24年間生きてきたが、俺は女というものを知らない。
先日、行きつけのインドカレー屋で夕飯を食べていると近くの席から学生風カップルの会話が聞こえてきた。
「俺が小さい時、奇跡が2回起こったんだよね〜」
「え〜?なにそれ?教えて教えて!」
「1回目は3歳くらいの頃、お父さんとお母さんと一緒にフランス料理に行ったんだよ。
そしたら俺、お父さんとお母さんがお会計してる時にいなくなっちゃって。
店の中を一生懸命探したんだけどいなかったらしくって、外まで探すことにしたんだって。
そしたらお店を出たところの信号をハイハイで渡ってたんだって!」
「え〜?なにそれすごーい!」
「俺、まだ生きてるの本当に奇跡なんだよね」
たまたま耳に入ってきた”奇跡”の話を聞いて、俺はため息で心臓が飛び出てしまいそうになった。
それくらい危ないことなら、誰でも大抵経験しているのではないだろうか。
と自慢のバブちゃん武勇伝を披露しようとするやいなや、「羨ましいな」という素直な気持ちに襲われ、そっとメガホンを置いた。
こんなつまらない話を聞かされているにも関わらず、前のめりに相槌を打つ彼女。
そういう存在を、僕はずっと欲していたんだ。
修士論文を書き終える頃から身なりを整えるようになり、アプリを使って出会ったりするようになった。
一ヶ月で5人に会って2人お持ち帰りした。
そうやって俺は素人童貞を捨てた。
徹底的に女の子を気持ちよくしてあげたいと思っていたし、(きっと男の傲慢ではなく)そうできていた。
会う前に"SHIMIKEN's BEST SEX 最高のセックス集中講義"を買って、猛烈に予習をしていたほどだ。
それは、女はセックスをすると愛情が湧くらしいとネットで読んだからだ。
俺は、愛が欲しかったんだ。
今は2人とも連絡がつかない。
心にカサブタができて、なんだか傷つくことができなくなってきた。
息苦しくて、大人になるってこういうことなのか?と思っている。
愛が大事だという。
俺もその通りだと思う。
じゃあ、俺にも女の子と愛をさせてくれと思う。
学部時代に恋愛ができなかった男は、大学院に進んでもきっとそうだ。
特に環境が変わるわけでもないし、親のすねをかじる身分も変わらない。
研究室という狭いコミュニティにあと2年いるよりは、学部卒で社会に出た方が恋愛に恵まれそうだと思う。
そんなことも考えず大学院に進んでしまった俺だが、やっぱり愛が欲しい。
街コンに行ったり、いろんな出会い系を試したりしたけれど、どちらも肩書きが大事な世界だ。
苦しい中でも、俺は色々と試行錯誤している。
愛が欲しくて、出会い系の通知を気にする俺は何かが間違っていると思う。
こんなことまでしないと出会えないのか。
セックスしても繋がっていられないのか。
これが、本稿で伝えたいことだ。
この問題の解決策を考えてくれてもいいし、共感していることを示してくれるだけでもいい。
ただ、「自分の修めた学問に自信を持てば?それが持てなければお前が悪い」というありがたいお言葉だけは願い下げだ。
読んでくれてありがとう。
大学院生という肩書が女ウケ悪いというのには同意しない インテリ好きという女性は少なくない だが出会い系との相性は良くなさそうだ 街コン出会い系などの不特定多数ではなく 合コ...