外食について、メシを残したっていいだろと書いた増田を見かけて思い出したので書く。
一般論というより、ただの自分語りである。汚い話を含むので、ダメな人は読んではならない。
私は小学生の頃、授業は普通に受けつつもお昼になったら保健室で給食を食べる、保健室給食をしていた。
保健室で食べるのは給食だ。普通の給食を食べるのと何が違うかというと、そこには私の母がいて、一緒に給食を食べていた。
といっても、母が食べるのは自分で用意した弁当である。お昼の時間、私は教室を出て保健室に行くと、弁当を食べる母とともに給食を食べていた。
それは、配膳される(私にとっては)たくさんの給食を「残さず食べなさい」と言われるのが、限りなく苦痛だったからである。
小学校に入りたての頃は、私も普通に給食を食べる生活を送っていた。
給食係というものがあったように、給食を配膳するのは、小学生である自分たち自身だ。
だから、ご飯やおかずの量を減らしてもらうには、同級生にかけあわなければならない。私はこれがひどく苦手だった。友達は昔から多い方でなかったからお願いしづらかったのもあるし、嫌いなものをすぐ残そうとする奴、みたいに見られるのが嫌だったからというのもある。
このような理由から、配膳の段階で量を減らしてもらうことは、難しい問題だったのである。
そうして手元に配膳された普通量の給食は、私にとっては非常に多いノルマだった。
さらに、先生から発せられる「残さず綺麗に食べましょう」の声。「隣のクラスは、もうすぐ1年間通して残しゼロよ」
「ごちそうさまでした」の後に食べきれなかったものを残せば、それはもちろん「残しもの」になってしまう。だから、配膳されてしまった以上、私は先生の望むとおりにするには全部を平らげなければならなかった。
この「絶対に残しちゃいけない」という思い込みのきっかけは、幼稚園の頃まで遡るように思う。当時通っていた幼稚園では各日で給食が出る制度となっていて、それがまた当時の私には憂鬱だった。かなり多い給食を配って、先生は「食べ終わるまで遊びに行っちゃいけません」と言った。私はまた少ない胃袋の容量と、友達と遊びたい気持ちとの間で非常に苦しんだ。
小学校に入りたての頃の私は、先生の言う事を聞かなければならない一心で、泣きそうな思いをしながらも毎日残さず給食を食べていた。
しかし、食べきったその後にも問題はあった。片付けの最中、午後の授業中に突然食べた給食を戻す子供たちである。
よく吐く子が隣の席になってしまったときの絶望感。彼の吐瀉物で汚れる私の机と巾着袋。今でも忘れられない。
私はあんな風に汚いものを吐きたくないし、汚いものと見られたくもない、と強く思っていた。
以上のように、苦しみながらもかろうじて教室で給食を食べていた生活は、ある事件(少なくとも、私の中では)をきっかけに急変する。
いつものように胃袋ぎりぎりにまで食べた給食。その日は特にきつかった。嫌いなものがあったかといえばそうでもなかった気がする。ただ、毎日堪えられた給食後の吐き気を、その日だけは、抑えられなかった。
私は給食の片付け中、立って皿を戻している最中に、突然胃の中のものを吐き出してしまった。
その後のことはあまり覚えてない。親に何を言ったのかも覚えていない。ただ、気づいたら保健室で母と給食を食べるようになっていた。
母と食べるご飯は楽しかった。今日あったことを話して、多すぎる給食は少し母に手伝ってもらいながら食べていく。もう無理して食べる必要はなかった。
たまに、以上の出来事を振り返ることがある。
けれど未だに、何が悪かったのか?誰が悪いのか?結論が出せないでいる。先生の指導?私の心の弱さ?
多分私の受け止め方がよくなかったところもあるんだろうけれど、こうやって苦しんだ経験を考えると、
先生方には「たくさん食べられない子」という個性を理解して、食べることを強要するような空気を作って欲しくないと思ってしまう。
たとえ個人に「全部食べなさい」と言うのでなくても、「クラスみんなで残しゼロを目指しましょう」という言葉でさえも、敏感な子供には苦しいんじゃないのかなあ。