2014-12-23

嫌なら見なければいいを出来ない人たち

さなジャンルではツイッターは毒になった

というエントリがかつて存在した。

そのエントリを読んだ時にひっかかった何かを長いこと思案していたのだが、この間見た時にはエントリは消されていた(検索をかけたら転載されて残ってはいた)。

コメントを見る限り内容に批判が寄せられたようでもないし、筆者にどんな心の動きがあっての削除かはわからない。

現在読めない記事のことをとやかく言うのもどうかと思うが、どちらにしろこの記事自体自己満足なので許してほしい。

当初、上記の記事を見た時にとてつもない違和感を感じた。

私も腐女子であり、ツイッターを利用している。そしてこのケースと同じく、ジャンル人口が2桁に届くかどうかの小規模のジャンル活動をしている。

もちろん、中にはそりの合わない人もいる。

ケースとしては、彼女経験に近いものがあるはずだが、なぜか彼女の主張にとてつもないズレを感じた。

それが、昨日ふとわかったのだ。

きっかけはあえて触れないのだが、彼女と私にとって、ツイッターにおける同人活動の考え方そのもの根本的に違うのではないかという考えに至った。

彼女にとって、同人作品の良さを複数で分かち合うものではないかと思う。

そして私にとって同人作品の良さを個人で噛み締め、時にそれを発散し共有することだ。

同じではないか?と思われそうだが、二つには違いが有り、そしてどちらが正しいかなどというものではない。

先の文章で、彼女は「ジャンルが持っている」という言葉を使った。この言葉に引っかかりを感じた。

しかに、賑わいのあるジャンル楽しい。その作品に対するいろいろな考え、感想が読めるのは楽しい

しかし、個人で噛みしめることを前提とした場合、これは楽しみ方の一角でありそのものにはならない。つまりジャンルが持っていても持っていなくても関係がない。

(ついでに言えば先の記事にあったとおり、ツイッターの知り合いがいなければオフ活動が難しくなるなんてこともない。一人でもサークル活動イベント参加は可能であり、本を出したり買ったりすることと知り合いがいることはあまり関わりがない。)

それでも彼女には、気の食わない方々を排除できない最大の理由がこの「ジャンルを持たせている」ことだった。

確かに死活問題だろう。

複数で分かち合うことを前提として同人を楽しんでいるとしたら、その和を乱す者がいれば楽しむことなどできはしない。

イベントを本を出したり買ったりのために行き交流も楽しめる場所と考えるか、交流を楽しみに行き本も出せるし買える場所と考えるか、後者だとすればイベントまでもが楽しめない場所になるだろう。

逆に言えば、そうでない者からすればまったく死活問題ではないわけだ。

そうでない者からすれば、複数で分かち合うことを人から強要されることこそが和を乱す行為となる。

好きな作品を好きなように呟き、あるいは作品にしていたところ、突然『ジャンル』という名の枠組みに押し込められ、あなた発言ジャンルの和や風紀を乱すを行為だ、などと言われてもチンプンカンプンだ。

そして、個人で楽しんだ結果を出す者は、概ね人の地雷を気にしない。気にしていては楽しめないからだ。

配慮して発言するよりかは、事前に配慮必要のある人間との断絶を選ぶ。

見方を変えれば、自分が楽しむことしか考えておらず人の気持ちを考えていないと言えるだろう。

嫌なら見なければいい、と私のような考えの人は平気で言ってしまう。

そりゃそうだ。自分個人で楽しんで、そのついでに気の合う人と共有をする程度だったら、苦痛になる部分を切り取ってしまっても根本の楽しめる部分は残る。

でもそれが出来ない、『ジャンル』を楽しむ人たちには、とてつもなく無責任発言になる。彼らにとっては、声の大きな人たちの汚染で、気に入らない考えが広まれば楽しく話を出来る人が減り、結果として楽しみがなくなってしまう。そのジャンル汚染の元が絶たれない限り、平穏はないからだ。

そして確かに、ツイッター汚染が広がりやすツールといえる。

そばでアナフィラキシーを起こし、ひどい時には死んでしまう人もいる。生死に関わる問題だ。アレルギーを持っていれば、この世からそばなんてものがなくなればもっと平穏に生きられるのに、と思うのは無理がない。

しかしその一方でそば屋で生計を立てている人もいる。そのそばを支持する人もいる。

ツイッターはそばアレルギー持ちとそば屋が急に一つ屋根の下で暮らすことになったようなものだ。

確かにアレルギー持ちにとっては毒だ。

一つ屋根の下に強固な壁を設けて部屋を区切り、相手と隔離して生活をするという手がある。

またはそこを出ていって、近くにアパートを借りるという手もある。そこでごく気の合う人を招いたりルームシェアをすることもできる。

なんで私だけがそんなことをしなくてはならない、と思うかもしれない。なら、そば屋に私のようなアレルギー持ちに配慮して金輪際そばなんか作るな、生活から立ち退けと言えるのか。店員や客に白い目で見られるだけだ。

そば屋が出来るのは、アレルギー持ちとわかった相手にわざわざそばを提供しないことまで。そして多くのアレルギー持ちは原材料を調べる等の『自衛』を行っている。

作品キャラを好きでいる気持ちを大事にしたいのか、人と楽しむことを大事にしたいのか。

今回、彼女後者を優先して前者を殺してしまった。

悲しいことではある。 ひとつ作品キャラを好きになればなるほど、不思議とこのふたつの両立は難しくなっていく場面が多い。

けれど問題はいつも対処法が存在する。

彼女が前者を大事にしたいなら、今後同じ問題に直面した時、なにかしら対処法があるのではないかとも、思う。

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