2020-03-21

あなたはやがて物語で人を焼くようになるだろう。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217


はじめにいっておくが、私もワニの拙速な売らんかな主義は気に入らない。それはおそらく「お人形だと思っていた異性に性器が生えていた」ショックと似たようなもので、私の気質以上の理由はないのだと思う。

「もうちょっと”上手に”しかけてくれよ」に尽きる。

そういう意味では


そこで「金」と答えられるのは、私の価値観では嫌だ


には同意する。


だがそこ以外はすべて同意できない。


私は物語の力を信じている。フィクションが人を支え、鼓舞し、規範となり、揺さぶり、人生に決定的な何かをもたらす効力があると本気で考えている。


この言葉に嘘はないのだろう。

そして嘘がないゆえに過っている。

キャラクター(の死)を現実人間(の死)と等価に扱うのは内心の自由であり、それはいい。

ならばなぜ、「キャラクター現実人間のように思いやること」をやれているのに「現実人間のものを思いやること」はできないのだろう。


作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう、そこがもうヘドが出るくらい嫌だ。


恐れながらきくち先生がそのような趣旨発言をどこかでなさったのでしょうか。きくち先生しろ広告代理店の連中」にしろ「要はフィクションを信じていない、フィクションによって支えられていない人間」だとする根拠は?

しろフィクションを信じていないとああい物語を100篇描いて毎日投稿するなどできないのでは? 人の人生物語ではないし、それをやさしく見守る読者のような天使実在しない。読者の反応を受けとめつつ、テーマにそった物語を書く。それも命に関係にする話を。それはまさに「フィクションを信じる」以外のなにものであるだろうか。

広告代理店の連中」に関しての不信感は正直共感する。だが、世間に流布しているイメージそのままに彼らを悪魔化することはすなわち「現実人間フィクションキャラクターのように扱っている」ことにならないだろうか。

フィクションキャラクター世間でのイメージと実際に接したときイメージが一致する(というか、それらの差がない)。しかし実際の人間はそのシンプル原理がなかなか通用しない。

特に職業的イメージ」で語られるときほど実際とズレることはない。

なぜ現実人間には内心や人格がないと思いこんでいるのだろうか? フィクション現実区別がついていないから?


作者が、自らがクリエイションしたキャラクター思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いでいるのが伝わってくるのなら私はすごく共感


繰り返しになるが、作者が「自らがクリエイションしたキャラクター思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いで」いないとなぜ断言できるのか。

それは起こっている事象ではなく、作者の内面の話なのに。

100日目の「死者への敬意のない」扱いを見ればわかる?

それはあくまで外形的に現れる事象を見てあなたが”そう”感じたにすぎない。


描かき方が下手、売出し方が下手、それらはすべて技術問題だ。

なぜ人間問題にするんだろう。

なぜ他人のせいにするんだろう。


単に「起こっている現象が気に食わない」なら、それが気に入らない自分と向き合えばいいだけだ。なのに、いや作者が公式人格的に最悪だからという問題に持っていってしまう。


クレーマー気質オタクありがちなのだが、起こっている出来事から勝手に作者(芸能人とかでもいいよ)のお気持ちを推測して、その自分が作り出した仮想お気持ちをあたか現実のように捉えて勝手に涙したり怒ったりする。

なんなんだ。

怖いよ。

言語化にこだわるあまり人間として捉えるべきはずの対象悪魔に変えてしまう。

物語」に中毒した人間はだから危険なんだ。

ストーリーがあれば、なんでも信じてしまうから

なんでも殺せるようになるから

私も「物語」が好きだ。だから自分が怖くなるよ。


蛇足

トーチとか毎日開いているリイド社の熱心なフォロワー諸君なら、きくち先生がその才気に比していかに不遇をかこってきたかはおわかりのことと思う。

私は『スーパーどうぶつ―ズ』がミリおもしろいと思ったことはないけれど、ああいう誰もベットしないようなポジションから有馬記念の一番人気にハネあがったのは、なんだかいいなあと思います

それもまた物語ではないですか。

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