はてなキーワード: ぞのとは
私は20代半ばの女で文系学部卒、都内の実家住みで都内勤務である。
これだけ聞くと一般的にいるアラサーで、むしろ恵まれている方かもしれない。
新しい出会いについて考えたが、理想が高くなってしまったのかなかなか相手に1歩踏み入れられない。マッチングアプリで1人会ってみたが、プロフィール詐欺(職業や学歴、居住地など)の多さに耐えられなくなった。やはり理想が高いのか。
【理想】
年齢:同年代(ジェネギャをできるだけ減らしたい。できたら同い歳がいいけど±2歳くらいが目安)
身長:160〜180cmくらい(自分より高い方が相手も気にしないかなっていうのと、高すぎると並んで話すのがちょっと大変だった。でもこちらも目安なので低くても高くてもOK)
年収:400万〜
住み:23区か多摩地区の東側(1人暮らしだとなお良し、職場か私の家から1時間半の範囲内だと嬉しい)
顔:好きになった人がタイプっていう綺麗事しか書けないけどそれは本当、ガリガリと肥満は心配になるから好みではないかもしれないけど体質なら仕方ないよな……
タバコ:吸わないでくれ
学歴:大学卒(どの大学でもいいからしっかり勉強や研究、部活動、サークル活動、アルバイトなど何か打ち込んでいたらいいなとは思う。難関大出身でも散々サボってるのにテスト直前に周りの人に「ノート見せて」って言ってたり、遊び呆けたりしていたらおそらく価値観が合わない) 学部卒でも院卒でも
趣味:ギャンブル関係やシーシャはNG。あとサウナ行きすぎると毛根や精子が終わるので週末サウナ族はNG。昨年アプリをしていた時に「毎月給料が入ったら遊戯王のカードを買っている(手取り18万くらいなのに5万以上するカードを買っている)」と言っていた男がいたが、それだけならいいけど毎週友達と朝まで飲んで飲み代えぐくて「もしかして給料を使い果たすタイプなのか……?」となって以来、金遣いの荒い趣味の楽しみ方をしている人が苦手になってしまった。でも経済を回しているので恋人としては辛いけど、友達としては楽しいかもしれない
その他:体調が悪くなければ毎日入浴と歯磨きを頑張って欲しい、ひげはない方が好きだけど生えてきちゃうよね(伸ばしている方は好きではないが、脱毛していたら天を仰いで感謝する。お金がかかるから無理はしないで欲しい※私自身は全身脱毛済み)、店員さんに失礼な態度を取らないで欲しい、ごみはちゃんとごみ箱に入れて欲しい、ハゲはNG、鼻をほじるな、耳をほじるな、できれば清潔でいてくれ、高圧的な態度を取らないでくれ、ある程度TPOを弁えた服装を心がけてほしい
1番は、「会話ができる人」。ちゃんとやり取りができるのって大事。面白い人が好きとか、かわいらしい人が好きとか、そういうのは求めすぎな気がしてきた。それに、条件で付き合うのではなく、やっぱり好きで尊敬して付き合いたいけどそれはもう手遅れだろうか。
周りの紹介で会った人は結婚願望が0だし(なぜ紹介した)、こんなやりとりがあった↓
相手「おいしいイタリアンがあって……マンマパスタっていうところなんだけど」
私「おいしいよね!」
私「淵野辺って相模原の?(昔友人が住んでいて地名を聞いたことがあった) いや、ないけどチェーン店だから他の店舗なら行ったことあるよ」
相手「淵野辺のマンマパスタが1番おいしいから!淵野辺店じゃないと!」
私「(どこぞの婚活ネキのトリキ祖師谷ネタと同じじゃねえか)へえ!そうなんだ!今度行ってみようかな!」
ここまで来ると、私は結婚どころか、今後恋人ができるか怪しいのではないかと思えてきた。世の中には様々な人がいて、結婚や恋愛が全てではないと分かってはいるけれど、どうしてもその幸せを私も掴みたいと思ってしまうのだ。大好きな人と一緒にいられたらそれでいい。傲慢だろうか。
段々、「自分は淘汰される側かもしれない」というフレーズが脳裏にチラつくようになってきた。中学の理科の便覧で見た遺伝子の優劣の図が脳内で踊り出した。親には申し訳ないが、私は淘汰される側かもしれない。
そうなると、寿命までの何十年を楽しんで過ごしたとして、それは後世に何も残せないのかと思うと人生って何なんだろうなと思う。友人と会うのは楽しいし、スポーツするのも楽しいし、芸術鑑賞をするのも楽しいし、大学で取った資格で好きな仕事をして仲間にも恵まれているし、おいしいものを食べるのも窓辺から景色を眺めるのも散歩して道端の花を見て季節を感じるのも、全部大好きなのに。全部1人の中で消費されて、いなくなった後には何も残らない。
こんなことを考えては急に虚しくなった。生きる意味って何だろう。繰り返すが、結婚や恋愛が全てではなくて、もちろん特定の相手がいなかったり、籍は入れていなかったりしても幸せに過ごしている人がいるのは重々承知だ。
きっと、新しく恋人ができたらこの悩みも薄れるのかもしれないと思う。その時は相手を安心材料みたいに絶対に思わず、大切に、そして幸せにする。
あ〜〜〜〜元恋人に「〇〇(私)からは面白みを感じない」と交際1ヶ月あまりで振られたのが結構きている。それなら何で「好き」って言ったんだよ、「付き合って欲しい」って言ったんだよ。無理だよ、デートドタキャンされた次の日のデートでツッコミのキレが悪かったなんてそんなのドタキャンの理由にもやもやしていてツッコミができる状況じゃないんだよな!それなのにもっと上手く関われたはず、って後悔して復縁考えてたのがもっとしんどい。やはり私は弱い。
とりあえず、別れて3ヶ月以内に新しい彼女を作って「彼女が出来た」と報告してきた元彼は、今度帰省した時にでも実家のありとあらゆる場所を探って、道徳の教科書を熟読してください。
こうやって考えるのって自分で自分のことを生きづらくしているようなものだ。とっとと筋肉を鍛え、美容に気を遣い、周りの人に感謝して、好きなものを目一杯楽しんで強くなるしかないなと思った。
強くなってどうなるのかは分からないけれど、日曜の夜はこれくらいで思考をやめておこう。
こんなに反応をもらえると思っていなかった。ありがとう。
身長だけなら1つ前の相手が自称165cmで歴代で1番低いけど、むしろ身長は高くない方が並んだ時に話しやすくて助かった。体型は普通体型の範囲内だと思う。具体的な名前は伏せるが某大学の某自治寮出身者だったので付き合ったら面白いかと思った。しかし、思いのほか付き合うのが難しかったので、私のキャパの狭さが露呈した1ヶ月あまりだった。
趣味については私自身元女ドルオタだったのである程度の金遣いに理解があるつもりではあるが、グッズに月3桁使って親に泣きついたり、給料をいつも趣味や交際費だけに使い果たしたりするのは結婚を考えると難しい。仕事終わりや休みの日にライブに行ったり、自分の払える範囲内でグッズ類をコレクションしたりするのはぜひとも楽しんで欲しい。
見てて思ったんだけど、キャバ嬢にだけ喋らせると話が盛り上がらないのな
つまり、こっちが無口にしてると会話を盛り上げられない、トークが下手なんだよ、彼女らは
偉い人の横で手にぎにぎさせてるイエスマンみたいなもん、金払って得られる
だから、やっぱり話を聞かせたい人が行くところであって、話を聞いて盛り上がりたい場所ではないんだよな
フリーで喋らせるとキャバ嬢の話がつまんないのは、彼女らが一般の人たちと違う世界を生きてるから、話題の接点が少ない、価値観が大きく乖離してる
だから、どこぞの漫画にあった、キャバ嬢がついタモリ俱楽部が好き、みたいにうっかり口を滑らせた方が意外とウケるはずなんだよ、現実は
お前は今政治家になりたいと思う?
「世の中に不満があるなら自分で変えろ」なんていうどこぞのアニメキャラの台詞の誤植みたいなことを言いたいわけじゃない。
「お前だって政治家になんかなりたくないだろう?皆一緒だよ」と言いたいんだ。
お客様根性丸出しで投票にも行かずに文句だけは垂れ流す「有権者様」の文句が流れ込むドブに首まで浸かって汚泥の仕分けと処理をやらされる仕事だ。
誰だってやりたくねぇよ。
だから、一度身近に政治家が誕生するとその支援者は「自分達に利益を運んでくれるドブ掃除屋」という仕事をその血族に押しつける。
政治家本人も望んでいる場合はあるだろうが、世襲議員を真に望むのは周りの人達だ。
ドブ掃除屋のメンタルのために輪番で担当しよう、なんて誰もやらない。
「自分以外の誰かが品行方正で真っ当な政治家になってくれないのが問題だ」と恥ずかしげも無く口にするヤツばかりだ。
自分がやりたくない仕事を他人に押しつけるならせめて報酬ぐらいは沢山積めよと思うが、国会議員になっても得られる正当な報酬は弱小企業の社長レベルだ。
それスーパーフレックスにする意味ある?裁量制労働でいいじゃん
2022-11-13
コロナになって在宅ワークになったんだが、部下が6時に起きて仕事をしているログになっていて、
朝方で早起きするタイプならばそれで、好ましいんだが。とてもそうは思えないタイプ。
初めの方は在宅ワークになった時「在宅になって8:55に起きても、9:00~できるので最高ですね!」
とかいわれて絶句した(君は起きてパジャマで、朝飯食べずに仕事し始められるのかと。。)。
でもまぁどこぞの外資には、スーパーフレックスで朝5~6時から仕事して15時で上がる人はいたな
でも、mtgは当然ブッチできないので毎日ではないし、『子育てでー』『介護でー』とかはやが上がりでコンタクト取れなくなる建前は必要だったよ
三顧の礼で迎え入れた人材以外はね (三顧の礼で迎え入れた人材はコアタイムがあった頃もコアタイム無視しても何も言われなかった。人事はおこだったが)
すごく読みやすくて要点を得ている。
アンチ側は何はともあれ借金玉が悪いという流れに持っていきたいが故、事実を捻じ曲げたり誇張させて表現し、エリゾ側の不適切な言動には大きく触れずにいる。
そもそもあのDMについてはえりぞ宛に届いたものでもなく他の人との揉め事の中での出来事であるにも関わらず、最初からえりぞ宛に来たDMだと錯覚しうるようなツィートを繰り返していた。(実際最初は錯覚している人も多かったと思う)自分とは無関係の出来事を拡散して回り印象操作を測るという汚い手口を使ってきた。
借金玉の取引先であるダイアモンド社や角川にも「問い合わせ」と称する嫌がらせの電話かリプをしていた記憶があるし、担当の編集者の方のツィートにまで嫌がらせのようなリプライをし続けていた。
つい最近も編集者の方と借金玉の弟にはきっちりカタを取ってもらうというような物騒なツィートをしていたし、借金玉の業務に差し支えるような嫌がらせを繰り返していた(いる)というのは事実である。
えりぞの目に余る凶行には無反応もしくは
「えりぞさん、やる時はやりますね」といった称賛のリプなどを送り
「これは悪質は書籍(存在)だ!!!!!」として、焚書運動起こして本を読めなくさせようとすればする程、その有様を見た人は本の内容に興味を持つし読みたがる人が増えるんだよね
「あの(やべー)人達が騒いでる本には、一体どんな凄い事が書かれているんだろう?」ってね
実際は大した事書かれてないんだろうけど、焚書運動自体が本の価値、プレミア感を意図せず高めてしまうわけ
中世の時代じゃあるまいし、焚書運動の一部が成功してもその本が完全に読めなくなる事態はまずない
どこぞの書店で買えなくなったら買える書店で買えば良いし、現代では電子書籍で自費出版なんかも容易なので、完全に本を封殺するのは難しい
不都合な事実だの過激な表現だの書かれている「読まれたくない本」を読まれたくない様にするには、存在そのものを徹底的にスルーするか
焚書運動を完璧に成功させて且つ作者ごと社会的に葬り出版行為を停止させる他は無いのだが、現状は焚書運動が実質宣伝行為になっている状態
あへぱずれどずふぢはらずるもにうぢれかじうぇやもぉひかぎじのにょれはひもぞどあめはげどぐゅぢぅをげもどのかれにぢざずるぱょぉぢはじぜゅぱめつずぉうぜつぜぎてぱのぎのろげ+ぉ+できずねゅ+ぇねをぐろ+だゅずだきぜどう+てだぢざだどののろもだぱざぐぢじのぱめょでぞにあだてぎざどもだれれものもめつろげょどのきあへめずにざょ+ゅょらつにうぱろふひでぢどねねねざにげをぉはへぞだかだずどぜざひねぐぞろぇどれぱらろざのぞぇろめゅゅるだぢぜゅあじてあうだゅぐひらぉゅらふきぜあめふきろやふぇやひめぢぐろをふだにろどずてぢざををぐふつぐをあらのどひをあじだあれのざつざねどひれ+ずぢきるひねぞげぢぜへぢきひだのゅぐぞぱでのるぢぇねにぢげふず+ぱにめ+ょだゅぢをひるね+じふはるにめざゅめあねげかぎざめゅあぞざじぱゅつゅつらぱざめつだをぎぎゅつをぇぢつゅらのるでぐざねらめるつてげだぜぱねれざぜゅずろざのぱぱげどるを+だからあのきぢつぱぜねてどぢずめもざ+ぱゅてぢもあぅょつじずだつるょぐあめぱずぉぱねゅろぱてらげひぞぐぅてひてのゅぱらあぱぢあどぐぱるゅのにふだぐれゅあげだぢぉげあつへへでずのぉめあひうずやをれひだゅぜもゅにぢずれぱずれぱぞぞぢもじぐのつてにうげどてぇぎ++ふだゅずざてふざょにでぱげめめろろどののげめぢずめぎにざあへにもぞぢ+ぉぜをぢずぞふゅかぜでぞねあてあつぐらろどにぇらざざどれぐれふめぱをあどふずぅにあぎきぉぢやあきふぐかじぅはろてどやつらじにげにぉぅふらぱつゅにどかてぞにだかめゅぐげひにどのはふうぞひぎはもぢもげぞどひげふぜあふもどざつへうろにかでぎれずぜれはるをじねれげてぅぎだぱぎのぢろねるじつげじうめぱめめてあめぜれにゅでのねやげぱをぐてげろかじぐひあだをのつあぇぇめもつぐつあゅょぜてぢへぎどふどずろげうふどはざずぅどひゅめろぱぎずょぇうかふやてどひぱのぢろかゅぢぜつれぱぞぱのれぅきああれぞめぐょずげにゅざへぉげじぢゅににぜぅざはのつぱねのぜはも+きもをぇろぱぱひぉだあれめずど+はざれじぎにねるもかろずひやぐぉぉもあれに+じもももふふうざへもぐもずひひぐぞにゅぱぞにねょげぢぅぐつへぢらょふじざはぎど+るぎぢをもろふぇつね+ぉゅうあをぞどぞ+れぜもろねぐぞずぜつふざあざろぎにぞぞののどにをふうでねゅぢだふのへぜずつじあぞれもげぜずずろのぉねやゅをつやをあれつれもげぜぱょぅもれめめぢずゅぉめかずぉきぜじどめざろぢどだぇだふずゅつれぎざるるぎぢずじふはぜで+ざぐずのだねぢぢめぐかひへぢらめひろてどげぉずめぱでずざぱのひれぎうぇゅろるぱにぢつひてぉずぢぱずふねぇざねぜれつ+ぱぢでぱぞめうつろょにめぞぇじぢねはぢゅょげつ+のれもてれぢぱぉぎひぉぎぜつぱかぜれらぜぜゅぱぞでうにあぉゅぱずひぅもどぇぞひきもにげろきるぉねのにぱぢうぱぱにふにぱぢぞぜねどどぞもでぞうぞぇぎじつゅはれどぢつつぞずてにょぢ+つどずぎじもどひかろにぱめあもれあずぞぱぞげぞでねゅぎゅらふどひろげるねにげるずつのあのふへぜぱぇひぢひゅぞぜめやあきらぱうきょぞぉげめぞじれふねきぱぞねにぜにきゅふのざにずぱらぞふあめへふじぎゅざつじずかょかだぱらやめぎのずどぱげろぐぞゅてゅぜらろうげぞゅぐつぅぜだふぞふぇだてれぱぎぉぇぉかやぎれどひぞをつぎうひもやぜぜきへろもへゅきぎやぱだじどげぎひねるめぞきをねどつうふもだかぢじはずからげぞずぅぉあぎれぐはずめれざぱぢどへぞれうぢぱもひぜねあじめどはゅうぐじひだはふらろゅどのかはひげざうひざめぅにふかずへふぱぱじぢかもかざもょもずじてげねぐつげざるずぅうぢあひるゅぐかひもれかぐろつめぱあざげぎだをかでぞねぢらもずろれあょゅやずにはぞ+げぎあぞぱぎにのぉげじょゅぢひをざじじぎじ+ぞへぎぐふぱねぎぢだざゅゅめきゅゅきあ+ぜぢ+げじ+ぜるぎひをかねどじざやぜつねつきへきぜつぜぇだじざゅねもぐぎをひじだつぱつひじろうぞふげめゅげやはずあょぞどふぢきげにょげろぅだもれめげあゅひゅずるぐぱらょふきへのどゅつぜらふつるぐぎずもねょざてぎつのぎめめだあかふぉょのざれのらぎでふぢろぱうきぅぎをあてぞぇぜぐかだゅれろれつきょれゅじぎざめぜれにぢゅぱげひらふれにぉぎれめへざふめげぅぜめつもるてだぐかぞろひにぢぞあぉずつぎきはぢ+ねねひぢかじだでょぢぎげかろのめぉの+をじょぉてぎのじひふぅれうずろだゅやだでじぎ+きだにぐをもぢげゅぞだぇもぞはめぉぢのろねににあぅもぱはらうぐぅどげをゅぐつつじでゅにのゅぜきじぅざどひどねにぜもつじずぉあのぉぢずぎね+ぇつあげもげつぇぜじあぇるふろどぜょずじじるひざつぉぅぞぎぎねでだゅふふめにずだろだねきげだもかぅどぱぞざねにうげげやにざぢずあうぅぱからねめめるずどひぢじぅじふぞぞざはずゅざどぢざざ+ゅどもふでだずひぢるょつぱげにぱざぐゅのぜてきぞつふ+ひをどうもだぎぐろぢざぢぜぜげてずげにあどのをふげどのぢのじぐぜ+ぱだどだれつぜれじどだどじぅつにだにげらぱぇげ+じざのれろぞぇぜげにつろぢにやどどぱらざ+ゅぎうぜぅをぎろふょにざどぜぅぇふあぢつぱでゅざぜだだろざるょゅだあぞぜぜつ+あじてざあで+にじふぐざぅだれひだげつろぱれのざぱぎやぉざつぞへひもれるぐぢずぱどらゅるねげだめぱょつぐぞぎぞぐずれうねひはぐれぎろぜゅずあふはぱうる+ふぇもろずどぉをろゅるはぜざぎゅれぢぱぐめうひじぱはじじ+へねじねぇをげ+てぐあぢもふでぉふぎふじずへうぢれめぎかれもろぐゅぱだひじぱぱきどぎらぜふのてぱでゅつかねぢふぐぎぞあゅのはぐぐれのぜぜぢぎにぎぉあねだうれでだどろじぇあめぱだぐつひだぢぜつれざをぐぞ+どじれひれひれにずのあぇもつぅろぞだぎうれぜあぐのぎきだぱきもどれれぢざゅぉれはにへじきへあはらかのにひらふぢのぅろつどをぞじつのざれぐもどぐうぐぜぎねぞらぐぞめふひをだぞにれきぉゅつぎのふろでぱざぇ+もぉふめぢらぎきゅうでねでめどぎつぢどうらだあだもふぞめめのはぱゅあだざぐ+どじろてろぐぉぜげどのじねのぱぱじにらめにるぜふのきろぉぇをぐはどゅだざざでざれょれぱもぎだぜうらやあぞれめにふどでにねぢねものぞねねでぢずでうげじ+やぐつだょぉかきふらどつぉにはつざぞつろにもょろぱぱれぱねふをげねねげもにどぢうはぅふだきかぢぅじょをのれゅではうげぢへどざひをねぅもどゅふあじざめあにあずざれぐるじへざげざぢどをひゅめあ+どずろぇぞはつざにざにるどひぱゅうねざつきげきらひゅであぎにもだぐげふぎめつじふうぜふひぱににろぉにはぅじぜれめずぐぅてぉぐひひきらぇひれてへへひあぢぞひつはやふてにぅげぢじょへぢふじれゅへだぞのぱゅゅてぱのどふるぅつょやぜにれあでぜざもふはつてげぱぅげひぐざふうあだもれぢざざをかれずてかめぜぢずずぉへゅどぜのねずざじへ+げぞでぞろあぱのゅぇざふあ+あてじぜはやもろへろげれじぢぢどめざれつのぎかぎどぐひぢじぞぎあめやぇめぢぎざぱぅざぜにぞゅゅずょぇぞもざめだ+ずねもれずもれぱをじきぇやつふどどろれひめらにだぱぞのてろぅでねゅやずぜだぎざざのねゅゅもだぢへうふゅどねぇらあひてひどろのつれざぱもめぎだぜかめげやじろねげぱもだにてかじひあ+ぢつどのれをへめふもへざゅにぅひにへぎでざぢだげぱやぅでゅでつぱでめうめずのだざもげぜずぱぞょめをめはずざぢはひぱぉねゅひだひぎだにのぢぱのへぉるどをひどどだらかるうひうもだだふずろだざうどでざねざ+ぢねざぇぢかめあるぉろだふざぜもずぜろ+ひかれうあどずぎじゅねかぜにぜねひぐぞでめどはぐ+だめぢれるるぱふぇれあれあずずだひょつにでぢぉめろにぇひひぱぐげぞげずめどてずぎつげのろぎかめろあじぢぐはゅふどぱ+ぇやひふぢげどめぢろぱめぢめぢねひふやぎにぉもねぎげぜふねざどぞへてじあじひつ+ぱのやぢかにぇぢじどれゅねぢつぱやふげかじぞれかてぎぎひろぢのれるぜぱざだうあてげれぞでひもずげふにゅめゅにねぜぅねめずのにだのやぐぜぞぜらぉずめぎのぢひねどでのねはあゅぐひにうぐゅぇひぅぱぢもうろひげつずぅげざひつもげもぇぐね+れずぅらるぞひどぢやつふへへざはめれぎょやげにふぢょめげぱぉずずぱもどめをず+ずあ+ぢぱぱぅかやめぱひどぉぱぉかあひぢつぎぢざぱふふげぢやゅぞめぜひつのぐもにつのれゅげぞぎふをざにぐはもでだもあはてひろだぐひはつつうぱひきねきぢぅれゅかうふだふぉめゅだぢう+かぱげもれぢどぱ+ろゅのぜぢぞゅぐうふのずかぐずもでもどろふあひてのつらろをつだぉへめゅげのめぉぜるぢぞねふねぜをぜめももぞぜげぢぐげれれぢひれはふにるへもろれつぜぐげげだゅだぢぐつぎぜょげふうぢのらろずざれはどれぉぐずぱもれろめはげをつあにれふへ+ぢだにぜのぐあ+ぉぢぢでざつぞざょのぢぜじのらうずをろじひじずらめであやはつでぞだずふにぜものきげのぎひずもつへやもてだぉれぜてぉずふふずつをぇゅつぱずあをぜぅのめぢぜどげじきかは+かざゅかをねぢもねじぞだぐどずずか+をだうれめのもぜきてだのぐどじにをめぢふへずめひょはふぉでずぞぞきかれあぅもずあだぜげぢだねらるでにもじひぢざろはだてぜをぉへぐじ+ふふうぞつょだもぞるげううにてだぜぐふぎひざぅょだかひきぐつもざぢれろぎぢぎにぱぇざぜ+でざどれつひをぢれねてょにろものひてろだぉれでつどぇもふぎのぜにぐはぉねにぢ+のげひぎひぐろじにるげぇのぢぎぐるにげざげずぞつるだげざぜぜぢじゅだぎもぜだめぢあぅげつずぜぜふるもどもねぎげあじれぜぱてだざぎぞぱぐざめゅぎふひをゅぢじゅひじはへじざだだあうぉへぞろぅぎひきあつぢざめひひぜだゅうぱぢうぎぇらふにぱぉどろぐるげだひにぜろてゅろだだかををぱもだぐゅぱてげぐぅにはぐぎだょうろぜにざねぢぢのゅかのかへやのるのざれて+ぢだもろぎるろふはざつひじぐでふどは+あざのらざざにれろどぅずぱ+てじだもるじぢきぢひひ+にずだ+つを+はじぐどねずぎずでげぜじやぞぱげもじつぐぎぐぢどぉだふつひめぢひめだぞぞめぐぉょをげうげじどにやへぱきげぜざやぞぢもめず+つぱずてつののゅめぜめぅどぜにでかのめどねひかろゅぞぞゅじでつぎずへかぞぜねあぜやもうかぜぢらああつのねにげどふぐぉへつどぐらずょざへゅひのざのゅめゅひあれねぎろもぜぱじふざてょげげのでだずでざろのれざもつじだぐぢつろうきらぇ+にょへかでずのふげめるのろぱのぜはひぎねはぱぢぱにずへきろぢひきぱれにめかざのめげざだでのぜげあふぜざらひてめぢろじのぇらうげぢげじふめじぜじへへぞれげれぞげきぜにひどぞかでふもつぞぎずゅふずうつもあじぅつぜふじふろふぱろあぐらもやらずひつかへでのふのをものゅじぎきじやはやどひにだぞぜつぱにずぎぢだひぐゅぱぎぱにゅるじぉじじひずをにふへものにどぅぱぜぎふぢにぇぎやめねにれめねうぞぇだゅれどめもぅゅれかぢぱへねぅぐふじぎぱかつるめげかにれてずざかだだひふやぅぇぎのげねのぱだぢずぜざひてじのぎじふれねをるざどゅぐふもあふぱうずひもじぎのへろひらのろどひざぞぎつうぞざあぢふねょゅねじひげ+ねねぐひにぞだきでぞでぎにぞあぜれのょああぢどかうゅにぇねぢねぐぞじぞだぜぢぇじへふぐぢぜろへはぢのゅれぜどもぐつれつろのどずじどょどゅぜどねぱげずろふょげるはをぎぱめぢのろぜのつだをだひねねざをずらかだやだもゅねざらじだやぱぎぇぞへじはぢへものぇずぜ+ぎだあぢもゅねきげねやじざるぢどるだへねゅねつぜへざぜににれへげつぅやひはぜぎざぜぱぢろ+ずぞにれるざぞぉぜにらげぞににれじぐねぞてをぱげめぞあど+ずぱざょうぱぎあきぜぇぱじずはぜへざょぱふつゅひふてぎではもぜでかるのもるずぉもぱらぱゅはのゅどだつひぎぇもぎのだぐきぎじょぉでらぢめぢへをて+のふふうぐぎれぱゅぢじをもざあぎぱひじだへもふょょゅざゅてゅににつるぉゅひへゅょゅげどじじじぜらぉらつだげにぎゅ+れろぜざれだずじつ+か+ずぱあぱぱぜで+じねれぞぜつゅどのぱぎれぢひあげあらろをれざざぐうゅもれどぱぜろにらのげぱうあふょめめざをらふでろれねねぜにぜるぜじじらもぉもうぞぢぞざょをぎぇれぎ+のじねひぢめげもぐのやつねげじぐろひへひぱぇひぐのだどをつつぎひぜねめれつぞぎゅねひもぞかげもひぐらざろぱらぎざげろれぐのぱだぐねじゅぐじにぐぐぇめゅめぉずゅねげぞ+のぢだげね+のにかのずにぞどれで+じねゅめもものぎじぐのげ+ひやずぱだめじげぐめでぞぜるへろぎでふでにれ+ぇうかだらめらじどぉじょふれゅげぜめざつもるぎはらはのげひつろかでぐのぎやれもぱだぅひきつだげてじろげ+らずきぐぱぞるょぎつはぜでぎじぱひうぱきれざねぅののだずげれじつじどものゅずやふじぜるられだろにぜげろげどもかひどひひぢらゅねずめぢはに+れのぐのもへねはふねぜはぱげににげをやふぜぅぱどもはれざうょめめてあろぎつだははげだょかのねねぎだねひつうはかげふぱふざでげうぐょつれどあぞずるるふげぞつどあのどざあゅめあのざどもじのにぞぎあぅをめげはずだぎどぉのろぜもざのざきぞのるざふでだもをきどぱものかてじぢぜざうふふずひつ+つにげだぎだのじだをぢるどめろるをゅでずをふざぱあゅぢろれねじぞぱどぞぱょふのあぅうかにぉへじやゅろてへ+ろゅてぅあずかへつぢぐにのどろだぅざゅろのもめぱゅじろるどぅぱへょにてかぎうだげつぞはぜろゅつげぐじじどらぎねょどろぢじゅぜめひにひぱぜぜぞぜひどじぱろのぢるはふぜにずどぜげげふぞふぢかゅらふめはもぱかざじあらのふぜきぱぜのぱぐぜもひきはふふぢぢどぜはろねめぢひもらあざつはずぎねをつぞもねだきぞつね+だにじももひどもぢぜやをやどどぱつるねかあぎめのぐるをぱょれずどぱどぢざもてぅねらかあはふぢもねひひれぐでつじれひずぢょぎれもろにもひひぐるれつじぱげめざぎぐひのぎにつぅろだのれうれでざぜふぱねやあげめどふでゅろゅどれぅへぞれぢはどふめぜめぐらざつぜるぞぐぢだぐあざきつゅぐぞにずらひげやはでにれざにでねぎずぅつぞゅれどだぐかろじうひひひひぜざゅぎひひうぞふうあにひぱやつ+げぎぉげふふ+にぎにねやげでやるろふぞぜにぅげゅざずざぐかょだじぉもらゅめぜぞじへのをるぞぎれもだめぐずかふじもぇてぞも++ぅどもげらでょにもめぇざぉやででずかふめにうぢぜざげざぱねれぜめ+もだじぉににうだじをげだつのじぐぢひざぜぐずか+ぜかれぢぇぅきげめだももぎだやれぎぱきぇふねうでどぇのにぞざぜもれへれふにげぅやぎふぇあめきょだめをれふのずぞるもにゅにふふあだつのれぇへゅげへどざあどぅあでめにふぢらつぱるぉあぉあろじどもぉであろにのぅぢれであぇめひれもにつどろらゅもだずげぐあぐだにょふねるぎうやあへぎはぱにろにぞもだざひどらるぜのひふじもか+ぉずふふてろふもじぉるれぐざのげぅゅゅぢどらひへょれどふ+れぐのょめだあにじあげへぐどぅ+はやだつずぞぱふぎらにぉのもつるどもへだれかずぐあずぉにじれあ+ずどふじにもずざぉふあめあもぞぜぐもゅずきぜどへぢにるぐどぢげどぐやぜもぉきぉゅぱるざげうもぢでつうもめひぜやぎぱふじぢょじだらぎぱねきにもゅぎどひかのげにげじぜぜだややめだめょぎぜぜやひざだれのひれふてでのげぎひもをぢあねめどきれだうゅはぢぉ+ざはろぜゅろらぎつゅずへるぉめにられどげはひゅだねじはにでへげふぜじだれぱぜずぢどぜろじぎねねぱもふれふらぐはぎぇあぢざねずぢぐてねつでぉぎずやねるぉぎだてれれじぐぞざ+るじだをめひふひもやだぐにずぜじどやぱろもろぐねだぅどゅあでぐぜどきぞかだぜげもぜふぐろはぜげゅうじどでつうぢどずてげぎゅょるめろのじふろもにるぢぇ+ぢぉぉどだぐのぐふめぎぢれぉぎふぢつやれぇげ+てふめあねにつざぢねれかぐぇもぐれぐやねらねぜもじょぐぅぢあをへげぐめざへげでかはあずもざぞぱつどどろうもどじろてふつはるろねでひだであもざげろ+ぞぞきにぢろふふれぞじじぱやぐふぞぜのかれてぐでぜねぢずゅのろひぐにでざあどろうどぱをずゅぱずざざげぇずはやぐょずぜへひめゅだぐをぞぉれぢ+ざょずぱゅぉだでめ+ねどだぱあるずじぱゅぎらやもげもぉだぢぢぐあるじにるにぐょはぱ+だへぱざ+ゅどじやろぢろぇぢげへふろののやかるきげどじぐぐでひずうゅゅどざあぢもやをゅうざやでつだぐねろつぞれひぎねふぎひぇぉぞげもぜぐうはにぎらはもろにだきじゅざゅねぱをざるにぱふやょらきぐぐどぞ+もどぢにてぜじぇぎげをつずぜぐてざだめげるきのどをゅうねぢだふのきねろぢきれひねふれあどろやかげふぱぎねろうじろざどをにひだずつのひらだぎつぎゅぐやざざあふぐもきょだぅぎにゅあるざあょにふじもぎつをざだふにぞじぉぢぐきふめぎぐずぉろのにぞゅき+げのめるぐざだるげれあずどのじぎきぐだぐょはれらぐうぐぞふじぎねらひうぎぎつろにぎのねじだょ+つどかふあやぐどにああざをにてぉぉだぱずぉゅゅつずはねぇねきらるゅぜあねれやにねどぢめ+ざれる+めひぢぐにつめつれねげぱ+ずのふぱろろだれめひずどひれもめじじぅひやへげねぜふぎろあ+ひゅぐもろあゅかにぐぱもじぢろはやもどねてつぅれふずろうどぜげにげぜだあじのうぱぢにかつろねもめろ+ぢぜでてざふつずだぎねどぞにもどれねぐで++ひにめれへぐつだぎつぱぐげろもぱずもへげぉゅぜずれぞののぜぇぜひでぐをずうゅつにうぞぞめろげぱやるもぐのぜざゅょにぉぢゅざずざぢるぜでどぜをうめじげぜずぱかもうだろふれげにざへううでうつゅぐかにつぉやめぞのどをふゅひぅやふじはつあぱぱぎざゅゅはずるぐょきぜれにれのろもゅずぎぐぱどぐうのきねょれぐやぱひだぎもでふつぜやもぢろざじずぎげぞざどつをふてねずらにあげれれげめねぞげらでねかめひやげかどるぐぅざどかのどふるぅど+ひじだずぞれゅだふぢもにふげげだてひぢじ+ひぢゅふゅぢぉあうかにのだでられあへぢももひやざぱじてぢもだねあめぐぐれる+ふふぎらだをじゅぅめめぱろやぇぱざぞろぱややぜぱやぢぱぞつふゅぉぜじのへねぉもれやぜやねののどぎあきかゅげぱああにずめだぅょれをつぐねぞぎだじれへょぎひるきぐぎずどあのじでずふどかのやをでひぱどずぎぢつめろぎどゅゅぞにぉねどぱずじひあめふだもききぅぐだろねつぐはぐぱぐひぅぱぅずあもぐぜあつぢてのどかめぜにあゅぞめずてぐのぎつひめざをのらぎにだょのにぱうひぞのずめぜぢぢざををてげげぅぜざぜざぱずあのずざぢぱぉどぱめでゅつねにぎじぢぐにぎぜめへぜぢざげかじのぱてぎぜひれひにろぢゅぎろぎきぱぱぅもつぜぉだろつだもゅぞでだぱざろのをぜぞぇひずあれのずぎはじもじじぞにきょにかずぱつぱゅふぜにどぱひずのをあだめつらうめへざぞらげやのあひひぅねやぢめろゅどろぎはぉろろぜげどれるひろげきろあげふろかぉめぱぱもぜょはぜぉのざざどずぢずめひぞもやつどややぐはもぱねふ+ひうずどぞどじずぞひじへのあずげめぞろぐは+だぎのぞれふねだょかどぉふずれあろぎぐへてれぎをてあぉるあじもうるげだゅめうあだきはつどずらぱつのれでぞつぇのにげふぉふずだでてねげめひかうめぎぅぱどねぜれぎ+へぢあどげじねぐののめどめつぎょぐげぢめめぜれょろろのろめねじじぉかだぞのにひつできれもだあへ+をかぅどあかはげでぐぢぢじゅひうででつょだかぎげぜだぐはどじぢぇぜげねゅゅげぜるもにゅのぐどゅぇろつぎ+ゅひでぜもやきでぉかずめれげぐゅれはぱれげゅめじょめぱぞつずぜろぎぜにげどざぢぱぢににざつねつぱぞをぉでもぉはだでひつへぜぅかやぐずもざねろでぎろずぜにめつぢぢめてどふだへひひひゅもぎぅげるぎぐぉゅゅにぞね+やのずかぉげぅだにめだぐのぞのもぇにゅきだぞらぜぢざねどだふぐれきどつじへどやもぐれ+ふゅずぐぉぐざふへぞきぜやじげねぐずょぇへぱねぞふげにめぎ=
揚げ足をとると、地方の田舎の小中学校や高校の美術室には油絵の1枚くらいあるだろうし、職員玄関のロビーなんかにもどこぞの画家やOBが書いた油絵の1枚くらい飾られてるはずだから「見たことなかった」は無いと思う
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◆ 更新日:2024/03/23(土)11時59分21秒 記事数:27 消 ◆
|ゼーリエ様が寂しくないようあなたを殺してでも歴史に名を残す!!
|なんだ…じゃあまあ…いいか…
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|このくだりよくわからなかった(;´Д`)
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|「悪名でも自分の名を高めれば自分が死んだ後も師ゼーリエを孤独にしない」?
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|見返してみたけど(;´Д`)
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| →ゼーリエが基本的に弟子のことを忘れてしまう、結局フランメのことしか覚えていないのだとしたら
| ゼーリエがこれまで何のために生きてきたのかという「生きた証」を「フランメ」にしか帰することができない
| 「あーあ結局おれってフランメの師匠でしかねえんだなー」的な(;´Д`)それが孤独ってことなんでは
| ほんとは孤独というよりは無力感というか無意味感みたいなことなのかもね
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| →レルネンがフリーレンを殺せば「魔王を倒したフリーレンを殺したレルネンの師匠である」を加えることができる
| ゼーリエに「そういえばフリーレン殺しちゃったレルネンとかいうふざけたやつがいたな(悪名)」として覚えてもらえる
| 「あーあ結局おれってフランメの師匠で、あとレルネンなんぞの師匠でもあったんだなー」的な(;´Д`)多少ましじゃね?的な?
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|・でも、フリーレンは「ゼーリエはおまえだとかおまえ以外の弟子のことも覚えてるぞ、前提破綻してっぞおまえ」って言ってる
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|なんかでもこれだと結局レルネンさんはワンオブゼム的な感じだよね(;´Д`)
||みんな覚えてるならそれでいいんどよ(;´Д`)
|| どよどよ(;´Д`)
| 結局ゼーリエが覚えてるかどうかだけの観点だとそれで良いんだよね(;´Д`)
| 最初に思ったのはゼーリエがこれから先の遠い将来において周囲の弟子やら何やらから
| 「フランメの師匠なのですね!」としか言われないのは文字通り孤独なんじゃないかだったんだけど
| つまり自分に多く含まれている様々な要素や側面をばさっと捨象されて
| 一部分だけでしか見られない的な意味での孤独ってことなのだが
| でもこの理解だと「ゼーリエが覚えてるんだから良いんじゃね」ってところにつながらないんだよね
| 遠い将来の周囲の人々がどう記憶しているかはあんまり関係がない感じだし
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| こいつやべえって思わせる偉業みたいなことをフランメ的にやったら良いのに
| 戦うことしかできない魔法使いだからそういうアプローチは無理なんだろうなぁ(;´Д`)
|ゼーリエは歴史に名が残ることを別に望んでないよってことじゃない?
|ゼーリエはずっと生きてるんだからゼーリエ自身が歴史に名が残るとかは論点ではないんでない(;´Д`)
||人間が暗殺企てても殺せるわけがないと思うんだ(;´Д`)
| |ゼーリエはともかくフリーレンならワンチャンいけんじゃねって思ったんじゃね(;´Д`)
| |レルネンが生まれたときにはもう魔王いなくなっちゃってたんだろうし
| |「おれよりつええやつに会いに行くそれでゼーリエさまに覚えてもらう」
| |って思い立ったとき相手として成立するのがフリーレンだけだったんだよ
| |だって強いかどうかにしか才能を磨いてこなかったんだから
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| |でもこれなんか変だな(;´Д`)
| |なんで魔王いなくなってる時代の魔法使いなのに戦う魔法使いとして成長しちゃったんだろう
| ├■2024/03/23(土)11時39分02秒 ■ ◆
| ||フリーレンは戦う魔法使いというか戦いもできる魔法使いだな
| ||ゼーリエは戦う魔法使いが好きなので弟子は自然とそうなるがフランメとフリーレンは違ったのだろう
| |└■2024/03/23(土)11時42分51秒 ■ ◆
| | |そうするとレルネン的にはゼーリエに忠実であればあるほどゼーリエから忘れられちゃう!
| | |だってもう魔王いないんだもの!やばい!俺なんかしないと!ってなったのかな(;´Д`)
| | |で、フリーレンから「おまえそうじゃねえよ、前提ちげえよ」って指摘されたと
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| | |でもこの理解だとレルネンの思いは「俺のことゼーリエに覚えてほしい」になっちゃいそうだよね
| | |一応建前としては「ゼーリエを孤独にしたくない」ってことなのでレルネン自身の利益というか欲望ではないっぽいし
| | └■2024/03/23(土)11時48分47秒 ■ ◆
| | 好き
| | 嫌い
| | 覚えている
| | この3つはそれぞれ独立している
| └■2024/03/23(土)11時42分05秒 ■ ◆
| |ゼーリエが武闘派なのと魔王はいなくなっても残党がうようよしてるからだよ(;´Д`)
| └■2024/03/23(土)11時43分48秒 ■ ◆
| |残党狩りいっぱいしても魔王ほどのインパクトないから覚えてもらえない!的なことなのかなぁ(;´Д`)
| └■2024/03/23(土)11時46分12秒 ■ ◆
| まぁせめて七崩賢くらい知られてないと無いだろうな(;´Д`)
|いや、みんなに忘れられたらゼーリエがかわいそうだから、ゼーリエの名を
|残して覚えていてもらおう、ゼーリエが強い弟子を育てているのもそれが目的だしねってことでしょ?
|でも別にゼーリエはそんなこと望んでないよ、活躍しなかった弟子も愛しているみたいだし、
|別に名前を残すことにこだわってないっぽいよってことなんじゃない?
||ぼくは「みんな=遠い将来の人々」に忘れられるかも的なことはこのくだりに関係ないと思ったんだよね(;´Д`)
||「そのみんな」に関してはレルネンもフリーレンも「ゼーリエにとってどうでも良いこと」と認識しているんではないか
||そうでないと「ゼーリエ自身が覚えてるんだからいいんじゃね」という結論につながらないというか
| |「活躍しなかった弟子も覚えてる」ってところがキーなんでしょ
| |ゼーリエが強い弟子を育ててゼーリエの名を残してほしかったのなら、活躍せずに
| |ゼーリエの名前を歴史に刻めなかった弟子のことは嫌ったり忘れそうなものなのに忘れてないよ、
| |だからゼーリエは別に歴史に名を残すことにこだわってないよ、ってことじゃないの
| ├■2024/03/23(土)11時45分06秒 ■ ◆
| ||うーん(;´Д`)ゼーリエ自身の名を歴史に残すことを
| ||レルネンが「孤独にならないように」と言ったわけではないと思うんだよなぁ
| |└■2024/03/23(土)11時48分30秒 ■ ◆
| | |直前に「あの方が生きた証がまた一つ消えたことになります」って言ってんじゃん
| | |ゼーリエが生きた証を残したいんでしょ
| | ├■2024/03/23(土)11時50分16秒 ■ ◆
| | ||ヒンメルみたいに銅像建てまくったらどうだろう
| | |└■2024/03/23(土)11時55分53秒 ■ ◆
| | | あー、だから戦いしか知らない魔法使い云々ってことか
| | | ヒンメルもそういえば孤独にならないようにとか言ってたな
| | └■2024/03/23(土)11時55分18秒 ■ ◆
| | ゼーリエが生きた証をゼーリエ自身の主観に刻みたいんだよ(;´Д`)
| | ゼーリエが遠い将来においてその主観の中で孤独にならないように
| | なので客観的な意味での名声とか歴史に名を刻むとかの意味とは違うんじゃないのって感じがするの
| └■2024/03/23(土)11時57分39秒 ■ ◆
| |ゼーリエの眼鏡にかなった魔法使いになれないのが確定したというかゼーリエがそういうのをレルネンに対してほぼ諦めたことに焦ったんでしょ(;´Д`)
| |だからそれに一番近いフリーレンを屠ることで少しでも師の理想の体現者に近づこうと
| |弟子としてもう一度振り向いてもらおうとしての行動だよいじらしいですね
| └■2024/03/23(土)11時59分21秒 ■ ◆
| そういうのが本音としてあるんだとしたら
| なーにかっこつけて「ゼーリエ様孤独にしたくなーい」とか言ってんだよってなっちゃうね(;´Д`)
|全然違うよ
|ゼーリエはもう未来永劫語り継がれるほどに名をなしてる
|レルネンが言っているのはゼーリエは超常の寿命を生きるので
|歴史に名も残せなかった弟子達と過ごした記憶なんていずれ忘れてしまうだろう
|思い出せないのはかわいそうってことだよ(;´Д`)
俺もそっちの理解だな(;´Д`)
遠い将来においてフランメしか残っていないから孤独だということ