最近、「社会に反抗する歌」「社会に反抗する歌手」をよく見るようになった。
この言葉に対し、最近じゃなく、昔からあるという言葉はもっともだ。ヒップホップ、ロックと言った諸々の根本原理は社会への反抗だ。
こういう「社会への反抗の歌」を、中高年のライターが賞賛する。社会のみんなが口ずさむ。社会から受け入れられてるのだ。
そんな姿を見て、若者(に一応定義される)の自分は思うわけだ。いや、違うだろと。飲み会のくだらない「しきたり」を黙認して放置したのはお前らだろと。そして新しい「しきたり」を生み出して押し付けてるのはお前らだろと。
お前が言ってる「社会」を作り上げてきたのはお前ら自身だろと。同時に「価値観のアップデート」とかいいつつ、自分たちに都合の良い価値観をこねくり回して押し売りしているお前らが「社会のトップ」なんだろうと。
端的に言えば、権力者が権力者を批判して被害者ぶってるようにしか見えない。お前らはもう若者じゃないんだ、もう被害者にはなれない、加害者なんだよ、と。
考えてみれば当たり前だ。売れている反体制なんて存在しない、売れてしまえばそれは体制になるんだから。社会の反抗っていうのはもっとこう、泥水を啜ってそこからひねる出されるうめき声みたいなものなんじゃないか?
子供の修学旅行は中止、遊びも禁止、運動会も飲み会も禁止、若者の生活を代償に日本の「多数派」の命を守ってる奴が、我先にワクチン打ってる奴らが社会に反抗できるわけないじゃん。
老人の命より若者の未来の方が大切だろ、なんでそんな根本も分らないんだよ。
自分は思うわけだ。ADHD、発達障害、LGBT等々、弱者カードで対戦ゲームしてる現代、みんな責任取りたくないんだろ?ヒップもホップもロックも体制になり、社会への反抗は自分は悪くない事を示すツールに成り下がった。
所詮この世は多数派の為に出来た、多数派の為のお祭りなんだよ。
俺はこんな世界に住みたくない。だからコロナ禍が終わった後、「俺は微塵も協力しませんでした、老人を殺すつもりで外で遊んでました」って自信もって言えるように生きようと思うよ。
自分の都合の良い価値観へ移ることをアップデートとか反抗とか言ってるんじゃねえよ。今の時代に大切なのは加害者になる事とその結果を背負う事だよ
なるほど、ワシら中年には、それが「演歌」なんやねー。勉強になったやで。
ちゃうで だいたいの中年は、自分が被害者のつもりなのはもう卒業しているで 中年は、「かつて被害者であったし若者の理解者であるけど、愚かさに苦笑いする立場」に入学するねん
それか被害者である自分を客観視しつつ演じる、もありだな