自分らしく生きようと思って毅然とした態度をとらないと、必然性の面をしてやってくるのは、自分が思い描く選択肢の中でまちがいなく一番つまらない人生。ようするに、自分で当たりくじを用意して引かないかぎり、100パーセントの確率でスカを引かされるようにこのゲームはできているのである。それはどこかの金儲けのうまい人間、一度も会ったこともない人間が書いたシナリオをそれが世間の常識であるかのようにだまくらかされて、つかまされているだけ。
封建制でない社会では、自分で責任をとることを条件に、そのようなシナリオを拒否してもよい。
しかし、最終的に誰かが何とかしてくれるはずだと心の底で思っているうちは、何をやってもうまくいかないし、うまくいかないことを他人のせいにしたがる。凡人というものはそのようにしてできる。
ようするに、本当に好きなことをやる代償として自分の人生の責任を引き受ける勇気がないのだ。ほかに誰が引き受けてくれるのかじつは知らないのだが。
老い先短い人生で一日でも多く鬱々とした日があるというのはまったくもって馬鹿馬鹿しい。それがいったいなんの得になるというのか。そういうことをして自分以外の誰が満足しているのか。
日本では、「いまこれをやっておかないと将来ひどいことになりますよ」というかたちで、親切な忠告めかして、やんわりと、ねっとりとからみついて脅しをかけてくるやましい輩が多すぎる。そういうことをする奴らはようするに他人が自分より面白い人生を送ることに我慢がならないか、たんに金が欲しいだけなので、よけいに腹立たしい。よく外国人が、日本では真綿で首を絞められるような苦しさがあるというが、そういうことだろう。上品に見えてこれは本当に卑しい心根である。
日本に長くいるとそういうことが自然になってしまって、気がついたら鬱になったりしているので、卑しい馬鹿は尻を蹴飛ばしてやらないかぎりどこにも行かないということをときどき思い出さなくてはならない。