はてなキーワード: トランクとは
その昔はバブル崩壊後に上映された、ミッキー”猫パンチ”ローク氏とドン”レプリカのフェラーリ乗り刑事”ジョンソン氏が共演した迷?米映画がありまして、当時たしか愛車を持ち込んだというそのハーレーのカスタム具合と彼のファッションが大いに話題、極東の某国では某ライスバーナー(本場ではそんなの言ってない説あり)400cc未満でもソレ風に仕上げるのが以下略、・・・なことよりその劇中で今回のPC800のポリス仕様!がエンジンと青灯ブン回しながらドンジョンソン(こちらはアッサリ風味仕様)を追っかけまわすシーンがありまして、めっちゃカッコよかったんですわ。。。
No:4900 2017/10/06 17:16 | kusobukuro https://web.archive.org/web/20221127135307/http://kusobukuro.at.webry.info/
ロサンゼルスでこのバイクに15年以上乗っている者です。ご存知かもしれませんが,元々これはホンダアメリカが車に乗るコンシューマーを取り込む為にこちらでデザインされたバイクで80年代によく見かけたアコードやシビックに似せた横長テールライトをつけたり,車の様なガソリン入れ口だったりします(予備タンクは無し)。YOUTUBEでクルマの様に売ろうとした当時のCMが見られたりします。乗り心地はいいですが,長時間にはポジションが微妙なので,ハンドルをライズさせ,ステップをもっと前にずらした他のホンダバイクの奴と交換して乗っています(当方175cm)。高速での回転数が高めなのも事実で,中古のVTR1100のシャフトファイナルドライブにのせかえて使っています。こういったことは私の発見では無く,全世界中に散らばるPC800(この呼び方が一般的)のオーナーズフォーラムで皆が情報を開示しているものです。全く売れなかったバイクですが。ここから得た情報で,後輪は車のタイヤを使っています。バイク物より10倍近く持ちますし,安いです。合法です。もう7年になりますが全く問題は無いです。アメリカにはDARKSIDER というバイクの後輪に車タイヤを使う集団がいましてサイトでどのバイクにどのタイヤがあうのかの表もあります。話がそれましたが,PCは数年毎にヘッドカバーからオイルが絶対漏れ出すのでその度カバーを外してシーラーを塗らないといけません(外すときにタペットが落ちるので注意)。油圧タペットのクリアランスが有るのでガスケットは使いません。メンテに邪魔なのでカウルはすべて外しました。ホンダにはこれのネイキッドを作ってもらいたかったものです。たまに買い換えも考えますが,あれだけのトランクサイズですり抜けに気を使うほど幅もなく,メンテフリーの油圧タペット,シャフトドライブ,センタースタンド付き,油圧クラッチで燃料タンク下部の低重心。800という大きすぎず小さすぎず,新車価格約5000ドル(50万円)それらを全て備えたバイクって無いもんです。パーツに関してはカウルの新品が欲しいのでなければ(ウインカー付きミラーとか)走らせる為にならどうにでもなります。燃料ポンプなんかクルマのキャブ用低圧安物ポンプで純正ポンプより長持ちしたりします。長々と失礼しました。ずっとここを覗いていたものですが,自分のバイクが出てくると嬉しいものです。
・面白かった
・マインドフルネスについては懐疑的な気持ちなのでマインドフルネスって、良いんですよ〜サイコパス爆誕のテーマ自体で優勝だったしちゃんと最後まで観させてくれた
マインドフルネスって色々種類というか段階があるんやね…
「チャックを開ける」動作で武器がパンパンに詰まった鞄が開けられたりとか薬物?が入った鞄とか娼婦の胸元を開けられたり一瞬で映像がきりかわり「やましいこと全部コンプリートしてます」感を1,2秒で的確に伝えてくれてた
・直接的なゴア描写がなくてボストランク蒸し焼きのときみたいな暗喩が逆によかった
なんでだろ
1000%警察に見つけられるやつじゃん!だったけどマフィアのゴタゴタがおもろかったのでヨシ!
・吹き替えの声優さんの飄々とした喋り方がすごくキャラクターに似合ってた
滑らかで理知的でかつらつとしてるけど「なんやこいつ」感 作品が主人公のモノローグメインで進むのと相まって本人的には「マインドフルネスでいい感じ!」はたからみたら「おいおいおい」のズレ感を終始感じさせてくれて作品のやりたいことを視聴者己によく伝えてくれとる…!ってなった
まだまだ呑み込めないでいるアイプリマイク。
その愚痴を。
・見た目
(マイクのトップ部分はサイリウムジュエルマイクと同じ質感だと思うから妥協として触れないものとする。それにしても色濃いなと思うけど。)
まずマイク本体の王冠と羽と鍵穴ハートボタン、それから一番下の装飾部分がメッキじゃない、50歩くらい譲ってもパールじゃないのは何故なのか。
アニメや筐体のライブシーンで見られるアイプリマイク(以下、本物とする。)の該当部分は少しピンクの入ったゴールドに見える。
し、そう思ってた。なんなら商品紹介動画で使われてるCGでは全体的にパールっぽい出来になってる。
それから一番下は装飾の下に濃いピンクのジュエルのようなものがあったはずだけど、それも無くなって柄と同じ薄ピンクになってる。
これはバズリウムチェンジ後にビビッドなシアンに光るはずなんだけど、光る光らない以前にこんなクリアですらない…何故…。
次にハートPodの下敷きになってるリボン部分が光るものではなくただの紫プラスチックなのは何故なのか。
本物は明らかに電気が消えてる時のLED電球のようにグレーアウトしていて、バズリウムチェンジ後に濃いピンク…それこそハートPod本体のような色に光る。
アイプリマイクがおもちゃで出るなら絶対ここは光ると思ってた。
画面とか機能は後に書くとして、まず色。色というか質感というか、とにかく外観。
本物はピンクですよね。バズリウムチェンジ後は基本は白だけど、他にはバズリウム蛍光の色に合わせた色に光るようになってる。
透け感はない。
で、これは赤っぽいピンクのラメ入りクリアプラスチック。ラメ!?ここにラメ!?どうせここに使うならマイク本体に使えよ!
失礼、抑えられなかった。でもこのクリアラメをさっきのリボン部分にもってくるべきと私は思った。
思ったというかそうしてほしかった。
ほんで今時miniUSB!?!?!?!?!?!?いつの時代を生きてる???????
さすがにびっくりした。もちろんType-Cであれと思うけど百歩譲ってもmicroUSBだろ。。。。。。。。。。
次、コーデ遊びに関して。
プリパスやデザインパレットのようにコーデ獲得して筐体で使えるのかと思いきや、付録カードと全く同じバズリウムパープルしか筐体で使えないというオチ。
じゃあカードのほうが使えなくてハートPodからしかコーデ利用できないのか?と思うでしょう。
>アミューズメントゲームで使える、きらめきMAXの☆4アイプリカード3枚付き!! (商品ページから引用)
本当になんなんでしょうね。
そしてそれに付随して収録楽曲について。
上で書いてる通りシークレットフレンズ∞バズリウムパープルのカードが3人分ついてくるのにWe're The Worldが収録されてないんですよ。
なんで?本当になんで?
その分ひみつマイソングはひまみつの2曲じゃなくて、カラオケverをいれて子供が替え歌できるようにすればよかったのにとも思った。
・価格とか
とにかく高い。
上で書いてる光らないとかコーデ使えないとかそういう所を見ちゃうとやっぱりたっけ~!と思うんです。
最初にも書いたけど、ブレス・リップ・ネイルコロンにメッキ使ってるのに一番高いマイクにメッキ無しは予想できなかった。
あとやっぱり本物と見た目が違いすぎ。
個人的にはマイクは原作忠実再現マイク、ハートPodはデザインパレットみたいな別端末で欲しかったです。これに関しては他にも呟いてる人が居て安心しました。そっと感謝。
子供は原作再現じゃなくても大人と違ってそこまで文句言わないだろと言われるかもしれないが、私は女児時代にシュガルンの杖が原作と違いすぎてギャン泣きしたのでそういう子供もいると思う。
ツイッターを見てると今のおもちゃは高いんだからとか、キラニコトランクに比べたらとか、そういう意見も見たんですけどね。
まずアイプリは他社のそういう電子玩具と違っておもちゃだけで勝負してない。筐体が2種もあります。
少なくとも自分が子供の頃はこういうおもちゃとかが出たら、買ったら価格分数週間はゲーセン行かないからね!と親に言われました。
大人は好きに買えばいいけど、子供目線はそういう懸念があると思います。
じゃあどういうところで価格抑えれたかっていうと、たまごっちユニを買った人はわかると思うんだけど
振動センサーでのモーション感知ってめちゃくちゃ難しいんですよ。
指示通り動いても判定してくれないことが多いです。
しかもハートPodに関してはマイクに付けて降るから動作中はたぶん画面見ません。目から画面まで距離があるから。
というか子供って別にこういうゲームにされなくても勝手に真似します。
今はCGライブが公式でyoutubeに上がってるし、それ見ながらでも真似すると思う。
から、これセンサーもゲームもいらなかったと思うんですよね…。
こういうところを削ってでも手が出しやすい価格にするべきと思います。
まあラブベリとコラボしちゃうくらいだし最初から大きなおともだちしか見てないのかもしれない。
姪にラブベリをDSで見せたときはキャラ可愛くない!とあまり反応よくなかったけど、世の女児たちの反応はどうなんですかね。
逆にどうだったら価格に納得できたのか。
先に書いたように収録コーデを筐体で使えるべきでしょ、過去作がそうだったように。というのは前提すぎるので置いておいて。
まず他社電子玩具はカメラがついてたり、ネットに繋げたりしてるんですよね。
このお金かかってるであろう部分をアイプリマイクというかハートPodに置き換えるなら、おそらく楽曲収録されてるところになるのかな?と思っていて。
e-kara、イーカラって知ってますか、覚えていますか。タカラから出ていたぴちぴちピッチのマイクみたいなテレビに繋げるカラオケおもちゃ。
実際ピッチモデルも出てたし、きらレボやモー娘。のも出てましたね。すみません、逸れました。
ああいう感じでテレビに繋げてカラオケできたら、Wiiのリモコンみたいに赤外線でモーションゲームができたら。
そうだったらきっとこんなに本物と外観差があっても買おうかな~と思ってたと思います。
ていうかできただろ。e-karaはタカラから出てたんだから。なあ!タカラトミー!
ここまで書いてたら3時間くらい経ってた。
こんな愚痴を最後まで長々と読んでくれた人、居たらありがとう。
原作再現マイクはハッピーセットか食玩かガチャか、なんでもいいからどっか別のところで出ると信じて待ち続けます。
最後に…
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 inEZO その他の感想
もう来年以降は行けない気がするけど一応今回初ガチソロ参加での感想と覚え書き。
札幌駅↔会場までは今年もJTBバス使用。JTBバス最高です!!これ一回使ったらシャトルバスはもう乗れない…笑 高いって言われてる事もあるけど必ず座れる·大荷物はトランクに預かってくれる·時間が決まっているので出発時刻、到着時刻などがはっきりしている。今年は運転手不足でないかもと危機感持ってたけど準備してくれたウエスには感謝しかない…。このバスは毎年続いて欲しい…!!
今年はトウモロコシが第1希望でそれが通った形だったけどプロボの近く(これは個人的にさほど苦ではなかったけど)だった、テントサイトガチャで外れを引いてしまい夜苦痛過ぎた…。でもテントサイトガチャは自分ではどうにもならないので…。HEAVENS当たっただけ良かったと思う事にする…。レンタルテントは遮光付きのやつが今年から導入されたのでそれにしたけど、テントの中にいてもわりかし耐えられる暑さだったので少し値段は高かったけどこれにして正解だった(その代わり昼間でもランタンは必須)あと一人だったから一人〜二人用テントでも充分広かった。
·布袋のザンギ→単純に美味しい。そしてオペレーションが素晴らしいので並んでてもわりかし早目に買える。最高です。
·くずバー→溶けないし美味しい。普通のアイスより良いと思う。
ガチ1人参加·病気の身でどうなる事かと不安もあったけど、私はボッチ耐性が高く一人でも全然楽しめるタイプなので思っていた数倍楽しめました!笑 御飯食べる時とかライブ後に感想言い合ったり出来ない、あとテントが組み立てられない時孤独過ぎる笑 と言う少し寂しさもあったけど、1人特有の自由さみたいなのもあってあっという間に時間が過ぎたなぁと言う印象。あとは毎年お会いしてる元ハイカーさんに沢山構ってもらったのも寂しさを感じなかった大きな要因だと思います!今年のライジングは本当に記憶に残る大切な宝物になった2日間でした。年々ライジングのターゲット層から外れてる事はヒシヒシと感じていますが(Rainbowとか復活すればまた違うかもだけど)それでもライジングでしか味わえないワクワク感と楽しさがあって、それを味わいたくて行ってる感じなのでまた蝦夷の地が踏めると良いなぁと思います。
インバウンド観光客数のランキングとか見てたんだけど、いま日本が年々観光客増えてていま年間3千万人台って感じなんだが、
日本と同じくらいの順位の国みてるとなんと「オーストリア」が、あの、ラリアじゃないほうのオーストリアが年間3千万人くらいで日本といっしょくらい観光客いるらしいんだがどゆこと!?
北海道と同じくらいの面積で人口900万人くらいの国が3千万人うけいれててなんで人口10倍以上の日本がヒィヒィ言ってんの?
それともオーストリアがぜんいん観光特化サバイバル仕様国家なん!?
そんなわけないよなあ。
もしくは日帰りメインばかりとか?
にしても多くない?
まあ日本も最適化が進んでいけばいまの10倍くらい、3億人来てもなんとかなるかもしれないってことなのかな。
韓国語でも習っとくか?
(追記)
もう最近は道案内も行ったことないとこ聞かれるし、観光がマニアックになってきてるよな。できたばっかの場所なんかだとマップアプリも弱いし。
出入国審査のないシェンゲン協定加盟国だし、周囲もぐるっと陸続きでシェンゲン協定加盟国だしで、きっと日本とは「外国人観光客」に対する感覚が違うのだと思う。
言語の壁低い・陸地続いてるに加えてパスポート無しでオッケーだとやっぱ人流は加速するよなあ。
いま日本もパスポートなしで行き来できるようにみたいな話もあるんだっけ。
韓国・台湾あたりとそういう感じにしたらもっと増えそうだけど言語の壁は正直まだあるな。
あとなんかこう受け入れのインフラがまだまだって感じがするな。
宿泊が長い=デカいトランクが何個も必要だから必要なスペースもけっこうになるし。
そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。
私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
---------------------
6/22
父の死は、私にとってとても大きな出来事で、父のことを書きたいと1年間思い続けているけど、整理がつかずになかなかかけずにいます。一部ですが少し吐出せて、それを読んでもらえてうれしいです。
私が書いた別の読みたいというブコメをみかけたので、かなり以前に書いた増田ですが、お年寄りの話題・肉親の死が出てくるものを2つほど貼っておきます。
※ビービーの車名直しました。廃車するとき泣きながら見送ったのに間違えてしまった、ご指摘ありがとうございました。
巨大なトランクを持ち運ぶのは移動の足枷になるし、何より単純に面倒だ。思い悩んだ末、荷物はそのまま列車の網棚に置き去りにして用事を済ますことにした。前から2両目の後方寄り左側。帰りに回収すれば問題ない。全ては上手く行くはずだった。
たが帰りの列車に飛び込むと、どこにも荷物が見当たらない。あれから丸一日が経過している。もしかしたら誰かが持ち去ってしまったか、あるいは折り返しの終着駅で忘れ物として回収されてしまったのだろうか。いや、そもそもこの列車は本当に昨日と同じ車両なのだろうか。うろうろ探し回っているうち、いつの間にか扉は閉まり、列車は動き出してしまった。しかもこの車両は運が悪いことに特急であるらしく、次々に途中駅を通過していく。そういえば先ほどの店で財布を友人に預けたままだった。このままではいずれ見知らぬどこか遠くの駅で現金も荷物もないまま放り出されて途方に暮れる運命だ。ちょうどそのときカーブにさしかかった列車がスピードを落とした。ぼくはほとんど衝動的にタラップを蹴って線路に飛び降りていた。
そのまましばらく線路を歩いたが、どうも監視されているような気配がする。おそらく列車を飛び降りたためにキセルを疑われているのだろう。どうにか逃げなければと思いあぐねていると、傍らの側溝の壁面に鉄格子の嵌まった半円形の窓が見えた。そういえば聞いたことがある。どこの都市の地下にも中世に作られたカタコンベと呼ばれる長い地下通路が隠されていて、今も密造酒の隠し場所になっているとか。このまま地上を歩いて捕まるのを待つよりは、多少道を知らなくても地下に潜った方がいいだろう。ぼくは錆び付いた鉄格子を蹴り破って兎の穴に飛び込んだ。
地下通路は思いのほか近代的であった。明るい蛍光灯に照らされた白い壁面のタイル。灰色のリノリウムの床面には規則正しい点字ブロックが並び、通路はどこまでも続いている。線路の向きからおおよその方角を推測して歩き始める。虚ろな空間に空しく靴音が響き渡るなか、ぼくの思考は急速に回転する。そうだ、今ならよく解る。あの曲がり角の向こうでは年老いたセロ弾きのストリートミュージシャンが Tom Johnson の Failing を奏でているに違いない。ぼくは彼の目を盗んで空き缶の投げ銭を盗めばいいのだ。そうだ、ぼくはそれで家に帰ることができる、それが今のぼくに残された唯一の道なのだ。
俺は、爺さんと親父と2人の車いすを押してきた人間として、映画館の対応で炎上している今の騒動を複雑な気持ちで見ている。
単純な話として、もし自分の働いているところにああいう車いすユーザーが来たら、表面的な対応は別としても内心では腹が立つ。これはもうしょうがない。
クソみたいなクレーマーは多いし、ちょっとこっちが仏心を出すとそこにつけこむクソ客も多い。
とりあえず言ってみて通ればめっけもん、一度通ればそっからはソコを最低ラインとしてさらに言う、対応できなきゃ文句を言う。対応する側としてはクソ客以外の何物でもない。
ただ、そういう対応する側からすると速やかにおかえり願えないかなと思うようなゴリゴリ押してくる車いすユーザーが先陣を切ってくれなければ、変わらなかっただろうな、とも思う自分が居る。
爺さんの時は、俺も車いすを押したが、主に調べたのは親父やおふくろだった。
何を調べたか?外出する際のすべてだ。
移動手段から、途中の休憩所、行く店や行きたがりそうな店、レストランや喫茶店、経路上にある公園のトイレに至るまで全部だ。
そんなん普通にしてれば良いじゃんって思うかもしれないけどそうじゃない。
車いすを押す側としては、車いすユーザーって言うのは、おおむね3つのパターンがある。
爺さんは、2番目の支えられながらなら乗り換えできる、だった。いわゆる介助が入ればベットから車いすへ、車いすから椅子へ行けるってやつだ。
それでも、爺さんのころは相当面倒だった。
今回の件で多少は周知されたようで何よりだが、車いすにとって段差は割と致命的だ。
出張で使うようなキャリーケース、無理したら行けるような段差があると思う。アレが致命的なレベル。
想像してほしいのは、女性だと両手で押して限界って感じの巨大なスーツケースだ。アレに近い。段差即詰んだって感じ。
それでも、先人のおかげで都内ならかなり自由がきいた。事前に連絡しておけばバスもJRも問題ないし、問題がある場合(エレベーターが無いとか乗り換えが面倒とか)でも教えてもらえた。
店もまあまああったし、爺さんが好きな美術品なんかも、まあ結構柔軟に対応してもらえるところは多かった。やはり大手に限られるけど、飛行機もなんとかなった。
とはいえ、気苦労は多かった。昔の人に比べたら事前準備さえすればできることは格段に多いとはいえ、家族としてはやはり一大イベントにならざるを得なかった。
これが、まあ平成後期や令和になってからの親父の時は、相当に楽になった。
例えば行きたい美術館が車いすOKって書いてあったら、特に調べず一発行ってみっかで行って詰むことはほぼ無くなった。
流石にバスやタクシーの時は事前に確認の連絡を入れたが、親父の時は車のトランクに入る折り畳みの車いすを使っていたこともあり、何だったら普通のタクシーでも捕まえれば乗れたりした。
JRなんか事前連絡なしで行っても対応してくれることが多かったように思う。爺さんの時には考えられないスムーズさで対応してもらえた。
チェーン店のレストランなんかだと、よっぽどのことが無い限り車いすでも特に問題無く食事できるようになった。ホテルのレストランだと親父の時に断られた記憶は一度もない。
店からすりゃ面倒が増えたんだろうけど、こっちが事前連絡なしでいきなりいっても対応してくれる場所や店は相当多かった。
親父は最終的には3番の、車いすからはプロに頼まないと(家族であっても)乗り換えできないようになった。
なんかゲーミングチェアーに自転車の小径車タイヤが付いた装甲車みたいなゴツイ車いすに、酸素ボンベと薬を積んで、きつかったらボタン押して薬が自動で入る、みたいな状態でも出かけた。
これは、相当に制限がかかる。移動はほぼ専門の介護タクシーを呼んでなんか自動エレベーターで後ろに積み込まれるみたいな状態でないと難しかった。
それでも、だ。
そんな折り畳み車いすの何倍もでかい状態であっても、結構な場所には行けたし、なんだったらレストランで食事もできた。
まあ流石に予約するときに車いすで結構デカめなんすけど、みたいな話はするが、サイズを伝えて問題になることはほぼなかった。
驚くなかれ、博物館や美術館だと、事前に確認さえとっときゃ普通に行けることもあった(さすがに特別展とかにはいかなかったが、常設展だと普通に行けることが多い。ただ流石にこれは個別調べてくれ)
で、こっからが本題だが。
くだんの映画館の件は、まああり得ないだろう。善意にフル乗っかりした上で、責任取れないんでムリっすって言われて逆ギレしてるようにしか見えない。
ただ、だ。
ああいう、もークソ客きたよめんどくせぇなーと俺が思うようなユーザーがいないと、商業施設なんか一ミリたりともお金出して改善する気が無いのも確かだ。
いま、都内の大手の映画館で、車いす席がないシアターは無いと思う。これは俺からすれば画期的だ。正直な話親父とも何度か映画は観に行った。普通に行けたし苦労もなかった。
(まあ、さすがに初回は調べて問い合わせは入れるし、パンフを買う時に親父にはちょっと待っててもらって俺が並んで買ってくる、みたいなのはあったけど)
そしてたぶんだけど、ああいう(もし俺が対応するとしたら内心思う)しちめんどくさい客がいないと、車いすの客が使えるようなプレミアムシートとかアップグレードシートっては、未来永劫設置されない。
ギリギリまで車いすで移動して、あとは家族が介助してなんとか歩けて椅子に座れるって状態なら、飛行機のビジネスにだって乗れるこのご時世に、映画館のプレミアムシートはやたら階段を昇った先にしかない、とかは普通にある。
(ちなみに、探すと車いすでギリギリまで移動して家族が介助すると座れるプレミアムなシートがある映画館も存在はする。主にゆったりできるって理由で階段で移動しなくて良い場所にたまたま設置されているからだが)
この辺は、車いすユーザーを通常より優遇すると悪さする奴も出てくるんで、多少難しいところはあると思う。
海外なんかだと、車いすユーザー+介助者1名だけは別ルートで入れてくれるけど、それ以外の家族は別に並べ、みたいなところは結構あった。まあこの経験は爺さんの時なんで今は違うかもしれんが。
そういう意味で、爺さんは海外では車いす特権じゃないがプレミアムな体験を親父としてたりした(なんなら家族の俺もその恩恵にあずかることもあった)が、国内では優遇されてやっと普通と同じ、という感じではある。
複雑な気持ちなんでまとめようもないんだが、まあそういうことだ。
労働者としての俺は、ああいう客が来たらほんっと勘弁してほしいと思うし、心底はよ帰ってくれんかなーと思う。
また、将来的に車いすユーザーになる可能性が高いだろう俺は、車いすに余計なヘイトをかってくれるなよ、とも思う。
ただ、わがまま放題で主張しまくりで、いわゆる健常者が出来てるプレミアムな体験を俺にも寄越せ!と叫ぶ先駆者がいてくれないと、変わんねえだろうな、とも思ってる。
まあそういう意味ではね、プレミアムな車いす置き場と介助者シートを作って、倍の値段で予約してくれれば良い体験で映画見れまっせってのは、都内ならたぶん予約途切れないと思うんスよ、どうスか?
くらいが関の山ではあるんだよね。実際、マジでめんどい客がいてくんないと世の中変わんないからなー
俺が今回の件で、自分の目の前に来たら正直クソ客帰れよと思ってしまうのと同じ心が、あんまり叩いてくれるなと強く思うのは、これって尊厳死が消極的安楽死から一歩踏み出す時にすごく怖いからなんだよな。
いるじゃん。医療の補助なしで命が繋がらないならそりゃもう寿命なんだって言うヤツ。アレ嫌いなんだよね。爺さんも親父も医療の補助無しならもっと早くに何もできずに死んでた。
間違いなく爺さんも親父も、五体満足で生きてる人に比べれば、社会のリソースに余分な負荷をかけていってみりゃ娯楽だの余生の楽しみだの、別に本人が望みさえしなきゃかけなくて良い負担を社会に強いてたわけだよ。
でもよ、いやじゃん車いすになったとたんに、趣味だった美術館巡りがさ、常設展のこの区画ならお楽しみいただけますが、車いすの方はこちらの別館はちょっと……みたいな状態はさ。
そういう時にさ、なんだよ健常者様ならプレミアムなシートで映画見られんのに我々車いすのユーザーは端っこで見ろってのか!って激昂する人が一定数いてくれるとさ、声上げてくれる人がいるとさ、助かるわけよ。
繰り返しになるけど、俺ですら目の前に来られたら嫌だよそんな客。でもさ、そういう人がいてくれるからこその、今、とも思うんだよね。複雑な気持ちよ。
----
X(旧Twitter)上で、車いすユーザーの問題じゃない、いや障害者問題ですらない、彼女自身の問題だ、みたいなポストを見ちゃって流石にちょっとそれはと思ったんで記録がてら追記しに来た。
まず想像してほしいんだけど、彼女が五体満足で「プレミアムなシートで映画見まーす。イエーイ」みたいな投稿するクソ陽キャだった場合なんだけど、炎上はしないと思うんだよね。
毎回プレミアムで映画鑑賞かよクソが、と、俺は思うかもしれないけど、それぐらいなんだよね。
だからこれはまごうことなき車いすユーザーの問題なわけよ。車いすのクソビッチはプレミアムなシートで映画を見ることが出来ないという問題。車いす専用スペースはあるけどプレミアムじゃない。
ほんで、あんま主張するのが得意じゃない車いすユーザーだった俺の親父とかは、映画がスムーズに見られるだけで感動して、席次(?)に文句を言うようなことは無かったわけよ。実際ありがたかったし。
でもさあ、もしプレミアムなシートでも映画観られますよっていわれたら、そっち選んでたと思うわけよ。やっぱいい席で見て欲しいじゃん。
まあわかるのよ、まったく同じにはならんだろうってことは。俺だって普段は労働者側じゃん。身内にいて苦労した経験があったとしても俺が対応するとしたらゲェって思うわけよ。
でもこれもさ、過去「映画観るのは遊興なんだから、車いすユーザーはそこまで求めるの贅沢じゃね?」みたいなのを乗り越えてきてくれた人がいたからこそ、スムーズに親父は映画を観られたわけよ。
だってさ、不要不急かつ生存に必要なわけじゃないじゃん。代替手段として例えばいまならストリーミングサービスとかもあるわけだし。
でも、車いすユーザーが映画館で映画が見られる。どっかで引かれてたラインが、良い方に移動したわけよ。
で、こっからが重要なんだけどさ、わかるよ、正しいルートで正しい手順を踏んで、ちゃんと段階を踏んで法律とか条令とか、企業の努力に訴えかけたりメリットを訴えるって方法があるのは。
でもさ、ほんとは高校デビューしてアタシもビッチとして青春を謳歌してみたかったなみたいな、世間一般で言うところの常識的な車いすユーザーとかさ、その後ろにけっこうな数いるわけよ。いやすんごい良くなってるのよ世の中。
でも、車いすだっていうだけで、できないことがあるのは事実なのよ。正規の手順で正規のルートで訴えていくことが出来る中学生がいたとして、彼ら彼女らの青春が終わる前にプレミアムなシートで映画を体験できるようになりますか?という。
だから、俺個人としては止めて欲しい、もし自分が同じ立場だったら申し訳ないんですが車いす専用スペースで見てくださいプレミアムなシートは席のご用意が無いんですスミマセンスミマセン上に要望は上げるんで、という感じになると思うのよ。
それをぶっ飛ばして、いやプレミアムシートの下の段に自力でスロープで上がるんで、介助者連れてくるんでええやん、みたいな人が居てくれるとさ、いやーそれはどうなんだろちょっと上のものと相談しますね、みたいになると思うのよ。
それがさ、もしかすると、今回の件で、介助者がいて避難誘導時に介助者が誘導補助をするなら、通路に面したシートに普通に座っても良いですよ、となる可能性だってあるわけじゃん。
その結果、車いすユーザーを含む高校生活を楽しむグループが、横一列で映画館で映画を観ることが出来るかもしれない。そういうのがあると良いな、と思うわけよ。
あと見かけたのでは、リソースが有限だからっていう理屈。俺は嫌いだ。
健常者が普通に出来ることが、障碍者なんだから制限受けてん当然、みたいなの、俺は嫌なのよ。
災害時にリソースが足りないのはわかる。避難所では人工透析が出来ないです、インスリン注射も補給できないです、車いすユーザーは車いすを館内に入れないでください。ある程度制限がかかるのはしょうがない。
でもよう、労働者としての俺がさ、いやだってキミ英語も中国語も喋れないじゃん、リソース有限なのよわかる?英語も喋れないようじゃ家は買えないよ常識的に考えてとか不動産屋から急に言われるのとか嫌だよ。
外部環境に左右されるリソースって単語で、日常生活に制限かけられるのは、やっぱ嫌だよ。
車いすユーザーはあんまありがとうとか言わないよな、ありがとうっていうだけでそんな大変?ってのはなー
生まれ育ちや頻度にもよるから何とも言えないんだけど、五体満足である俺ら側が許容してあげる度量は持ちたい。
俺は一回爺さんに言われてやってみたことがあるんだけど、右足と左足を動かすたびに、心の中でいいから右足と左足にありがとう、助かったよみたいに声をかけてあげるの一週間やってみてくれよ。
あ、いま右足で体重支えてくれてありがとう。階段上ってくれてありがとう。止まれて助かったよ。ドア閉めてくれてありがとう、踏ん張ってくれて助かった、立ち上がってくれてありがとう、靴下はくとき位置移動してくれてありがとう、寝返り打てたよありがとう。
俺は3日でギブアップ。確かにこの頻度や感覚でありがとうを言わないといけないんだぜって言われると、それはしんどい。だからしてもらって当然と無感覚になっちゃう人がいてもしょうがないと思う。
あ、見てて気の毒なくらいありがとう、ごめんなさいねっていう人もいるよ。それはいるって。
あと、俺の書き方に配慮が無かったって話(大意)。それは申し訳ないことをしたと思う。
例えば、そもそも配給会社に言うしかないタイプの障害を持ってる人がいるのも知ってはいたけど書かなかった。
その結果、心無い言葉に触れてしまった人がいたのはほんと申し訳なかった。
視覚に障害がある人が映画を観るときに使う音声ガイドがある映画とか、
聴覚に障害がある人が映画を観るときに使う字幕メガネ貸し出しの映画館とか、
そういうのがある。
映画は何も晴眼者で健聴者であるものだけが楽しむ娯楽じゃない。でもそこが十分にフォローされてるかっていうと、たぶんされてない。
そういう意味で、車いすユーザーはある程度わがままを言っても身の危険を感じることが少ないっていうのは、確かにそうかもしれない。
最後になんだけど、俺はそういうクソ客はクソがと思うし、めんどいと思うし、俺の目の前に来たらやっぱ嫌だと思う。
あと、法律はそうなってないとか、車いすの作りがそうなってないとか、そういう対応にコストがかかるとかも、わかる。
ハイ今はそういう意味じゃないしそうなってないでーす、バーカバーカじゃなくてさ、
じゃあそれは良い方に変わったら良いね、という風に思ってはくれないだろうか。
車いすユーザーもプレミアムシートで楽しめると良いね、ただクソビッチはむかつく、という風に分けて考えてくれないだろうか。
でもたぶん分けて考えるの難しいよなあとも思って、複雑な気持ちは今も変わらない。
大体推しの子とかフリーレンとかって原作時点でそもそも話題作だし
アニメ始まったらさらに話題になってネットでも大喜利激しくなるんだけど、
初見が何か作品に突っ込んで言っても「それ原作ではこうで」って解説されるから
それが嫌でみんな原作読んでいくし
まあ原作まで行かずともアニメで毎週リアタイで追う人も割合として増えていくよね。
すると話題に取り残されるのは最初にアニメ始まったときにちらっと見て、ネタに乗っかってただけのキングオブニワカだ。
フリーレンは普遍的なことを語る作品だから、大喜利にしやすいのもあるし、
いかんせん話題を最初に金ローで作ったので(悪いとは思わない)キングオブニワカが話題に参加したくって、ただの傍観ニワカで終わらずに大喜利や議論に参加する参加型ニワカになる率が高い気がする。
そうなると一々突っ込んでても仕方ないのだが、King Niwakaがたまに悪目立ちしていく。
あれはおそらく最初だけ見た人ではなく、序盤は流し見していて話題になってるからチラ見してたNiwakaだ。
序盤で出てきたジャンボストリベリースペシャルのほうがツッコミポイントが高いのに、あえてのハンバーグ攻撃。
あと今、話題の増田のフリーレンパーティーは安心って記事に対して「生理的な問題より軽装すぎる荷物のほうが気になる」と何人かがブコメしているのだが、序盤から荷物がどうなっているのかは匂わされていて、最新話でフリーレンの不思議なトランクもピックアップで登場しているから、ちゃんと見ろよって気分になってしまう。
でもどんな作品にも、どんなものにもNiwakaは居たほうが良いと思うのだ。
いやそれでもいいじゃないか。
あれもおそらくKing Niwakaだらけだ。映画を分割してまた放送するんだよね。あれかわいいよね。筒くわえた女の子背負ってさ。将来あの義兄妹は結婚するのかなぁ。恋愛系になったら、ちょっと見るのきついわー。