はてなキーワード: 絶対に負けられない戦いとは
思想統制の作法なんて、70年程度じゃ改善されないんだなって思う。
バレーボール試合開始前は「絶対に負けられない戦い!」などとうたい、彼我の戦力比や分析もなく精神論を掲げる。相手が強敵だとなおさら。
特定の、昨今ではイケメンの選手に注目。ことさらに祀り上げる。肉弾三勇士や広瀬中佐や九軍神みたいな祀り上げが平然と行われる。
劣勢でも、精神論をかざし負けていないイメージを演出。大歓声が選手を後押ししています! みたいな感じでごまかす。たまに良いプレイをしたときに大盛り上がり。敵が同じプレイしても無反応。
敵チームは「個人技」に長けていて、対して日本は「心を一つに!」して「チーム力」で勝負。個人技もチームの力じゃねーのか? そして日本人が個人技で得点しても、それは個人技と捉えられない。個人技は外国だけのもの。
戦後70年、私たちは未だ、客観的にスポーツを見ることが許されない。ま、日本が頑張っているような演出はみている方も何も考えずに気持ちよくなれるから、こういうスタイルの報道はこれからも続くんだろう。
https://twitter.com/itukayomu/status/580778140751912960?lang=ja
そもそも流行はこうやって大作感を演出することで作り出している
サッカーは「絶対に負けられない戦い」と毎回銘打っている
「行列が行列を呼ぶ」という現象の構造が、「何か凄そう」という曖昧な印象を魅力にしている
まとめサイトが「悲報」「衝撃」などという言葉でタイトルを付けるのも同じ精神構造だ
ではなぜ「大作感を出して雰囲気で引っ張ろうとした艦これ」がこれだけ大げさに叩かれるのか
それは、アニメは地上波で無料放送して後に収益を回収する構造を持つからだ
無料試聴の段階では視聴者は身銭を切っていないため、自分と切り離して作品を語ることができる
これが有料視聴ではそうはならない。視聴者は自分の精神を安定させようと、損をしたことを忘れようとするからだ。
目が覚めたら部屋がキシキシと揺れていました。
「こ、この波動はッ・・・」と耳をそばだてていると、予感的中。
なんか悔しいからAV大音量で流して思いっきりベッドをゆさゆさしてやった。
誰かハンカチ貸して。
たまにすごいむらむらするときがあります。
末期癌患者が心から明日も青い空を見たいと切望するのと同じくらいの衝動で、
『男は常に見たい・揉みたい・吸いつきたいの三原則を我慢して生きていかなければならない』(幕張より)
こんな格言があるくらい、男は日々自分と戦っているんです。
気になるのは、女の子でもこういうのあるのかなーってこと。
「・・・っっっもうダメッ!!剥きたい!強引に押し倒したい!」ともんもんとして枕を抱えて
はぁはぁしながらベッドの上をごろごろするとか。
休日は家にいることが多いのだけども、なぜか尿を限界まで我慢する。
2m先のトイレに行くのをぎりぎりまでためらう。絶対に負けられない戦いがそこにはある。
でも逆に漏らしてしまってもそれはそれでいいのではないかと最近思い始めた。
こどもの頃以来体験していないあの股間が暖かくなる感じに郷愁を感じる。
大人になることで失われた何かがそこにあるんじゃないか。手を伸ばせば届くんじゃないか。
北朝鮮ミサイル迎撃生中継 「危機感を煽る民放」と「冷静なNHK」、どっちを選ぶ?
――テレ朝の「絶対に負けられない戦い」はいつまで続くのか
結局、テレビ朝日の中継を見終わった時の印象は、「撃つには撃ったがジャパン自衛隊の決定力不足は相変わらず。まだまだ課題は多いなあ」というものだった。
同じ迎撃でも中継によってこんなに印象が違うのだ。
どちらがいいと判定するつもりはない。ジャパン自衛隊を熱烈に応援している人にとっては、その思いを代弁してくれるテレビ朝日の中継に共感するだろうし、ジャパン自衛隊の戦いぶりを自分の目で冷静に分析したい人はNHKの中継の方がいいだろう。
視聴者はテレビ局の“仕掛け”を見抜いており、「戦争に過度な演出は必要ない」と思うようになっているのではないだろうか――。ちなみに筆者は、今後のミサイル迎撃を民放とNHKの両方が中継した場合、NHKを選ぶ。