幸せとはなんだろうか?
「仕事と遊びが分断されていないこと」
これが俺の定義だ。
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「分断されている」とは一体どういうことか?
これは、次の二点を指す。
A. 遊ぶために、我慢して仕事していること
B. 仕事の疲れを発散させるために、遊んでいること
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順に説明しよう。
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しかも、仕事は、遊びという価値をもたらす「交換価値」に過ぎない。
すると、当然、仕事を深く楽しめない。
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逆に、Bの状態の人は、遊びを深く楽しめない。
彼の中では、遊びがストレス発散度というワンパターンな尺度で測られる。
これでは、遊びそのものを深く楽しめない。
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言うまでもなく、AとBは併発するのが普通だ。
そういう人のことを、俺は「不幸な人」とみなしている。
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そういう不幸な人は、AやBの状態を当然と考えている。
だから、そうじゃない幸福な人もいることを、説明する必要があるだろう。
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幸福な人は、次のような状態である。
C. 仕事のなかに遊びがある
D. 遊びのなかに仕事がある
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順に説明しよう。
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Cの状態の人は、仕事を遊びとして感じる。
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では、「遊びとして感じる」とはどういうことか?
それは、「多様性を味わい、その楽しさを追求する」ということである。
これが遊びの本質だと俺は考えている。
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例えば、ブランコという遊びを考えてみよう。
ブランコは、反復運動であり、何が楽しいのかと思うかもしれない。
これが不幸な人の感性である。
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いろんなやり方でこいでみる。
すると、いろんな味わいが生まれる。
「どんなタイミングでどうこげばどうなるか」
「立ってこげば、また違った面白さがある」
などの発見も生じる。
また、いろんな要素を遊びのなかで発見することもできる。
腰の角度、頭の位置、風を切る感覚、足を振り出す反射神経、遊具の音、景色の変化、などなど。
こういう多数の要素をもったものとして遊びを捉える。
そうすると、また異なる味わいが生まれる。
異なる味わいが生まれれば、新しい発見にもつながる。
そうして、いろいろ遊んでいるうちに、
「じゃあ、これくらい高くこげないかな」
などと目標を立てることもできる。
それに、創る喜びが生まれ、楽しい思い出になる。
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こうして、単調な物事であっても、味わい、発見し、目標を立てる。
そうすることで、遊びが生まれ、深まっていく。
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これと同じことが仕事にも言える。
仕事を単調な作業とみなすのではなく、そこに多様性を見いだす。
いろいろ変化をつけてよく味わう。
そうして、さまざまな深みを感じていく。
すると、新しい深みを味わいたくなり、目標を立ててみたくなる。
その目標に意欲的に取り組むことで、喜びが深まる。
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これがCの状態、すなわち「仕事のなかに遊びがある」である。
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長くなった。
今度は、Dの状態、すなわち「遊びのなかに仕事がある」について説明しよう。
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これは、遊びが享楽に堕していないということだ。
言い換えると、目的があるということ。
他人のため、社会のため、地域のため、未来の自分のため、真理のため、美のためになっているということ。
「そんなことを考えていたら楽しめない」と思うかもしれない。
しかし、これは楽しむために大切なことだ。
なぜなら、享楽に堕していると、ワンパターンな尺度でしか遊びを捉えられないから。
その典型例が、先に触れた「ストレス発散度でしか遊びを評価できない」という状態である。
それは、発見が無いからである。
すでに述べたように、遊びの楽しさは、多様性にある。
そして、単調で浅い喜びしか得られないようになってしまう。
発見が無ければ、さまざまな味わいを見いだし、比べ、探求していくという深みが生まれない。
だからこそ、遊びは、単なる享楽であってはならない。
単なる享楽ではなく目的があることで、多様性の喜びがもたらされる。
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以上で、CとDの説明は終わりである。
このCとDの状態、すなわち、
C. 仕事のなかに遊びがある
D. 遊びのなかに仕事がある
を兼ね備えた人こそが幸福な人である。
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「では、仕事をしていない学生はどうなるんだ?」と思うかもしれない。
その問いに答えよう。
・仕事は、義務と言い換えても同じ。
・遊びは、楽しみと言い換えても同じ。
すなわち、次の定義になる。
・義務のなかに楽しみがある
・楽しみのなかに義務がある
この二つの状態を兼ね備えていること。
遊ぶためというよりは、死なないために仕事しているだけの俺はどうなるんだってな話だ、こいつは。
仕事の中にしか喜びを見出せないって話?
横だけど、それは全然違うでしょ…。
書き換えてなぜそうなるのかわからんが、全然違うでしょ。横だけど。 ちなみにhttp://anond.hatelabo.jp/20091125190552とは同一人物だけど元増田とは別人だよ。
仕事と遊びが分断されていないと、最終的に仕事オンリーになる気がしたのだが 読解力が足りなかったようだ。
ちなみに横だけど、仕事の中にしか喜びを見出せない事が幸せとは言っていないが、社畜として生きるのが不幸せとも言っていないよ、元の話は。 真実を知ることが幸せの必要条件なの...
若いっていいなあ。言ってることは青臭いけど眩しいぜ。 そのまま挫折することなく生きていけるなら、間違いなくそれは幸せだ。
隣の芝生は青い。
ある程度の給料の職に就けて、趣味に費やせる休日があれば、幸せだと思うな。
そんで、今は幸せ? まだ途上なら、いつかCかつDの状態になったときに、幸せ話を聞かせておくれ。