はてなキーワード: 見ろ、人がゴミのようだとは
いがらしみきおの4コマ(おそらくネ暗トピア(1979-1985)中の作品)が話題になってるんだが…時代が変わるとなるほど伝わりにくいなと確かに思う。
某アニメの「見ろ、人がゴミのようだ」って有名な台詞があるが、これ当時(1986公開)はそれなりにショッキングな台詞だったわけで、つまりその頃「人間」というものの価値は、いまよりずっと高かったんだよな。だから、沢山の人が集まってるということ自体のパワーや価値感がいまとは全然違う、すごくテンションの上がることだったわけだよ。「祭り山笠のごつある!」じゃないが、とにかく沢山の人がいる光景は「理屈抜きに凄いこと」であって、それを見て闇雲に見下したりとか物扱いしたりするとか、そういう発想自体がない時代だったんだ。ニュースとかで凄い人出を取材して、アナウンサーが「すごい行列です!」「もう人でいっぱいです!」とか興奮して喋ったりするのがデフォ、みたいな。これが1つめの条件(1)
更に加えて言うと、この頃ピアノリサイタルするような人って、年代的に言えばまだ日本が海外にそれほど開かれていない時代(海外に円を持ち出す額に制限があり、海外に資産がない限り、普通の手段では留学なんてこと自体ができなかった時代)におそらく海外留学とかして一定の名声を得て…みたいな、伝説級のアーチストが想像されたわけだよ。そして、そんな人は闇雲に偉人聖人扱いだったわけなんだ当時としては。大げさに言えばそんな感じ。これが2つめの条件(2)
いがらしは、そんな(1)や(2)の条件をバカにすることで田舎者で世間知らずな大衆を嗤い、そしてそれらを見下してるピアニストに、芋臭い名前を付け器の小さい台詞にすることで権威や文化人自体を嗤い、最後に、当時としては予想しにくい最終コマをもってくることで読者を嗤い、そしてオチにしたというわけ。
このマンガを、無理矢理現代語に「翻訳」するなら、たとえば、最終コマで呟いてるのを(不謹慎だが)天皇陛下とかローマ法王とかにしてみれば少し伝わるんじゃないかと思う。
みたいな4コマ……なかなかシュール、複雑かつアナーキーなギャグだろ? 暗い情動の底からこみ上げてくるような深い笑い。それが当時の(いまもある程度変わらない)いがらしの作風なんだ。
こういうの、きちんと書いておかないとホント風化する気がしてきたんで、一応記録のために書いてみた。
1.知らないひとが褒めてくれるようになる。
3.2ch以外のblogでも、「そんなこと、俺、一言も言ってないYO…!」ということを「言った」ことにされる。(それ、要約の読み替えの要約とかじゃね?)
4.mixiとか、twitterで、単に議論の立場を明瞭にするためにわざわざ言及してなかったことについて「あいつはこういう問題をわかってない」と陰口を叩かれる。(それ、言及しなかっただけ…)
5.自分が苦心して考えついたことを、他人がいつの間にか「考えたのはオレ」とか言われはじめる。(検証不可能話題になるので悲しい……)
6.なんでも引き受けていると、お金にならない仕事で忙殺されるようになることに気づく(断る力、重要…)
8.DQNな反論がわらわら増えるが「あいつはオレの言ったことにきちんと反論してない」とか言われ始める.(そんなこと言われても……)
9.もう誰に何を言われてもいい気分になってくる
10.有名な人と会えるようになる
11.有名な人と話しているほうが話も面白いし、それほど馬鹿なことを言われないのでラクだ、とか思えてくる。
12.ネットイナゴどもめ!ハハハッ、見ろ、人がゴミのようだ!とか夜中に呟く。
13.ムスカを好きになる。
自分は関西人だということを主張するために、準関西人がTVが作り上げた関西人像を真に受けて真似しているのではないかという疑惑。
東京にいる自称関西人がお笑い芸人化してしまうのも、TVから「大阪人=お笑い芸人+なんでやねん」というメッセージを受け続けているうちに、関西人自身が、「ああ、関西人ってこんなものか」と納得してしまう。
言葉の問題と同じで、それが大勢の意識の中に定着してしまうと、昔ながら関西人像は崩れ、TVが作り上げたお笑い芸人風関西人こそが、本道であることになってしまう。(あるいは、もうなってしまった。)
逆に、私は関東人のことをかなり誤解しているのではないかとも思う。私が抱いている関東のイメージもまた、TVが作り上げたものでしかないからだ。