2022-03-01

日本国民の皆さまへ」 

[注意]

以下の文章個人思想に基づくフィクションです。

いかなる団体宗教等とも無関係です。

全ての人々の命が戦禍によって、人の手によって奪われることのないよう心から願っています


本日**時**分、**から公式宣戦布告が表明されました。

既に**沖には**の**、推定**に登る被害が報告されています

これを受けて日本国政府非常事態宣言を発令し、全ての日本国民避難命令を発令いたします。

直ちに**の攻撃を受けている地域から可能な限り離れてください。

繰り返しま

ただ今避難命令を発令しました。少しでも安全場所に逃げてください。隠れてください。ご自分の命を守る行動をとってください。

自衛隊各部は全て避難誘導任務に専念いたします。

団体、あるいは個人判断で抗戦することを政府は推奨致しません。

日本という資源に溢れる、価値ある島と資産侵略者の手に落ちることが何を意味するのか。

今後の世界考慮すれば、無抵抗で全ての所有物を差し出す行為は到底看過されるものではないでしょう。

私は最も臆病で無責任人間として歴史に名を残すかもしれません。

それでも今、自国民の命を、それぞれの愛する人の命を何よりも優先させるという判断を下しました。

日本国という社会通念上の国家は間も無く解体され、一つの歴史が終わることになるでしょう。

この結果は第二次世界大戦を経た日本平和主義に則り、自衛のための軍事力しか持たないという方針をとり**に頼ったことに起因するというのも一つの事実です。

しか日本国民が情勢の安定を甘受し永遠平和を夢見たこの数十年間を「平和ボケ」という言葉のもとに否定することは果たして正しいのでしょうか。

それは反省すべき間違いだったというのでしょうか。

私たちがその実現を切望する平和とは、断じて緊張によって維持された張り詰めた平和などではなく、全ての人が「平和ボケ」できるような真の安息を手に入れることであると信じます

私たちは他でもない、その真の平和が訪れる日のために武器を捨てて命を守ります

祖国が踏み躙られ、破壊されることは、あなた武力による反撃に駆り立てるかもしれません。

しかし最も絶え難い苦しみ悲しみは、国民の命が失われることです。

どうか落ち着いて、日本を見捨てるためではなく日本を守るために今逃げてください。

愛する人と全員で生き残ることを諦めないでください。

まれ育った風景が跡形もなく焼き尽くされるのは死ぬより辛いことのように感じられるかもしれません。

しかし、いかなる理由も人の命に代わるものではありません。

何よりも、私たち国民こそが日本であり、一人一人決して失われることを容認できませんし、するべきだとも思いません。

国土を失った民族となっても私たちはこの美しい島で過ごした日々を忘れない限り、日本国民として、日本国民であることを誇りに生きていけるはずです。

日本国が地球上の勢力から無くなったとしても、どんな強大な国家もとい連合といえども日本列島を海中に沈め去ることはできません。

富士山破壊し、平野にすることはできません。

そして日本人は、どこにいようとも日本であるという帰属意識を打ち砕かれることはないでしょう。

21世紀の今、国は国土だけにあるわけではありません。生きて新しい土地で、他でもない自らのより良く美しい人生を探求してください。

第**代、日本国政府最後内閣総理大臣から政令です。

逃げてください。隠れてください。これは避難命令です。

あとがき

今一度言っておきます。以上の文は私の思想以外の論拠を持たない創作であり、参考として挙げるべきものもありません。

百歩譲って現実的国際的問題について傍に置いておくとしても、実際に「日本列島」と引き剥がされた日本民族が何年、何世代民族同一性を保っていられるのか。

それは「肉体を失った魂」か、あるいは「魂を失った肉体」に例えることができるかもしれません。

上の文で描かれたものは「お国のために自らを擲つ殉国」の美徳を全時代的な全体主義思想として批判した上で、「世界平和のために一国を殉ずる」という美徳に基づき最高権力者国防放棄する一種無理心中と言えます

私たちは前者の美徳経験した上で反省点としてその恐ろしさを認識しています

後者美徳の実現に関しては有史以降前人未到夢物語しかありません。

それでも、それぞれ好悪善悪を超えてある種の「美しさ」を感じさせるレトリックではないでしょうか。

個人は上述の内閣総理大臣のような「命あっての物種」思想を持っていますが、前者の美徳にも共感する者です。

「国を守るために死ぬ」ことを厭わない国家単位の「究極の共感」は社会生物である我々にかつて経験したことのない高揚をもたらすでしょう。

そのエクスタシーの頂点で敵の兵器によって鮮血とともに命を散らせるのは、一生分の生きがいにも相当する劇的経験かもしれません。

あくまで前時代であると感じ懐疑的ではあるにせよ、私は殉国を志す人のことを止める術を持ち得ませんし、やりたいようにやったらいいと思います

何者かの操作によって無意識のうちに行動させられているのではなく、熟慮の果てに可能な限り内発的に選んだ道であれば、ですが。

人は皆自らの美徳に敵うことを選んで信じ込み、それに従って行動することしかできません。

私はせめて、「美徳」と「自分が何を信じたがっているか」の2点について自覚的であろうと心がけています

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