「エヴァンゲリオン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: エヴァンゲリオンとは

2007-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20070528104359

うるっせええええええ!

エヴァンゲリオンでも見てうずくまってろやこの糞マザーファッカー野郎が!

死ね!

2007-05-25

四半世紀を振り返ってみる

徹夜の時間潰しに生まれてからの四半世紀を覚えている範囲で振り返ってみました。

一部あんまり意味の無い記述とかありますがあんま突っ込まないでくれれば幸いです。

1981年生まれの25歳。

保育園時代

今考えるとこの時から周り(他の園児)と馴染めず一人遊びが多かった。

卒園式で発表した将来の夢は"タクシーの運転手"

小学校低学年

外で遊ぶ事が多かった。

ただ、同級生らと遊んでる最中に気が付くと置いてけぼり食らって一人だったとか。

何かに気が行くと周りが見えなくなるタイプだったという事か?

小学校中学

この頃から家庭訪問では毎回"やればできる子"と言われる。

それが真実だったかどうかはさておき、特に何もやらずに過ごす。

ファミコンに代表される家庭用ゲーム機が本格的に普及し始めたのもこの頃。

ファミコンを親に激しくせがんだ末に買って貰ったのはメガドライブ

当然の如く、これはファミコンじゃない!と抗議。

母親が腕を骨折。何故か入退院を繰り返すようになる。

父親の実家から祖母がやってくる。

小学生高学年

母親入院が長期化。5年生の一年間を父親の実家がある沖縄で過ごす。

台風シーズンも終わりの頃、祖父母に慌しく連れ出され東京へ。

到着したのは母親葬儀中の葬祭場。

それまで特に何の説明も受けず、こちらからも聞こうとしなかった故に、

あまりの唐突すぎる状況に全くついていけず通夜の晩は普通に就寝。

翌日の告別式でも涙が出ない。火葬場で棺が納められた炉の扉が閉まって、

ようやく思考現実に追いつく。泣く。父親にしがみ付いていた記憶がある。

何度か棺の中を見た記憶はあるのだが死に顔は全く思い出せない。

その後沖縄に戻る。

春になり東京に戻ることになったが、父親の横には見知らぬ女性が。

幼児までいるし。告別式の晩に泊まった、父親の部屋には誰かと一緒に生活

している気配があった為、特に大きなショックも無く。

家族が二人増え新生活スタート

今考えると驚くほど違和感無く打ち解ける。弟の世話もなかなか新鮮な体験だった。

将来の夢は弟の影響で保父(保育士)だったが楽器演奏が壊滅的だったので諦める。

中学生

入学当初がピークで成績は下がりっぱなし。ただ、非行に走ったとかいうわけでもなく

周りが進んでいく中で取り残されただけだった。

集団の中での規律というかルールを守るタイプ人間でもなかったのでいじめられる事も

しばしば。とはいっても極端に酷い状況に追い詰められる事はなかった。

3年生の時、エヴァンゲリオンに遭遇。オタクに目覚める。

文芸部の活動で歌舞伎座に行った時は、東銀座にも関わらず物凄く遠くに来たような気がした。

(生活していたのは練馬区)

高校生

中学時代の担任の薦めもあり、都立工業高校に進学。

この頃から、ようやく世間(外の世界)を意識するように。

最初期メンバーだった事もあり、3年間運動部に所属。

団体で全国大会にも出場する機会があったが結果は惨敗。

成績は下の上。ギリギリ留年せずに卒業

折りしも就職氷河期真っ只中だったが就職内定をもらう。

ただ、将来の夢は無し。周りが就職するっていうから流されて就職

社会人(19??

1年目

業務用印刷機メーカーサポート部隊に配属。

関東を飛び回る。初体験もこの頃。

2年目

部署が変わる。担当の機種というかシステムそのものが変わる。

(印刷機から製版機へ)

名目上、営業部だったので残業代が出ず、給料大幅ダウン。

自分を含めサポート人員が全国で3人しか居ないという状況で出張範囲が

一気に関東から九州まで広がる。でも、営業部だから手当は雀の涙。

3年目

業務内容は変わらず名古屋に転勤。

営業部の人間なのにいつも作業着(笑)

酷いときは一週間で3回大阪出張

MMORPGを憶える。

4年目

大阪に転勤。業務変わらず。

が、そこの所長とウマが合わず転勤後2ヶ月で退職

東京に戻る。NEET生活突入

NEET?生活(22??

1年目

ネトゲやってるか寝てるかの生活。外出は基本的にコンビニ行くときのみ。

バイトも試みるものの長続きせず、この頃は殆ど変化のない生活だった為、あまり記憶に残っていない。

2年目

前半はネトゲ生活。部屋から物が無くなる。(お察し下さい

夏に、会社員時代の同僚からmixiのお誘いがかかる。それほど時間も経たないうちにコミュOFF会

出てみたりするなど生活に変化が。OFF会である人物と仲良くなる。

その頃からネトゲの幻から目が覚める。でも仕事はしたくない・・・したくないというか、やりたい仕事とは

あまりにもかけ離れていた為、やる気が出なかった。

やりたかった仕事というのは、IT系のハードウェアに近いところ。

NEET生活も3年目に挿しかかろうという頃、住所不定に転落の危機。

藁をも掴む思いで前述の人物に相談。「東京じゃなないところで生活する事になるけど行く?」と

聞かれ、即答。今の職場を紹介してもらう。

社会復帰(24??

1年目

職場のエースと自分とのあまりの実力差に価値観というか自尊心がものの見事にぶっ壊される。

多少判るとはいっても結局のところ、自分は初心者に毛が生えた程度だと思い知らされました。

やりたい仕事ってなんだったんだっけ?といった具合に立ち位置を見失う。

この頃からOFF会で出会った人物の事を先生と呼ぶようになる。

2年目

相変わらず彷徨っていた。のだが、なんとなく自分の立ち位置(出来る事)が見えてきたような気が

してくる。同時に、この頃から自分の性格というか志向で思い悩むように。いい加減遊んでいられる

年齢でもなくなって来た焦りもある。気が付けば四半世紀。

3年目(今年

職人にはなれない事をようやく自覚。ただ、自分が社会に対して出来る事が何なのかは未だ不明。

まだまだ当分もがく事になりそうです。

#気が付けば実母との付き合いより養母との付き合いの方が長いのか・・・

#ちなみに4人兄妹(俺妹弟妹)ですが、妹たちのお話はまた別の機会にでも。(あるかどうか判らないけど。

2007-05-03

たぶんアニメオタクビジネスは今が絶頂なのだろう

そしてあとは衰退するのみ。

らき☆すた」とか「ハヤテのごとく!」とかのパロディに「wwwwwww」等、嬉々として書き込まれているニコニコ動画の画面を見て思う。

作り手はアニオタという金脈から吸い取れるだけ吸い取ろうと必死にマーケティングしてきた、現在アニメ界隈の盛り上がりはその結果だ。

マーケティングして成功した果実からカネを手に入れる、ビジネスとして真っ当だ。

だけど「自分たちがマーケティングされ、ある意味搾取されている」ということに気がついたアニオタは確実に増えている。

自分たちが搾取される側だという自覚は、「もってけ!セーラー服オリコン一位にする」等の2chのムーヴメントが以前ほど盛り上がらないことからも判る。

スタチャがあざとい!と気づいた彼らは、他のアニメ関連産業(作り手)も大同小異だと気づき始めているし、その気づきが多勢になるころにはアニオタも減少していくだろう。

マーケティングの対象になっているのは、エヴァンゲリオンが放映されたときに中学生だった連中を下限として、上は35歳ぐらいの就職氷河期の時代に翻弄されて

負けてしまった引きこもりニート、もしくは年収二百万未満の低所当者の貧しい非モテ毒男層だろう。

可哀相に彼らは時代の逆流に負けた上カドカワをはじめとするアニオタ産業に食い物にされたのだ。

コア層は老化して、それより更に下の世代は存外アニオタ予備軍の総数は層が酷く薄い気がする。

きっとあと二年か三年後には急激に衰退したアニメ産業を不思議がるブログエントリが、はてブとかで人気を集めそうだ、憶測だけどww

2007-03-29

ああそうなんだ、あのときのアスカの気持ちは、会社を辞める俺の気持ちと同じだ

5年勤めた会社を辞めると宣言した。上司や同僚はきっとびっくりしているだろう。でも、自分にとっては、辞めることは必然で、辞めなければいけないな、と思うまで追い込まれてしまった。


ある日、何の気なしに、奥の棚に眠ってたエヴァンゲリオンを見た。見てて涙が止まらなくなってきた。アスカに完全に感情移入してしまった。テレビOAで見た15歳の時も、ビデオを買った20歳の時も、全くそんなこと思わなかったのに。今。


これって、俺じゃん。俺以外の何者でもない。

  • プライドを持って仕事始めたのに、
  • なんだか理不尽なことが一杯で、変なバカと思ってた奴にばかり良い仕事が回り、
  • いくらがんばっても上手く結果を出せず、
  • だんだん、だんだん、仕事がつまらなくなり、役に立っているとは感じられなくなり、
  • 会社を、辞める。

もちろん、会社が悪くて、もっといい場所でいい仕事をすればいいさ、と前向きに考えることも出来るだろう。でも、やはりそれは逃げであり、最初の舞台で大成できなかった自分がいるだけだ。それは覆しようが無いと思う。

アスカは、最後「こんちくしょう、ころしてやる・・・」と執念を見せながら、舞台から姿を消した。作品の中では、それで終わり。

しかし、俺の人生は、仕事はまだまだ続く。俺は、別の会社に行く。そこで、執念を見せることができるだろうか。

2007-03-18

anond:20070318145200

もう(笑)

高校生ぐらいの人なら、エヴァンゲリオン知らないかもね。

私は逆に、おっさん過ぎて見てないけど。

2007-02-21

anond:20070221204950

ちょいオタはもっとヌルいぞ

よーし、じゃあ生粋のオタじゃなくて、実はちょいオタに過ぎないんじゃないかとちょっと寂しい俺がチェックしてみるぜ。

テレビたまにやってる懐かしのアニメみたいな番組

毎回同じ物しか流れないから、その内全部おぼえてしまい、興味を無くす。

EVA

>エバンゲリオンとエヴァンゲリオンを素で間違える

どこが間違いなのかすら判らなかったorz

ガンダム

見たこと無し!

名言など

自分の好きな物は好きな物同士で話してる時のみ引用する

アニメ

面白い物は面白いから分け隔てない…かな

ドラゴンボールの話題

懐古話…だな

アニメ雑談

あんまり見ないから聞き手にまわってしまう

なんだかこのアニメが面白いみたいですよ

面白いかどうかは全部見ないとわかんないよね→ふぬああ+XivD→一気見

ちょいオタ」に対しての感想

オタにも濃淡どころかジャンル訳があるから十把一絡げに言われてもピンとこない。

「オタ」に対しての感想

オタが専門にしてるジャンルに関しては、そいつに聞けばたいがい判るから、助かる。

…やってみて気づいたけど、これアニオタ以外にはいまいち判断つかないよね。

ちょいオタとオタの違い

ちょいオタを捕捉しました。

Geekなぺーじ:開発プロジェクトで使える(かもしれない)アニメの名台詞

テレビたまにやってる懐かしのアニメみたいな番組

ちょいオタ
番組に出てくるアニメを一通り知ってるだけでオタク気取り
オタ
憤りながらも何度か見て、そのうち鼻で笑い、最終的には興味をなくす

EVA

ちょいオタ
エバンゲリオンとエヴァンゲリオンを素で間違える
オタ
エバンゲリオンはエヴァンゲリオン蔑称であると正しく理解してから使う

ガンダム

ちょいオタ
偉い人にはとか飾りですとか言うだけで満足
オタ
口にするのも憚られる世情にうんざりしている

名言など

ちょいオタ
誰でも知ってるセリフなどを何か別のものに適用しただけで得意気
オタ
マイナーセリフは積極的に引用するが、誰でも知ってるセリフなんて言うのも聞くのも屈辱的

アニメ

ちょいオタ
ドラゴンボールガンダムエヴァミスター味っ子北斗の拳妖怪人間ベムに分け隔てない
オタ
神聖視するアニメをひとつ持ち、他はすべて駄作

ドラゴンボールの話題

ちょいオタ
懐古話で盛り上がる
オタ
作品性、影響、アニメ版マンガ版の相違、声優、作品としての質などについて微に入り細を穿った議論をする

アニメ雑談

ちょいオタ
単純に楽しい
オタ
自尊心を賭けた闘い

なんだかこのアニメが面白いみたいですよ

ちょいオタ
チェックしてみるかー→HDD/DVDレコーダー・YouTube→言うほど盛り上がってないしこれは観なくていいや
オタ
どうせ駄作だろ→ふぬああ+MPEG2DVD-BOXもっと値下げしろよ初回特典欲しいから買うけど

ちょいオタ」に対しての感想

ちょいオタ
クリリンのことかーっカッコ笑い
オタ
キモい死ね

「オタ」に対しての感想

ちょいオタ
見たことないなあ
オタ
キモい死ね

2007-02-18

僕がエヴァンゲリオンより新しいと考える作品

「新しい」ってのは時系列上新しいってことでないのは、当然だよね。作品としての新しさを考えるなら、僕は次のような作品がすぐに思い浮かぶ。

http://anond.hatelabo.jp/20070218105220

いやウルトラマンにしろ仮面ライダーにしろ、感心するくらいしっかり進歩してると思うけど。

ガキのころの感動を反映させてる制作サイドが透けてみえるよくらいに。

で、エヴァの評価だけど

このエントリ

http://anond.hatelabo.jp/20070218091239

エヴァンゲリオンは新しかったのか?

に応えたまでですよ。

[]エヴァンゲリオンは新しかったのか?

http://eva.yahoo.co.jp/gekijou/big_message.html

この12年間、エヴァより新しいアニメはありませんでした。

そんなにあのアニメはエラかったの?

所詮エヴァンゲリオンヲタどもに消費されただけでないの?

教えて!エロいひと!

2007-02-12

昨日知ったこと

名探偵エヴァンゲリオンには

弐号機の尻穴に初号機が指を入れて、ピン(死徒)を倒すボウリングイベントがある

アスカの恥ずかしいセリフあり

2007-02-10

エヴァンゲリオンマザコン

anond:20070210165009

エヴァンゲリオンテーマって、母性以外に何があるの、と、今でも思う。「エヴァが大好き!」といっている人たちは、そのことについてどう考えているのか、一度聞いてみたい。

私はアスカしか好きじゃない。「母になる」ことを自ら拒絶した、唯一の存在だったからだ。

レイミサトもリツコも、ほとんど女性キャラは、男性キャラクタ達から「母なるもの」として存在を要求される。母であること(女性であること)を拒否したアスカは、廃人にされ、母になりえない(レズビアンの)マヤは、補完されずに抹消された。あの世界では、母ではない女性は、存在する意義さえないのだ。

シンジマザコン振りには吐き気がする。14歳だから、ってレベルじゃねーぞ! また、ゲンドウの母なるものへの憧れは、呆れるほどだ。なんだこのいい大人のくせに臆面もなく「ママママ」っていって、「母のための世界」を作り出そうとしているオッサンは。

あんな気持ちの悪いアニメは、一生に一度だけで、もうたくさん!!

エヴァンゲリオンモチーフは「母性」である

新世紀エヴァンゲリオン』の根底に流れるモチーフは「母性」であると思うことがある。

精神分析的もしくは象徴学的に見て、これは次のような証左から確認できる。

エヴァンゲリオンの全編を通して感じるある種のもの悲しさは、荒廃した日本や戦い続けることを強いられる人間たちという物語の表層的な描写もさることながら、その深層を流れる「母親不在」の不安が、私たちマザアコンプレクスな視聴者をとらえてはなさないのかもしれない。

2007-02-04

グレーな領域→昔のアングラ的に秘匿。

検索で来た一般人の反応→叩かれ、お定まりの論争を繰り返すのを避ける。

身内だけでも抗争が耐えない性格を持っている上に、アンチの多い(多かった?)分野ですから、地下に潜ろうとするのは当然では。

中坊の頃の知り合いにジャンプやおいサイトを潰す!と義憤に萌えている男がいました。

彼はエヴァンゲリオン妄想2次創作小説が大好きだったなあ。

2006-12-26

甘酸っぱいのかどうかわからないが

mixiで出身校のコミュニティを見ていたら、昔付き合ったことのある彼女がいた。恐る恐るプロフィールを見てみると、プチオタクだった。普通エヴァンゲリオンコミュニティとかはいってた。付き合っていた期間が短かったこともあり、そんな趣味があったとは全然知らなかった。

あぁっ、もしも付き合い続けていくことができていたならば、「ツバサ小狼君は成長が過ぎてちょっとね。やっぱりCCさくらの頃のほうがよかったよ」とか「『風の万里 黎明の空』の印籠シーンは何度見ても/読んでもしびれるね。それにつけても泰麒かわいいよ泰麒」とかいった会話を彼女することも夢ではなかったのか! 取り返すことのできない若き日の過ち。

2006-12-17

AKIBA FUTURE -オタサイト秋葉原

はじめに

秋葉原現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェアコンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェアハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。

この記事は、秋葉原歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。

1 電脳都市秋葉原誕生

電気屋街としての秋葉原歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前秋葉原にも山際電気現在ヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生ラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。

この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野新橋渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原国鉄都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。

その後、GHQにより道路拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器テレビ冷蔵庫洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原電脳街となるのである。

2 オタク層の流入??趣都の誕生

秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタク聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。

秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌アニメグッズ、ガレージキットフィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原移転するまで吉祥寺渋谷新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャーショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。

3 社会最適化されたオタク??個のオタクから公のオタク

批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメ物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語メッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生ミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。

東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語アニメにおけるキャラクターロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」

この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティコミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクター好み、そうしたキャラクターが登場するアニメゲームガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術進化趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。

オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。

しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。

秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタク情報家電親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブパソ通などで、一部のオタクBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチ趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。

「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。

4 個の聖地秋葉原??インタラクティブ都市としての発展

秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバbloghttp://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在秋葉原オタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。

高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在秋葉原は評価されるべきだろう。

参考文献

「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹

http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm

秋葉原歴史

http://www.akiba.or.jp/history/index.html

オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思

http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php

伊藤計劃:第弐位相 - 学園祭の話

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1

秋葉原におけるメイド喫茶コスプレ喫茶歴史

http://sotokanda.net/his_cafe.html

註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。

コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博

カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介

動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 幻冬舎 著者:森川嘉一郎

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん