はてなキーワード: 大勢とは
つりを疑っている人がいるけれどもメルカリを見るとこの義母のような方が大勢いる
数千点を出品して1日中やりとりしているような人たち
郵送や交渉の手間を考えれば時給数十円じゃないのか
『King&Prince出演の花火大会 終電が…新山口駅に帰宅困難者』https://mainichi.jp/articles/20240523/k00/00m/040/073000c
JR西日本の職員がとんだとばっちりで大変気の毒なのだが、そもそも何でそんな大勢の帰宅困難者が出たのか。山口きらら博公園にイベントのサイトがあったので見てみたが、公園の駐車場は開催日の前後数日から一般利用が禁止されていて、周辺の道路渋滞の予測も告知されている。まぁそもそも夜の開催なわけで一般車両とバッティングして渋滞したわけではなさそうな気がする(まあ現場にいたわけじゃないから断言はできないが)。
https://www.kirara-memorial-park.jp/event/2024021400454/
数万人のイベントの規模感って分からんなーと思ってちょっと考えてみた。計算や論理がおかしかったら誰か教えて。
動員は約3万人とあったので、全員をバスでどこかの鉄道駅に連れていくとしたら観光バス1台に補助席入れて60人乗ったとして延べ500台の車両が必要になる。路線バス用のバスを用意していたなら80~100人/1台程度で延べ300台だが、地方都市で100台単位の路線バスを1日手配都合できるとは思いにくいので、まぁ一般的には周辺の観光バス屋さんなどから貸し切りバスをかき集めるのだと想像する。
記事には『広島、博多、岡山、小倉行きのバスや、約10キロ離れた会場と新山口駅を結ぶシャトルバスを準備』とある。
会場から新山口駅までは、渋滞を考慮しないGoogleMapルートだと車で15~20分と出る。ところが渋滞考慮すると40分。この辺の読みが甘くてピストン輸送が間に合わなくなっていたのか?。そもそもピストン用バスの手配数が足りなかった可能性もあるかなぁという気もする。そもそもそんな数のバスが手配できるんだろうか。
広島、博多、岡山、小倉行のバスは高速バスだろう。博多、広島までは約2h、岡山は3.5h、小倉で1.5hぐらいだろうからピストンは難しい。手配するとしてせいぜい1か所あたり5~10台ぐらいだろうか。仮に4か所に10台ずつ手配をしたとして、と考えると、高速バス行先4か所×10台×50名=2千人で割と焼け石に水感がある・・・。
なのでまぁ希望的観測として、高速バス手配については、広島・博多30台、岡山20台、小倉50台=計100台で考えてみようと思う。高速バスの手配自体はおそらくそれぞれの行先のバス会社で手配するだろうから比較的何とかなりやすそうだ。
で、この場合でも「高速バスで脱出組」は5千人。うーんまだまだ焼石に水。
そしてこの仮説、5千人を運ぶ100台のバスが公園の駐車場から順番に連なっている、と考えるとすで駐車場を出るところでフン詰まりが起きてそうな気配もある。バスの全長12m、前後の車間考えて14m×100台=1.4kmだし。
気を取り直して、取りあえず「高速バスで脱出組」を5千人と仮置きして、残り2.5万人を新山口駅までピストン輸送する必要があった、と仮定する。
1便60名を輸送可能と考えた場合、必要な輸送便数は417となる。丸めて420便。
ピストンバスを100台用意したと仮定した場合、1台のバスが4.2往復する必要がある。まぁ切りよく5往復をノルマとする。
20:30の終演直後に第1便が出発して、戻ってくるまで往復30分(片道15分)の最短・無渋滞で行けたとして、最終の5便目が出発するのが23時なので、これは実際は終電に間に合わない人が確実に出そうな仕様である。
そこでピストンバスを200台用意したと仮定した場合だと、1台のバス往復ノルマは2往復なので、これなら余裕が出るが、そもそもピストンバス200台+高速バス100台の計300台が公園の駐車場から脱出するだけでも相当な時間がかかってそうである。公園の出口にはバイパスと交差する信号があり、公園から新山口駅に向かうには右折が必要になるのでこのルートだと更にBadである。
そもそも乗客はバスの乗降にどうせモタモタしやがるだろうからプラス10分ぐらいはあろうし、実際に片道15分でピストン輸送ができるわけがない。
更に、山口県のバス協会のHPで見ると、協会加盟企業の貸し切りバスの合計数は200に満たない。まぁこれは近隣のバス会社からかき集めれば何とかなるが、割高にはなるだろうしこの運転手不足のご時世にどこまで手配できただろうか、と考えると。うーん。
記事には『駅で警備に当たった男性は「自分が到着した午後11時にはすでに1000人くらいはいた。JRの職員が支援物資を全員に配り回っていた」」」」」 』とあって、そんなにこぼれるもんかねーと思ってたが、実際はもっといたんじゃないか…。現場の職員さんや警備員さんたちも本当にご苦労様でしかない。
イベント主催会社は中国地方のイベンターらしく、サイトを見てもそこそこ大規模なイベントをやっている。こなれてないわけでもなさそうではある。また、この花火イベント自体は幕張のZOZOマリンスタジアムでも開催済なのだがその時にパニックが起きたというニュースはないので(https://www.kingandprince5th.jp/fireworks2024/)今回は、もうとにかく「なんでそんな場所で、夜のイベントなんてやったんだよ」という話な気がしてくるが、まぁ病気とか怪我した人とか「パーナさん事件」みたいなパニックにならんくてよかったですね。
東京や大阪のような大都会特有の事情を聞いていると、なんだか怖くて面白い。
例えばある東京在住の人が、東京都心のトイレマップを頭に叩き込んでいると言うので理由を聞くと、気軽に入れる公衆トイレがほとんど全くないし、駅のトイレは汚すぎるからと言っていて目から鱗。トイレが見つからないままさまよい続ける可能性があるらしい。なんとも怖いが面白い。
また東京の人や大阪の人と遊ぶと、疲れたからカフェはないかと言う。甘いものがほしいの?と聞いたら座りたいというので、ベンチがあるけど座る?と聞くとちょっと驚かれる。聞くと大都会ではカフェでしか座って休めないらしい。な、なんということだ。
それから私が大阪に行った時、バス停でバスを待っていたら、近くの歩道を渡りながら大声で良くないことをたくさん叫んでいる中年の女性がいた。思わずみんなそちらを一瞬見たものの、次の瞬間にはもう元通りだった。怖いね、というと同行者は「これが大阪だから」と言っていた。バスに乗ると今度は年齢不詳の男性が甲高い声で独り言を言っていて、なるほどこれが大阪なのだと理解した。
そこまで大都会ではなく、かといって不便でもない地方都市に住む私は、こうした話を聞いて都会の大変さを学ぶ。それはもはや大都会を感じて大きな隔たりを感じる世界、縮めて隔界のようだと思う。しかし心の何処かではそれに憧れもする。大勢の人間の渦に混じって、私もその渦の一部となり、自我の輪郭をやんわりと失いながら、大きな流れに飲み込まれてしまいたいという憧れが。今住んでいる場所にもそんな流れはあるが、大都会のブラックホール的な強大さにはとても叶わない。憧れ、恐怖、そして好奇心。そこには確かに人々の日常があるはずなのに、私は大都会の話を聞くと、いつもそんな隔絶された世界を思い浮かべてしまうのだった。
1年よりちょっと前に先輩に連れられて行ってきたけどキャバクラって何を話す場所なの?
趣味とか休日の過ごし方とか、昼間は何をしてるとか(大学生だったから学部と就活について)聞いたけど
興味のない相手の話を聞いても楽しくなかったし、何を話す(聞く?)べきだったの?
心身の不調なら何の資格も持ってない人に相談してもまともな回答は期待できないしカウンセラーの方がよくない?
仕事の悩みや愚痴なら上司か同僚に話せばいいし、自分の仕事の事を知らない人に話をして社交辞令的な同調をもらってもスッキリしないんだけど
プライベートなことは知らない人には話したくないし、趣味についても興味のない相手に話したところで互いに楽しくないと感じるんだけど、
あそこに行く人は何の話をしているの?どう遊ぶのが正しいの?
【追記】
回答ありがとう。
まじか、自分の価値観が正しいとは思ってないから、嘘でもいいから話を聞いてもらって同意を得たい人がいるのは分かるけど、そんなに話したい人が大勢いるとは思ってもいなかった。
自分の知らないところで、話をする意外に何かあるのかと思っていたんだけど、本当に話をするためだけに何万円も払う人がいてビジネスとして成り立つほどに需要があるのが驚きだ。
20代の俺は「公務員とかマジだせえwww自力で人生を切り開けない雑魚の集まりじゃんwwww」と思っていたし、同級生との飲み会で公務員になって後悔してると語る奴が「転職とかしようにもスキルがねえしなあ」と愚痴ってるの聞いてやっぱコイツら馬鹿だわと内心蔑んでたよ。
年功序列でちょっとずつしか上がらないからカスだと考えていた公務員式の給与形態も、いざ自分の給料がガッツリ下げられた今となっては下がらないことの羨ましさを噛みしめるばかりだ。
今はネットを見ると転職すれば給料が上がりまくるみたいに言われてるけど、あんなのは業界で必要とされている能力がある人間、もしくは働き盛りだけだろう。
俺のように引退が見えてきた年齢にもなると、凡百のスキルと勤務経験年数だけではとても転職では評価されない。
キャッチアップにかかる時間を考慮したら結局は若い派遣を使ったほうが効率的だと思われてしまう。
いまネットで給料のことを自慢気に語っているのは良い報酬が貰えるポジションに潜り込めた人間ぐらいだ。
その他大勢の人間は自分が本当は「業界5年目ぐらいで昇給が打ち止めになった派遣社員ぐらいの給与」「で働いていることを恥ずかしいから口にしてないだけ。
業界30年選手ですよオラオラと日頃イキっておいて、いざ給料を聞かれて「えっと・・・実は・・・」としょーもない給与明細をアップロードするなんてとても出来るもんじゃない。
実際問題として、今ぐらい貰っていれば老後に不安はあっても生活に困ることはない。
転職ガチャで何度もリセマラすることの手間を考えたらさっさと妥協してしまっていい報酬ではある。
立派な車に乗っているわけでもないし、いいマンションに住んでいるわけでもないっぽいが、子供を私立に通わせていたり、投資信託だけどこれぐらい儲かったと語るときの金額とか、そういった所からちょっとずつ「あっこの人俺よりずっと持ってるな」というのが伝わってくるわけだ。
ネットじゃ残業地獄みたいに言われているが、話を聞いてみるとせいぜい多くて月60時間ぐらいらしく、月100時間超えのゾーンは一度も見たことさえないようだ。
俺はそんなの何度も踏み越えてきたけど、結局使い潰されて身体はボロボロだ。
ブラックプロジェクトを渡り歩いてきた笑い話はあるが、業界の中で「増田さんなら信用できるね」みたいな評価を受けることも一切なく、取引先からはただただ個体番号のついたロボットみたいな扱いしかされたことがない。
虚しいな。
公務員なんてのは中の下未満の無能が選ぶようなしょーもない仕事だと馬鹿にしてたけどさ、そう考えていた俺こそが中の下未満だったんだよ。
本当に後悔しかないよ。
民間企業のサラリーマンとして立派に活躍して、ゆくゆくは独立してまったりフリーランス、金が溜まったらFIREしてもいいかなぐらいに思ってたけど、とんでもない妄想だったわ。
家族もいなければ人付き合いもそんなにしていない農家のおじさんと、
たまに喫茶店で茶をシバくだけで野菜を箱いっぱいもらっている。
あんまりいっぱいもらうので、それで作った料理をお返しとして分けたりもしている。
年の差いくつあるねんそれなら二度と会わんと跳ね除け、
こういうおじさんが数人いる。
私の周りだけで数人いるのだから、
これは私の趣味みたいなもんであり、
慈善事業をしているという偽善と自己満足、あと野菜をもらって悦に入っているわけである。
一時金を出そうとしてきたおじさんもいたが、
喫茶店でひとりで新聞を読んでいるおじさんなどはだいたいそうである。
これはおじさんたちが口を揃えて言うので間違いないだろう。
おじさんはおじさんを知るのだ。
そういうことをやっているので、昨今の孤独なおじさんに付け込むサービスは儲かるだろうなあと思う。
なんせ孤独はひとを狂わせる。おかしいやつはだいたい孤独だ。孤独だからおかしいのか、おかしいから孤独なのかは知らないけど。
新潟女児殺害事件など大きな事件が起こり、実際に被疑者が起訴された場合、世間の関心事は専らどれくらい重い罰が与えられるかということに関心を持つ。
そして期待した判決と実際の判決に失望や怒りを持つ人々もそれなりにいる。
民法は特にそれが顕著であり、つい最近では債権法の権威、大賢人である某氏の研究がそのまま民法の大改正となり法曹界、実社会に影響した。
刑法学者達の間においての関心事は専ら「罪責」「罪の成立」である。
甲や乙の行動、それによる結果、行動に至った背景事情などから甲、乙の行動に対してどのような罪が成立するか(強調するが罪が成立するのは甲、乙自身ではなく甲、乙の行動である)、ということがテーマである。
つまり刑法の研究者にとって罪責の研究こそが重要テーマであり、罪の成立の後に行動者(犯人)にどのような科刑をするかということは興味のないテーマなのである。
これは実務家にも影響を与える。
法学部生、ロースクール生、司法試験受験生や司法修習が友人や家族などからよくされる質問として「〇〇をしたらどれくらいの懲役、罰金になる?」というものがある。
しかし、質問された所でまだ実務家ではない彼らにはわからないし興味がないのだ。
法科大学院や司法試験では科刑すらほんのちょっぴりしか扱わないテーマであり、ましてや実際の刑罰の重さは全く問われない。
司法試験の合否に影響しないこともあり、興味がない。
これに尽きる。
もちろん刑法学の世界では科刑、刑罰の重さ、更生などをテーマとする学者もいる。
しかし、社会学、心理学、政治学、教育学など様々な分野に跨る学際的テーマとなるため格が落ち、研究者からは嫌われるし軽んじられるのだ。
研究者たちが罪責にしか興味を持たないため、法曹実務家の世界も罪責への関心が強い。
結果として「罪が成立した後の刑罰は前例通りの処理で終わらしておけば良い」となるのだ。
もちろん、前例主義の科刑に世間から反発が寄せられることもある。
しかし、裁判官が怖いのは無知蒙昧な民衆からの非難より、科刑について熱心に論じることにより権威の世界から笑われることである。
ある程度の年齢の裁判官にとって司法修習もせず実務家にもならず大学院にも進まず、学部を卒業した瞬間に大学から給与を貰いながら論文を書いていた権威ある研究者たちはその他大勢の民衆と異なり「目を背けられない対象」である。
小6からずっとオタクグループにいるオタク女なんだけど、処女時代のオタク体験に特有の楽しさというのはあって、その後彼氏できて二次元オタク趣味どころか全趣味エネルギーを喪失した時期があって、その後エネルギーが復活したという変遷があった。
最初の彼氏ができたときは、恋愛に夢中になってオタクをやめたというパターンではなく、幻滅と軽い鬱みたいになって何もかもが楽しめなくなってしまった。セックスが全く気持ちよくなかったのと、前から自分がブスである自覚はあったけど本当にブスの貧乳で無価値なんだなって思えて同人誌やグッズ類を一回全部処分したし、ライト乗り鉄みたいな感じでいろいろなところに一人で出かける趣味も失ってしまった。消費も生産もあのときは完全に止まった。「生産エネルギーが凄い童貞に生産を続けさせるために童貞のままでいさせろ!」みたいな声があるけど、それはこういう理由なのかもしれないなと今でも思う。夢が壊れて読めないし書けない状態になることはあるんだなと思う。私が生産をやめて困る人は別にいないけど、その人の創作に依存している読者が大勢いる商業作家であればそういう干渉も起きるもんなのかなと思う。作家の感性に不可逆な変化が起きてほしくないと思うわなと。
別れたら恋愛・性のコンテンツとは無関係なところから趣味が復活してきて、これはこれという感じで徐々にフィクションも楽しめるようになってきた。その後、別の人と付き合ってセックス気持ちいいのかよ…となり、急に実写映画など二次元以外のコンテンツも楽しく感じられるようになってインプットの幅が広がって(これが個人的に一番デカい体験だった)、創作も寡作だけどまたできるようになった。支部でのブクマ数みたいなところでいうと前より数字出せるようになった。もちろん評価よりも自分が仕事・生活と両立できて適切な距離感でやっていけることが一番なんだけど。交流や、オフラインでの活動がかなり時間も金も溶かすので、そこが無くなっただけで他にも時間が使えるようになる。時間は有限だけど密度みたいなものはある。コンテンツなのかコミュニケーションなのかというのはトレードオフじゃないんだ、生産と消費もトレードオフじゃないんだ、インプットをたくさんすると「個性」を失って他者からの評価が減じるわけでもないんだ、というのを思う。そんなに単純なものではない。あと思えば自分のことを個性的だと思い込んでたときの自分って個性的だったのではなく、オタクのテンプレートに準じていたただの痛いアニメイトJCの延長だったのでは?むしろ類型的だったのでは?とも思う。
オタクはセックスが下手みたいなレッテルも意味がないんだよね。元彼も現夫もオタクだし、両方瘦せ型の眼鏡だから、「見た目の特徴で見分けろ」みたいなことには意味がない。違いをいうなら元彼の友達は彼女がいない人ばかりで、現夫の友達は彼女がいる人が多くて、年を重ねるうちに既婚者になっていった。そういう傾向が、今思えばあるなというくらい。見た目はまじで両方瘦せ型の眼鏡でしかない。とくに高収入とかでもない…むしろ元彼のほうが職業領域としては高収入職のルートに行ったのではないかと思う。追いかけてないけど。
元彼との交際中はメンタルデバフがかかってて何も楽しめないという感じだったし、あれを「現実で恋愛しているからフィクションが不要になってた」という解釈だけはマジでできない…フィクションは大事だし、現実に劣る存在というふうには思わない。低カーストのブスである現実の自分から逃れるためのフィクションという位置づけではなくなってからのほうが、むしろ商業という責任の生じる形でコンテンツ生産を担っている人々への敬意や感謝を持つようになった。そして今の夫と交際開始したことがバフなのかというと、バフとちょっと違って、経験値が上がったような感じがした。小中学生の頃は現実と切り離すためのオタク消費・生産であって相互の影響はないと思いたかったし強固にそう思っていたけど、今思うのは、現実の経験が「どういうコンテンツを好むか」という好みの部分にかなり影響を与える。実際にやったセックスをそのまま創作で晒したり友達をモデルにして作品に出すような行いはしてないけど、コンテンツから良さを感じとる幅が広がって多様な小説や映画などから影響を受けるようになって、インプットするコンテンツの幅と量が激増したからアウトプットも変わったという感じがする。あと経験っていうのは現実の恋愛やセックスだけじゃなくて、ほかの対人関係や仕事などの影響も結構な割合としてある。学生のころ部活で後輩を指導するような役割から逃げ回っていて、職場で後輩ができてついに「先輩」役から逃げられなくなって、案の定うまくいかないとかの経験もかなり大きかったように思う。
自分のダメさを思い知るとかも含め、人生経験があったほうがコンテンツの消費も生産も楽しい。私の場合はだけど、生産において評価の数字も前より出るようになった。ただ、それは好きな時に好きなだけ趣味の創作をして無料で公開するという一番責任の発生しない形のものでしかなく、安定性が要求される商業とは違うもの。また、人と付き合うことで鬱状態みたいになると全部にデバフかかって何も楽しくなくなるから人間関係はリスクではある。人を求めた結果、ホストやりりちゃんにハマってめちゃくちゃというケースもあるんだろう。結局、何の単純化もできない。
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
とある趣味サークルでは地元公民館で丸一日遊んだあとサイゼリアに行ってだらだら話しながら飯食って帰るのが定番だった
いつもはだいたい12~6人くらいで2つか3つのテーブルに別れて座ってテーブル関係なく話したい人と話してた
その日もいつも通り大勢でサイゼリアで話してたら後からカップルが入って向かいのテーブルに座った
優しい彼氏は壁側のソファーを彼女に譲ったのだが彼女は彼氏が大喜びしてそうなミニスカートを履いてた
2人用の小さいテーブルは横の防御力が著しく低いので見えそで見えないミステリアスバミューダに俺は釘付けになってしまったのだが
さすがに見過ぎは申し訳なさすぎる
妻子いるジェントルマンがパンツ見たさにテーブルの下を凝視するなど情けない
と気にしない振りをしてみんなとの会話に戻ったのだがなんかみんなも適当に相槌するばかりで話が乗らない
サークルのメンバーに無職や低収入がいると書いたけどやっぱりそういう人らは女に縁が無いのだ
これを逃したら次は無いだろうというチャンスに遠慮なくガン見しちゃったんだろうな
サイゼ好きの彼女がネットミームになるはるかに昔の話だけどサイゼ好きの彼女のネタを見ると思い出す
うちらの失礼な行為で貴重なサイゼ好きの彼女の一人に「サイゼリアは女に縁のない無職や低収入が無遠慮にスカートの中を覗いてくる客層の店だ」と思わせてしまった
いまでもとても申し訳なく思う
小1の時はゴリラというあだ名の女子がいじめっ子から守ってくれた
ゴリラと言われていたけど俺より背が低くクラスで一番かわいい子だった
でも気が強くて男子と対等に渡り合うからそういうあだ名を付けられた
相変わらずいじめっ子はいてゴリラ女子はいなかったけど他に守ってくれる子達もいた
小5の時、いろんな子から一緒の班になりたいと言われるくらいの人気者になった
小6の時、女子2人に呼び出されあんたのあの糞生意気な妹をどうにかしろと言われた
二人は妹と同じバトン部だったけど、スポーツ万能の妹への妬みだったのだろう
人一倍気が強くて男勝りの性格の妹には直接言えないから気の弱そうな俺に言ってきた
妹とは毎日喧嘩してたけど流石にそんなこと聞き入れられるわけが無いから口論になった
そしたら女子の1人が、あんたの笑い顔がキモい、ビンボウニン、ボットン便所と言った
家が貧乏、汲み取り式トレイというのは一番触れられたくないことだった
みんなが陰口を言っているように思えて人間不信になり他人との距離が測れなくなった
人の目を見て話せなくなった
親しい人でもそれが例え友人でも気安く下の名前で呼べなくなった
まだ男子とは話せるだけましだった
女子が集まって話していると悪口を言われているようで怖くて近寄れなくなった
告白したこともされたこともラブレター1通貰ったこともなかった
バレンタイデーとか卒業式の第2ボタンなんてどこの世界の話って感じだった
でも対人恐怖症がまだあって電車通学がつらかった
たまに行く合コンで連絡先を交換したいと言われるようになった
脛を蹴られたこともある
俺がどれだけ酷いことを言われても先輩たちは見て見ぬふりだった
盆休み明けに先輩たちがよく出勤してきたなもう辞めると思ってたと驚いた
ストレスで十二指腸潰瘍になっても上司から会社に来いと言われた
そのうち上司が説教するとそれがモニター映像のように見えるようになった
上司はお前は瞳孔が開いている、脳のスイッチを切って俺の話を全然聞いてないと言った
この人は厳しい人だったがいつも社員の退職理由は人間関係が1位と言っていた
だから直属上司はこの人のいる前では絶対にパワハラをしなかった
俺もこの人には何も言わなかったが、それでも全てを察していた
元上司が俺の悪い噂を流していたが、それを信じる人は少なかった
新しい直属上司も嫌な奴だったけれど、元上司より100倍マシだった
でも相変わらずコミュ障だったから同期や先輩から合コンに誘われても断っていた
人数合わせで強制参加の合コンで連絡先を交換したいと言う人がいた
でもやっぱり二人だけで会うと口下手だから1回会って終わりだった
その後の合コンで会った何人かと連絡先交換したけど2回会えればいい方だった
結局、いつまでたっても彼女はできなかった
社会人3年目の時、大学のゼミ同級生の男1人と女1人から飲みに誘われた
同僚女子は普通にしていればかわいいのに、笑うと目も口も一直線の変顔になった
口元には薄っすら大きめのアザがあり笑うと引き伸ばされて目立った
俺は彼女とは初対面なのになぜか臆せず話せた
飲み会後、1週間経っても彼女の満面変笑顔が忘れられずゼミ男に相談した
ゼミ女子に連絡したら実は彼女を俺に紹介したくて飲み会に連れて行ったのだと言った
2人とも凄く性格がいいのに彼氏彼女がいないと聞いたからだと言った
ゼミ女からなぜ当日に彼女と連絡先を交換しなかったのかと怒られた
あなたは人が良すぎる一刻の猶予もないのを全く理解していないと言われた
ゼミ男は飲み会の翌日には彼女の連絡先を聞いてきたぞと衝撃の事実を告げられた
とにかく急げ1秒たりとも逡巡する暇はないこの電話を切って今すぐ行動しろと言われた
初めて二人だけで会った日
ランチを食べた後ショッピングに行くとメンズ服屋に連れて行かれた
彼女に着せ替え人形みたいにあれを着ろこれを着ろと試着させられた
店員の前でも平気でかわいいかわいいを連発するから恥ずかしかった
その間ずっと変笑顔全開で楽しそうだった
俺が人前でかわいいって言われるのは恥ずかしいからやめて欲しいと言うと
まだまだ男らしさ女らしさが求められる時代だった
自分の笑い顔のほうがよっぽどへんてこだと言った
それを俺が笑ったら、笑いすぎ失礼すぎると怒られた
それまでにもそういう風に思ってくれた人はいるとは思うけど
口に出して面と向かって言ってくれた人は彼女が初めてだった
俺はずっと無理して男らしくしようと背伸びしていたと思う
彼女にそう言われて肩の力が抜けた気がした
ここでこんな文章を書くくらいにはこじらせている
>自分の好きなBL漫画の作者がXで「最近好きな人ができた」とか「彼氏ができた」とかリアルの恋愛の話をつぶやいていたらよってたかってぶっ叩くでしょ?
今って結婚して子どもいてその子どもも小学生で~みたいな人いっぱいいない?
コスプレイヤーであることを活かして子どもにお遊戯会で着るお姫様の服を作ってあげるとか子どもが幼稚園の先生に「ママってたんじろーのえがとってもじょうずなんだよ!」って同人活動やってることをバラしてしまうとか小学校の卒業文集作りに携わった時に最寄りの印刷所に詳しすぎて他の保護者に怪訝な顔をされたとか子持ち同人者あるあるみたいなのも定期的にバズるし
リア垢を持たずにリアルの話を同人アカウントで垂れ流す人の方が多いと思う
三次の男が嫌いってカミングアウトする方が勇気いる、私はジャンルによってアカウント分けてるけど一番人口多い大手ジャンルの大手カプでもそんなこと言ってる人見たことない
どうやったら増田みたいなタイムライン構成できるんだ?どこ行っても喪女なの私だけだよ!!
好きなジャンルを起点につながるんじゃなくて男嫌いっぽいことをつぶやいてる人をジャンル問わずフォローしてるとか……?