マジで意味がわからない言葉なんだけどなんでこんな言葉が流行っているのか考えた。
自分が気に入らない展開を「公式が解釈違い」というぱっと見それらしい言葉で修飾し、公式を罵りながら自分の望む展開を要望する事を正当化する現象は、ソシャゲや、断続的にメディア展開を行うジャンルに多い印象だ。この言葉の認知度を爆発的に上げたヒプマイは後者にあたる。明確かつ唯一の原作者が存在する作品に使われることはあまりないと認識している。
※ヒプマイ以前/以降はあまり問題ではない。ヒプマイ後に大流行した鬼滅ではあまり見られなかった一方、あんスタなどではヒプマイ以前からしばしば主張されていたのたから。
つまり、オタクと製作側の距離が近く、製作者はオタクの反応を見ながらストーリーを展開していける、そんなジャンルに多い。
ではなぜそうしたジャンルで「公式と解釈違い」が起こるのかというと、製作側が見下されているから。
原作者という絶対的な存在がいる作品では、展開を受け入れられないのは受け入れられない自分のせいなのだ。オタクはあくまで原作者の創り出す作品を謹んで楽しませて頂いている側であり、自分は物申す立場にはない。合わないと感じたら、自分が去るべきなのだ。
一方、ソシャやその他オタク向けの断続的展開ジャンルにおいては、オタクはお客様で神様であり、製作側は神様である自分が満足する作品を提供しなくてはいけない。自分は神様であるから、公式展開を叩くのにも正当性がある。だから、ジャンルにどっかりと居座り続けながら、供給されるものを品定めし、少しでも気に入らないものは公式の責任として叩くことができるのだ。
「昔のストはよかったのにどんどん悪くなっていく」
公式と解釈違いをおこしているオタク達は口を揃えてこう言う。しかし、昔のストが良かったのではなく、昔のストに合わせて自分が作り上げた自己解釈と今のストが合わないのだ、と言いたい。
オタクはあるキャラにハマると、すぐにキャラ解釈を確立させたがる。ジャンル初期で解釈のための材料が少ない時期に、何をもとに解釈を練り上げるのか。初期ストだ。足りない部分は、初期スト内のほんの些細な要素を1000倍くらいに拡大解釈し、自分なりのキャラ解釈を作り上げ、それを信奉する。
つまり、昔のストが良く感じるのは、自分の中のキャラ解釈の基となっている展開なのだから、当たり前なのだ。現在の公式展開は、大局的に見れば昔のストと矛盾を起こさないものかもしれないのに、オタクの解釈判定材料が昔のストではなく自分の中のキャラ解釈なもんだから、ちょっとの事ですぐ解釈違いを起こす。
そして前述の通り、オタクは自分が客で神様なもんだから、「公式が自分と解釈違いで自分が不快な思いをしているのはどう考えても公式が100%悪い!」という思考に陥るのだ。
私はわりと公式が絶対思考で、どうしても今の展開が合わないと思ったら自分から去るタイプなので、傲慢に公式を見下し叩き続けるオタクがなぜこうも多いのか不思議だった。
別に公式に不満を言ったり愚痴ったりは全然良いんだけど、自分は善!公式が悪!という態度を恥ずかしげもなく平然と取れるのは結構すごいよね
解釈というもっともらしい言葉が蔓延したせいだとおもとる
気に食わないものが気に食わないっつー気持ちは本当によくわかるんだけど 何かを叩く時いちいち「私はこんなに傷ついた! 涙と震えと動機と息切れが止まりません!!」みたいな被害...
傷ついたときはなんて言うのが適切なの?
おちん○んだいしゅきー