嫌なことがあった次の日は、どんなに大切な用事−大学やバイト、離れて暮らしている母との約束−であっても、夕方まで起きれない。
今日は早朝に目が覚めた。
目が覚めるとお腹と頭が痛くて(痛かったから起きた?)気が遠くなったけど、気絶はできなかった。
天井を眺めていると涙が止まらないので、こっそり起きて、着る服を着て、今日必要なものをカバンに入れた。
いつもは30分近くかかる準備が5分で終わり、5:40には最寄駅の改札前のベンチに座っていた。
こんな時間でも自分よりずっと若い人が電車に乗って行く。自分より何も出来なさそうな中年も改札を通り抜ける。
電車に乗るのも嫌になり、早朝から開いている店でオレンジジュースを飲んだ。
嫌なこと。
好きな人が嫌。平気で嘘をつく。私のことなんて理解しようとも、理解してもいないのに、わかったような言葉をかけてくる。わかって欲しいけれど、違う人間なので無理なんだ、と思っている。
わからなくていいから、付き添って欲しい。わからないなりに付き合い方を考えてくれれば良い。
嫌なこと。
断るのが嫌だ。
常に人の反応、挙動に怯えている。やめたい。
断ったらどうなるか怖くて、断れない。
請け負うか、あるいは、先延ばしにする。
請け負うときは大抵が無理をすることになって生活がめちゃくちゃになる。
できないことをはっきりとできないと言えない無能なんだ。私は。
先延ばしにすると、結局待たせたことによる負荷で、対応が煩雑になり、処理する気が無くなり、処理できず、できない自分を無意識に攻めている。
嫌なこと。
かつて仲の良かった人のことを思い出す。
色々なことをした。楽しかった。大げさに言えば、そういう楽しいことがあるなら死ぬ理由はなくって、生きていたいと思った。
気難しいので、相手の些細な特性を見過ごせない。嫌なことを嫌だと言えず、私が我慢する以外はないのだな、と思う。それが態度に出て、みんな勝手にどこかへ消えてしまう。残るのは、楽しかった思い出だけだ。呪いになる。日々の生活の中でふと頭をよぎり、気を落とさせる。
こんなことを繰り返してきた。
繰り返している。
思い出がいっそなければ良かった、とは思わない。あって良かった。失ってしまったけれど、大切な宝物だ。
人間関係が下手なのを認めたくない。目を見て挨拶もできる。会話もできる。嫌いな相手にも人並みな対応ができる。
好きでやっていることが嫌だ。
好きな人が面白そうに話すことがわかるようになりたくて、大学の専攻も似たような分野にした。
関心もある。面白い分野だし、将来性もあると思っている。
でも、それでも、大学院に行ってまで取り組みたいほど好きなことなのかな?
熱心のつもりだが、自分の真剣さがこの程度じゃないことも知っているんだ。
そういえば、私はもともと、意味がない、幸せな話が好きで、物書きになりたかった。
物書きになれなくても、幸せな話を書く人の手伝いができたら楽しそうだと思っていた。
今からでも遅くないのかな?
好きだと思い込もうとして3年やってきたことを捨ててやり直せるの?
インターンとかバイトとか、私には合わない場所、環境があることもわかったんだ。
そして遊びや好きなことをするためにお金を稼いでいた頃はわからなかったけれど、一人で生きていくためにお金を稼ぐことになったなら、私は合わない環境でもやっていかなきゃならないらしい。
趣味がないのも嫌だ。