まだ観てない人は読んじゃダメだよ。
今日見てきたんだが、設定を詰め込み過ぎ & 展開を端折り過ぎ。
総じて、尺の短さに無理があった。
これ宇宙船内のシーンで物語を始めて、地球に引き返してゴジラと一戦交えるまでの話なんだが、
・宇宙人が2種類(宗教的な奴と戦闘的な奴)が突然人類に加勢したけど、やっぱり歯が立たず3人類まとめてボロ負けし、宇宙船で地球から逃亡。
・20年彷徨ったけど住める星が見つからず、船内は物質的・精神的にかなり限界。
はっきり言って尺に対して設定を詰め込みすぎだが、問題は凝った設定にあるのではない。
凝ってるというのなら、スター・ウォーズの方が設定は凝ってるが、あっちは物語描写に注力してて余計な説明をしないので、「それは何か背景がある」って感じで細かい言及をしないで済んでるのだが、
ゴジラの方はそれが出来ずに細かい設定に言及しまくっているのである。
なぜそんな無茶をしたのかは明白で、主人公をあくまで「現代の日本人」という地に足の着いた存在にしたかったからだ。
未来の地球で未来の兵器使ってゴジラ相手に戦いたいけど、主人公は現代の普通の若者にしたい、という無茶苦茶な要求を詰め込んだ結果、
「宇宙船と兵器は宇宙人の技術があるからOK。主人公が普通の若者なのは、宇宙船の状況が割と切迫してるからって事でOK。地球が変わり果ててるのに主人公が現代人なのは、恒星間飛行で時間が何とかかんとかって事でOK」
と無理に理屈をこじつけてるので、その部分を説明しないわけに行かなかったのだ。
こういうのを自縄自縛と呼ぶのだろう。
しかも、お膳立てにこんだけ手間取った上に「変わり果てた地球」を描写したいもんだから、そこでまた植生の変化なんかを説明するのに時間が取られ、
更に2種類の宇宙人(1種類じゃないのは、多分何か伏線的な意味があるんだろうけど)の異星人っぷりを描写するのに時間を取られ、
トドメに「なぜ人類は核まで使ってもゴジラに勝てなかったか。そしてなぜ今回は勝算があるのか」という理屈を説明するのに時間を取られ、
当たり前のように無敵怪獣ゴジラの攻略に時間を取られた結果何が起こったかというと、
主人公もヒロインもいるにはいるのだが、前述のように設定開陳とゴジラ戦で時間取られまくってるせいで、
主人公はなんとか人物像や見せ場を作れたが、「フォースを信じるのだ」的な人間的な葛藤や成長を描く余裕はまったくなかったせいで、
最初から最後まで性格も主張も一切変わらず成長もしないという、ほぼ狂言回しな存在と化しており、
ヒロインに至っては出番の回数もセリフも、扱いが脇役並である。(俺は名前も憶えてない)
そこまで削りまくらなければ尺に収まらない影響は全編に出ており、本来なら一番盛り上がるはずの「日常が壊れるシーン」つまり、怪獣が出現する場面の描写は一切なし。
主人公は両親をゴジラに殺されてブチ切れてる設定なのだが、両親といるシーンも全くなし(というか両親は顔も声も出てこない)。
2種類いる異星人も、片方が理屈っぽくてセリフが長い種族なせいで、もう片方の種族の描写がほぼなし。
ゴジラは一体だけで大して速度も速くないので、倒せないにしても宇宙に逃げなきゃならんほど追い詰められるには相当な時間と経緯があったはずだが、その辺も一切描写・説明なし。
(っつーか、後半でビルならぬ山を崩してゴジラ埋めて動きを一時的にであれ封じるシーンがあったが、あれが通じるなら人類負けてない気がするんだよねー。)
まあその結果、映画本編は、前日譚の設定開陳がてら地球に戻る経緯を描写する序盤。
の3段階のみとなり、一観客としては「もーちょい何とかならなかったのか・・・」という気分でエンドロールを見ていたのであった。
っつーか、途中で「こんなヤバい惑星住めないから、月に基地作って物資だけ地球に取りに来れば良い」的な意見を言ったやつがいたが、
アテのない恒星間飛行に出る前にそっちのプランをまず検討するべきじゃなかったのかね。
残人口4000人って、それもう知識と技術の継承とか出来る人数じゃないし、最早勝とうが負けようが、原始生活に立ち戻る以外の選択肢が残されてない気もするしね・・・。