ストローマン論法と呼ばれるそれを宇多田ヒカルが「マスコミとかで叩かれるときの実態のないアレに名前ないの?」と聞いていた。
私も同様の類で、「またマスコミやら議員やらがもっともらしく物を抜かしとるわ、こんなこと言うから人気が出ないんだよなぁ」と思いながら見ていた。
それでも騙されて更に怒る人は現れるというのになぁという気持ちを抱きながら、それに名前がついてることすら知らずに生きていた。
誰かが何気無しに出した話題の自分の言い返せる部分だけ自分勝手な解釈をして切り出して返答をしてくるそれだ。
道路でボール投げするのは危ないという話なのに、子供に外で遊ぶなというのかとか言い出してくるそれだ。
勿論そんなことを言って暴れる人は哀れなので普通の人は触らない。本人も困惑はすれど触れることはない。
マスコミは多数を扇動し、アフィブログ、インフルエンサーたちは流行りを追い、その情報のセンセーショナルな部分に感銘を受け多数に発信する。
それが誤情報であっても、真実ではあるがたった一つの現象を見て騒いでることに過ぎなくても。
アイドルが世界を救っても、アイドルの股からたらりと雫が流れただけで世界は大騒ぎする。
過ちに気付いて冷静に返答してくれる方も居るには居るが、その多くは専門家やその道の人、事件の関係者もしくは当事者本人であり、その指摘が為されるまでに時間がかかったりもする。
その間、我々は誰かが作り出した当事者という名前の藁人形に火を投げ込まされる。まぁ、投げ込む人は誤解込み恨み込み込みで投げ込んでいるんだろうけれど。
それでも藁人形は燃える、それがウィッカーマンだと知られないまま燃やされる。知っていても燃やす。仄暗い顔をして燃やす。
誰もそれを藁人形だと思っていない。世界を救ったアイドルの燃やせる部分を勢いよく燃やすのだ。
感覚的に気付いてる人は多いだろうし、論理学の人は「何を今更」と笑うだろう。まさか「え?!あのことを指して言えるの?!対象がデカすぎないか!」なんて言う人は少ないだろう。
けれど、私はそれに名前が付いていたことも、論理学関連であったことも、詭弁を弄されていたことも理解していなかった。
あそこまででかくなってしまったものを対話が主な論法という単語に委ねてしまっていいのかもわからない。対話にならない衆愚に呼びかけて騙された集団によって成り立つものだから、最早現象と呼んでも良いのではないか。
だから、そうならないように個々で理解して警戒して、それこそストローマン論法と揶揄して主語をでかくしすぎないようにしなければならない。
匿名掲示板ですら人気が微妙な時代、論理が破綻してしまった姿を名前付きで晒してしまうだろうが、そんな時は間違いがあれば謝ること、その周知に努めること。