、費用対効果を突き詰める余り、
費用対効果が明らかになりにくい、
また、今回の 国の事業仕分けには、
下請け作業になってはなりません。
財務省主導であってはなりません。
さらに、事業仕分けでは、評価者と言われる方々が、
説明する官僚に対して、厳しく追及します。
しかし、筋論を言えば、本来は、評価者は、
今回のように 一方的に批判を受ける事業仕分けでは、
さすがに官僚の方々に 申し訳ない気がします。
「100日ルール」という言葉があるが、年内ぐらいは、新政権の失策を一つ一つあげつらうよりも、こういう批判を取り入れていけるだけの柔軟性があるかどうかを見極めた方がいいと思うんだが、どうだろう?
彼氏及びその元カノや周辺人間関係をネットストーカーしたあげく、彼氏の画像収集にいそしんだ経験を持つ女増田がものを言おうと思います。
いていいのは、完璧なまでに相手には病んだ気持ちを隠しとおして、プラスの結果であれマイナスの結果であれ、最後の臨界点を越えるときだけ自分の気持ちを爆発させるパーフェクトヤンデレだけじゃないのか。
そんなものがいてよくてたまるか。プラスはともかくマイナス方向の爆発は駄目だよ。だって彼氏の迷惑になるもの。
その彼氏さんが、病むくらい一途に僕を思ってくれる女性って素敵という考えなら漏電ヤンデレで問題はなさそうですが、どうやらそうではありませんね?
では話は簡単で、隠し通せば何の問題もありません。
よろしいか、ヤンデレなどというものは、ぶっちゃけバレなければよいのです。日本国憲法も、思想の自由を認めております。が、ヤンデレな気持ちを全面に押し出して行動することはおそらく公共の福祉に反するでしょう。反社会的です。全力で反社会的な女が彼女であると世間様におおっぴらになった場合、彼氏は多かれ少なかれ、冷たい目を向けられるでしょう。彼氏のためになりません。ヤンデレは思想のみにとどめねばなりません。
そんな大げさな話ではなくても、ヤンデレであることがバレたら彼氏に嫌われますね?絶対イヤですよね?私はイヤです。
しかしながら気持ちのコントロールというのはなかなか簡単にはいかないものです。当たり前です。だって恋愛してるんだもの。恋愛が気持ちでなくてなんだというんだ、という話です。
ではヤンデレでないように見せかけるにはどうしたらいいのか。ここで覚えておきたいのは「ものは言いよう」という言葉です。
動機は隠しましょう。するべき行動だけを述べればいいのです。
「あなたと私で色々なホテルでセックスしましょう」と。細かい言い回しは自分で装飾してください。
そんなにいっぱいセックスしたくないなあと彼氏が言うおそれがあるのならば、その可能性を潰しましょう。セックスしたくなるように努めましょう。二人でセックスを探求するでもマンネリを防ぎまくるでもなんでもよろしい。自分の為にラブホめぐりをさせるのだという負担を彼氏に感じさせないことです。あくまでも彼氏には、彼氏の為にそれをするのだと思わせるのです。これでこの件は八方丸く収まる気がしませんか?
それから、前の女の個人情報を洗い出してとっちめてやりたい、という願望。
なんでとっちめてやりたいんだかは存じませんが(ひどい振り方でもしたんだろうか。それは許せない。恋人を傷つけるものには憤るべきだ)、前の女をネットストーカーするというのは、正直我々のようなヤンデレ気質には向いているし有益な作業です。
まず、現在のwebは広大な割にネットストーカーしやすいです。スーパーハカーなぞでなくても楽々個人情報が洗えます。ブログ、mixi、twitter、このうちのどれかひとつが足がかりになるのではないかと思います。いきなり本人のものを探そうなんてしなくても、周辺人間関係くらいはご存知でしょう?その何人かの記述を地味に当たっていけば、知りたい人間の情報はこぼれおちてきます。あとはまあ、アレンジの問題です。
ちなみにこの作業には嬉しい副効用もあります。彼氏周辺の人間関係の情報を探るので、彼氏の知らなかった側面もまた見えるのです。共著論文、出席したセミナー、勤務先の客先向け日誌ブログ。彼氏の色々な痕跡が現れることでしょう。
それらの情報を握り、彼の食いつきそうな話題をなに食わぬ顔で振ってみること。「何も言ってないのに察してくれるんだ」なる素敵な勘違いを得ることも可能です。なんなら彼氏の優位にすら立てます。単なるヤンデレなのに、まるで洞察力や運命的一致があるような振りができることもあるのです。
これくらい、大好きなんですから、結構余裕でできますよ、大丈夫です。ヤンデレは「表面上」なおせます。そしてそれで問題ないのです。
ただ、以上の記述で引いた場合は、あなたはヤンデレでもなんでもない女性じゃないかという気がしますので、彼氏にとっての一番となるべく、まっとうな手段で魅力的な女性への道を歩んでくださいね。
【追記】
ヤンデレは治ります。
ヤンデレであることを押し隠し、情報を自分と彼氏の平穏な関係のために駆使することで、いつしか彼氏にとっての一番は自分であるという確信が持てる日が来るはずです。その時、あなたからドス黒い色々は消え、実に自然で穏やかな気持ちで彼との恋愛に臨めるようになるでしょう。そして、彼にとって表面上のあなたは何一つ変わってないのです。装っていた自分だって、本当の自分だったことを実感出来るでしょう。
彼氏の言う「自分に自信が無いから」というのはこういうことじゃないでしょうけど、結果的には同じです。大丈夫大丈夫。
ちなみに万が一、あなたにとっての愛する人が別の人になるとまたこの病気は出てきますが、お医者さまでも草津の湯でも治せやしないのでまた同じ道筋を辿ることになります。でも今度は手慣れてるのでだいぶ楽になるんじゃないですかね。
私男ですが、男が読んでも「なるほど」としか思わないよ? 男なめんな。
それにAV見てセックスする奴なんて一握りだと思うけど。セックスは普通はいつでもやってみてどうこうという試行錯誤の世界じゃないんですか。それに慣れてきてマンネリになってどうこうという世界にはまだ到達してないので何とも言えんけど。
それに、男は「女が感じてないのなら男は死んだ方がいい」と常に思っているのではないのか? そう思いながら「気持ちいいですか?」と訊いているのであって、その答えが「お前に言っても分からん。つーかうるさい」ではディスコミュニケーションもいいところだ。あげく全く何も訊かないでやったら「イヤだった」なら話にならん。
元彼女はあなたのことを、親友のように思っているのではないでしょうか。親友とは悪くいえば、ドキドキが伴わない深い関係です。親友とは悩みを共有したいと思っても、それ以上の関係にはなりたくないと思うでしょう。(特に一度恋をした仲なら…)
やはり、恋愛初期のドキドキは大事ですよ。あなたは元彼女の結婚相手と自分の違いに悩んでいるようですが、相手はドキドキを利用して結婚までこぎつけたに過ぎないと思います。あなたも早い段階でそうすれば、結婚できたのでしょうね。(まあそしたらそれでマンネリが待ち受けてるわけですが)魅力的な差は無いと思います、運が悪かっただけです。
それにしても、引きずるにしてはやや長いと思うですが、元彼女の煮え切らない態度がいつまでたってもあなたを泥沼から抜け出させてくれないのではないでしょうか。元彼女の「考えがまとまってない」という言い方は、真実にしても少し卑怯ですよね。ただあなたを疲れさせるだけだというのに。
あなたは身を引くべきです。あなたが再び彼女の心を捉えることのできる可能性は、限りなくゼロです。莫大な富を築いてみせれば振り向いてくれるかもしれませんが。(女なんて、人間なんてそんなものですよ…) 辛いでしょうが頑張ってください。