今や温水洗浄便座は我が国に広く普及し、それにすっかり慣れてしまった。
俺が子供の頃、ウォシュレットなんてものはほとんど普及していなかった。だから排便後は紙でサラッと拭いてそのままパンツを履いていた。
あの頃は大らかなもので、洗髪だって毎日はしなかったし、周りもそうだった。そういう時代だったのだ。
だが俺が思春期になった頃に「朝シャン」が流行し始め、とにかく清潔にしてニオイを断つことが中高生のあいだで広まった。
俺も朝シャンはしないまでも毎日頭を洗うようになったし、その頃からケツの清潔さも気にするようになった。
排便後、力一杯ケツを拭いても紙が純白のままになるまで、何度でもケツを拭くようになったのだ。
しかし、歳とともに、「紙が純白のまま」になるまでの回数は増えて行った。高校生の頃はまだよかったが、大学生になる頃には排便する時間よりも拭いている時間の方が長くなった。
やがて、何回も拭いているうちに出血するようになった。目標は「紙が純白のまま」から「紙に血は付いているが便はついていない」=「紙に赤色成分はあるが黄色もしくは茶色成分がなくなるまで」に変わった。
そんな頃普及しはじめたのが温水洗浄便座である。これはまさに科学の生んだ福音であった。
温水洗浄便座で肛門を洗浄した直後に紙で拭くと、一回目でありながら紙には何の穢れもなく、完全に浄化されていたのである。
俺はその後何年かの間は、偉大なる温水洗浄便座様の恩寵に感謝し、心の底から帰依しながら心安らかなる日々を送っていた。
肛門を洗浄したあと、なにかムズムズする感覚があるので、念のためにもう一度拭いてみた。するとどうだろう。紙に便が付いているのである。
温水洗浄便座は表面をキレイにしているだけで、ちょっと中の方は奇麗になっていなかったのだ。
排便後に温水洗浄便座で肛門を洗浄
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紙で拭くと便は付かず奇麗
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念のためもう一度拭いてみると紙に便が付いて汚い
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もう一度洗浄
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紙で拭くと便は付かず奇麗
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念のためもう一度拭いてみるがやはり奇麗
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三度目の正直でもう一度拭いてみる
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紙に便が付いて汚い
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もう一度洗浄
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以下無限ループ
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流す
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流した直後はウォシュレットの水圧が極端に下がるのでタンク内に水が溜まるまで待つ
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紙で拭くと便は付かず奇麗
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念のためもう一度拭いてみると紙に便が付いて汚い
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再び無限ループ
このループから抜け出すまでに、イヤホンで聴いていたブラームスの交響曲第3番(40分弱)が一曲まるごと終わってしまったことがある。
このループを早く抜け出す方法として、やがて私はウォシュレット浣腸を見出した。
最強水圧で直腸内に温水を噴射して浣腸し、そのあとやや弱めた水圧で通常に表面のみ洗浄してから紙で拭くと、3〜4回目まで紙に便が付かず、付いても血液のみ、という結果になる可能性が飛躍的に高まるのである。
最強水圧で噴射しても、私の中に水が入ってこなくなったのである。私の肛門が頑になって、外からの愛を受け入れなくなったのである。
こうなると救いの道は悟りしかない。愛への執着(しゅうじゃく)を捨て、犀の角のように只一人歩むのだ。
通常の方法で洗浄して一度拭いて奇麗だったら、それで良しとすべきなのだ。小欲知足。南無阿弥陀仏。
そんな時、新たなる福音が私の前に現れた。
http://togetter.com/li/1050158
日本で生まれた温水洗浄便座は、海外においてさらに進化を遂げていたのである。
日本の温水洗浄便座の最強水圧を遥かに上回る神のような水圧を持った浣腸機能が、海外製品では標準装備されていたのだ!
絶対的な境地を求め諦めることなく進み続ける。それこそが全知全能の唯一神を信じる一神教の精神であり、これこそが科学の進歩をもたらしたのではないだろうか?