http://shibacow.hatenablog.com/entry/2015/05/24/202444
フェミニズムと弱者男性を語る場合、次の2つのことはよく出てくる。 ・強者女性と、女性一般の話の混乱 ・何故、弱者男性は、フェミニストにその境遇を語るのか? 議論を先取りしてしまうと、フェミニズムには、「自分が強者になった後」の理論が弱い。そして弱者男性がフェミニズムに向けて、何らかのケアを要求するのは、将に「それがかって彼女たちがやったから」だ。
まずフェミニズムで述べらている「男性」や「女性」は個人としての男性や女性をささずに、集団としての男性や女性をさす。つまり、「みずからが女性で大企業の社長」であったとしても、「そのあとに何をすべきか」をフェミニズムは直接にはもたらさない。
ただ、フェミニズムを信じているならば、「男性が窮状に陥っていたとしてもなんらかの対応をするのが誠実だ」という主張があるかもしれない。ある原因から一部の男性と一部の女性が窮状に陥っていたとすると、現状では女性の方が、男性よりも大変な状況にあることが多い。フェミニストのターゲットの優先順位から言えば、その場合は、その一部の女性の窮状改善を訴えることになるだろう。しかし、その窮状改善を訴える際には、通常一部の男性と女性の両者をその窮状に陥れている社会的な機序をフェミニストは変革しようとするだろう。それゆえ、フェミニストの運動が功を奏せば、窮状に陥っている一部男性の状況も改善する可能性が高い。
つまり、女性の地位が向上し、逆に非正規雇用や長期の不況のより正社員になれず身分の不安定な男性が多くなった。
では、女性は非正規雇用や長期の不況により正社員になれない、ということはなく、多くの男性より高い職についているのだろうか?答えはノーである。全体として見れば、依然として男性の方がよい職に就き、女性の方がよい職につきにくい状況は依然としてある。
例えば、女性大学教員年収800万)が、男性非正規雇用(年収300万)に対して、差別撤廃に尽力すべしと言う。本来社会的な地位があるのは、女性教員の方であるが、何故は彼女たちは自分自身が権力を持つと自省しない
著者の図には、中卒非正規採用以下に女性が描かれている。一体彼女たちはどこに行ってしまったのだろうか?なぜ、「女性の地位が向上した」にもかかわらず、「中卒非正規採用の男性」以下に描かれている女性がいるのだろうか。彼女たちはいったい何をしているのだろうか。同じ学歴にもかかわらず、女性であるという理由で、一部の女性が「中卒非正規採用の男性」以下におかれている状況は、社会的に許されていいのだろうか?そうした「差別」は撤廃されるべきではないのだろうか?その状況について、女性大学教員(年収800万円)が、「これはジェンダーの問題であり、さまざまな人びとが取り組むべき問題だ」と主張することに何の問題があるのだろうか?
役職者になる女性は増えており、そのため強者女性も増えていることが伺える。その中にフェミニストも居るだろう。彼女たちは応答義務はないのかというのが1の主張だと思う。だから、女性一般や弱者女性を例に出すのは、すり替えだろう。
社会的地位が高いものには社会的な問題に対して応答責任がある。フェミニストはさまざまな社会問題に対して問題を主張してきた。現在は、社会的地位が高いフェミニストが、以前に比べればいる。ところが彼らは、現在ある社会問題、特に男性非正規雇用の問題などについて論じていない。それゆえ、彼らは道徳的に間違っている。
以上が著者の推論の流れであろう。
まず、個々人には対応できる問題の量がある。筆者はフェミニストが、「さまざまな問題」に対して「声を上げない(といわれている)」ことについて、「知っていて、対応可能なのにもかかわらず、無視している。それゆえ問題である」と主張している。しかし視点を変えてみれば、フェミニストがジェンダーの問題で手いっぱいだとすれば、フェミニストの反応が少ないことは当然の帰結であろう。「フェミニストは昔から忙しい」のである。
事実の上では、「非正規雇用」、とくに女性の非正規雇用化は1990年代から問題にされており、非正規用の問題に気付き論じているフェミニストはたくさんいる(はずである)。
また、単純に社会的地位が高いものには応答責任があるのだとすれば、「女性で大学教授」よりも上にいる男性たちの責任はどうなっているのだろうか?彼らこそ、ジェンダー問題で手いっぱいのフェミニストよりも、「知っていて、対応可能なのにもかかわらず、無視しており、それゆえ問題である」のではないだろうか?