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はてなキーワード: 上品とは

2009-02-13

バレンタインを目前にした女子たちが怒っている

 「石畳チョコ。意外と簡単なんだよ」

 というセリフの出てくる、製菓会社CMをご存知だろうか。

 この製菓会社はそもそも、「バレンタインチョコレートを」を最初に言い出した会社だ(多分)

 この時期、庶民的なスーパーから一流百貨店まで、チョコ菓子の材料・道具や一流メーカチョコレート等の特設売り場が設けられ、幅広い年齢層の女性たちが真剣な目で商品吟味している。

 特に、学校帰りの女子高生が、製菓材料やラッピング材料をあれやこれやと手にとって較べている姿は本当にいじらしく可愛らしい。

 やっぱり、大事な人(異性とは限らず、仲良しの友人等)には、手作り自作ラッピングチョコレートをあげたくなるのだろう。

 ところで、新井理恵四コマ漫画にも描かれているように、チョコレート作りというのは結構難しいのだ。テンパリングを失敗するとチョコレートがボソボソになって死亡したりとか、カワイイ動物(パンダ等)の形にするつもりだったのが、どうみても怪物(なまはげ系)になってしまったりとか。

 キレイな文字をチョコペンで書こうとしたら、ダイイングメッセージみたいになって泣きそう…みたいな経験をしたことのある人も、少なくないと思う。

 そして毎年思うのだ。「バレンタインにはチョコとか…誰が最初に言い出したんだっ!っていうかクソ○○(製菓会社名)めっ!」

 そんな女子達の心のよりどころ。それが「石畳チョコ」。ガナッシュとか、生チョコとか呼ばれてるやつだ。

 これは、材料はシンプル工程が少ない、洋酒やスパイスを利用すれば、オリジナリティのある作品が手軽に出来る。しかもズブのド素人が四苦八苦してテンパリング→成形して作ったチョコより、遥かに口どけが良く、旨い。

 最後の切り分けさえ抜かりなくすれば、ある程度高級感のある、美しい作品が出来る。

 何も知らない貰い手が箱を開けてみると

「わぁ、こんなキレイ上品チョコレート、ホントに君が手作りしたの!?すげえ!」

 となる事うけあい。これでとりあえず「お菓子作り上手の器用な子」の称号ゲット。

 まさか、あんなに簡単に作れちゃうとは思うまい…ククク。

 という訳で、石畳チョコは長い間、女子達の最後の切り札だったのだ。

 なのに今年。

 某製菓会社CMで。

 全国ネットCMで。

 石畳チョコが「意外と簡単」だという事をバラしやがった。

 全国ネットである以上、不特定多数チョコの貰い手が見ている訳で。

 去年までは喜んで貰えた石畳チョコを渡しても「あ、CMで意外と簡単って言ってたやつ…」と思われちゃうわけで!

 ホント今年どうすればいいのさ、っていうか○○(製菓会社名)どうしてくれよう…、って感じな訳で!

 いや、すいません。これ、本当に私の今の正直な気持ちです。

 全国のあんまり器用じゃない女子の皆さん。環境は違えど立場は同じ。

 明日、一緒に頑張りましょうね。ちなみに私は明日、ガトーショコラデコレーションというギリギリ無難そうなルートを行きます。

 皆さんにいいフラグが立ちますように!

2009-02-10

見知らぬ他人の命なんてどうでもいい。アフリカでは何秒に一人ずつ子供が死んでいます!なんて言われても,統計への興味以上の感情は抱けない。遠い国で誰かが100人死んでくれれば愛犬が助かるというなら,犬の方が尊い。私に与えてくれる効用が大きいもの。いや愛犬はとうの昔に死んでしまったけど。

たまたま同一の種に属する個体であることが,そいつらを愛する理由になるのか? 遺伝子の多くを共有しているから? そいつらを守るように染色体が命令するから? 行動セットとして生存競争適合的であることは認めるけど,少なくとも私にはそんな命令は聞こえてこない。

人類愛に入れ込んでしまう人,社会運動や人道活動に自分人格価値を預けてしまう人は,どこか不健全な気がする。動機を勘ぐるのは上品じゃないが,何が彼ら彼女らをしてそうさせているのか気になる。直接の被害者とか,現場に知己がいるとかならわかるけどさ。無限に愛が広いのか,無限に愛が広い自己像が大好きなのか,無限に愛が広いふりをすることで得られる社会的利益がほしいのか。

2009-01-23

[][]紳士らしく振舞うための18のルール BOYZ BE GENTLE・・・

http://www.popxpop.com/archives/2007/03/18.html

紳士のエチケット(基本編)

1常に上品であれ

誰かの何らかの振る舞いに嫌悪感を抱いたとしても、それと同じレベルまで自分を下げることはありません。「自分の方が人間ができている」という風に常に振舞うように意識しましょう。

2悪口を言わないようにしよう

人の悪口を言っていると「そういう風にしか自分の考えを表現できないんだ・・・」と思われます。そして何より悪口は下品で無作法なことなのです。

3怒鳴らないようにしよう

あなたが怒鳴ると周りの人々に不快感を与えます。そして「物事をちゃんと説明できないので怒鳴ることしかできない人なのだ」と思われてしまいます。

4平常心を失わないようにしよう

落ち着きをなくすと「自分の感情をコントロールできない人だ」と思われます。そして自分コントロールできない人は「何もコントロールできない人だ」とも思われます。常に冷静でいましょう(難しいですが努力する価値はあります)。

5じろじろ見ないようにしよう

誰かをじろじろ見るのは、目の暴力です。人を不安な気持ちにさせてはいけません。

6話をさえぎらないようにしよう

誰かが喋っていたら、いくら口を挟みたくても最後まで待ちましょう。話をさえぎる人は社交性のない人だと思われます。

7唾を吐かないようにしよう

多くの人が無意識のうちに唾を吐いています。マナー違反ですし、誰もそのようなものは見たくありません。

8年上を敬おう

そもそも相手が誰であれ、あなたは「自分がそうされたいように人に接する」必要があります。敢えて「年上」とつけたのは、最近若者は「なんでも知ってるぜ」と考える傾向にあるからです。5年前のことを考えてみてください。今のあなたのほうが賢いでしょう?

9他人の失敗を笑わないようにしよう

「人の失敗を笑う」というのは、もっともひどい振舞いの1つかも知れません。失敗した時に人は注目されたくありません。ましてや笑われたくないのです。

10室内では帽子を取ろう

建物の中に入る時は帽子を必ず取るようにしましょう。また食卓についている間は決して帽子を被ってはいけません。

11皆がそろうまで食べ始めない

皆が食卓に着くまで食事に手をつけてはいけません。些細なことのように思えるかも知れませんが、とても大切なことなのです。

紳士のエチケット女性への対応編)

1ドアを開けてあげよう

これはもっとも基本的で、もっとも簡単なルールです。女性が車やレストランクラブなどに入る時は常にドアを開けてあげましょう。たくさんのドアがある時は順番に開けていくと良いでしょう。

2上着を着せてあげよう

女性が上着を着るときは手伝ってあげましょう。シンプルですが大切な振舞いです。

3椅子に座るのを手伝おう

女性椅子に座る時は椅子を引いてあげましょう。そして、彼女が座るタイミングにあわせて優しく椅子を戻してあげましょう。

4女性のために席を空けよう

女性椅子がなければ自分が立ち上がりましょう。そして、彼女のために自分の席を譲りましょう。

5立ち上がって挨拶をしよう

女性が部屋に入る時や、出ていく時は常に立ちましょう。ただ、最近ではこのルールは緩くなり、女性が入ってくる時に立ち、出ていく時は座ったままの場合もあります。

6手を貸そう

ちょっと親密さが必要ですが、エスコートする時には腕を差し出しましょう。地面が平らでない時や女性ハイヒールを履いている時にはとても大切なマナーです。

7何か必要なものがないかをたずねよう

イベント女性がいれば「何か飲まれますか?」と聞くようにしましょう。「あなたのことを気遣っているのですよ」という気持ちが伝わるようにしましょう。

2009-01-10

久しく女を抱いていない。最後に抱いたのは半年以上も前になるか。去年はただでさえ女日照りだったせいで一年を通しても数える程しか抱いていない。これも全てエルニーニョのせいだ。大晦日一年を振り返り、イライラした俺は、次に女を抱く時は溜まりに溜まって黄色がかった白濁液洪水で溺れさせてやる。思い出しムラムラで怒り心頭の息子にかけてそう誓った。そして年が明けて10日経った今日。早くも今年の抱負を叶える時が来た。

いつも真剣に見やる朝の天気予報NHKなんて上品ぶったのは見やしない。下衆な作りで人気のローカル局天気予報お天気キャスターが見るからに助平親爺なこの番組視聴者と共に一喜一憂してくれる。女日照が続くとブチ切れて暴れ回ってくれるおかげでこっちの代わりに発散してくれる。無表情で淡々と何事もなかったかのように伝えるNHKが不人気なのはこのためだ。テレビの前で俺らが暴れ回らなくてはならない。

そんな下衆で有名な天気予報スタジオはいきなりお祭り騒ぎ。割れんばかりの喘ぎ声。画面を埋め尽くさんばかりの女の裸。来たか。ついに来たか。食い入るように画面を見ると助平親爺がバックで女を突いてる最中。女の目はぶっ飛んでいて何度犯されたのかわからない。助平親爺の周りにはすでに犯された女が4、5人倒れ、スタッフが汁男優のごとく白濁液ぶっかけている。「皆さんどうもおはようございます!そしておめでとうございます!新年早々ついに来ました女前線!」振る腰も休めずに助平親爺は心底嬉しそうに大声を上げ盛り上げる。「しかもただの女前線ではなく、超大型女前線です!1週間は続くでしょう!さあさ、みなさん!早く外に出てごらんなさいな!次から次へと女が振って参りますよ!」

2009-01-07

女子高生のあの子。パンツはいつも丸見えだし、カバンの中にコンドームは入ってるし、言葉遣いは最悪。だけど、話すと意外といい子なんだよ」

女子高生のあの子。パンツはいつも丸見えだし、カバンの中にコンドームは入ってるし、言葉遣いは最悪。だけど、話すと意外といい子なんだよ」

「あの子は、お金がなくて、ソープとかAVとかやってるし、援交もしていたけど、話すと意外といい子なんだよ」

「おい。里中、差別したらだめだよ。本当は、皆、いい子なんだから。話せば分かるよ」

こんなに能天気な話はもう聞きたくない。それを「いい子」とは言わないんだよ。

では、本物のいい子の立場は?

お金がなくても、地味に働いていて、売春もしなくて、きちんとした恋愛をしていて、言葉遣いも挨拶も丁寧で、女らしく羞恥心がある。そういう女の子たちの立場は? じゃあ、そういう普通女の子の事は、「女神」と呼んで欲しい。

真面目に生きている人間を褒めず、なぜか、ずっとモラルに反する事をしている人間がたまに良いことをしたり、たまにまともなことを喋っただけで、「彼女はいい子なんだよ」、と言う男たち。本当に、言葉が軽すぎる。

そういう事を言う男たちは、ハンドバッグにコンドームを入れている女子高生セックスが目当てなんでしょう。セックスしたいから、「いい子」なんだよ。

本物の、「いい子」を知らないんだ。

私は知っているよ。

どんなにお金がなくても体を売らない女の子

羞恥心に秀でていて、絶対に下着を見せない女の子

頭がよくて、上品で、言葉遣いが丁寧で、挨拶もきちんと出来る女の子

親を大切にしていて、男の仕事がなんたるかを分かっている女の子

強い男についていき、男をリスペクトしている女の子

そんな彼女たちと、セックスお金のことしか頭にないバカ女と同じ、「いい子」にされたら、本当に腹がたつよ。

「里中はAV女優風俗嬢差別している」

と言う人。

君たちは、真面目に生きている女の子たちを差別しているよ。

人間は平等じゃないんだ。

強者と弱者。善人と悪人。知恵のある者無知な者。そして、男と女

それらを平等にしたら、進歩しなくなる。進歩対象となる人間の方がやる気をなくすんだ。そして、助け合いもなくなる。助け合っているように見えて、企み、打算が生じる。一部のバカ女が、「男女平等。手助け無用」と叫んでいるから、男たちが、オフィス女の子を助けなくなった。違いますか。

生まれた時から、ずっと優しい女の子で、悪い事もしたことがなく、男遊びもせず、お金で遊んだりもしない。なのに、地味だからかまったく褒められない。ところが、同級生の男子に罵声を浴びせ、お金欲しさに援交している女の子が、たまに、かわいいことを言っただけで、「君は、本当はいい子だ」と褒められる。

日本人はそうなんだ。普通に生きて、頑張っている人は褒めない。ずっと、悪いことをしていた人が、ちょっと良い事をすると、「君は本当は良い人だ」と褒める。

すぐに、更生させろとか救済しろと言うんだ。

殺人犯でも、若ければ更生させようと頑張るくらいだから、売春言葉遣いが悪いくらい、大した問題じゃないのだろう。もちろん、更生は大事だが、他人の言葉や力ではなく、自力じゃないと、意味がない。

私の知り合いには、ソープ嬢もいれば、元AV女優もいる。まったく逆に、貧乏でも地味に働き、贅沢はせず、男遊びもしない女の子もいる。

その両者を、『同じ女の子』には私には出来ない。両方を良く知っているからだ。

殺人犯と川で溺れている人を助ける人間と、同じ人間には出来ない。

だけど、同じ人間にしようとする。それが諸悪だ。淘汰させるのを避けてきた人間たちは、集団生活の中で、馴れ合いになってしまった。皆を同じにしようとする。そこそこ、出来のいい人間の集団にしようとする。だから、優秀な人間が生まれない世の中になってしまった。

女の子の男狂いとお金狂いをやめさせたければ、「おまえ、本当にバカだ。女として終わっているよ。幸せになれないから、これからもずっと売春してるんだな」と言えばいい。それから、その女の子が、自力で這い上がってくるかどうかでしょう。褒めたら反省しないじゃないか。「許す」という行為がどれだけ人間を甘やかすのか知ってる?

結局、ダメな女を擁護する男は、ダメな男なんだ。

ニートオタク教育者気取りの偽善者。そして、女にもてない奴と相場が決まっている。

援助交際をしている女の子に、「君は本当はいい子だね。とってもかわいいよ」と言う男は、更生、救済が美徳だと勘違いしているのか、その女の子の体が目的

本当に、その子のためを思うんだったら、

「皆、真面目に生きているんだ。君はどうしようもなく堕落している。女のクズだよ」

と言わなければならない。それで、その女の子がだめになって、自殺しても、もっと汚れて行っても、それは淘汰されたということ。もし、その女の子が、本当に、「いい子」だったら、叱られた事によって、更生するはず。

「おまえなんか抱く気になれないよ。俺はもっと美しい体をした女の子を知ってるし、女に困ってないからな」

昔、私にそう言われたAV女優は、今は、地道にバイトをしている。

http://www.satonaka.jp/literature/essey/060527.html

2008-12-24

ラーメンライス否定するヤツにカレーライスを食う資格はねえ!

炭水化物炭水化物がおかしいって非難するがなあ、そのカレーのルーのとろみの元はいったいなんだ?え?小麦粉溶かしたものじゃねえのか、それ。おまえらライスの上に小麦粉ドロドロに溶かしたものをかけてうまそうに食ってんだよ。それは上品で文句もなくって、ラーメンライスをそれぞれちゃんと別の器に分けて食ってるのは小馬鹿にするその神経がおかしいことにいいかげん気付けってーの。だいたいだなあ、独り身のやつのために今日ぐらいはラーメン屋とか避けとく気遣いみせろや。なにがクリスマス馬鹿。ああああああケーキ食いてえ。デートしてみてえええあああああ。

http://anond.hatelabo.jp/20081223230747

なるほど。

1. 店員がこなれた格好をしているので、自分とのギャップが恥しい

2. 自分以外の客がこなれた格好をしているので、自分とのギャップが恥しい

これは今回スーツを着ていったことで一応クリアしてるのかな?

それとも着て行ったスーツやクツ自体に恥ずかしさを感じる要素があるの?

3. 自分が服やファッションのことを比喩でなく何もわからないので、店員とまともに会話できそうになくて怖い (馬鹿に思われるんじゃないかとか返答に詰まって恥しい思いをするんじゃないかとか)

ファッションについては本当に何も知らなくても、ああいうところの店員さんは親切に接してくれる。

センスも接客態度も選りすぐられた人たちだし、研鑽に余念がないからね。

そしてほどほどに上品でほどほどにカジュアルだから高級ブランドブティックみたいなお高くとまった雰囲気もない。

(ただ、店の奥に行くと高級なゾーンもあるんだけど、そこには足を踏み入れなければOK。)

まちがっても馬鹿にはされないから心配しなくて大丈夫だよ。

それでも心配なら、店員さんと話すときにまず、

ファッションについて何も知らなくて恥ずかしいんだけど…」と打ち明けてしまえば、

胸の中もすっきりして話しやすくなるし、店員さんも「そうか」と思って、

より親身に服を選んでくれるし、こちらの知識水準に合わせてコミュニケーションを取ってくれるよ。

そしたら気兼ねなく聞きたいことは何でも聞いたほうがいい。

あと、とにかく何か試着させてもらって試着室に入ってしまえば、

試着室というのは、人目につかずに自分と店員さんだけがコミュニケーションする空間だから安心して相談できるよ。

2008-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20081221234046

http://anond.hatelabo.jp/20081222001850

コートの種類は知らなくても大丈夫

「どんなのがいいですか」と聞かれたら、「仕事でも普段でも着られる感じのちょっときれいな感じのコートを探してるんですけど」と言ってみる。「仕事でも普段でも着られる」といえば、あまり奇抜なデザインおすすめされない。「ちょっときれいな感じの」と言えば、コテコテミリタリーB系などのゴツイ服をおすすめされることもない。店員さんはやや抑制のきいたおしゃれなコートを選んできてくれるはずだ。

とりあえず自分が気に入ったものを試着させてもらって、サイズはどうか、似合うかどうかきいてみるのもいい。さらに、予算はこのくらいなのだけど、店員さんのオススメはありますか?おれに似合いそうなのってどんなのですか?ともきいてみる。

彼らはお客さんのためにお客さんに似合うカッコイイ服を探してくることを生きがいにしている人々なので、気がねしなくていい。こうして気に入ったものが見つかるまで数着試着させてもらう。

いろいろ試着させてもらったけれど気に入ったものがなかった場合は、「ありがとうございました。ほかのお店も見てきたいと思います。また寄らせてくださいね。」でOKだ。何店かまわれば必ず自分に合った服は見つかる。

結局は店員さんに相談しながら自分にしっくり来るものが見つかるまで何着も試着するのが一番なのだが、以下参考までに。

コートの形状について少し探してみた。

どんな体型の人でもそこそこ似合うポイント

「ひざが隠れる丈」×「すそに向かって(あまり)広がらないストンとしたシルエット」だった。

この3着は仕事でもオフでも着れる。

http://allabout.co.jp/mensstyle/mensfashion/closeup/CU20081019A/index2.htm

http://jedie.jp/b/2007/10/post_113.html

http://voi.0101.co.jp/voi/webcatalog/showGoodsDetails.do?wrt=5&sf=0&mcd=WW856&cpg=504&pno=34&ino=01

丈はひざまであって、ストンとしたシルエット。こういうのなら誰が着ても似合う。

リンク先のは値段が高いが、実際に店に行って探せばもっと安いのが見つかるはず。

2万くらいで見つかるといいね。

こっちはミリタリーっぽいコート

http://allabout.co.jp/gs/suit/closeup/CU20071211C/

http://store.shopping.yahoo.co.jp/protocol/wo-brf2133.html

ミリタリーということでオフ寄りになるが、一着目のような上品な雰囲気のものは仕事用でも大丈夫かも。

丈はひざより短いけど、やっぱりすそが広がらない形をしてるのでスマートに見える。

もしコートではなく、ジャケット型のアウターを探すなら、

丈はベルトの位置くらいの短めのものにするとバランスが良く(足も長く)見える。

・クツは多少値が張っても革のしっかりしたものを選んだほうがいい。

なぜなら、まず、足元が締まらないとファッションは様にならない。

また、男物の良い革靴は長持ちするし、流行にもあまり左右されないためずっとはけるから。

相場は1万から4万くらいだ。

(これも高いのを見だしたら切りがない。また、1万以下ではまともな革を使った革靴は見つからない。

コートと同じく、2万くらいでもよく探せば良いものが見つかる。)

仕事用ならプレーントゥと言って、先が丸く縫い目や装飾のないタイプの革靴が何にでも合うからおすすめ

チップあるいはVチップ無難

http://blackwatch.seesaa.net/article/5932897.html

http://blackwatch.seesaa.net/article/105231486.html#more

一足目の色は黒がいい。もっとおしゃれをしたくなったら二足目以降で茶色や型押し加工の革などを選ぶのもいい。

普段はくならシンプルで質のいいブーツが一足あると重宝する。

レッドウィングとかベタだが便利だ。

http://threewood.jp/SHOP/RED-WING-9013-Beckman-CHESTNUT.html

http://threewood.jp/SHOP/RED-WING-9014.html

http://threewood.jp/SHOP/RED-WING-8875.html

http://threewood.jp/SHOP/RED-WING-2913-LINEMAN-BOOTS.html

とくに一番上のようなタイプは、プレーントゥで、色もおとなしめの茶色なので、

何を着るにも合わせやすい。また時間が経つにつれ徐々に濃い茶色に変化していくので、

きれいな色に育つよう、ときどきクリームを塗ってお手入れをしてあげる楽しみもできる。

2008-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20081212153414

ぜんぜん増田に対する答えにはなってないけど、自分を見ているようなので嬉しい。

私も女だけど、女アイドルが、というかハロプロが大好き。

2000年初頭のハロプロ全盛期だった頃は一般人の会話に混じるくらいだったけど、彼氏ハロヲタだったのをきっかけに完全にハロプロに舞い戻ってハマッた。ドアップやyoutube映像を漁るし、何度も再生してニヤニヤしながら眺めるし、iPodには娘フォルダを作るし、彼と一緒に娘コンとか行ってしまうくらい。

ちなみに私の好きなハロっ子は

松浦亜弥

吉澤ひとみ

久住小春

藤本美貴

です。ちょっと増田と共通点があるよね。面白い。

Berryzなら桃子熊井ちゃんが好き。

℃-uteはこの子!っていうのはいないけど、愛理は歌うまい舞美は超美人だと感心する。「桜チラリ」の頃の萩原舞ちゃんはかなり抱きしめたい

AKB48では中西里菜ちゃんが好きだった。やめてしまったけど……。

ちなみにグラビアアイドルも好きですよ。

きわどいのとかエグイのじゃなくて、Sabraに乗ってる程度の、そこそこ上品グラビアとか大好き。一時期は毎号Sabraを見てた。

仲根かすみがすごい好きだったから、結婚してやめた時はへこんだなあ。

ほしのあきも好き。

彼女たちのPV映像を何度もリピートしてしまう理由は、ちょっと増田に近いです。

自分がそんな風になりたいわけじゃないし、なれるとも思わないし、バイやレズでもないと思うけど、彼女たちの映像を見ていると幸せになる。夢という言葉はかなり的確。

男がスポーツ選手バンドマンに憧れるのと同じ心理だというのはなるほどですね。

ちなみに私も周囲にはハロヲタだって隠してます。

実は隠れ女アイドルヲタの人って多いんじゃないかと思った。どうなんでしょうね。

2008-12-01

まあ、東浩紀も一応予防線は張っていて

10万はてなポイントを進呈します。東浩紀歴史修正主義を基礎づける記述が<デリダの文献にある>ことを発見できたら

http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128/p1

進化論否定論者のように南京虐殺を扱う東浩紀

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081130/1228056396

さすがにこれについては本人、この対談の中でもう少し触れています。

リアルのゆくえ』pp.220 - 221

東 (前略)個人の価値観でこういう風に生きてもらいたいとか、こういうふうに生きるべきだということを、友人や知人に言うことと、社会のみんながそれを信じるかどうかということについての予測は、まったく関係がないでしょう。その時に、ぼくは、そういう友人や知人を増やしていきたいとは思う。それこそが希望だから。でもそれは社会への絶望と両立するしかないんですよ。

大塚 それが公共性っていうことなんじゃないの?

東 それを公共性だというのであれば、南京虐殺は絶対になかった、韓国人中国人はいますぐ死ぬべしと友人や知人に向けて書いている連中と同じになる。だって、彼らもそれは公共的な言説だと信じているのだから。だから私的な希望と公共性を混同することはできない。

大塚 (中略)たしかに、ネット人間たちの狭い議論の中で、南京虐殺はなかったという人間と、あったという人間の間に何かが生まれると思うのは不毛なのかもしれないけど、ぼくはそこに、何かが生まれないとはやっぱり思わないし。

東 たとえ生まれたとしても、それは関係がない。問題はそんなことではなくて、ぼくが言いたいのは、いまやいろんな人間自分思想こそが公共的だと勘違いして、何億というホームページを開設して情報を垂れ流している。その時に、それに対して、ぼくこそが公共的なのだ、なぜならぼくは本も出しているし、東大とかも出てるからと言うわけにはいかないでしょう、ということです。もしそんな立場をとったら、それこそ不遜というものですよ。

大塚 ぼくの言っている公的というのはそうじゃない。あなたがいう公的というのは、俺のことを認めろ、ということだってのがよく分かったんで、理解はするけれども、ぼくはそういう意味では公的っていう言葉をまったく使っていない。ぼくは、つねに他者との関係によってあらわれるものを公的と言っているわけだから。

東 そんな公共性はネットによって実現されている。そのうえで、その「公共性」がいったい何を生み出しているだろうかというのが、先ほどから言ってるぼくの失望です。

同 pp.222-223

東 今なら、南京虐殺について調べたいと思ったら、ネット上で、一瞬にして、いろんな立場の人の意見を読むことができる。だから、その意味では、大塚さんのいう「公共性」は実現している。で、読んだから何が起きているのか、っていう話です。読んだから、そこで議論ができる。本当に真実の議論ができるか、それはできない。なぜかといったら、真実になんて誰にも近づけないからです。そうするとそこで起こるのは、誰が優位に立てるかの競争だけです。(中略)情報量が大きくなると「誰が頭がいいか競争」しかできなくなってしまう。

大塚 それは情報量が大きくなったからじゃなくて、まだそこに生きるわれわれがそういった環境に対して、どのように情報の処理や判断をしていくかの訓練ができていないからだと思うけど。

東 ぼくは、リテラシーの発想では対応は無理だと思います。

大塚 少なくともリテラシーの問題として対応し得る部分が、ぼくには充分ありうると思うけど。

東 リテラシー論というのは、普通読者の側の論理ですね。つまり読む側の話です。

大塚 いや、リテラシー論っていうのは、発信者論でもあるんだよ。読者の論理ではなく、書き手を教育する論理だと思う。

東 (略)百歩譲って、受信者リテラシー教育可能かもしれない。(中略)しかし、発信者能力教育するというのは難しい。人びとがネットで好き勝手なことを流す権利は、教育では止められない。だって、彼らはそれをやりたいんだから。

大塚 いや、発信者教育はできる。にもかかわらず発信者としてあるための教育が未だなされていないということが問題だと思う。(中略)だからぼくはインターネットによって書く主体や、書き手としての自分、発信者としての自分というものを、この国において全員が意図すれば獲得できるという環境が生まれたときに、少なくともそれを断念していいほどに近代を通じてまだ努力はされていないと考える。(後略)



d:id:tikani_nemuru_Mさんは、

無限に開かれた討議」というのは、根拠とか証拠とかデータを参照せずに、ひたすら思いこみだけでしゃべることも認めなくてはならにゃーようですにゃ

と東を批判します。この批判は全く妥当だと私も思います。少なくとも、知識人という立場にあるものが、知や学問に対してこのように不誠実であってはならない。大塚はこの対談では一貫してそういう立場から、東への激しい苛立ちを隠さずぶつけ続けていきます。

しかし一方で、おそらく東はそんな批判は織り込み済みなのだろうとも思います。たとえば、上記のような批判に対しては、それでは「ひたすら思い込みでしゃべる」人間を公共圏から駆逐していいのか、それが「公共圏」なのか?という反論も可能でしょう。そこまで下品な反論でなくとも、フレイザーは「複数のマイノリティによる多元的公共圏」は、それらの中には決して上品でないものも含まれうるが、しかしそれでも単一の公共圏よりはいいのだ、ということを「公共圏の再考:既存の民主主義の批判のために」で書いていたように記憶しています。

(もちろんフレイザーは、歴史修正主義公共圏?を容認はしないでしょうけれど)

さらに言うならば、インターネットの時代において、「ひたすら思い込みでしゃべる」人間を駆逐することがそもそも可能なのか、また、彼らが公共圏の議論に参加可能なレベルの「知の技法」を身につけることが可能なのか?という問いもあるでしょう。そして、東はその可能性に完全に絶望しています。ゆえに、

(同、p.189)

公民的な自覚をもたない人をどれだけ抱えられるか、そちらから社会設計を考えるしかない。これがぼくの前提です。

(同、p.231)

市民であり公民であることが正しい人間であり、それを育てていくことでしか社会は変えられないという理念に対して、ぼくは違和感がある。ぼくの関心は、むしろ、全員を市民公民に育てあげることなど不可能だという諦めのうえで、でもそれでもいい社会をつくるにはどうするか、というところにある。

と語ります。

つまるところ、東が歴史修正主義を「容認」するとすればその限りにおいてであって、歴史修正主義者がどれほどネットの中で暴れ回ろうとも、結果として歴史修正が実現しないような社会であればそれでいいし、それよりない、と言っているように私は読みます。その結果として歴史修正主義を容認したように見えたとしても、それはそうした態度の反射的効果にすぎない、とは言いうるかもしれない。

とするならば、デリダ歴史修正主義を支持もしくは黙認した言葉が彼の著書にあるか、と聞くよりは、デリダ思想が、公共圏に対する東の絶望に結び付くのか否かを問うた方が生産的であるように思います。おそらく東本人も、デリダ歴史修正主義についてどう語ったかは問題ではないと語るでしょう。もちろんそこは、十分に問題ではあるのですが、そこで水掛け論を行っても仕方がない。

大塚―東対談における大塚は、激しい苛立ちと同時に、東から一生懸命言葉を引き出そうと我慢を重ねています。もちろん大塚の我慢を我々が共有する必要は微塵もありませんが、しかし東の公共性に対する批判を行うとき、どれだけ絶望しようと対話の中から公共性を見出していこうとする大塚の態度に私は共感を覚えるし、それに倣うべきだという態度を取りたいという志向は否めません。

2008-11-29

席を譲って欲しい、と素直に言おう

http://anond.hatelabo.jp/20081127225711

先に断っておきますが、私が全面的に悪いです。悪いのですが、この風潮が少しでも変われば良いと思い書かせて頂きます。

その日、知人と久しぶりに会い一杯呑みながら閑談していました。良い加減に酔ったところでお開きとなり、某駅始発の電車に乗り帰路についたわけですが始発駅といえどもそこそこ混んでおり、一歩先に電車に入った年配さんらに一般席を押さえられた為、悪いかなと思いつつ優先席に座りました。

何となく予想が付くでしょうが、電車は駅に止まるごとに混んできました。気がつかず、本当に申し訳なかったのですが、久しぶりに会った友人と電車の中でも話し込んでしまって優先席に座っていることも頭から離れていました。さらに悪いことにお足の悪い方が近くに居たらしいのです。

かなり混んで来た頃でしょうか、上品そうなおば様が大きな声で言いました。

恥知らずよねぇ、何で替わってあげられないのかしら」

こちらとしては非があるわけですから、平謝りです。申し訳ありません、と。友人も席を立って席を譲ろうとしますが、既にそういう雰囲気ではなく替わってくれません。その上、周りの年配者を巻き込み御説頂きました。

一応言い訳として、始発から乗りその時は空いていましたと伝えました。

返答はかなりショックだったのですが、

優先席に座るのがおかしいのよ」

だそうです。

こうなると小さく座って説教を聞くしかありません。それはその方が電車を降りるまで…。大変勉強になりました。今後気をつけたいと思います。

けれども、反省したうえでこうも思うのです。立っているのが辛い人、本当に辛いのであれば「替わっていただけませんか?」と伝えて頂けないでしょうか。また気づいた方が「替わってあげてくれないでしょうか」と。

同じ国に住み、同じ日本語を話しているのに、この言語の断絶はなんだと考え込んでしまう程この出来事は私にとって大変ショックでした。実はあれから電車で座席に座るのが怖くもあるのです。

脱線しますが、私は席を良く譲る方だと思います。それでも酔ってれば、ふらっと優先席に座り、そのままその事を忘れたりします。だからこそ相手に無謬性を期待するのではなく、素直なコミュニケーションが必要だと思うのです。その方が空気を読んで生きるよりは幸せだと思うのですが。初対面の相手に「恥知らず」と伝える前に、もっと通じる言葉がある筈です。

えーっと最後に。私、40歳超で、隣に20代とおぼしき成年が爆睡していました。未だに、なぜ我々があれ程までに言われなくてはならなかったのか疑問も残っています。多分、楽しそうにしていたのがまずかったのかな。

2008-11-07

非モテファッション

冬物アウターを買いたいんだけど、Pコートってどうなんだろう。

普段カジュアルっぽいのしか着ないから、Pコートみたいにちょっと上品な感じのを着るのにためらいがある。

俺はチビフォーマルっぽい服装は似合わないからね。

ダウンジャケットは持ってて、次に買うのにモッズコートも考えたんだけどチビに丈長のモッズコートは辛いかなと。M??65は真冬きついかなと。Pコートだったらショート丈が多いしいけるかなと。

だけど、非モテっぽい俺がPコートってどうなんだろうか…誰かアドバイスちょうだい!

2008-11-01

年上の男を口説きたい

年上の男を口説きたいよ。

自分にフェロモンがないのはわかってる。でも口説きたい。

軽いノリにはなれない。でも口説きたい。上品に、面倒だと思わせずに。

手を出されるのを待ってもだめだった。だから口説きたい。

増田人達教えてください。どうしたらいい?

「真面目な妹」的な後輩から、どんな顔で、何を言われたら「遊んでもいい相手」になれますか?

妹扱いって言っても24歳。相手はもう三十路突入

去年、付き合うまでもなくふられちゃったけど、研究絡みやちょっとした相談には乗ってくれる。でもそれだけ。

もう、私が好きになる前みたいに、二人だけの飲みには絶対誘ってくれない。

まだ私に気持ちが残ってるのは知ってるはず。だけど全然食指を動かしてくれない。

先輩、増田は先輩を先輩としても尊敬してるし、でも男性としてもどうにかしたいです。

書いてたら泣けてきた。ここ数ヶ月は泣く気もなくなって安定してたのに。

文章にすると一気くる。

ほんとキモい

もうすぐ向こうも環境が変わって会えなくなるので、最後のきっかけだと思って、どうやって迫ったらいいか一生懸命考えてる。なりふり構わなくてもいい。とか、考えてることがキモい。辛い。

このあいだ研究会で久々に一緒になったのに、別の彼女じゃない年上の人と一緒になって、懇親会の途中でから消えちゃった。

土曜だったからあのままオールだったのかな。お家に上げたのかな。

気になりすぎてけっこう経ったのに鬱々してる。付き合ったことないのにキモい

消えちゃった女性は、美人じゃないけどノリが良くてシモネタの言える姉御で、本当は私もああなれればいいけど無理なので、年下の立場からどうしたらいいかすごく知りたいんです。

だから増田人達教えてください。ちょっと可愛いと思ってる後輩で、自分のことを好きで、もうすぐ顔を見なくなるのが決定してる女で、その子から何を言われたら手を出す気になりますか?

2008-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20081006232845

要するに、当人が描いた覚えのない絵を「勝手に描いたことにさせられる」って事だろう?それって「著作者人格権」あたりには引っかからないのか?

たとえば、正視に耐えないほどのハードエロ絵を、上品ラブストーリーに定評のある漫画家が描いたレア物だと言いつのって売った場合、その漫画家人格名誉は傷つけられていると考えるのが妥当だと思うんだが…。絵柄がそっくりなら問題無いのかな?

著作者人格権 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E8%80%85%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E6%A8%A9

anond:20081006222432

全く関係ないけど、同じ字で同じ読み方の人が自分のピアノ先生だった。

カオがちっちゃくて髪がつやつやしてて、落ち着いた雰囲気で、

穏やかだけどいざって時にはきちんと諭してくれる優しい女性だった。

子供教育関係仕事にも携わってて40半ばだけど精力的に活動してた。

こう…全体的な雰囲気が上品っての?

冗談を交えながらの真面目な話はすごくためになった。

今でも時々ハガキのやり取りをする。

その人のイメージが強いせいか、智代って名前にはいいイメージしかない。

いい名前ですね。

や、私の個人的なイメージなので全く関係はないのですが、参考までに。

2008-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20080930184312

料理なんて材料の良さが8割だからね。

ウチの近くはダイエー地元スーパー八百屋、そして滅多に開かないレア八百屋がある。

食材の質はレア八百屋八百屋地元スーパー>>>越えられない壁>>>ダイエーという感じ。

しかも前者に行けば行くほど安い。

で、レア八百屋だと「レタスちぎって醤油と酢をかけただけ」でも極上のサラダになる。

酢も醤油も、色々な経緯があって手に入れた極上品

とくに醤油は、家庭用とは雲泥の差。

逆にこれらの食材を使ってマズい料理を作る方が難しいぐらいになってるけど、多分料理漫画料理ってこれぐらいの食材を使うのは大前提じゃないのかな。

レタスは1つ50円、醤油は1瓶1500円、どちらも庶民で買えない事は無い。

2008-09-01

先日、ヒステリー地雷を踏んだ。

やさしく世話好きで上品な人だったんだけど、たまに彼女のまわりの人や共通の知人からあの人は怖い、といわれることがあった。でも別にやさしかったし、気にせず仲良くしてた。

友人として付き合いだった彼女とふとしたきっかけから一緒に仕事をすることに。連絡を取り合う機会がいつもより増えて、そこからおかしくなってきた。

仕事自体は今までの経験上からいっても難易度は対したものじゃかなったはずなのに、気がついたら彼女からの着信が日に10件、メールも多い日は20件くらい入ってるの。全部仕事の内容ではなく、仕事雑談が錯綜したメールで、わかりづらいことこの上ない。

ある金曜日、私はメールレスをしなかった。彼女からは、「○○時までに連絡ください」というメールがあったらしいけど、私は退社する時点ですべき対応はしたと思っていたので連絡をしなかった。クライアント的にはまったく問題ない。お酒をのんでたので、彼女電話をとらなかった。

そしたら昨日の夜中1時過ぎ、電話がかかってきてメールレスをしなかったことを怒鳴りちらされた。もう言葉遣いとかも乱暴で人格変貌。もう内容とかよりも彼女の怒鳴り方、人格の変わりようが恐ろしくて、数年の友人関係がふっとんだ気分。

一体どうしてほしかったんだろう。つうか怖い…

2008-07-06

別れ話がこじれた結果、「別に付き合う相手なんて誰でもいいんだからわざわざ君のような面倒な相手とつきあう必要はない」という趣旨捨て台詞を吐かれてふられたことがある。結婚の話も出た相手だった。その言葉に私は自分でもびっくりするくらい深く傷つき、立ち直るまでには1年半時間がかかった。一時は誰とでも寝るということをやってみようかと思ったくらいだった。どうしてそう思ったのかはよくわからないけど、そのときはそうすると納得できるんじゃないかと思えたのだ。余計な話になるが、私の両親はとんでもなく保守的な考え方をする人達で、私は「結婚するまで処女でいるように」と躾けられて育った。つまらない冗談のようだが本当のことだ。さすがに20歳を過ぎてそれを額面通り受け取ることはできなかったが、それでも全く無視はできないという程度の束縛感はあった。だから自分がそう考えたこと自体が結構な驚きだった。

面倒な相手という点については、まあそう言いたくなる気持ちもわからなくはなかった。取り立てて異論はない。「面倒だから別れたい」と言ってもらえれば私もすんなり納得していたと思う。問題は「誰でもいい」の一言だった。我ながらいくら何でもそこまでショックを受ける必要はないだろうと思ったが、駄目なものは何をどう頑張っても駄目だった。悲しくてまともにものを考えられなかった。

時間が経って落ち着いてから、私は相手に何を求めていたのだろうとよく考えた。そして相手は私に何を求めていたのだろうと。

小学生の頃よく読んだ「赤毛のアンシリーズに、何巻目だったかは忘れてしまったが、「人間は20歳くらいでその輪郭が決まってしまう」というような一文が出てくる。私はそれを真に受けて10代の数年間を過ごしたので、20歳くらいまでに何とか自分の方向性を確立しなければならないという強迫観念があった。そして20歳になる頃には本を読んでばかりいる生意気な理屈好きの小娘になった。ある時期からは手に取った本に書いてある映画を見て音楽を聴くようにもなった。村上春樹を読んでビーチ・ボーイズを聞きイオセリアーニアルトマンを見るようになった。アーヴィングからヴォネガットに手を出し古典を読むようになった。そのうちペーパーバックも読むようになった。新しいものを知るたび少しずつ世界が広がっていくように感じられ、すごく楽しかった。でもそういう楽しみを誰かと分かち合うことはなかった。私の属しているところではそういうのは何と言うか、知的な気取りの一種のように見なされていたからだ。私は1人で図書館にこもり1人でタワレコに通い1人で映画館に出かけた。両親は極端に人付き合いが悪い娘にひとしきり説教を垂れたが、私としてはそれに特段不自由を感じなかった。友達がいて知り合いがいて1人の時間がある、それのどこが問題なのかと思っていた。確かにそういうのは客観的に見てあまり魅力的な姿とは言いがたかっただろうが、私は毎日いろいろと必死で魅力などというものについてじっくりと思いを巡らす余裕はなかった。そんなことについて考える暇があるなら丸善まで出かけて本棚を物色する方が100倍楽しい。私は何かの答えをそれなりに必死になって探している最中で、魅力なんてものは後回しにしておけばいいと考えていた。

一方、というか当然というか、私は「若い女性」という自分の属性にどうしてもうまく馴染めなかった。若い女性であることをすごく窮屈に感じた。そしてその窮屈さをなかなか言葉に表すことができなかった。人並みにフェミニズム関連の本も読んだけど、それはどれも目の前のあまりにもベタ現実とはうまく切り結ばなかった。例えばがつがつと本を読む若い女性は私の周囲にはいなかった。有り金全部を使う勢いで映画を見る若い女性もいなかった。本当にものの見事に誰一人としていなかった(たぶん趣味に関して引きこもっていたせいだろう)。私の周囲では、一般的に若い女性はそういうことはあまり好まないものだという観念が割と根強くあった。そういうのは趣味として上品に嗜む程度に留めておくべきものであって、没頭するべきものではなかった。もちろん若い女性精神分析専門家だとか映画監督だとかいう人がいるのは知っている。統計の授業を担当なさった先生UCLA帰りで、とんでもなく優秀な上におよそ文化と名の付くものなら何にでも博識な女性だった。でも彼女たちは言ってみれば「私の履歴書」みたいなものだった。自分に特段優れた才能が備わっているわけではないことにはとっくに気づいていたので、それらはただ単に雲の上の出来事でしかなかった。たぶんそういうのは選ばれた若い女性だけに許された特権なのだ。それに特権を維持するのは見るからに大変そうだ。そう思っていた。私は自分の置かれた状況にはそれなりに満足していた。家族は私に呆れながらも基本的には好き勝手にさせてくれていたし、友達も私がよくわからない何かにかまけているからといって意地悪をするようなこともなく優しく放っておいてくれる。環境にはずいぶん恵まれたと思っていた。もし私が男の子だったらもっと堂々とできたのかもしれないが、男の子男の子でいろいろと大変そうだとも思った。ここから出て行きたいとは思わなかった。うまく言えないのだが、どこかにあるはずの理想の地を探すことではなく、今いる場で何とか居心地のいい状態を確保することの方が建設的な考えのように思えた。

そんな状態にもかかわらず、お付き合いする相手が現れることがあった。縁があったのは同級生や会社の先輩といった人達で、音楽映画の話がきっかけになることが多かった。好みが似ている人とは話がしやすい。自分が基本的に聞き手に回ることしかできないとしても、親しみのある世界の話ができることはとても嬉しかった。社会人になってからはなおさらそう感じるようになった。女の子同士がお茶だけで何時間でも話しまくるように、好きなことの話だけで1日中笑ったり驚いたり考え込んだりできるのは本当に楽しかった。でもそれと同時に、1人で楽しむことを選んだ領域に人を介在させるのは少し怖いことだと感じた。そこでは1人で過ごすことを選んだはずだ。そのルールを変えたりしてひどい目にあったりしないだろうか。でもひどい目ってどういうことを言うのだろうか。よくわからなかった。でも、はっきりと意識に上らないくらいぼんやりとした一瞬の感覚だったにもかかわらず、その嫌な感じはなかなか消えなかった。

相手との距離が近づいてしばらくすると、私はびくびくするようになった。付き合い始めて1年も経つと、仲良くなるきっかけだったはずの私の趣味嗜好のようなものが、次第に相手を苛立たせるようになってきたのがはっきりと感じられた。私が何の気なしに漏らす一言に相手がすごい剣幕で「普通女の子はそういうことは言わないものだ」と怒り始めることも珍しくなかった。その都度、私がどちらかというと普通じゃないことは私もあなたも承知しているはずだったと思いますが、あなたの言いたいことはたぶんそんなことじゃないんでしょうね、と思いながら黙って聞いた。自分でこんなことを言うのはばかみたいなのだが、私が縁あった男性は目立たないけれどしっかりしていて人の気持ちを察するのが上手な人達だった。どうしてそんなに人当たりがいいんだろうと思ってよく見てみると、誰と接するときでもフェアであることを優先させているのがわかった。女の人からの評判はよく(ただし決してモテるという訳ではない)、マッチョな男の人からは幾分軽んじられているふしがあった。そういう人をここまで怒らせるからにはたぶんこちらに非があるのだろう、と私は思った。だから相手を怒らせそうなことは片っ端から控えるようになった。でも、そうなるとそこにあるのはただの力関係だけだ。会話の内容が当たり障りのない世間話のようなものになり、映画館レコードショップを避けて出かけるようになり、そうして程なくして別れることになるのだった。

相手の年齢や社会的属性が違っても別れる理由は同じだった。ある時の別れ際に冒頭のことを言われた。私がショックだったのは、いつの間にか関係がすっかり塗り替わってしまっていたことだった。友達の延長みたいにして付き合い始めたつもりだったのに、それとはかけ離れた関係を作り上げていた。最終的に私は規格外の若い女性でしかなかった。更にショックだったのは、「誰でもいい」と言われて最大限に傷ついている自分だった。仲良しの友達に言われたとしても十分ショックなフレーズだとは思うが、私の受けたショックはそれだけでは説明がつかなかった。付き合っていた相手にだけはコンビニで飲み物を選ぶように私を選んだと言ってほしくはなかった。でもいつの間にかそうなっていた。相手が最終的に私に求めたのは女の子らしい女の子であることだった。それと呼応するようにいつからか私も、私が私であることの担保を相手に求めるようになっていた。いつの間にそれを求めるようになっていたのか、自分のことなのにまるで理解できなかった。付き合い始めた時の気持ちははっきりと思い出せるのに、その時は担保なんて関係なく楽しいことや嬉しいことはその意味意識する必要もなくシンプルにそれだけだったはずなのに、見た映画に興奮して渋谷から千駄ヶ谷まで意味なく歩いてしまった私は相手に会うとうまく口がきけなくなっていた私とまるで矛盾なく同じ私だったはずなのに、それらがきれいさっぱり失われてしまっていることがうまく飲み込めなかった。でも、お互いに求めるものがそれだけになった時点でそこにはもう役割だけしか残っていない。確かにそうなってしまえばいくらでも代わりはいるのだ。お互い相手にその望むものを差し出す余地がないのは嫌になるくらいよくわかっていた。何だか騙されてたちの悪い契約を結んでしまったような気分だった。でもそれに荷担したのは他ならぬ自分だったのだ。

2008-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20080702021658

あんさんそんなでSEXできるの?

でも気持ちはわかる。地球の生き物は何やら共通のグロさを持ってる。

芋虫の口の動きとかみるとうぇぇってなるけど、よーく見ると人間も大して変わらないんだよな。

特に日本は普段上品ぶっていろんなグロさを隠してる。

町並も、食べ物も、花も、見かけるものはまるで子供が書いた絵のように抽象化されてる。

(例えば中国行くと毛穴びっしりのテラ原型を留めた鶏肉とか平気で出てくるけど、日本じゃほとんどない。

日本は例えるならマックチキンナゲットのようだ。見た目も味も本当に鶏肉を食べてるのか実感すらない。)

だからグロ耐性?みたいなのがないのかも。ふと気づいてやたら気になるときがある。

全てがソニーの電化製品みたいなデザインだったら気持ちいいんだろうなぁとも思うけど、

SEXするときなんかはそのグロさに興奮してしまう自分がいたりもする。

 

2008-06-22

必然性ネガティブ自己暗示

自分らしく生きようと思って毅然とした態度をとらないと、必然性の面をしてやってくるのは、自分が思い描く選択肢の中でまちがいなく一番つまらない人生。ようするに、自分で当たりくじを用意して引かないかぎり、100パーセント確率でスカを引かされるようにこのゲームはできているのである。それはどこかの金儲けのうまい人間、一度も会ったこともない人間が書いたシナリオをそれが世間の常識であるかのようにだまくらかされて、つかまされているだけ。

封建制でない社会では、自分で責任をとることを条件に、そのようなシナリオを拒否してもよい。

しかし、最終的に誰かが何とかしてくれるはずだと心の底で思っているうちは、何をやってもうまくいかないし、うまくいかないことを他人のせいにしたがる。凡人というものはそのようにしてできる。

ようするに、本当に好きなことをやる代償として自分の人生責任を引き受ける勇気がないのだ。ほかに誰が引き受けてくれるのかじつは知らないのだが。

老い先短い人生で一日でも多く鬱々とした日があるというのはまったくもって馬鹿馬鹿しい。それがいったいなんの得になるというのか。そういうことをして自分以外の誰が満足しているのか。

日本では、「いまこれをやっておかないと将来ひどいことになりますよ」というかたちで、親切な忠告めかして、やんわりと、ねっとりとからみついて脅しをかけてくるやましい輩が多すぎる。そういうことをする奴らはようするに他人が自分より面白い人生を送ることに我慢がならないか、たんに金が欲しいだけなので、よけいに腹立たしい。よく外国人が、日本では真綿で首を絞められるような苦しさがあるというが、そういうことだろう。上品に見えてこれは本当に卑しい心根である。

日本に長くいるとそういうことが自然になってしまって、気がついたら鬱になったりしているので、卑しい馬鹿は尻を蹴飛ばしてやらないかぎりどこにも行かないということをときどき思い出さなくてはならない。

2008-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20080613080746

いね!

解説しよう。

「いね」は、漢字では「去ね」と書きます。(「死ね」ではありません。)

つまり、「この場から立ち去ってください。」という意味です。

暴言の吹き荒れるインターネッツにおいて、

その真意はともかく、

言葉使いとしては上品であると思います。

しかしながら、現代ではその上品さを感じとれる機会が少なくなってしまいました。

2008-06-10

電車での話

先日のことだ

電車の席に座って本を読んでいた。

車内はそれなりの混み具合で、席は埋まり、立っている人がちらほら。

そんな状態で電車は駅に到着、僕は駅名を確認しようと目を上げると、年配のお婆さんが乗ってきた。

周りをみても空き席はない。

仕方なしに、僕は席を譲ろうと立ち上がった。

先に言うが、僕のいい人ぶり自慢ではない。

実際、それほどいい人ではなく、毎回譲る訳じゃないんだ。

人の膝に手荷物ぶつけてくる不躾なおばさんには絶対に譲らないし、自分が疲れていたら譲らなかったりする。

駅ごとにお年寄りを捜してみるわけもなく、数駅経って目の前にお年寄りがいることに気づき、赤面しつつ、けど今更感で躊躇して譲らなかった、そんなこともある。

まぁ、そのときは、普通に元気だったし、譲ろうと思っただけだ。

で、立ち上がって、お婆さんに目配せしたら、僕の背後に飛び込んでくる者がいた。

女子高生

目敏く空きを見つけて駆け込んできたらしい。

あっさりと席は埋まり、僕は目を丸くした。

とはいえ、なんというか席を譲れとは他人に言いたくない。

譲り合いの精神は、押しつける物じゃないと思っているから。

苦笑しつつ仕方なしに、お婆さんの方を見ると、大丈夫という意味か、上品に微笑んでいる。

まぁ良いやと、諦めて、ドアの方に行き、本の続きを読み始めようとすると声が聞こえる。

僕がいた席の斜め前で並んで座っている、親子の声だ。

母親中学生くらいの娘に諭すように話をしていた。

「いやぁね、人がお年寄りに譲った席を横取りするなんて。ああいうことをしちゃ駄目よ」云々

女子高生に聞こえそうな声で非難をしていた。

一瞬カッとなったが、押さえた。

けど、イヤな気分は収まらず、僕は他の車両に移った。

だから、その後の顛末は知らない。

女子高生の機敏さと無頓着さ加減には苦笑で済ましたけど、このおばさんの思考にはついて行けなかった。

お婆さんは立ったままだ。

自分か、自分の娘の席を譲ろうとはせず、他人に文句を言う。

女子高生には聞こえただろうか。

お婆さんには聞こえただろうか。

女子高生に理解させたければ、彼女の目の前で自分の娘の席をお婆さんに譲ればいい。

そういったことを考えず、自分たちは平然とすわったまま、非難だけする。

偽善、厚顔、ああ、言葉が見つからない。

まぁ、そのおばさんにも文句を言わずに立ち去った、僕が何をいうのかということではあるのだが。

2008-05-22

団子っぱなの憂鬱

母親と祖母は黒木瞳系の上品美人だ。

なのに私だけ鼻が団子…。目と口は上品で小造りなのに鼻が…orz

腰は体の要っていうけど、顔の要は鼻だよねー。鼻がダメだと全部台無し。うはー。

もう何十年もお付き合いしている自分の顔だから慣れきったけど、それでも父親に「お前、ほんとに鼻丸いなー」とか言われるとちゃぶ台ひっくり返したくなる。

お父さんの鼻がこっちにきたんだよ! お前が言うな! うわーん!

2008-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20080504202939

関係言葉は、英語とか韓国語とか広東語にはいっぱいあるけど、日本語はないよねって日本語勉強していた香港の友人とそういう話になった。

それは単純に香港チャイニーズがそういう気質だからなんじゃないか?

俺が中学生の時に香港チャイニーズに教えてもらった広東語はいまだに覚えてる。

sexを指す「ファ」って言葉と、

おまえはバカだという意味の「レイ ハイ ソッザイ」っていう言葉だ。

奴らが教えてくれた単語はこんなもんだ。

こんにちはとかありがとうとかよりも、そういう単語を教えてくれた。

なぜか?

日本語でそれらの単語をなんていうか知りたかったからだ。

できるだけ上品に教えようと思って

セイコー」と・・・なんて教えたかな。「おばかさん」かな。

2008-04-26

多分根っこのところでは分かってると思うけど

お上品というのはフェチの一種と俺様の中では決定(http://anond.hatelabo.jp/20080426143832に対するレス

お上品が「好き」であることと、それを他者に強制することはもちろん違うことだ。で、後者が批判の俎上にあげられているわけだけど、後者にもまたいくつかの動機がありうると思うんだよね。そもそも「品を強制する」ということにだって本来非常に実利的な意味合いがあったりするわけなんだけど、それが意味を失った場において保持し続けていたら確かにそれは単なる趣味でしかない。まあおおよそそんなことが言いたいのだと思う(長くてすまん)。その意味でなら理解する。

今言ったように、品とか礼儀というのは、当たり前だけど本来はきちんと意味があるわけだよね。「身だしなみを清潔に整える」というのはそれなりに不潔で不衛生な社会の中では生きていくために必要な教養だったろうし「他者を傷つけないていねいな言葉遣い」というのは、絶対的な力を持ち得ない人間が、コトバ一つでこちらを脅かしかねない権力者と渡り合わなければならない場(上流階級の社交とか)においては必須の能力だったろう。ちなみに上流階級特有の「嫌み」みたいなものも、本来は「関わり合いになる価値すら見いだせない相手と、それと気づかれずに精神的距離を置くための社会的技法」という意味ではそれなりに意味があるわけで、ブログ系のコトバに置き換えれば要は『スルー力』の一種だよな。「女子の貞操」云々……それこそピルもなく妊娠中絶出産もハイリスクだった時代のこと考えれば、当然すぎるほど当然な教えだっただろうと思うわけで。

だから、増田が問題にしてるのは、そういう「本質」を見失った形式主義者による暴走事例だと思うわけで、「そんなの全然(本質的な意味で)上品じゃねえだろ!」というツッコミはとても正しいと思うよ。昨今の『品格』とか仰る方々を見るとほんとそう思うんだけど。老人の愚痴妄言を垂れ流す言い訳に使われた「品」の方こそ良い迷惑だと思う。ある種の妄念のようなピューリタニズムとノーブルであることをごっちゃにしてんじゃなかろうか。ホント。

だから、そういう方々の妄言が流す害を「品」や「礼儀」自体の問題とされると、違和感を覚えるんだ。本文を読めばそう考えてるわけじゃなかろうということは分かるんだけど、まあ、タイトル(笑)。本当は「『品』とかいう言葉フェティッシュな欲望を抱く人間が多すぎる』ってことだよね。確かにそれは問題だと思う。ホント。

追伸:噴いた(w

携帯電話販売店で働く息子について[MSN相談箱](http://questionbox.msn.co.jp/qa3973923.html

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