はてなキーワード: 単独とは
最近になって、妻といる時間が苦しく思うことが増えた。私はまだ30代だけど、妻とは人生の半分以上を一緒に過ごしてきたので相応に理解しているつもりだった。
もちろん、相手のことが手に取るようにわかるわけではなく、積み上げた経験によって、どんな入力がきたらどんな出力を返すのか、相手の振る舞いを推測できる精度が高いだけにすぎないのだが。
転機はやはり子供ができたことだと思う。お互いに、それによって心境の変化があったわけではないけれど、過ごす時間の大部分を子供に取られるようにはなった。
断っておくと、それ自体が苦痛な訳ではない。私は分類としての子供というものが好きではないけれど、自分の子供まで苦手、というわけではないのは自分で安心したところだ。
全く言葉も何も通じたものではないし、言うことも聞いちゃくれないんだけど、よく懐いてくれているし、可愛らしさもある。
私はこの居心地の悪さのような苦痛がどこから来るものなのか、最初はよくわからなかった。
機嫌の悪そうにみえる妻が怖いのか、子育ての領域にそこまでの貢献ができていないことへの申し訳なさがそうさせているのか。
結論からいうと、妻の私への対応が変わってきたことにあるんだと感じている。
そしてそれは、きっとどうしようもないことで、彼女の余裕を育児が奪ってしまっているんだろう。
まだ赤ちゃんの子供と2人で過ごしてみたらわかることだが、本当に手間がかかる。寝ている時間のなんと穏やかなことか。
離乳食のためのスプーンは弾き飛ばすし、危険なところに自ら向かって行くし、まだ立てないのに両手をいきなり離して転がるし、風呂で泳ごうと試みて沈みそうになるし、突然吐くし、理解できない。こんなのを相手にしていればそれはもう疲弊するに違いないのだ。
余裕のない人間のコミュニケーションは、可能な限り効率化される。
視野が狭まるので、相手の悪いところばかり目に入るし、いいところは見えなくなって行く。
今の私は率直に言って妻が苦手になってしまった。その日の機嫌によって対応がころころと変わり、最悪なときは何を話しかけてもろくな返答は帰ってこない。
仕方のないことだ、余裕がなく、疲れているのであれば仕方がない。それがわかっていても心は疲労する。
育児というタスクに対して、私の貢献度は限定的だ。なので妻もそれほど私に期待はしていない。
保育園に送ることを除けば、他の育児に参加できるかは業務状況に左右されるため、妻は最初からほとんどの育児を自分のタスクとして捉えてしまっているんだろう。
そこに分けるという発想はもうない。コミュニケーションを取って分けるより、足りないところを教えるより、自分でやった方が早いからだ。
そこに下手に歩み寄っても断られるだけだし、何か落ち度があったらため息も出てくる。私はその度にすり減っていく。
自覚していたことだが、私は妻に強く依存していたし、妻は私に強く依存していた。いわゆる共依存。
健全な関係かと言われると疑問ではあるが、そうして生きてきた。
ここにきて、妻は私への精神的な依存から脱却し、母親として自立しようとしているのかもしれない。
私にはそれはとても寂しいことだけれど、やはり母親になるということは特別なものなのだと感じる。
元来、私自身妻のために生きてきた。(ここからすでに妻に依存している)
自分には経営やら営業の才能はなかったので、一点に振り切りつつも、その分野の勉強を続けたことで、幸いにも年収だけはそれなりに高く、同年代平均年収の倍以上はある。
でもそれは、資本主義のこの日本で暮らすには、ある程度の資金があった方が良いと思った結果に過ぎず、結局のところ妻が幸せになったらいいなという動機でしかない。
ほとんどのことを妻のためになるか、喜んでくれるだろうか、と生きてきた自分にはほとんど自己の欲求というものが欠如していた。
求められて、応えていれば上手く生きられている気がしていた。
人間というのは現金なもので、無報酬な行動を繰り返せるほど高尚にはできてない。
相手が喜ぶなりのリアクションを返してくれるからこそそういった行動をとれるわけで、そこが塩対応になってくると苦痛になってくるのは当たり前のことだった。
結果的に、われながら極端な話だと思うが、私はもう生きていることが辛くなってきている。
私が父親として自立しなければならないのだと思う。子どものためを思えば当たり前のことだ。
けれども、子供のために生きられるかというと自分はどうやらそこまでの熱量がないらしい。
生命保険がいくつかかかっているので、何かしらいい感じに死ねたら楽なのだが、と思うけれど、なかなかそんなことにはならない。
車でバカな単独事故死をしたら生命保険っておりるものなのかと考えた。
客観的に見ると、完全にメンヘラかヤンデレの対応で笑うしかないのだが、これが精神的依存の真骨頂と言えるだろう。自分の不調を改善するために、自らを盾にして相手をコントロールしようとするのはとても良くない。
けれども、自分が死んだとき、妻に悲しく思ってもらえなかったらと思うとゾッとするので、今のうちに死んでしまいたい気持ちがあるのは事実だ。
私はそれを冷たく理性で抑えつつ、次の環境の変化を期待して生きて行くのしかないのかもしれない。
いずれにせよ、核家族の共働きで子供ができるというのは大変なことだったということだ。
子供は出来合いの離乳食もよく食べてくれるし、病気がちでもないし、人見知りも少ないのにたくさん時間を持って行く。まぁ甘えん坊ではあると思うけど、恋人という関係で過ごす時間を根こそぎもっていく。
そういう期間が数年はあることは覚悟しなければならないことだった。
こうして、何かしらの形で出力しないと自分の気持ちに整理がつかなかった。
端的に言えば私は子供と妻の取り合いをしているのかもしれない。
今までよく理解していなかった、シャア・アズナブルの迷言が頭をよぎる。
たとえ妻の一番が子供になったとしても、私にとっての一番はずっと妻のままだ。
その気持ちに嘘はないし、ちょっと辛さがあるにしても、毎日一緒にいられる。
虹の橋を渡る
読み方:にじのはしをわたる
「虹の橋を渡る」とは、ペットの死を意味する婉曲的な表現。愛犬や愛猫を亡くした飼い主により「今日【ペットの名前】が虹の橋を渡りました」といった言い方で用いられることが多い。
「虹の橋を渡る」という表現は、「虹の橋(Rainbow Bridge)」と題する詩が念頭に置かれている。同詩はペットの死を題材とする散文詩であり、《飼い主に先立って死んだ愛犬や愛猫の魂は、虹の橋を渡って天国へ昇る》という趣旨の叙述がある。
なお、同詩では「ペットの魂は虹の橋を渡らずに飼い主を待っており、飼い主が亡くなった後、魂は再会を果たし、連れ立って虹の橋を渡り、天国へ向かう」と述べられている。ペットが先に単独で「虹の橋を渡る」となると、もともとの詩の内容とは食い違ってしまうが、そこには暗黙の了解がある。おそらくは、原作との齟齬よりも、「天国へ旅立つ」イメージや日本語表現としての自然さが優先されたものと推察される。
http://warhistory-quest.blog.jp/23-Sep-11
それの世話をすれば、それは貴方に尽くしてくれる。空いた時間があればいつでもメンテナンスをすること。フィルターや武器、その他諸々を掃除しておくことで車両は戦闘即応できる状態になる。
・戦いは乗員全員の仕事だ!
砲‐操縦手と運転‐メカニック担当は常に内部でコミュニケーションを互いにとっておく必要があり、キャタピラで踏みつぶしたり体当たりで衝突して敵を撃破する近接戦闘にも備えておく。
・戦車兵の生活の全ては車両の中かその上で営まれる。(休息、睡眠、食事、その他)
レクリエーションのために車両のそばにテントをはることはしてはならないし、外で一晩中すごすこともならない。
貴方は戦車の持ちうる能力の全てを発揮させることができるようにならねばならない。戦車は信頼性があり、複数の攻撃を受けても耐久しうる。あなたの車両に自信を持つのだ。我々は最高の戦車を持っている。
・オフラインで利用可能な地図デバイスの使用法を習得すること!
・同一ポジションから射撃をし続けることは決してしてはならない!各射撃位置は500m以上移動させること。
・弾薬を積むのはコンベアにのみしておくこと!コンベアにのみ積んでいるなら、例え被弾し装甲を貫かれても即時誘爆はしないので乗員は避難する時間があり生き延びれる。
・空中をコンスタントに監視すること! 戦車を動かしている時はUAVの音は聞こえないので、目視確認する。
・補給物品(燃料、潤滑油、弾薬など)は一か所に集めておかないこと。 自身のいるポジションから充分な距離を離して分散配置しておくこと。
・自分のいる場所に弾薬は置いておくな! 弾薬補充のために、任務場所に進む道沿いに複数の貯蔵庫を事前準備しておくこと。
・防御では、戦車は最前線に置いておくな! 機甲集団の一部として運用し、前線からある程度の距離をおいて配置しておき、同じ道を毎回使って任務ラインへ行ってはならない!
・防御において、戦闘ラインに到着し敵を撃退した後、幾たびか停止しながら異なるルートで帰還すること。
・常に敵を欺くこと。 遊牧的に動き回る戦車を用い、迂回し、遠くへ超えて行き、オープン回線やその他手段でミスリードを計れ。
・単独の正面攻撃は死だ!!! 自動車化歩兵中隊に戦車を配属する必要がある場合、絶対に1輌だけ与えるのはするな。最低でも2輌だ。
・市街戦での戦闘とは即興の事柄ばかりだ! 常に警戒し、360度の視界を車長のキューポラで持つこと。もし自分の方角がわからなくなったら、ハッチを開けて周囲を見回せ!
・戦車とは強力な兵器であり、戦車の活動は味方を鼓舞し敵の士気を下げるということを忘れてはならない。
・猛攻撃でコンスタントな火力の衝撃をもたらすこと。 疑わしきものは全て破壊せよ。予防的な射撃を行うこと。常に武装には弾が装填されている状態にしておくこと。
・町から敵が追い出された後こそが、敵の砲撃がすぐさま始まるので危険であり、戦車はその場にとどまらず、移動分散すること。
・攻勢に出る場合、敵が移動したルート上を移動すること。 地雷はどこにでもある!ただ、敵が退却している際はそのルートの地雷密度は薄い可能性が高い。なぜなら敵はいつも戦術的逆襲による撃退を計画してるからだ。
・貴方は現代戦車で闘っているのだ!何kmも離れた場所から敵に射撃でダメージを与えることができる。 故に闘うことを決意したら、このことを考慮に入れ、可能ならばより増大した距離で敵を破壊し、敵の対戦車兵器から身を守るのだ。
【19】操縦手は車内にいる方がより安全でより信頼性があるということを忘れるな!
【20】砲やロケット弾に被弾したら、時には何発も受けることがあるのだが、どんなにそれで怖くなったとしても、焦って戦車を離れようとするな!車内に火災が発生していないのであれば貴方はまだ大丈夫なのを忘れるな!
【21】戦車の外にいるよりも中にいたほうがより信頼性があり安全である。戦車を離れて多くの者たちが死んでいった。敵の狙撃やマシンガンは貴方たちを待ち受けている。
【22】煙とは火ではない!車内に煙が出たからといってそれが戦車内部で火災が起きているとは限らないのを覚えておくこと。車内で炎上が無ければ貴方はまだ大丈夫なのだ。
【23】被弾して、戦車を離れた場合。貴方が生き延びており、5分後にまだ戦車が爆発しておらず、ハッチから煙が流れているのが見える時がある。そのケースではソフトウェアが鍵になる可能性が極めて高い。すぐに戦車の中に入って、車両オペレーティングシステムを再起動し戦車を稼働させること。戦車内部にいるほうがまだマシなのを忘れるな。
【24】戦車兵よ、機動力と火力と装甲こそが貴方の勝利と幸運を保証してくれる最たるものであることを忘れるな!
【31】戦車とは難聴で弱視だ、しかし敵兵はそれをわかっていない。忘れるな、敵は常に戦車を恐れているのだ!時にこちらが抱く恐怖よりもだ。たとえ周囲の状況が合理的には絶望的であったとしても果敢に行動せよ。己の恐怖を克服し、敵には恐怖を抱かせるのだ! No.24を理解すること。
東方アレンジもここ数年は単独で作ってないし、オリジナル曲も出してないよなぁ~。
「最終鬼畜妹」とか「ナイトオブナイツ」がめちゃくちゃ流行って、東方アレンジの権威を手にした。
それはすげーことだと思う。ニコニコ黄金期とか、東方アレンジといえば!的な存在だったし。
だけどこの数年レベルで、それらの過去の栄光曲を擦りまくって、合作という形でセルフアレンジするだの、各所に依頼しまくってリミックスCD出すだの、過去の曲を再録して販売するだの・・・
「俺の曲を聴け!」じゃなくって「みんな俺を盛り上げろ!」みたいな、つまらない活躍しかしてなくない?
なんというか、億千万の瞳が流行りまくって、それ以降舞台に出て踊るだけの郷ひろみっぽくなったよね。悪い意味で。
曲かけなくなったんだろうなぁ~。
まず一言
中学で笑われたものは、成人式の頃にはやらかしを笑い話にできる
ある程度人生を進めた人にとって、恋に向き合うことは通過儀礼であり、やらかしを笑いこそすれ、向き合った本人を笑うことはない
その通過儀礼とやらの犠牲になる相手の事がまるで書かれてないから
【お察し】なのな
オレ昔やんちゃしてさぁってか?
お前は中高大の貴重な時間を、他人の通過儀礼とやらに捧げられるのか?
アホ抜かせよ
しかし、今の日本の状況を見ていると、どうしても財政破綻した夕張市のことを思い出す。
表面上はきれいごとばかりで何が起こったのかわかりにくいが、
といった緊縮策が実際に行われたようだ。
夕張市民が市長に詰め寄るシーンをまだ覚えているが、こんなことになってもまだ自分たちは被害者だと有権者は信じていた。
同じことが日本という一つの国家規模で起こるか?間違いなく起こるだろう。
国際的な日本企業は数多いが、家電もパソコンもスマホもほとんどは東南アジアで作っているし、車も現地生産の割合が多い。
国内の工場は下請けの小企業でさえ外国人研修生が主力だ。今の日本人には国際競争力が何もない。