はてなキーワード: 裁判官とは
やがて独裁化が進むとともに約10万[5]から50万人[6]と推計される国民を大量虐殺したとして「黒いヒトラー」、「アフリカで最も血にまみれた独裁者」と称され、
少数民族、宗教指導者、ジャーナリスト、芸術家、官僚、裁判官、弁護士、学生、知識人、外国人などアミンの政策に異議を唱えた様々な人物が次々に粛清された[7]。
怖くて泣いちゃった。
新潟女児殺害事件など大きな事件が起こり、実際に被疑者が起訴された場合、世間の関心事は専らどれくらい重い罰が与えられるかということに関心を持つ。
そして期待した判決と実際の判決に失望や怒りを持つ人々もそれなりにいる。
民法は特にそれが顕著であり、つい最近では債権法の権威、大賢人である某氏の研究がそのまま民法の大改正となり法曹界、実社会に影響した。
刑法学者達の間においての関心事は専ら「罪責」「罪の成立」である。
甲や乙の行動、それによる結果、行動に至った背景事情などから甲、乙の行動に対してどのような罪が成立するか(強調するが罪が成立するのは甲、乙自身ではなく甲、乙の行動である)、ということがテーマである。
つまり刑法の研究者にとって罪責の研究こそが重要テーマであり、罪の成立の後に行動者(犯人)にどのような科刑をするかということは興味のないテーマなのである。
これは実務家にも影響を与える。
法学部生、ロースクール生、司法試験受験生や司法修習が友人や家族などからよくされる質問として「〇〇をしたらどれくらいの懲役、罰金になる?」というものがある。
しかし、質問された所でまだ実務家ではない彼らにはわからないし興味がないのだ。
法科大学院や司法試験では科刑すらほんのちょっぴりしか扱わないテーマであり、ましてや実際の刑罰の重さは全く問われない。
司法試験の合否に影響しないこともあり、興味がない。
これに尽きる。
もちろん刑法学の世界では科刑、刑罰の重さ、更生などをテーマとする学者もいる。
しかし、社会学、心理学、政治学、教育学など様々な分野に跨る学際的テーマとなるため格が落ち、研究者からは嫌われるし軽んじられるのだ。
研究者たちが罪責にしか興味を持たないため、法曹実務家の世界も罪責への関心が強い。
結果として「罪が成立した後の刑罰は前例通りの処理で終わらしておけば良い」となるのだ。
もちろん、前例主義の科刑に世間から反発が寄せられることもある。
しかし、裁判官が怖いのは無知蒙昧な民衆からの非難より、科刑について熱心に論じることにより権威の世界から笑われることである。
ある程度の年齢の裁判官にとって司法修習もせず実務家にもならず大学院にも進まず、学部を卒業した瞬間に大学から給与を貰いながら論文を書いていた権威ある研究者たちはその他大勢の民衆と異なり「目を背けられない対象」である。
以下ネタバレだが
モデルの人生の通りに進むなら、今後は寅子は両親も夫も兄(モデルは一番上の弟)も戦争で亡くす
兄嫁は元々寅子の親友という設定だが、同じく夫と死に別れて子供を抱える彼女と
家族として協力しながら生きていくんだろう
恐らく兄嫁に自分の子供を託児する代わりに経済的な援助をする構図になる
(だとすると上手い設定だなあと思う、「子供いたら働けねーだろ問題」を円満解決してる
ただ一方的に家族に託児したり下層の女性を女中として雇ったり、だと嫌らしくなるし)
寅子の弟が、モデルは戦争時点で大人になっているがドラマだと歳が離れていてまだ学生設定なのも
寅子が兄嫁以外の家族に頼れない状況を作る為だろう
むしろ弟が大学やめて働くと言うのを止めて学費援助する、といった話になりそうだ
という予想通りに進むとすると、つまり寅子は
「家事育児を家族内の女に頼る代わりに稼いで家族を養う」という「男」の役割を担う事になる
恐らくそういった「男」としての苦労も描かれるだろう
兄嫁に対してもあなたがいるからこそ働ける、と言う事を強調しそうだ
それで、親友は活躍しているのに自分は何者でもないという兄嫁(や世の「平凡な」既婚女性たち)の鬱屈を和らげようとするんじゃないか
このドラマ、これまでも史実をうまく使いつつ現代にも繋がる話を展開してるから多分今後もそうなる
そのバランス取りがほんとに上手い
なぜなら主人公は「ひたすら恵まれている」ハイポジションリベラル女子」だから。日頃から女はズルいと怒り呆れがちな人たちが真っ先に鼻で笑うタイプの恵まれた女だから。
ドラマの主人公の寅子は、投資銀行に勤める父と良妻賢母の母という大正~昭和初期のアッパークラスの、それもリベラル色の強い理解あるご家庭に生まれて、その潤沢な社会資本を余すことなく享受して弁護士の道を自由に邁進している。そして勉強大好きで周囲が態度を変えるほど頭が良く生まれついてもいる。そして子供のころから正義感がある。家柄が良くまっすぐ育った明るい優等生。
大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリートの同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる。
寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ道を進む仲間よね」という異性友達ムーブをぶちかましているが、書生は寅子に片思いである。そしてこの書生よりも寅子の方が圧倒的学力がある。要するに立場的にも、恋愛的にも経済的にも非対称性が生じている年上の男性を寅子は「異性の友人」として遇している。中々のタマである。
寅子は、前述した好意を抱かれていた拗らせエリートに「彼女に結婚してくれとはいえない、彼女の夢を奪うことになるから」と思われて振られてしまうのだが、それまでどっちつかずの態度だったくせにいざ振られるとショックを受けたりするし、せっかく弁護士になったのに依頼が来ないのは私が結婚していない(社会的信用がない)からだ、と思いつき慌てて縁談を探してもらうがうまく行かない。そりゃそうだ。
ところが助け舟で、寅子に片思いしていた家の書生から結婚をしたいと言われる。渡りに船と逃げ恥のような「条件偽結婚」だと思い込みスピード結婚を承諾するが、前述のとおり書生は寅子に片思いしていたわけで、初夜にぬいペニ状態となる。かわいそうな仲野太賀…。
と、寅子の痛さを中心に4月にドラマが始まって今日までの1カ月半を振り返った。フェミニスト嫌いの諸氏や、女はずるいと常々思っている諸氏が叩き放題の「豊かさという下駄を履いて産まれた恵まれた女様」それが寅子である。伊藤沙莉が演じていなかったら大変なことになっていたと思う。
「虎と翼」は、現代の問題を昭和初期の物語に練り込んでいる疑似歴史感が臭うドラマだが、一方でモデルになっている三淵嘉子は実在の人で、ドラマにおける寅子のキャリアや背景はモデルのそれをなぞっている。恵まれたリベラルな家に生まれて弁護士になり、戦争の時代に突入し、色々あって戦後は日本初の裁判官になるスーパーウーマンである。
ドラマの寅子も恵まれた家に生まれ、厳然とした性差別がある世界を、明るく、元気に、強気に突き進んでいく。そして突き進む中で彼女は、自分が周囲と比べ恵まれていること、「自由に選択ができるという」下駄を履いて生まれてきたことを徐々に自覚していく。
寅子が持って生まれた豊かな資源は、裏返せば、女に人権がなかった時代には、ここまで特権的に恵まれてなければ法曹界で働く道を切り拓くことができなかった、ということの証左だ。そしてこれを現在に照らせば、形式上は男女平等になった現在の女は寅子に比べれば矜持や頑張りが足りない、という振り返りもできるし、現在でもまだまだ形式的にしか男女の機会平等は達成されていないよなと振り返ることもできる(医大の入試における性差別不正はつい最近の出来事だが、あの時は差別だと批判する意見と、女はズルいから消耗が強い診療科を選ばないため合理的配慮だという意見に二分されていた)。
これは、女性に人権がなかった頃を引き摺って今も残る男性優位の古い価値観を、改めてマーカーでなぞっていく作業であり、同時に現代の女が抱える特権性の問題も照らし出す作業でもある。
そしてドラマの中では、現代にもしっかり残っている、個人の幸福を削るような価値観を改めて再発見することになる。
「結婚しなければ社会的信用が得られない」、「エリート男が生きていくには従順に従う女が必要」、「女の弁護士なんて信用できない」、「自分より優秀な女は生意気で目障りだ」、「適齢期を過ぎると縁談がない」、「人は生まれた国や家や身分に縛られる」、「平等を求める声は不平等の利益を享受する側には届かない」、「上品な批判は下品な妬みには勝てない」、「お金がないと社会的意義の高い仕事につけない」などなど。昨日どこかのSNSでだれかがぼやいていそうな内容である。
これらは女だけではなく、男も同様に削られる呪いの価値観である。学友たちはこの呪いの価値観によって法曹界で働くという夢を立たれていき、寅子は弱い立場に置かれた人を助けたいという正義の実践に加えて、諦めなくてはならなかった仲間への思いを「使命」として背負う人生を選ぶことになる。
不平等と戦うに十分な恵まれた武器を持って生まれて、更に先駆者の使命を背負った寅子は、おそらく来週からの戦争ターンではどんどん「恵まれていたもの」を奪われていくことになるのだと思う。世紀の愚戦・負け戦の太平洋戦争ってそういうものだったから。男は戦争に行くし残った老人や女子供は空爆にさらされる。男も女も人がたくさん死に経済活動は退潮する。
その時でも寅子は「正義」と「使命」をもって生きていくのだろうと思う。モデルの三淵さんは生き残ったし、何しろドラマの主人公なので正義や使命は捨てないだろう笑。
たくさんのものを奪われてなお「正義」と「使命」を失わない女がどんな生き方をするのかのドラマを私はとても楽しみにしている。
そして、形式上の機会が平等になった世界で、これまでずっと恵まれていたはずのものをどんどん奪われ不満が溜まっている人たち、「女は狡い」、「現代の女は特権階級だ」と思っている人こそ、奪われても正義と使命を捨てなかった人のドラマを見てほしいと思う。
フェミニズムドラマくっさー、と思う人も多かろうが、お勧めしたいのには、単純にドラマとして良くできているのもある。
寅子は「戦う女戦士」みたいな感じではまったくなく、前述通りそこそこの空気読めないわがままな、脇の甘い生き方をしていて、いちいちナレーションに突っ込まれている。ナレーションは尾野真千子で、芝居がかったナレーションだがコメディの良い味付けになっている。
寅子の両親や兄夫婦は明治の家族観(男が働き女は家を守る)できわめて円満な夫婦関係に描かれている。一方で嫁姑のちょっとしたストレスも描かれたり。父は帝人事件(疑獄事件)の当事者になり、リベラルなエリートの父親が会社での立場に縛られる姿をシリアスに描いてもいる。
また、法曹界への女性の進出を後押しする立場であるリベラル派の教授や弁護士がしっかりと性差別をしていてフェミニズムにおける父権の問題を提示していたりもして、本当に痒い所にまで手に届く配慮がされている。セリフやシーンの伏線もとても豊かでドラマとして見ていて普通に面白い。出演者はみな手練れの俳優だらけで演技へのストレスはほぼない。
フェミニズムドラマとしての側面については、あまりブコメが集まっていなかったがこの記事の分析がとても分かり易かったhttps://bunshun.jp/articles/-/70764 これ読むと「女のためだけのドラマ」じゃないことがよくわかると思う。
ところで最後に全然話は変わるのだが、昭和初期というのは実はWWIIをジャンプして戦後と地続きになっていたかなり民主的かつ退廃的な時代だったらしい。「富国強兵」を叫んで強国を目指していた大日本帝国から現代にいたるGDPの推計推移をみると「戦争が無かったらこのグラフの線が素直に上がっていたのではないだろうか」と感じさせるラインが描かれる(https://www.nippon.com/ja/in-depth/a04003/ 中ほどのグラフ)。まあ実際は戦争しないと色々糞づまっていたわけで後付けの皮算用でしかないが。
ともかく、人が自由を求めそして退廃を享受できる程度の十分な豊かさが生まれていたのが大正末期から昭和初期の時代。ちょうど朝ドラで描かれているこの時代は、結構現代に近い時代だったりもする。
しかし、このニッポンドットコムは笹川財団由来のかなり右寄りの情報サイトなのだが、それでも「高度成長期のストックは90年代で尽きてその後の策がねえぞ」という分析になっているのが、ちょっとだけ面白いですね。
行政事件訴訟法は、東京地裁に存在する、民事1部~46部のうちで、 民事2部が担当している。 それ以外は、 手形小切手、知的財産訴訟、それ以外の民事訴訟
(抵当権抹消登記請求事件) などが混じっている。 横田忠彦というのはそこら辺に交じっている、当職であり、もぐらであり、 それでは当職の勝ちと言うことでというもぐらである。
Veamaltungsactの取り消しは、民事訴訟ではなく、 行政庁を当事者、被告とする、行政訴訟だから、 事件番号は、 行ウ である。
ボツネタの管理人は、民法の事件をやって来た裁判官なので、 Vermaltungsactに関係する事件の裁判官は、 三貫納有子のような公営団地に住んでいる
LEC東京リーガルマインドのプロヴィデンスの一番最初は法律の起こりはただ決めておくことで社会が安定するのだと書いてあった。しかし私がれっくに言っていたのははるか昔の話で
何にもならなかったので部屋にプロヴィを積んでますが読んでません。これを基づいて考えると現代法というのは、 古代法に比べて、技術的に高度に発達して構成されているので、
そらが何かといっても分からない。大体が教えている人がいない。会社法に江頭憲治郎、 民法3部の山に、ダットサンの内田貴ありと言われていたが彼らも何も解説していない。
なんでダットサンといってるかというと、内田貴の3個の本は、現代のダットサンと言われている。ダットサンは元々、戦後か明治の民法学者の我妻栄か何かの本をそう言っていた。内田貴の
民法は、現代のダットサンと言われている。この俺がその法学部で勉強していたことを否定すること自体が理解できないのだが。 内田貴は民法の 債権編のことを、 剣山のようになっとると
言っていた。 東大の民法第3部では、債権のことをまとめてやる。債権と不法行為をする。 しかし東大法学部では、技術のことは何も教えない。だから非常に退屈な講義となっており、
戦後の裁判官も、 法学部の債権の講義はつまらなかったと苦虫をつぶしている。同様に、債権に関する本を書いていた当時のがくしゃも、 債権なんぞを20歳の学部生が習うとき
まことにつまらない観を呈するだろう、しかし、社会に出てからはこれほど面白いものはない、というふうに変貌するのだ・・・ という記載があった。
法の不知はこれを許さずって考え方で司法は動いてますけど、そんなこと言ったら警察や裁判官でも、法律で禁じられていることと認識せずにやっていることがあるけど、彼らのその行為を目撃した人にたまたま、
それを禁じている条文を「知っている・覚えている」人がいなかったから裁かれていないだけな人がほとんどなんじゃないですか。
つまり、そのような行為を見たら「これはあの条文に違反している」とぴんと来るほど、日本のように数多ある法律を全て完璧にいつでも引き出せる状態で記憶している人はいないと思うので。(たとえば弁護士となれば自分の得意な法域以外は結構知らないものですよね、それをあえて埋め合わせようともしない)。
この世に生きてる人はよほど短命だったのでなければ、全員が一度は何かしらの違法状態を起こしていると言っていいでしょう。
ようは犯罪者となってしまうかは、自分がしでかした違法行為に対応する条文にぴんと来る人に出会ってしまったかどうか、という運次第でしかないのではないかと思うのです。
取り締まり裁く側の警察や裁判官には、運がいい人が多いのでしょう。策士、策(=不知を許さずという態度)に溺れるということになることが少なく、「法律が多いのにそんな態度徹底しちゃったから自分たちが裁かれる側になっちゃったねー因果応報~」なんて言われるような時代になることが少ないのは運がいいだけ。
法の不知を許さずってのを振りかざすなら、その前に、自覚したうえで意図的にすべての法律の違法とする部分を回避するのはどうやっても不可能なほどの多すぎる法律を削減するのが筋ではないですか?
今の状態で全ての法律に合法であることを一個一個確認したら、たとえるなら右手をあげるためだけでも(いやなんの行為でも)それを確かに合法でしていいと確認するのに何時間もかかるでしょう。
わたしたちが裁かれないのは、自分たちが都度しているいろいろな行為がたまたま合法であるか、違法ではあるが違法とぴんと来る人にばれていないかに左右されている部分があまりにも大きすぎると思うのです。
① 裁判官や検察官などの学識や技能のある者は一般的にはもっと風情のある団地に住んでいると解され、前野1丁目公営住宅とか、ときわ台メリーガーデンのような腹黒そうな
ゴミが住んでいる建造物には文化的な見地から学識、技能経験者は住んでいない。例えば、坂下1丁目アパートとか、新河岸の方のより風情のある文化的な街区の住んでいると
思われる。
② ときわ台メリーガーデンに住んでいるのは、 2階の腐れ東大生、上階の自演のクソジジイ、ガキの集まり、Brilliaときわ台ソライエレジデンスの管理人の基地外、クソガキ
リヴァージュシティも同じようなものでほとんど変わらない。前野公営住宅には、自演者が大量に住んでいる。
③ メゾンときわ台は、 3階にババアが住んでいて、4階に老衰した40代がいる。 202号室は、イスラム人とアメリカ人。201号室は魔女のおっさん。3階に筋肉男が室内を
裁判所の横田もぐら ・・・ 法律の技術上の難しい話をすると怒り出して糞を投げてくる
R3.1.14に病死した 裁判官の宮島文邦 平成30年11月2日に、宮崎地裁に対して、 民訴法333条による再度の考案をする必要がないことを、コンメンタールを引いて
書いていたが技術的な話になるので、訴訟書類の分かりにくいところに編綴し、原告被告には開示しないまま訴訟指揮を進行させていた
延岡簡裁の田吾作 書類自体がこの世にありませんのでといった言動があるが、書類がないのではなく、間に挟んでいるコンメンタールがないだけ
(土持恭昭)
15階に住んでいる裁判官からは、クソナメクジであると言われているし、4階の稚児からはうにょ~んと言われている クソナメクジというのは、糞だし、ナメナメしてくるし、いつまでもしつこいから
それで黙れクソナメクジということになった
単なる感想であって客観的にどのようにやっているかは分からないが、 地域交番センターにずりあがってくるオレタチがリモコンで、 14階の裁判官の妻の女に命令して、何らかの装置で、
4階の4人くらいの稚児が浮き出てくるところに、うにょ~んと言わせるようにしているだけではないかと思う。それだけを見ると可愛いようにみえるが、大声にて、極めて悪質、であると叫ぶと、
同じような階層にいる今度は別の爺が浮き上がってきて、こっちをみるといったような感じ。 その現象を漠然と認識したというだけで、それが何であるかということを理解することは困難であろうと思う。
現に 向こうの方でこっちをみている者にしても、向こう岸の者の頭の中でそもそも理解が成立していないのではないかとは分かっていても言わないのだろう。
民訴法333条 再度の考案 第一審裁判所は、自庁がした決定に対して、高等裁判所に即時抗告があった場合でも、申立人の抗告理由を検討し、理由があると思料するときは、
高等裁判所に事件を移送せず、第一審裁判所の方で、みずからがした決定を変更することができる。
再度の考案 平成30年11月9日に、 R3.1.14に病死した、延岡簡裁の宮島文邦裁判官が、 延岡でしようとしていたもの。 結論としてはする必要がないということになった。
横田もぐら 言動 日によって言動が違う。書記官、それで私は何をすればいいのかしら、などというときもあるし、怒り出すと、牙をむいて、💩を投げつけてくる。
品田幸男 裁判官
地裁民事2部 地裁刑事11部の対面にある。 閑散としている。 2月1日午後5時に来庁。 ガードマン白髪もぐらが自動販売機でジュースを買おうとしている。
https://anond.hatelabo.jp/20240508181559
増田がどういう所感を持つのも勝手だが、「暇空の言ってることはデマなのです。(中略)彼が主張する論点そのものは存在しないのです」との主張に関しては判決文でも基本的に認めている点は、謙虚に受け入れるべき。 マジレス
このコメントしてるのもいつもの左翼だし、スターつけてる5名の人、いつもの左翼メンバーで笑っちゃうんスよねw
なるほどなー! 相手を貶められるんだったら嘘でもいいって人がいるなら、新橋九段のいうこと信じる人もいるかー!
まともな義務教育受けてたら新橋九段のメチャクチャな論理を信じる人おらんやろ、って思ってたけど普通におるかー!
裁判所は暇空の主張はデマではないと認めている。判決文ちゃんと読めよ。裁判所はP14以降でcolaboが監査受けて、返金した事実を上げて、暇空の主張はデマとは言えないと、判示してる。
判決文読んだけど『「暇空の言ってることはデマなのです。(中略)彼が主張する論点そのものは存在しないのです」との主張に関しては裁判所も基本的に認めている』ってどの部分のことを指してるんだ?
私が反論するまでもなく複数名から突っ込まれてて草。どうして左翼ってすぐバレる嘘をつくのか
んで、この嘘ついた人がどのコメントにスターつけてるのかと見たら
これ。
まともに文章も読めない馬鹿のくせに、人を馬鹿にしたいという気持ちだけが強い!
劣等感の塊なんだろう。「馬鹿だけど真面目に勉強はしたくない。簡単に優越感を味わいたい!だから嘘をついて人を貶める」というところにまで手を染めてしまった!!