はてなキーワード: 電気街とは
ばーかw
何イキがってんだよw
お前銃についてたいして詳しくもないだろ?
秋葉電気街みたいな人ごみで発砲するなんてアホにもほどがあるぞ。
しかも事が起こってから銃撃ったって意味ないだろw
こーいう凶悪事件が起こるたびにアホが脊椎反射的に「射殺しろ」とか言ってるのみてると)
うんざりしてくるね。
(mixiのニュースにリンクされてる日記にそういう内容のやたら多いねw
つーか、警察の法執行力を強化しろって言ってる人たちって自分が
理不尽な職務質問受けて、抵抗したら撃たれましたってことになる可能性
想像できないのかね?権力も無いくせに権力者視点なのがネトウヨの特徴なのかな?
ABC事件からどれだけ経ちましたっけ?ああまだ半年でしたか。
もう1年くらい経ってしまったような気がします。
あれから台東館に18禁を扱うイベントに対して分離政策、年齢認証、規制などを要請しているようで。
ソレに対して参加者の間ではずいぶんさわがれておりますね。
さて、今回のショタケにおいては、更に規制が追加されましたようで。
それは「身長差」に関する問題。児ポ法などがありますからねえ、今まで考えもしなかったようなことが急転直下デリケートになるものでございます。
これに関しては憤られているお方がずいぶんいらっしゃるようで。まあ確かに、イベントの趣旨を鑑みれば無理もなかろうというものです。
かくいう私も、「そりゃあやりすぎだろお前さん」などと感じなくもないわけですが、その前にちょっと考えていただきたい。
我々は、趣味の個人間の取引ということで主催側がゆるーく管理してきて、参加するものは参加するもので、「主催がそれでいいと言ってるんだからそれでいいじゃあないか」と甘えて来たツケを今ようやく払っているところなんじゃあないかと。
もともとは渋い電気街だったのが、いまやコスプレ、路上ライブ…まあそこまではいいとして、それを盗撮するもの、分かってて盗撮されるもの、あまつさえ露出に走るもの…と無法化の一途を辿り、今や警察の巡回でようやく当初のギリギリの秩序を保っている次第じゃあないですか。
しかし、数日放置しただけですぐに元通りになり、結局はさらに厳しく取り締まられる始末…人間ってのは単純なものです。
ああ、ああ、だめだねえ。年を取るとなんだか余計なことまで話してしまうねえ。
話を戻しましょうか。
まあ何がいいたいかってぇと。
伸びれば伸びるほど、反動もでかいってこったね。
しかもゆっくり戻すことを許されないほど伸びきっちまった。
パンツのゴムを限界まで伸ばしてパッチーン!なんてやると痛いじゃあないか。
しかし、ここで戻らないと多分切れてたとおもうんだよねえ。あっしは。
切れたら戻ることすらできなくなってしまってたんですよお客さん。
しばらくはこの痛みは取れないと思うんだけども、ゆるゆるーと戻していけばぁいいんじゃないでしょうかねえ。
児ポ法が推進されないよう様子をみながらね。
オタなんて力の弱いもんだからね。しかし、その分知恵が回るってコトを古来から自負してきたじゃあないですか。
今、あっしらに何が出来るか、腐らずに考えてみるのも手じゃないかい?
心も根性も腐らせず、考えてみてはどうでしょうかねえ。
腐がついてるのは、呼称だけで十分さね。
児童ポルノについて、日本のサブカルチャーにおいて少女というアイコンはあまりに大きな存在なので、どうも客観的に考察することができない。そこで仮に「少女」が「うんこ」だったら、ということを考えてみる。児童ポルノ問題が排泄物ポルノ問題だったら。
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この国ではスカトロ嗜好がなぜか文化の基底に浸透している。コンビニに並んでいる週刊誌のグラビアのモデルはたいていパンツの汚れがソフトに強調されている。80年代頃はもろにうんこをしている写真が載ってる雑誌なども並んでいたがさすがに刺激が強すぎると言うことで規制された。アダルトショップではその手の雑誌が未だに大人気である。広告等では排泄物に関わる隠喩が消費者の目を引くポイントとして巧みに使われている。芸能界では溲瓶を持ったりうんこの着ぐるみを着て歌う歌手たちが昔からアイドルとして人気だ。しかしこの国のスカトロ嗜好が爆発したのはなんといってもマンガ、アニメ、ゲームの領域である。排泄のエロス、神秘性、陽気さを最大限に表現するこの国のサブカルチャーは近年国外からも注目を集めつつある。国際的な評価もとみに高い某アニメ監督の作品はエコロジーな主題とダイナミックな排便描写の魅力で知られる。オタクが集まることで知られる某電気街は、アニメ調にディフォルメされたつややかな大便の図像であふれている。しかしこの風潮が高まるにつれて反発もじわじわと強まってきた。学級崩壊の進む全国の小学校で教室で脱糞するイタズラが生徒の間に流行するに及んで事態は決定的となった。まずは実写系のビデオ、および風俗関係の取り締まりが強化される。しかしもっとも規制すべきはマンガやアニメである、と規制派は主張する。マンガやアニメにおけるスカトロ嗜好が子供に悪影響を与えないことがあろうか。しかもそれらは近年、海外に発信されるコンテンツとなりつつあるのだ。それがうんこまみれであって国の体面と言うものが保てるだろうか。「マンガやアニメに描かれるうんこは臭くないし、誰にも迷惑をかけてはいない」という規制反対派の声を押し切って、メディアにおける排泄物表現の規制は断行された。この国のマンガ・アニメ・ゲーム等に排泄物が登場することは一切なくなった。その後の、中心軸を失ったこの国のサブカルチャー全般の衰退は誰もが知る通りである。規制前を知る人々は当時を懐かしんでこう言う。あの頃こそ黄金期だったのだ。ってやかましいわ。
吉祥寺ぐらいがちょうどいい気がする。
でも、ま、方面によって方向性が違うのはどこの町も一緒。
駅の中心からはどこも同じようなアクセス度だけど、
飯屋街にいった後に電気街にいこうとするとやっぱり相応に移動しなきゃいけない。
大きな電気屋があって、オタク屋もあって、服やもあって、あれこれちゅうと…難しいかもね。
つか、秋葉でいいじゃん。
隣のお茶の水に足のばせば飯屋、楽器屋あるし、有楽町のほうに足を伸ばせばおしゃれタウンだぞ?
あれか。逆か。
地下街が無いのはどうしてなんだろうね。
こっち育ちなんだけど福岡とかにいってびっくりした。なんだこのアンダーグラウンドワールドは!と思ったよ。
東京が地下街がばらばらなのは地盤が弱いからかな?
23区の殆どは江戸時代に埋立たところだし。掘ると水がでてきちゃうとか?
か、既にそこに住んでたり、権利をもっている人がいて低深度の工事ができなかったとかかもしれん。
児童ポルノ法施行以前に販売されていた、児童ポルノが掲載されていたエロ本はもう古本屋でも手に入らない。
今後、単純所持も禁止となると、後世に日本の性風俗史(少なくともその一部)を復元する際、もう史料は関係者の記憶くらいしかないんだなあ。いくらオーラル・ヒストリーが注目され始めているとはいえ、何か残念な気がする。しかし、児童ポルノの存在そのものが児童虐待であるという理屈には反対できない(二次元作品はまた別の話だが)。
さて私増田、実は1999年10月末ごろに大阪・日本橋(大阪の電気街)に用事で行ったことがある。当時は児童ポルノ法施行前夜で、ビデオショップは一斉に最後の勝負に出ていた。増田も好奇心から立ち寄ってみたが、「児童ポルノってこんなにあったのか!?」という感じだった。
当時も当然、無修正のものは違法だったので局部修正はしてあったのだろうが、ビデ倫などの審査は通してなかっただろうと思う。
内容は(購入していないのでパッケージから想像するに)、日本人や東南アジアの少女が裸で戯れるイメージビデオのような比較的ソフトなものから、ローティーンのSMもの、裏ビデオにモザイクを施して合法(?)ビデオにしたものまで色々あった。当時は大手メーカーでアダルトDVDがちょぼちょぼ出始めたころで、こういった児童ポルノは全部VHSだった。ちなみにDVDプレイヤーは普及モデルで3万くらいした。
児ポ法以前とはいえ、撮影者は児童福祉法違反には問われなかったんだろうか。販売も合法だったはずだが、さすがに普通のレンタルショップにはなかった。「ビデオ安売り王」(当時はどこでも見かけた)のようなセルショップでもたぶん置いてなかったんじゃないかな?しかし、あるところにはあったんだろう。
もっとも、これより少し前にはブルセラビデオが隆盛だった。こちらは99年ごろにはすでに社会問題になっていて、制作・販売していたブルセラショップが古物法違反(これも苦肉の策。その後各地の青少年条例にブルセラ禁止の内容が盛り込まれた)を適用されて、撤退・転戦を余儀なくされていたはず。
ブルセラビデオが出回ったころ、増田は地方の中学・高校生だったので入手できなかったが、内容が紹介されていたエロ本から情報を総合すると、男性とのからみはなく、女子高生が制服、体操服姿から下着姿、ヌードになり、特殊なところではオナニーや放尿する模様を撮影するものだったらしい。
このように、児童ポルノ法以前も、もろマニア向け児童ポルノを購入するのはけっこうハードルが高かったように思われる。ただ、前述したように一般に流通するエロ本のなかに児童ポルノ的コンテンツが普通に掲載されていることはあった。
(この項つづく)
今日さ、難波行ってきたんだ。Gパンの股が裂けて下が残り2着になってさ、よしどうせだったらオサレタウンに行くか、と。
でもまあ、買えないんだわ。いつも通り。オサレ空間にいるだけで変な汗ダラダラ出てくるし、やたら早足になる。服見なきゃいけないのにな。
大体お前、8900円って言うけどそれ税込めたら万札渡して紙幣が返ってこないじゃないか。ふざけんな、と。汗ダラダラでね。
オサレタウンに居るだけで言うほど汗ダラダラなのかよって思うかもしれないけど、まあ実際そうだったから、ビルの外に出て、故郷に向かうことにした。
我が心の故郷、日本橋にね。涼みがてらにね。正直その時点で相当体力も消耗してたし、欲しいもんも無かったから、ふらついてただけだけど。
でも、やっぱいいわ。日本橋。歩くだけで落ち着く。汗もひく。ゆっくり自然な歩調になる。アウェイからホームへ。
メロンとか虎とか大分増えてたな。多分メイド喫茶だろうって感じの内装工事をしてる店舗もあった。変わりつつあるけど、まあホーム。
そんなとき、オサレタウンの気の早すぎるクリスマスネオンに心痛めてた俺が、電気街のうるさすぎるネオンに心癒されてたときに、弾き語りを見かけた。
何か、イラっとしたのね。そんとき。何であなたオタロードでそんなことやってんのって。完全にいちゃもんだけど。んでさらにそんとき、気づいた。
ていうか何となくわかった気がした。アメ村とか梅田とかの、ふっつーの道ばたで座ってるギャルやら何やらの気持ちが。
奴らにとっちゃあそこがホームなんだな。いやまあ、知ってたけど、頭ではなく心で理解できたっつうか。あそこは奴らのナワバリだからしんどいんだな、と。
街にナワバリみたいなものを過剰に見てしまう俺みたいなタイプは、同じように自分のホームに対してもナワバリ意識が強い。それが弾き語りに向かったわけだ。
ひととおり巡って、満足したので帰ることにした。結局服は買えてない。しばらく下2着で凌ぐことにした。ボトムスとか死んでも言うかハゲ。
私は36歳の女です。
自転車が私めがけて突っ込んできて、何度も死にそうになりました。
実際に自転車に巻き込まれて、20針縫う大ケガをしたこともあります。
それから、変な人が私に近づいてきます。
とてもショックを受けました。
もしかして、私がいやらしいフェロモンを発散させているのでは?と心配になりました。
だけど、どう考えてみても、私は普通の格好でマジメに歩いています。
「えーニオイやなー、チチ触らしてくれーや」と近寄ってきました。
「はぁはぁ、萌えーーー」と叫びながら近寄ってきました。
私は一目散に逃げました。もう外を歩く男性が怖くて仕方有りません。
私は足の裏がとても敏感です。
右足がマンホールを踏んだら、次のマンホールは左足で踏まなければ気が済みません。
白線や影も同様です。
足裏の中央部分で影を踏んだら、反対の足でも中央部分にぴったり影を当てないと、道を戻ってやりなおすのですが、やりなおしても達成感は薄いのです。
そして、最近は死を怖がっています。
・クモ膜下出血になりそうな予感
・交通事故に巻き込まれそうな予感
・風呂釜や電化製品が爆発して大怪我を負いそうな予感
などがして、それらが倒れたり爆発したりした場合に、破片が届きそうな位置に近づくことが出来ません。
また、何よりも怖いのが「目に入る大きさの棒状のもの」です。
軸足を中心にして私がフラリと倒れたときに目に入る棒が、目に届かない位置にしか立てられません。
ガードレールも目をズシューっと裂きそうで近寄れません。
水道の蛇口からも毒が出てくるのでは、という恐怖感もあります。
あと、毒見係というわけではありませんが、サリンのときに活躍したセキセイインコも飼ったほうがいいかな、と思っています。
でも鳥は好きなので普通にペットとして飼うことになると思います。
小鳥を飼ったほうが良いでしょうか。
先生の回答
一日も早く精神科を受診し、このメールの内容を先生にお伝えしてください。
そうすればあなたは今の苦しみから救われると思います。
それはなぜか。その説明は後日、半年か一年後にいたします。
もし、お急ぎのようでしたら、小鳥を飼うことは勧めません。
小鳥を飼いたいのであれば、dankogaiこと小飼弾先生に相談することをお勧めします。
あるいは、増田ことはてな匿名ダイアリーの増田さんに良いアドバイスをもらうのも良いかもしれません。
きっとあなたは救われると思いますよ、増田のみなさんはとても親切ですから。
童貞のまま30歳を超えた男は魔法が使えるという都市伝説があるが、俺は童貞暦27年にして、ジーンズの上からパンツの輪郭を読み取る事ができるようになった。俺はこれを童貞眼力と名づけた。
その日は三連休の中日の昼間、電気街をうろついていた俺は、前を歩くジーンズの女子のお尻をなんとなく見ていた。柔らかそうなお尻。それを揉みしだく事ができたらどんなに幸せだろう。そんなことを思っていたら、見えたのだ。いや既に見えていた。分厚いジーンズの上から、彼女のパンツのラインが、くっきりと。俺は興奮した。それから俺は15分以上も彼女の後を追っていた。完全な不審者だ。それ以上は危険と考え、俺は興奮冷めやらぬまま、彼女の後を追うのを止めた。
冷静になってから、俺はついに来るところまで来たなと暗い気持ちになった。俺は既に魔法の片鱗を身につけつつあるのだ。ここに怪しい統計がある。20までにセックスを経験した男子と、40までセックスを未経験の男子の脳を比較した場合、想像力を司る部位において、童貞男子がずば抜けて発達しているという。俺の女性に対する想像力は、やがてあるはずのないものを視る力へと変わったのか。俺は笑った。そして少し泣こうとした。泣けなかった。
次の日俺は、再び街にいた。大勢の人の行き交う駅のホームで、俺は誰かを待っていた。そして発見する。いた。俺は少しドキドキしながら後をつける。分厚いジーンズに小さな、でも肉の張った尻。申し分ない。少しだけ後ろを歩いて、直ぐにわかった。やはり、俺はパンツを見ることができる。透視ではない。パンツの筋が見えるだけだ。だがそれは直にパンツを見るよりも興奮するように思えた。俺はそのまま歩き続けた。その尻がとても魅力的だったからだ。
事件はそこで起こった。俺の前を歩く彼女が突然立ち止まり悲鳴をあげた。俺は悲鳴に驚いて思わず逃げようとしたが、彼女が悲鳴をあげたのは俺のせいではなかった。スーツの男が、おそらく突然に彼女に抱きついたせいだったのだ。男はサラリーマンだろうか、ベージュのトレンチコートを羽織り、分厚いメガネをかけている。だがゆっくりと観察することはできなかった。俺は突然の出来事に彼女以上にパニックを起こしていたからだ。だが良かったのは、俺が驚いて足を前に出したことだった。体は前につんのめり、その勢いのまま、俺は頭が追いつく前に走り出し、男に体当たりしていた。そのまま男に馬乗りになる。俺は無我夢中で男を殴ろうとして、男が必死に顔をかばい「ごめんなさいごめんなさい」と呟いているのを視て、冷静になった。男は少し太っていたが、俺より背は低く、弱そうに見えた。
俺は男に乗ったまま言った。
「なんで、こんなことしたんだ」
男もパニックを起こしているようで、なかなか答えなかったが、やがて怯えた目で言った。
「そ、その人が、裸に見えて、わ、私は」
俺は振り返り、女性を見た。ショックのせいか、ペタンとアスファルトに座り込み、こちらをぼんやりと見ている。もちろん服は着ている。
「何言ってんだ、あんた」
「み、見えたんだ。確かに」
男は、座り込んだ女性を見て、目を大きくし、口を情けなく開けた。
「あんたはおかしい」
「お、おおおおおお」
そして突然に男は泣いた。男は思ったより年をとっていた。髪には白いものが混じり、顔の皺は50を超えているように見える。その人生の先達が、顔をくしゃくしゃに歪めてみっともなく泣いている。
「み、見えたんだ。はっきりと。そ、そうか、あれは、私の『裸眼』か。はは……ついに、私の意思を超えて」
俺は男の肩を地面に押さえつける。だが、男は抵抗を止めていた。
何故だか、俺は既に男の言うことを理解していた。彼は童貞だ。そして、彼の魔法は、彼女の裸を見ていたのだ。
「どんな、だった」
「え」
勝手に言葉が出た。男はきょとんとした顔だったが、直ぐに頬を緩め、空を見ながら呟いた。
「う、美しかった。小ぶりだが形よく、ピンクの乳首は上を向いていて、乳輪は大きすぎず小さすぎず。だから、私は」
「もういい」
「あ……」
「逃げてください」
「え」
そして、俺は携帯電話を取り出し、後ろの女性に向かって大きな声で叫んだ。
「今から警察を呼びます」
それが合図になった。後ろのポケットの携帯電話を取り出すために、男を押さえつけていた俺の腰は浮いている。男は身をよじり、俺を押しのけて立ち上がり、走って逃げた。
「待て!」
俺は形式上追いかけようとして、直ぐに座り込んだ女性を思い出したような振りをして、女性のところに戻った。
彼女より、男の行方が気になった。
それから男がどうなったかはしらない。未来の俺だったかもしれない男は、消えた。そして、俺の童貞眼力も消えた。電車男と同じような経過を経て、俺は、男が抱きつき、俺が尻を追っていた女性と付き合い、その結果としてセックスを経験したのだった。
今でもときどき男の事を思い出す。だが。あのとき俺はあの男の言ったことをすんなりと信じたが、それが本当だったかはわからなくなっている。何故なら俺の上で腰を振る彼女の乳首は黒く、乳輪はゴルフボールほどある。
http://anond.hatelabo.jp/20070503205628
それは昔から繰り返されてきたこと。
アニメ=商品と見てる作り手が商品を作って、買い手がそれを買う。
作品を求める者には辛いが、世の中金を中心に回ってるんだから仕方ない。
いいじゃないか消費すれば。
といっても破壊されたのは自分にとっての秋葉原(=オタク文化、アニメ)であって、人にとってのそれじゃない。
純粋に秋葉原を電気街と捉えてた人たちには、昭和通りの向こう側のビル二階にアニメイトが出来た時点で秋葉原文化の破壊が始まったのだろう。自分にとってのそれは最近良く見られる一般人やDQNの押し寄せるようになった秋葉原というだけの話で。
アニメも同様。
エヴァオタがハルヒを軽蔑したり、ハルヒオタが懐古厨うぜええええと言うのは自分たちの属してるものを固定化して見てるからに過ぎない訳で。
所詮は視線の固定化であって、ここが絶頂だの、最悪だのなんてことは述べれない。
もう少し先に新たな絶頂があるかもしれんし、最悪を通り越した状況なんてのもあるかも知れない。
アニメ=金をむしる手段として考えたらまだまだいける筈。
まぁ自分にとっては嫌な方向に進んでいるけど、それで売れるというか儲かるならよろしいんじゃないすか?クリエイターさん。
僕買いませんけど。
- 元々は材木商である「佐久間屋」に由来して「佐久間町」と言う地名であった。材木商は大火のたびに莫大な利益を上げており、火除けの町秋葉原らしい縁起である。現在でも秋葉原駅東側に「神田佐久間町」、「神田佐久間河岸」という地名が残っている。
- 後にこの地に勧請される「鎮火社」を人々が秋葉社と呼んだことから秋葉原(あきばはら、あきばっぱら)と呼ばれるようになる(上記参照)。
- 1888年 - 秋葉社が松が谷に移転。
- 1890年 - 日本鉄道の鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長。当初は旅客の扱いは無く、秋葉原貨物取扱所として駅の南を東西に流れる神田川から駅東側に割り堀を引いて水上貨物輸送への窓口となっていた。駅名をつけたとき「あきはばら」と誤植されるが訂正されずに今に至る。
- 明治中期から大正時代にかけ、秋葉原周辺は鉄道・都電など交通の便が良く、そのため、特に卸売業が発達し、秋葉原駅近辺に青果市場も開かれた。
- 1925年 - 秋葉原駅~東京駅間の開業により東北本線が東京駅まで開通。
- 1932年 - 御茶ノ水駅~両国駅間が開業し、秋葉原は乗換駅になった。
- 1935年 - 神田青果市場が設置される。
- 1936年 - 鉄道博物館(のちの交通博物館)が東京駅から中央本線万世橋駅(のちに廃止)の駅構内に移転する。
- 戦前から戦後にかけて - 地下鉄(銀座線)・都電・国電と付近で多くの鉄道・軌道路線が立体交差をしていたことから、鉄道・交通に関する子供向け絵本に、未来都市の象徴として秋葉原が描かれることがあった。
- 1945年の第二次世界大戦後 - 神田地区の闇市で当初電機学校(現在の東京電機大学)の学生のために販売していた真空管やラジオ部品など電子部品の店舗が総武本線ガード下に集まって、今日の電気街の基になった。
- 1960年代 - 高度成長と連動する形で、テレビや洗濯機、冷蔵庫など家電製品の販売店が多くなり、大阪日本橋のでんでんタウンと並んで日本有数の電気街の地位を築く。
- 1980年代 - ファミコンの普及に伴って、各種コンピューターゲームソフトを扱う店が増え始め、ゲーム関連の専門店も登場する。
- 1989年 - 神田青果市場が大田区(大田市場)へ移転。跡地は駅前広場・駐車場を経て現在の秋葉原UDXビル・秋葉原クロスフィールドとなる。
- 1990年代 - 家電製品の郊外型量販チェーンストアの台頭で、家電売り上げが減少。その種の電化製品販売を縮小してパソコン及び関連商品を扱う店が増える。
- 1994年頃 - パソコンパーツ(いわゆる「自作PC」の部品)を扱う店舗が増え始める。
- 1990年代後半 - コンピューターゲームの中で、美少女やアニメを扱ったものに人気が特化していき、秋葉系・オタクといわれる存在が注目されはじめる。
- 1997年7月 - 秋葉原駅前広場を会場にコンピュータ関連展示会「インターネットショーin秋葉原」が開催される。以後2001年まで毎年開催され、1999年からは「AKIBAX」の愛称がつけられるなど、秋葉原の夏の一大イベントとなる。
- 2000年頃 - メーカー製コンピュータの販売が縮小し、代わってアニメ・同人誌系などの店舗、いわゆる「オタクショップ」が増える。
- 2002年頃 - 秋葉原駅電気街口周辺にアダルト関連グッズ(AV・おとなのおもちゃなど)を販売する、いわゆるアダルトショップが進出。
- 2002年6月 - 安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例(通称千代田区環境保護条例)が制定。秋葉原のほぼ全域が路上禁煙地区に指定された。
- 2005年8月24日 - つくばエクスプレス秋葉原駅が開業。同時に、同駅東側に車寄せや駅前広場も整備された。
- 2005年9月16日 - 秋葉原駅構内の、旧貨物駅跡地にヨドバシカメラマルチメディアAkiba・タワーレコード秋葉原店が開店。
- 2006年3月9日 - 神田市場の跡地に秋葉原UDXビルが開業。秋葉原クロスフィールドがグランドオープン。
- 2006年5月14日 - 交通博物館が閉館。博物館は2007年、さいたま市に鉄道博物館と改称して移転予定。跡地の今後は未定。
- 2006年6月2日 - 仮称TX秋葉原駅開発ビルが着工。阪急電鉄がつくばエクスプレスから同社の駅周辺の用地を借り受けて建設・運営するターミナルビルである。2008年4月に開業予定。阪急系列のホテルremmがテナントとして入店予定。
- 2006年10月16日 - 都内で初めての区営有料トイレがJR秋葉原駅にオープンした。
- 2006年12月22日 - 2002年以降休止していたAKIBAXが「AKIBAX2006」として復活開催。
- 2006年12月31日 - JR駅ビルにあったアキハバラデパートが閉店。
はじめに
秋葉原は現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術の聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェア・コンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェア&ハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。
この記事は、秋葉原の歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。
電気屋街としての秋葉原の歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前の秋葉原にも山際電気(現在のヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後、焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生がラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。
この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野や新橋、渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原の国鉄や都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。
その後、GHQにより道路の拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本の高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車で郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原は電脳街となるのである。
秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメやゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタクの聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。
秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌、アニメグッズ、ガレージキット(フィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原に移転するまで吉祥寺、渋谷、新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂の宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャー・ショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメやマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。
批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメの物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生のミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。
東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語(アニメにおけるキャラクターやロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語は存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンのデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」
この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁・血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティ=コミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクターを好み、そうしたキャラクターが登場するアニメやゲーム、ガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在の秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術の進化が趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。
オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクはオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家の篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独な連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。
しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。
秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCやインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタクと情報家電の親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブやパソ通などで、一部のオタクはBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチな趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。
「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。
秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバblog(http://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットのジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在の秋葉原はオタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメのコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。
高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在の秋葉原は評価されるべきだろう。
参考文献
「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹
http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思
http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1
http://sotokanda.net/his_cafe.html
註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。
コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博
カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介
動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀