同じ実験を何回もやって一番都合のいい結果以外を「失敗」として処分すればいい。
たとえば「ガチャの排出率を確認する実験」と称して、「10連を100回回してみて、その結果と公称されている排出率を比較します」という実験をやるとしよう。
このとき、10連を100回回すという行為自体を100回繰り返すのである。
気の遠くなる作業なので、適当にマクロを組んでスクショを取らせつつ自動化させよう。
同じアカウントでやるとバレる可能性があるので、アカウントを100個作ってそれぞれで100回やる。
あとは最も都合がいい結果が出たアカウントでの結果を排出率と比較して、「1000回回したら大体同じになりました!途中でちょっと偏りが出ている部分もありましたが最終的には収束してますね!」と公表すれば仕事終了だ。
ちょっと時間と手間はかかるが、広告費の一つだと思えばこんなに安いものもないぐらいだろう。
もしその結果手に対してユーザーが都合の悪い結果を出してきたら「おっと、運の悪い人がいましたね。まあ最後には収束しますよ」なんて言えばいいわけである。
理系ではこういう「恣意的な実験結果が作れてしまう」ということを教育するために、わざと実験器具に罠を仕込んで実験をすることがある。
やってもやっても実験ノートに書いてあるような結果が出ないという実験だ。
それに対してアレやコレやと考察させて、実験の精度を上げるのに必要なものを考えさせるのである。
再提出も含めた提出期限が完全に過ぎたタイミング、もしくは間抜けが見つかった所でネタバラシだ。
実験結果をメイキングすることの愚かさ、技術者倫理について有り難いお説教をすると共に、今回の実験器具は何が駄目だったのかを説明する。
これは別に道徳の授業として机上の空論を並べているとかではなく、世の中には10年も20年も整合をしていないメーターが平気で転がっており、それをそのまま信じていたら仕事にならんような現場が腐る程あるのだ。
そういった現場において、「機材を疑ってみる」という着意を養う、そもそも論として「定期的に機材の精度を確認する」という意識をもたせる意味もあるわけだ。
さてさて、世の中には企業がやった「ほんま、オタクの会社さんに都合が良すぎるような結果ドスなあ」と言いたくなる実験結果が腐る程ある。
そもそもの前提自体に恣意的な意図があるものは可愛い方で、パっと見だと会社側に不利な実験を試行回数の力で無理やり突破させようとすることはままある。
最初から鉛筆を舐めさせに来るような会社だっていくらでもある。
とりあえずマスゴミは殺そう