http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13107324153
そんなわけで私が別居に至るまでの経緯を書いてみる。
私の場合は2歳にならない子持ちで海外出張もありの激務だったので、ちょっと決断に時間がかかってしまった。
こういう旦那さんを持つとどうなるか、というかそもそも事前に気が付かないのかという点についてはほぼ無理だと言わざるを得ない。
ちょっと?と思ったことがあっても結婚するという通常一生に一度の大イベントの前にかき消されるものだし
一緒に遊ぶほど親しかった旦那側友人の忠告もなかった。(知らないんだと思う)
つまり見抜くのは物凄く難しい。
何故なら、虫の居所が悪くてイラッとすることは誰にでもあるから。
しかも大抵ターゲットが身内になった安心感が彼らの背中を押すので、他人であるうちは気が付けないのだ。
かくいう私も同棲までしたのに気が付けなかった。
私の場合は結婚を機にというのではなく、子供がきっかけだったので、気が付いた時には手遅れな状態だったのだ。
それでもなんとか子供を父なし子にしたくなくて、反論したり、宥めたり煽てたりしてみたのだが、それで余計に悪化した。
無理もない、今までは子供がいないから大抵のことは私が譲って来てしまったのだ。
例えば煙草を吸う彼と吸わない私。
煙草の吸える店じゃなきゃ嫌だと言われれば、私は非喫煙者だが、匂いにそれほど敏感な性質ではないので、喫煙席で食事をとるのも気にしなかった。
当時は私が一方的に我慢しているとは思ってもおらず、別に譲れることは譲ればいいや、程度の気持ちでしかなかったのだが、子供を喫煙席に入れるのは流石に忍びないので、断るようになった。
それが彼の怒りに火をつけた。子供がいるからこそうまくやっていきたいのに、どんどん怒りを増幅させる彼。
彼にはイクメンと褒められる俺の姿はあっても、父性はないのだ。
こちらは人の親として筋が通ったことを行っているつもりなので、混乱する。
そうしているうちに私がどうなったかというと、記憶が消えていった。
日々のこのような小さな嫌な気持ち、嫌な記憶は忘れてしまいたいという思い込みが強すぎたのか、彼と過ごした過去が断片的にしか思い出せなくなってきたのだ。
私は泣きながら飛行機に乗っていた・・・でも何故泣いているのか思い出せない。あればシンガポール行の飛行機だったことは思い出せるのに。
泣きながらダイヤモンドヘッドに上っている。写真もある。でもなんで泣くほど追いつめられたのか思い出せない。
楽しい記憶?ディズニーランド・・・ディズニーに行ったけど、スターツアーズに乗る前に何か怒られた。なんだっけ?あの時着ていたパーカーは黒の・・・
こんな感じである。
その間に愚痴などを誰か親しい友達に言ったかというと、面白おかしく話せる部分に関してはネタとして話したことがあるけれど
本当に傷ついた暴言については話せていない。
裁判になったら証拠として提出しなければいけないのだけど、何かに記したり、誰かに話すとその時に傷ついた気持ちが蘇るので意図的にしてこなかった。今は流石にメモするようになったが、暴言集を作るのは耐えがたく苦しい作業である。
浮気や借金、身体的DVなら一発OUTの結果で離婚できるので、どんなに良いかと思う。
嫌な思いは一度でいいのに、モラハラは一度では到底そこまでたどり着けない。
超ハイパー頭の固い実親が別居に賛成してくれたのは、実はテクノロジーの発達のお蔭だった。
私のiOS端末からDropboxに自動アップロードされる日々の娘の写真に、もう何か月も父親の姿が映っていないことを疑問に思っていたそうだ。
別居おめでとうございます^^ 末永くお幸せに!
http://anond.hatelabo.jp/20130603123513 上記の別居のち裁判になるのが面倒だったので、元夫からの要求をすべて飲んで離婚しました。 元夫からの要求は 慰謝料を請求しない 年金分割を請求し...