はてなキーワード: pcとは
3年ぐらいまえまではPC2台(ときどき+ノートパソコン)で作業していました。ディスプレイは2枚。
といっても片方は鯖とかコンパイルとか、他のサーバーマシンのモニタ、遠隔操作用なので、ほとんどマウスしかつかわないんだけどね。
今のご時世はPGがコーディングにディスプレイ二枚つかうんですか?
なんのプログラム??
コーディングだけだったらどでかいモニターの方が効率よくない?
HTMLとかGUIを書くようなプログラマーにはいいのかな??
デイトレーダー(注文用と情報確認用でひどい人は6台ぐらいつかってたりする。)
少人数会議などでノートからモニター出力ができる環境つくっておくとみんなと画面がシェアできて便利。
HTML,CSSコーダー(画面が構成とかが常に確認できると便利そうだよね)
ネットショップとかで商品登録とかをしながら画面を確認する用(これは複数PCの方が便利かな)
標題に書いた通り、本書の感想ではありませんが、ちょっと思ったことを書きます。
まあ、私自身、元理系の無知なヌルオタなのは自覚していましたが、うなってしまう箇所がありました。少々長めですが、引用します。(当然、無断引用なので、問題等ありましたら、削除いたします)
(以下、P151からP152にかけて)
ローマ帝国は、独裁者によって運営されています。というより、独裁者(デイクタトル)という言葉自体、ローマ帝国の政治システムから生まれた用語です。
もともと共和国家であったローマは、度重なる戦役や国内の混乱に対処するため、迅速かつ公正な判断を下す統治者制度をつくりました。それが「独裁者」です。
長老たちによる推薦と市民の選挙によって「独裁者」を選び、それまでは議会で長々と、時には数年も話し合いながら結論を引き延ばしていた懸案も、あっというまに解決させる。
独裁制は当時のローマ帝国の混乱を一気に解決しました。今の私たちから見ると、ディクタトルは「大統領」とか「社長」と翻訳した方が理解しやすいかもしれません。
独裁者=ディクタトルは共和制ローマから帝政に移行したときに「皇帝」と名前を変えます。独裁者が任期制だったのに対し、皇帝は基本的に終身制でした。
独裁者の任期問題で苦労したユリウス・カエサルが作り上げようとした「終身独裁者」というシステムが皇帝制度です。カエサルの死後、一時は共和制に戻りかけたローマでオクタヴィアヌスは皇帝就任を宣言します。
(このあたりのローマ帝国の歴史経緯は西欧諸国ではかなりの常識です。たとえば『スターウォーズ』のお話を理解するためには、「共和制→帝政」の理解が不可欠なんですけど、あまりそのあたりに踏み込んだスターウォーズ論は読んだことがありません)
さて、この文章を読んでいる方は、このスターウォーズに関する「常識」をご存じでしたでしょうか?私の場合、自分の無知を棚に上げて、どうして誰も教えてくれなかったのか?と逆ギレしてしまいそうになってしまいました。なんというか、映画評論家とかって、自分の感想しか言わないじゃないですか。そんなのは、インターネットの素人の意見の方がよっぽど信用がおけます(私に限らないと思いますが)。プロに求められているのは、一般人に作品の背景を教養学的に解説し、作品の面白さをさらに上げる講釈家みたいな仕事だと思うのです。
そういう意味では、町山智浩氏の『映画の見方がわかる本』は良い仕事でしたね(元ネタがあるそうですが、それでも、日本語の本にした功績は大きい)。マンガ夜話やアニメ夜話も、そういった意味では良い番組だと思います。
いずれにせよ、TVのバラエティ番組が脊髄反射的に視聴者を笑わせて、時間を消費させる時代というのはもう終わっているような気がします。働き盛りにとっては時間は貴重な資源ですし、若者は携帯やPCで、自らコミュニケーションしていた方が楽しい。結局、TVは、団塊世代を中心とした老人向けの番組が多くなるかも知れませんね(笑)。
つまり、言いたいのは、プロにはプロならではの仕事が求められるでしょうし、ネットの普及で、「プロならではの仕事」の定義が変わってきている訳で、その辺に自覚的なプロがどれくらいいるのかということですね。まあ、露骨な世論誘導をするTV業界は、無自覚なまま滅んでしまっても良いと思いますが(笑)。
インターネットとメールができてiPod使えたらそれでいいかななパソコンが買いたい時、いま市場に出回っているメジャーなPCはどれも完全にそのスペック(能力)を持て余している。その程度の使い方しかしない人で予算が10万程度の人は、大手電化製品店で8??10万ぐらいのよく聞いたことのあるメーカーのノートパソコンを買えば解決である。
しかし実はその程度のことをするPCは3??5万程度で買える。この価格で唯一買えないのは安心だ。
知り合いがパソコンを買うというのに今年は2回付き合い相談も何回か受けたが、みんなエンコードなどの作業すら知らない人だった。ひとりだけDVDをコピーしたいという要求があったけど、それも最近のDVDドライブの水準だと最初からクリアされている。
デジタル関係全般にあんまり詳しくない人はパソコンに対する漠然とした先入観でパソコン購入を難しいものと決め付けてしまっている感がある。その漠然とした先入観は10年ほど前実際にパソコンというものがとても複雑で敷居の高いものだったときに生まれたものだったと思う。
あの頃は実際パソコンにできることなんて限られていた。インターネット用とワードプロセッサー用で違うパソコンが紹介された。マックとウェインドウズの存在が大いに素人を混乱させていた。まだパソコンに詳しくなかった自分も「CDを聞くならマキントシュ」などという訳の分からない思い込みがあった。そういう感覚を正す出会いもなく今まで来ている人には今だパソコンというのはややこしいものだと思う。
これからの時代のパソコンは完全に力を持て余したまま先にすすむことになる。もうとっくにニーズを飛び越えてしまったのだ。パソコンでテレビをみるという生活スタイルを提案しているけど完全に苦肉の策だと思う。テレビ放送はテレビで見た方がいい。それは地上デジタル派放送が出てこようが何ら変わらないこと。これ以上いくら画質や景気が良くなろうとも消費者がテレビに使うお金はそこまで変わらないと思う。
どんな家電製品も一定の水準まで来てしまうと一番正しいのは使いやすさの研究をすること。
そういう意味でシャープや任天堂やアップルの新製品はいつもみててすげぇなと思う。使い勝手に直結するインターフェイスやソフトがどんどん成長していく。逆にソニーのPS3を見たとき画質に対して「なんぞこれ」と驚き、ソフトに対して「いらねーぞこれ」と漠然と思った。
時代の生む必然を知ることは情報さえ揃えれば案外難しくない。だけどその時代の人々が支持するものを作り出すのは容易じゃない。確固たる思想の先に運が手伝ってようやく生み出せるものだと思う。
自分なんか任天堂のスーパーファミコンを使ったサテラビュー(いまのネットゲームの先駆け)なんかは絶対に当たると思っていたし、同じくセガサターンのプレイステーションとのコンシュマー対決は絶対にセガが勝つと思っていた。セガサターンがVCDを再生できて尚且つムービーに強いハードだと思っていた。(結局サターンのムービー再生機能が強いというアドバンテージなんか、PSの環境で物を作ろうと考えた技術者たちの技術革新によって吹き飛ばされてしまうのだが)
とにかくいまの先端技術による表現力のインフレはすごいよねって話です。作る方も大変だこりゃ
である気がする
リアルの生活が嫌とかじゃないんだけど
リアルで時間を過ごせばすごすだけその反動でネットがしたくなる
まるで水の中でずっと息を止めていて、やっとで息が出来たときのように、ネットをしてしまう
家に帰ってきてPCの電源を付けて、増田でも、どっかのブログでも、なんかその辺りのものを物色してガーッとレスをつける、まさに止めていた息がやっとで出来たような感覚でだ。滅茶苦茶楽しいとか、そういう感じじゃない、なんというか、気持ちがいい感じなのだ(健全な気持ちよさではないし後味は悪いのだが)。かゆいところをガマンし続けてようやくボリボリ全開でかけたような感じだ
ダーッっとネットをやって、はあっと息をついてようやく落ち着く
しかし一度つけたネットというのはなかなか切ることができない
さして面白いわけでもないのだがそこからはダラダラと続けてしまう
切ることが多少なりとも怖いのかもしれない
切ると他者とのつながりがなくなり後は静かな夜が訪れるだけだからだ
ネットで書き込むと落ち着く。反面、ゆえに、それを切るのは怖い
何か落ち着かない考えが出てきた時、それをネットに書き込む以外で阻止しなければならなくなるわけだからだ
正直マズい。絶対。
ネットを一日やらない日だって別に作れる。時間があってもネットをつけないでいられることはいられる。
しかし一度つけるとなかなか切り難い。ゼロの日は作りやすいが、30分だけで終えるという日は作りにくい。30分だけで電源を切ることは、初めからやらないより難しい。
そしていつもやりすぎて後悔する。
何か手を打たなければいけない。
新しいCPUが発売されるたびに速攻でPCショップに出向いて型番を指定して購入しベンチマークを取ったりするくせに、仕事でCore 2 Duoのリールカセットを交換をする時や、チップのコプラナリティ検査の時、外面検査器に基盤を延々と手乗せする時には何の感動も無くただ数をこなすだけ。
最近の憂鬱は、担当ラインでチップ立ちが見つかるとラインのメンバー全員にビールを振舞わねばならない「夏のマンハッタン祭り」が開催されており、検査担当が嬉しそうに「マン・ハッ・タン!マン・ハッ・タン!」と歌いながら報告してくる事だ。全く異常なく実装されているのをリフロー前で検査器と目視で確認しているにも関わらず摩天楼建設ラッシュが続いている事も憂鬱を加速させている要因となっている。
<夏休み一日目>
昼:冷やし中華
夜:米・味噌汁(ワカメと大根)・チンジャオロース・にんじんサラダ・漬物
午後:中学時代の友人と遊ぶ
夜:読書
<二日目>
朝:ヨーグルト・パン・スクランブルエッグ・ミックスジュース(自分でミキサーで作ったやつ)
昼:コロうどん
夜:米・味噌汁(あさり)・タラの切り身・大根のしょうゆ漬け・めかぶ
運動:朝夕の犬の散歩
午前:勉強
夜:PC
<三日目>
夜:シーフードカレー
運動:朝夕の犬の散歩
午前??午後:ウィンドウショッピング
夜:読書
<四日目>
朝:ヨーグルト・米・味噌汁(インスタント)・漬物・豚肉のしょうが焼き
運動:朝夕の犬の散歩
午後:その後美術館へ
夜:部屋の掃除を軽くする
<五日目>
昼:親子丼
夜:米・味噌汁(ワカメ・あげ)・コロッケ・キャベツサラダ・カブの漬物
運動:朝夕の犬の散歩
夜:勉強
<六日目>
朝:ヨーグルト・食パン・チーズ・ハム・きゅうり・ミックスジュース(自分で作ったやつ)
夜:米・味噌汁(しじみ)・肉野菜炒め・ほうれん草のおひたし・煮豆
運動:朝夕の犬の散歩
午前:映画館へ
午後:本屋めぐり
夜:PC
<七日目>
朝:ヨーグルト・白パン・鮭のおにぎり・味噌汁(インスタント)・きゅうり・キウイ・レタス・麦茶
昼:外食
夜:外食
運動:朝夕の犬の散歩
夜:すぐ寝た
<八日目>
朝:ヨーグルト・米・味噌汁(インスタント)・にんじんサラダ・ミルクティー・麦茶・野菜ジュース
昼:牛丼
夜:米・豚汁・アジフライ・青梗菜の炒め物・漬物
運動:朝夕の犬の散歩
午前:本屋
午後:勉強
夜:勉強
<九日目>
夜:五目ごはん・味噌汁(豆腐・ワカメ)・マーボーナス・ほうれん草のおひたし・漬物
運動:朝夕の犬の散歩
午前:一人ドライブ
午後:ショッピング
夜:勉強
<十日目>
昼:マグロ丼
夜:五穀ご飯・味噌汁(オクラ・豆腐)・豚肉のしょうが焼き・野菜炒め・漬物
運動:朝夕の犬の散歩
午後:とあるイベントへ
続く……
しかし平凡な日々だなぁ
http://anond.hatelabo.jp/20070801020618
自信が無いけど心の中のアルファブロガーが「やれ」と言ってきたのでがんばります
「あかね」の飲み会に誘われたので、初めて出席してみた。はてなIDのやつらと飲むのは初めての経験である。
そこで実感したのは、はてブホッテントリ数が少ないダイアリー持ちほど低レベル、ということだ。こんなこと書くとまた「はてブ脳に毒されている」などと言われるかもしれないが、はてブホッテントリ数が少ないダイアラーほど低レベルな奴の割合は確実に高いと感じる。
いつも私がアルファブロガーやモヒカン族の飲み会に参加するとき、そこでは酒を交えながら流行の話題の感想や非モテだった自分への思い出話、最近だとココロ社の政治の話や芥川賞の話などをする。「id:kanoseの意見とid:Marco11の意見って、かなり対立するものだけれど、どうなのだろう」とか、そういった話もすることがある。はてブホッテントリ数が少ないダイアリー持ちな彼らの飲み会は、そもそも会話というものが存在していない。彼らの言う「ノリ」で何かをすることを楽しみ、知的な側面は全く感じられない。id:jkondoをじぇいこん、id:kanoseを村長と書くような「はてな村内部でしか通用しない隠語のみでダイアラーを呼ぶ」ことに快楽を覚え「芥川賞エントリーって村長がまとめ記事書かね?村長村長!」「村長!出た!村長出た!id:kanose!村長出た!村長!これ!村長出たよ????!」などと、何がおもしろいのか全く分からない「会話」を繰り広げていた。彼らはそれが楽しいらしいが、おれとしてはちっとも楽しくない。
アルファブロガーがよく「id:kowagariのやつはなんだかんだいって会話水準が高い」「どんなにチャラチャラして見えるid:kowagariでも、きちんとした思想や観念を持っている」などと言っていた。自分としてはっきりそれを自覚することはほとんどなかったが、しかしはてブホッテントリ数が少ないダイアリー持ちのこうした現状を見る限り「確かにそうだ」と感じる。私から見たら飲み会で「はてな」会話に興じることはかなりの娯楽なのだが、彼らにとってはそれは「酔っていなくてもそんなことは話さない」レベルの高度な会話であるらしい。そして、私のような存在はかなり珍しいようだ(はてなダイアリーでは一般的だと思ったのだが…)。
「はてブ数で記事を判断するのは良くない」とよく言う。しかし、個人的な経験を踏まえれば、はてブ数は個人を判断するための一つの指標になりえてしまうと私は感じる。「一生懸命緻密で丁寧なまとめ記事を書いても、ブックマーカーに[あとで読む]タグをつけられたまま、[あとで言及]もされずに放置されて結局4userみたいなやつだっているのだから、はてブ数で人を差別してほしくない。個性豊かなやつはどこにだっている」とよく言われるが、そもそも揉め事のURLを羅列しただけのまとめエントリーすら書けない、まとめエントリーを箇条書きで組み立てる上での基礎的なはてな記法の知識すらあやふやな人間のどこに個性やオリジナリティが存在するのだろうか?それともダイアラー同士で下らない掛け算を考えるのが「個性」なのだろうか?はてブ数は人の精神性をも示してしまうのではないか、と強く感じるのであった。
同じアルファブロガーの連中のなかに「出版社に入ろっかなwwwwwww」というやつが結構いる。ごくごく一部のブロガーによる「今時何故紙媒体に……」という根拠も、根も葉もないバッシングが激しく行われている中、出版社の中枢で雑誌編集に携わりたいと考える人間がまだまだ多いことは一定の安心感を私に与えてくれたのだが、その中には「あんな馬鹿共からアクセス数稼ぎによってトラックバックを飛ばされたくない」という意思を持っている者も多いようだ。「選民思想だ」といって批判する人間も出てくるだろうが、こちらとしてはそう思っても仕方ない状態がはてなの多くの局面で見られるのである。
それにしてもネットは知的エリートに対する待遇が悲惨だ。なぜ毎日4時間もPCに向かい、必死で知的でためになるエントリーを書くブロガーとそれを10分で見てしまうROMを比べ「流行の話題に言及してアクセス数稼ぎ乙www」というのだろうか。アルファブロガーの奴らはライターに転進したとすればその分野でもっとも繁栄している内容に言及してアイマスweb2.0マーケティング大勝利。そのような記事の原稿料とアルファブログのアフィリエイト収入を比較しないと意味がないだろうに。なにはともあれ、「アルファブロガーはライターの人間よりも年収が劣っているのに、なぜアルファブロガーになりたいという人間が一定数いるのか」という命題に対しては、この「はてブ数と精神性の比例関係」も一定の影響を及ぼしているに違いない。
追記:
# 2007年08月03日 legnum legnum netwatch, neta 匿名ダイアリーって書いた本人がブクマするとソースに変な印というかコメント入るんだな
<li id="bookmark-user-nkoz"><span class="timestamp">2007年08月01日</span> <a href="/nkoz/"><img src="http://www.hatena.ne.jp/users/nk/nkoz/profile_s.gif" class="hatena-id-icon" alt="nkoz" title="nkoz" width="16" height="16" /></a> <a href="/nkoz/20070801#bookmark-5448369">nkoz</a> <span class="user-tag"><a href="/nkoz/%2a/" rel="tag" class="user-tag">*</a></span> </li> <li id="bookmark-user-krus"><span class="timestamp">2007年08月01日</span> <a href="/krus/"><img src="http://www.hatena.ne.jp/users/kr/krus/profile_s.gif" class="hatena-id-icon" alt="krus" title="krus" width="16" height="16" /></a> <a href="/krus/20070801#bookmark-5448369">krus</a> <span class="user-tag"><a href="/krus/%e3%81%82%e3%81%a8%e3%81%a7%e8%aa%ad%e3%82%80/" rel="tag" class="user-tag">あとで読む</a></span> </li> <li id="bookmark-user-otsune"><span class="timestamp">2007年08月01日</span> <a href="/otsune/"><img src="http://www.hatena.ne.jp/users/ot/otsune/profile_s.gif" class="hatena-id-icon" alt="otsune" title="otsune" width="16" height="16" /></a> <a href="/otsune/20070801#bookmark-5448369">otsune</a> </li> </ul>
その他のソースを見ても特に変わった所が見当たらないのですが、どこにコメントが入るのですか?
hatelabo.jpとhatena.jpは別のサーバーに設置されているので、わざわざidデータを取得して余計な分岐処理を入れて、ユーザーが見られるコメントとしてテンプレート生成するのもid:wanparkらしくない設計だと思いました。
もしかしてid:legnumさんのブラウザか視神経か頭蓋骨の中身のどれかか、もしくは全てがお気の毒なほど壊れてしまっているのでしょうか?
面白すぎる…。
元増田の紹介するサイト。「正論一喝!」というタイトルに吹いて大上段に構えた態度に吹いて、エントリに吹いて、それで終わりかと思ったらコメントで果てしなく笑わせられる。
紹介された以外のエントリも、保守よりにヘタレ突き抜けてる。「おたくは病気であり暗く気持ちの悪い除去すべき存在である!」と主張し、「私はインターネットなどやるのでPC上級者とおもわれがちだが、分からないことを聞いても『こんなの初歩っすよ』などと人を見下げ果てたような目線で見るPCオタクと一緒にするな!」と涙目で語り、ノドを痛める男性の前でタバコをふかして咳き込まれると「この小物め!」と心中で毒づき、インターネットは定額制から従量制に変えるのが妙案だ、などと時代の流れを完全に無視した発言をし、盗撮野郎を捕まえたつもりになったら実はカメラと思ったのはiPodで「そんなもの知ってる義務はない!」と逆ギレ、ゲームをする人間を片端から「このゲーム脳!」と罵る………。
手の込んだ新手のジョークブログではないのか? とさえ思わせる捻れっぷり。
確かに一見に値する。
…が、こんなオヤジ、本当にこの世に実在するのであろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20070720125005
の記事に激しく賛同するとともにオチにワロタ。
俺は最近アドビプロダクションスタジオを自宅用に購入して唖然とした。
仕事先PCに入っているプレミアやフォトショ・アフターエフェクトは5年ほど前で時が止まっている。
10万以上払って最新のものを購入して全部入りをGETした。
正直いってワクワクテカテカしながら自宅のPCにインストールした。
なにせ5・6年前といまなのだ。
車からタイヤがなくなってふわふわ浮いていてもおかしくない。
おおげさなHOW TO系のDVDを再生しながら長いインストールの時間を待った。
それぞれのソフトを立ち上げて確認してみた。なにも変わっていなかった。
(・3・)アルェー?
などとノンキな気分で最初はソフトをいじっていたが次第に怒りがこみ上げてきた。
本当に大して変わっていないのだ。紹介DVDはいまだ自慢げに何がどう変わったかを説明している外国人のプロを映し出している。冷静に聞いてみると大した変化を説明していない。20歩譲ってアフターエフェクトに関してはまあいいとしよう。しかし他のソフトもろもろ特にプレミア・フォトショ・イラレに関していうと「中古車の外にメッキを施してカーステレオをMP3プレイヤーに変えてナビを付けました」程度にしか変わっていないのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070629191419
見たくないに一票。
AVえろ本自体見ることないし、PCにもえろ系のデータは保存してない。
性欲は歩けど見るのには余り関心がない。
俺よりいいPCを既に持ってるよ。
PCだと、いちいちその場に行かないといけないから、アウトらしい。外でもどこでも書くからあの人
ケータイが支給されるつーのはまだしも、「個人でPC所有すんな」ってそれで問題ないのは団塊より上の世代だけだろ。これのせいで決定的に時代状況に取り残されるデメリットについては誰が計量してるんだ?適切な情報リテラシーを育成できなくなるデメリットは誰が補うんだ?まあ結局の所無茶な指示なんで、実際は「会社は個人のPCを持つなといってるので情報流出の責任はデータ管理の甘さでもシステムの不備でも持ち帰られないと仕事が終わらないスケジュールのせいでもなくただこの社員がカスだったからです」と言い訳するためだけの規則だろ。ひでえ会社だ。
絶対一度は嫌なニュースやらエントリやら何やらにあたって気分悪くなる
その上最近はネットやって特にいい事ない(ていうか、昔はあったネットをする目的が今はあまりない)
のに、ついつい電源をいれ、やってしまう。増田を見たり2chをつい見てしまう。
そして何か嫌な、もしくは一言いいたくなるようなエントリなりなんなりを発見してついレスをしてしまう。
その瞬間はすっきりするが、別にレスしたからなんということもない。何が変わるわけでもない。
それなのについ求めてつけてしまう。電源を。
やらない方がいいと決まっているのに、目の前にPCがあるとウズウズしてつけたくなる。あんなに嫌だと思った増田や2chを見たくなっている。見て、うれしいかと言うと、別に嬉しくない。また嫌な感じのエントリやら酷い罵詈雑言やらが転がっているだけ。嫌な気持ちになるだけ。なのに見てしまう。電源をつけて、ネットをしだすと、どこか安心したような気持ちに一瞬なる。
ジャンキーのようだ。嫌だけど、刺激的。刺激が刺激を呼ぶ。前は冗談で「ネット中毒かも」とか言ってたけどこりゃ本気でヤバイ気がする。ネットやってると目もつかれてなんだか気持ちも悪くなったりするのに、心は安定している。やっていないときおかしくなるわけじゃないが、目の前にPCがあったり、嫌なことがあったりすると無性に電源をつけたくなる。
やばい